9―(12)「学園祭①(一日目)」
いよいよやってきた学園祭当日。
一週間続く祭りの三日目までは一般解放されないので見知った顔ぶればかりだが、制服ではなく様々な衣装を着ているため、学校内にも関わらず別の空間に迷い込んだようだった。
そう感じるのは、おそらく我が2―Aが人で賑わっているのも一役買っているのだろう。なにせ俺たちのクラスは体育祭で奇人・飛縫かれきを打倒して場所を確保したのだ。注目されるのは当然で、おまけに興味本意で足を運んだ生徒たちが周りに宣伝してくれるものだから、朝から大忙しである。
もっとも買い出し係の俺は忙しそうに動き回るメイドたちを眺めているだけで、ぜんぜん忙しくないのだが。
「冬道」
出し物を巡るでもなくぼけっと椅子に座る俺にお呼びがかかる。振り返ってみればトレーを片手にして、もう片方の手を腰に手をあてる蒼柳が立っていた。
しかも格好はメイド服だ。白を基準とした衣装はところどころが動きやすいように改造されており、ロングスカートだというのに裾を踏んで転ぶハプニングは起きそうにない。俺としてはそれくらいのサービスは期待させてもらいたいが、ほぼ役に立たない奴の意見など言っても突っぱねられるだけだろう。
それにしても、と彼女の格好を改めて見てみる。
ツリ目でクールな容貌の彼女にフリフリな衣装は、ギャップがあってたいそう似合っていた。これなら人気になるのも頷ける。
「なに?」
ジロジロ見られてはさすがに居心地が悪いのか、蒼柳はわずかに頬を赤く染めて身をよじって上目遣いに睨んでくる。蒼柳はこういった可愛い系の服装はあまり好まず、クール系や中性的な格好がほとんどだったこともあり、恥ずかしさがあるのだろう。
たぶん似合ってるとか言うのもやぶ蛇で地雷だ。融通の利かないタイプの相手を怒らせるとあとが怖いので、無難に返すことにする。
「いや、お前のそういう格好は珍しいと思ってな」
「似合ってないなら素直に言えよ。こういうのは、あいつらの領分だろ」
そう言って蒼柳が指差したのは気さくな笑顔を浮かべて接客する柊、どこか人懐っこい印象を受けるしぐれ、オドオドしつつもしっかりと役割をこなす萩村。そのほかにも目を引くクラスメートが動き回るホール――もとい教室だ。
俺たちが喫茶店として使わせてもらってる教室は調理室と調理用具室、そして開き教室が繋がっている。普通こういった教室は目立たない場所にあるものだが、何故か桃園高校のは玄関を抜けてすぐに備わっている。
俺がいるのは調理用具室の隅っこだ。出し物を巡らないとは言ったが、いつ買い出しに行くかわからないので動けないだけだったりする。
「あたしにはちょっと荷が重いよ。無愛想だし」
「そういうのもイイって客もいるだろ。さっきの三年とかすげぇ食いついてたじゃねぇか」
「……他人事だと思って」
拗ねる蒼柳。予想していたことではあるが、メイド喫茶となればしつこく絡んでくる生徒もいる。ついさっきも蒼柳が絡まれたのだがそれが面白くて、どれだけ口汚く罵っても快感そうにするだけのマゾ先輩だったのだ。
それは柊が『吸血鬼』の腕力でつまみ出して、しぐれが満面の笑顔で出禁を言い渡したら肩を落として帰っていったのだけれど。
こういう場面こそ不良のレッテルの貼られてた俺が出るべきだと思ったのだが、あえて言わないでいくことにした。
「それでなにか用か? まだ材料はあるだろ」
まだ昼にはなってないので食材はほとんど減ってない。飲み物こそ買い置いた分からかなり少なくなったけれど、まだまだ余裕だ。この調子だと午後は俺の出番が多くなりそうではあるが、客足の多い昼時もしのげるだろう。
蒼柳は目を横に逸らして腰に添えていた手で頬を掻いて、駄目元と言わんばかりの口調で用件を言葉にする。
「人手が足りなくなりそうだから、冬道に出てほしいって、しぐれが……」
そりゃあ言いづらいわな。
蒼柳の内心を察して合掌する。苦笑いされた。
何度も断る光景を目にしている彼女たちには、俺がいかに執事をやりたくないのか伝わっているのだろう。しぐれの誘いに気の毒そうにされたのは記憶に新しい。
いくら最近は距離の近い蒼柳でも誘いにくいだろうし、俺が離れられない理由もわかっているだけに、答えがわかっていても形式的に問うしかなかったのだろう。
ドアに半分だけ顔を隠して様子を窺うしぐれに気づかないフリをして、
「大丈夫だ。今日はとりたててイベントがあるわけじゃねぇから、クラスの出し物に専念する生徒以外は自由に見て回れる。昼時は忙しくなるだろうけど、それにしたってほかのところも回りたいって気持ちを考えると、人手が足りなくなることはねぇよ。昼をピークにゆっくり客足も減ってくるだろうぜ?」
矢継ぎ早に断る理由を長々と説明してやる。うちのクラスはたしかに目田までがあるが、かといって別のところを無視してまで来ようと思う場所ではない。
祭りに浮かれた三年生――特に柄の悪い、言ってみればチャラい連中は、この熱に毒されて美人・美少女揃いの女の子たちを口説きに行っているはずだ。二年にも柊や飛縫、ほかにもキラキラした女の子は何人もいるが、やはり真宵や火鷹と比べるとやや劣るものがある。
真宵が彼氏持ちなのは最近の騒ぎで知れ渡っているだろうが、桐代のようにそれを快く思わず、認めない奴は何人もいるだろう。そういう輩は祭りの熱にやられて強引に関係を迫ったりするものだ。
そう考えると、やはり客足はそういったところに向く。
真宵のクラスがなにをするか結局聞けずじまいだったけど、おそらく今ごろは賑わっているだろう。
そんで真宵をナンパして撃退される。
結果など目にしなくても想像できた。
「なんか小難しいこと考えてんだね、冬道って」
「そうか?」
「普通はそんなこと考えないよ。それもやっぱり戦ってきた影響?」
「まあな」
周囲の状況から数秒先の光景を想像するのは生き残る上では必須だ。
しかしそれに縛られてもいけない。想像はあくまでも想像で、実際とは別となる可能性だってある。常に臨機応変に対応できるよう備えておかなければならない。
「ああ、そういえば」
「ん?」
俺は回転椅子を回してメイド服姿の蒼柳に向き直る、
「なんであんとき、誰にも見えなかった敵が見えたんだ?」
いまの俺はほぼ全盛期と同等の実力を引き出せるようになっている。気配索敵のスキルに至ってはずっと磨かれっぱなしだったというのに、誰かが侵入してきたと外的要因から察することができても、自分の感覚では一切わからなかったのだ。
魔王となった翔無先輩も気づいた様子はなかったし、おそらく真宵でさえ極限まで集中しなければ正体を見抜けないだろう。下位の眷属だったとはいえ、ああもあっさり連れ去ったことも考えると、視認もできず気配も探れないのではあの狭い空間で真宵に攻撃をまったく通さないのは難しい。
いや、まずそれはいい。
いまはそれだけの相手を、どうして超能力も持たない蒼柳が反応できたのかだ。
「え……な、なんでって言われても……なんとなく?」
「見えてたってわけじゃないのか?」
「あ、うん。なんとなく窓が割れて冬道が危ないな……って」
「すげぇ具体的ななんとなくだな」
ということは、蒼柳の『これ』は柊のような直感、ということだろうか。
だが蒼柳の直感はほとんど予知みたいなもののようだし、また別のものなのかもしれない。
……悩んでても仕方ないか。
「蒼柳、いまから俺はお前を殴る」
「は?」
ポカンとした表情の蒼柳。俺は構わず続ける。
「つっても寸止めか脇を通過させるかのどっちかだ。動かなきゃ大丈夫だ」
「ち、ちょちょちょっと待って! いきなりなに言ってんの!?」
顔を青ざめさせた蒼柳が必死になって俺を止めてくる。まあ、この前の一件で俺の拳だけでも人間をスクラップにできるとわかっているはずだし、いくら外すって言われても生きた心地がしないのだろう。
「お前のそれがなんなのか確かめるにはこれが一番手っ取り早いんだよ」
いくぞ、と緩く言って拳を握る。
蒼柳がぎゃあぎゃあとわめき散らしているが、あいにくと止めるつもりはない。
もし学園祭の期間中にノー・カラーが来たら、気づけるのは蒼柳だけかもしれないのだ。もう蒼柳は超能力に関わってしまっているのだから、この力の正体がなんであれ、使えるものを使わないのは宝の持ち腐れというものだ。
そしてそれを確かめるには、この一撃を外すわけにはいかない。
外すと宣言したため、蒼柳は青ざめつつも安心しきっている。
俺はそんな蒼柳の顔面目掛けて、普通の人間では躱しきれない速度で拳を――突き出す。
「わひゃあ!?」
可愛らしい悲鳴をあげて蒼柳は俺の拳を躱した。
いや、躱したというより、事前に察知して軌道から逃げたという方が適切か。
「は、外すんじゃなかったのか!?」
「…………」
「と、冬道……?」
これは超能力、なのか? 外すと宣言していたから蒼柳はそう思っていたはずなのに、結果として躱されてしまった。しかも拳が動き出す直前に体をズラしてだ。……あとで翔無先輩に話してみる必要があるかもしれない。
「なんでいま俺が外さないってわかったんだ?」
「はぁ!? なんでって……あれ、なんでだろう」
やはり蒼柳は自分がとんでもないことをやったのに気づいていないらしい。
こんな近距離で躱すなんて、化物クラスでなければ不可能だというのに。
「ってそうじゃない。冬道、あんたあたしが避けられなかったらどうするつもりだったんだ?」
眦をつり上げて怒りを露にする蒼柳が詰め寄ってきて、冷たい声音で言ってくる。
「そんときはそんときだろ」
「ふざけんな!」
もっともな蒼柳の叫びが響き渡るのだった。
◇◆◇
「と、冬道くん、お願い助けてぇ!」「も、申し訳ありません、少々お待ちを!」「最後尾二時間待ちです!」「お待ちどうさまです、ご注文はこれでよろしかったでしょうか?」「当店はそのようなサービスは行っておりませ……ちょ、どこ触ってんだゴラァ!」「いいんちょー、これどうしたらいいー?」「その辺に転がしときなさい」「うほっ、いい男」「ぎゃああああああ!?」「そこのホモ! 山口なら連れってっていいから邪魔しないで!!」「総員配置につけぇい! 眼福なこの光景をくまなく写真におさめろ!」「た、隊長、背後からホモォが!」「こら男子! 忙しいんだからふざけないでよ!」「美味いぞぉぉぉぉぉ! ふぉおおおおおおおおお!」「め、目から光が!?」
昼時がピークだと予想したわけだが、まさかここまで満員になるとは思わなかった。教室に用意したテーブルはすべて埋め尽くされ、メイドやら執事やらが忙しなく動き回っている。
廊下にはほかにも喫茶店をやっているクラスがあるはずなのに、二時間待ちになるほどの長蛇が出来上がっていた。接客係も大変そうだが、列の整理に回されたスタッフの忙しさは常軌を逸している。
待ち時間が長すぎるというクレームを何回も受け、そのたびに愛想笑いで誤魔化しているのだが、そろそろストレスが限界らしい。微笑みを作る口の端がひくひくと震え、少しでも悪態を言われたら暴走してしまいそうだった。
昼を待ってやって来た新規はもちろんのこと、午前に訪れたほとんどがリピーターになったのではと思うほどの客足だ。
これだけ忙しいと俺にも出番が訪れ、かれこれ二回ほど買い出しに行ってきた。それでも接客係に比べれば労働してないのと同じだけれど。
「と、冬道くん! その……お願いが、あるんだけど……」
息も切れぎれに俺のところに来たのは、忙しすぎて着衣を乱すしぐれだった。
トレーを片手に息を整えているしぐれの表情は、まさに疲労困憊のそれだった。
「接客係なんだけど、手伝ってもらえないかな……? これはしぐれのわがままじゃなくて、クラスのため、なんだけど……」
俺の表情を窺うようにトレーで顔の半分を隠したしぐれの声は尻窄みに小さくなっていく。これまでしつこく誘っていただけに、まともな理由でも頼むのは後ろめたいとでも思っているのかもしれない。
まあ、俺が頑なに断り続けてるのを目の当たりにしたらそう思うのも当然だ。
俺は深くため息をつくと、暗い顔でうつむくしぐれの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「わかったよ。今日だけだからな?」
さすがにこの忙しさを見せつけられては断れまい。
「え……えぇ!? い、いいの!? ほんとうに!? いまさら嘘だって言ってもしぐれさんの耳には聞こえてきませんことよ!?」
すると途端にしぐれが満面の笑みを作り、信じられないほど興奮した様子で急接近してきた。いつもハイテンションだとは思っていたけれど、さらに煩くなられては堪ったものではない。しかも口調もおかしくなってるし、俺が執事やるのがそこまで嬉しいのかよ。
「言わねぇから安心しろ。それと、戻る前にちゃんと服は直した方がいいぜ?」
「ふぇ?」
コテンと首を傾げたしぐれは、俺に言われた通りに服装を見下ろす。そこでようやく自分が下着丸見えになっていることに気づき、すさまじい早さで体を抱き締めるようにして隠す。
「う、ウソ!? いつから、いつから見えてたの!? さっきからすごい見られてると思ったけど、こんな格好だったら見られて当然っていうかなんでみんな教えてくれないの!? ていうか冬道くんもちゃっかりしぐれの下着見ないでよ、このエッチスケッチワンタッチ!!」
「うるせぇ。ぎゃあぎゃあ喚くと着ねぇぞ」
「…………」
素早くメイド服を着直したしぐれは両手で口を塞ぎ、うるさくしないから着替えてくれと、切実な眼差しを俺に送ってくる。
「それで衣装はどこにあるんだ?」
「…………」
「おい、聞いてんのかよ?」
「…………」
無言で激しく首肯を繰り返すしぐれ。その様はヘッドバンギングを彷彿とさせるほどの勢いで、二人っきりでなかったら絶対にお近づきにはなりたくなかった。いや、ぶっちゃけ二人っきりでも、いますぐここから逃げ出したいくらいドン引きしてる。
「だったらどこにあるんだ? 忙しいんだったら早くしろよ」
学園祭の期間中、俺が優先してやるべきことは柊にノー・カラーを含めた眷属共が接触するのを防ぐことだ。ただでさえ不穏な影がちらついていて、おまけにすでに一回奇襲を喰らっているわけだから、奴らの目的は不明ではあるが、まず間違いなく学園祭に乗じて仕掛けてくるだろう。
しかしそれは四日目からの一般解放に合わせてのことのはず。
まさか学園祭という普段は学校に入れない人間が、疑われることなく簡単に侵入できるメリットを無視するとは思えない。仮にセオリー外しで現段階で仕掛けてきても、戦力が分散することはなく一点に集中するのだ。どれだけのリスクを背負うことになるかわからないわけがない。
つまり、とりあえず一般解放日まではそこまで気張る必要はないということだ。
いざというときのため動けるようにしろとは言われてるが、別に接客係としてホールに回っても動こうと思えばいつでも動ける。
だったらいまくらいははめを外したって罰はあたるまい。
「…………」
しぐれはまだ沈黙を保っている。なにがそこまで彼女に強制させるのか――と考えたところで、つい先ほど煩くしたら着ないと言ったのを思い出した。
「喋ってダメとは言ってねぇからな?」
俺が呆れながら言うと、
「ぷはぁ!! そ、そういうことは先に言ってほしいかな!!」
ぜえぜえと息を切らせて怒鳴ってくる。耳に痛い声量に渋面を作って顔面を鷲掴みにして押し返してやるも、俺が執事を解禁したゆえなのか、アイアンクローを喰らっているにも関わらず素晴らしい笑顔でぐいぐい迫ってくる。お前もまごうごとなき美少女なのに、見るに耐えない変顔になっていた。
俺が鷲掴みにしてるからなんだけどさ。
ぐぬぐぬと戯れていると、ホールからヘルプの声が飛んできてしぐれが我に返る。
「つい楽しくてすっかり忘れてたよ。えっと……ほい、これだよ!」
じゃじゃーんと効果音がつきそうな勢いで燕尾服を俺に渡してくる。
「サイズは冬道くんの体に合わせてるから大丈夫のはずだけど、キツかったりしたら言ってね? しぐれさんがささっと直してあげるよ!」
「はいはいどうも」
適当にあしらってブレザーを脱ぐと、当然のように同席していたしぐれが瞬間湯沸し器にでもかけられたように顔を真っ赤にして、手をぶんぶんと振り回し始めた。
「な、なんでここで脱ぐの!?」
「ここ以外でどこで着替えろっていうんだよ」
「だだだだって冬道くんだけじゃ着られないかと思って!?」
「いいからお前は戻ってろ。ちゃんと着れるから心配すんじゃねぇ」
最近覚えたのだが、しぐれに対しては限りなくぞんざいに扱っても問題ないらしい。足蹴にして教室から追い出そうと笑顔を絶やさないのがその証拠だ。なんとなく嬉しそうにしてたし、もしかしたらマゾ属性も持っているのかもしれない。
ため息をこぼしてワイシャツも脱いで、近くの椅子の背凭れにかける。
そして手作りにしては完成度の高い燕尾服を手際よく着ていく。
「……まさか異世界での知識がこんなとこで役に立つなんてなぁ」
異世界ではほんとうに変な知識ばかり身につけてきた気がする。戦闘技術は結果として役立っているとはいえ、貴族への礼儀やら執事の作法、さらには交渉術など、現代ではまず必要のない知識だ。
『勇者』として各国の貴族や王と会談することが多く、この礼儀なんかはいつのまにか身についていた。どうして世界を救うために召喚された俺たちが、私腹を肥やす猿に頭を下げなければならないのか、と内心では快く思っていなかったが、あの無能っぷりを見せつけられたらなにも言えなくなる。あれは頭に脳みそではくカステラが詰まっているのだろう。
やれヴォルツタインなど見捨てて我が国に留まれやら、やれ娘・息子と結婚しろと言われたのは数知れず。無能の国の娘・息子もやはり無能で、言ってることが支離滅裂でその場しのぎのことしか考えていなかった。
もちろんそんなのだけではなかったが、いま思うとよく俺たちを召喚する決断するまで生き残れていたものだ。
そういった腹黒い会談で俺たちが承諾しないものだから、今度は『勇者』召喚国であるヴォルツタインを取り込もうと画策した阿呆がいて、そのとき姫さんの側近――執事に扮してくれと頼まれたのである。
まあ、当時は天剣や地杖、あとは服装しか『勇者』とは判断されなかったので、目を向けられることもなかった。
「さて……と。こんなもんか」
鏡で変なところがないかチェックする。姫さんの側近に扮するとき燕尾服の着こなし方を嫌とほんとうに悲鳴を上げるほど叩き込まれたので、デザインが違っても変なところがあれば、俺の目は絶対に見逃さない。もし変なまま人前に出ようならあの指導が脳裏を過るからだ。一種の警報だと言ってもいい。
それがないということは問題なしのようだ。
「ふう……」
ホールに続くドアの正面に立ち、大きく深呼吸する。
緊張しているわけはない。あれだけ頑なに拒んでおきながら当日になったらあっさり意見を変えてしまったこともあり、なかなかクラスメートの前に出にくいのだ。下手に慕われるようになっただけに、どんな反応をされるかさっぱり予測できない。
「よし」
意を決してドアを開け放つと――とんでもない大音量の喝采が俺の鼓膜を震わせた。
目眩を覚えてたたらを踏むも、倒れるわけにはいかないという意地で踏みとどまる。
眉間に皺を寄せて教室を見渡せば、客も含めた全員が俺に注目していた。まるで俺が接客係をやると知らされていたような反応だ。
おかしい。俺はしぐれにしかやるとは言ってな――いや、しぐれに言ったからこそのこれか。
「おお! さすがかっしーくん、ばっちし似合ってるぅぉぉぉおおおおおおおおおっ!? だからしぐれさんの親指はそっちには曲がらないのよぉぉぉおおおおおおお!!」
「黙れコラ。へし折るぞ」
近寄ってきてサムズアップするしぐれの親指を逆関節に曲げる。
「ほ、ほんとに折れちゃうからご勘弁を――ってあれぇ!? なんか気持ちよくなってきたよ!? もしかして変な扉開いちゃったのよ!?」
「うわ、マジ引くわー」
「とか言いつつやめない冬道くんは真性のサドだね!! 超サディストだね!!」
「けっこう余裕あるじゃねぇか。まだまだいけるんじゃないか?」
「え、ちょっと待って? ねえしぐれのこと見て? すごい汗だく。もはや滝のよう。つまり?」
「この程度じゃ物足りない?」
「ごめんなさい!!」
謝りつつ掌打で顎を狙うしぐれに免じて、俺は親指を離してやる。
とりあえず掌打は首を横に振るだけで躱し、無防備になったしぐれの額を指で小突く。
俺がしぐれを拒絶したときと同じ状況であるのは本人が一番自覚しているだろう。表情を強張らせ、不安そうに俺を見上げてくる。
「せ、せっかく冬道くんが接客係やってくれるから、せめて楽しくしてもらいたいって思ったんだよ! ほら、みんなスゴい盛り上がりでしょ?」
言い訳をするように捲し立てるしぐれの額を連続でつつく。
「な、なにするのよ冬道くん! 痛いじゃないのよ冬道くん!」
涙目で抗議してくるしぐれ。再び額をつつく。
「だ、だからなんで!? というか何事だってばよ!?」
「あのさ、別にそんな緊張することねぇよ」
「え?」
こんな間抜けなやり取りの最中も、しぐれの表情は強張っていた。きっと余計なことをして俺が気分を悪くしたと思っているのだろう。
しぐれが俺を学園祭に関わらせようとしているのは、去年に自分を助けるために喧嘩をして停学になったのを気にしているからだ。だから今年の学園祭は、去年の分も楽しめるようにと頑張ってくれているのだろう。
よかれと思った行動が裏目に出たら心配にもなる。
俺は指でつついた彼女の額を撫で、
「ありがとな。せいぜい楽しませてもらうさ」
燕尾服を翻して、嗜虐的な笑みを口元に浮かべる。
「さあ――ご奉仕開始といこうか」
前回、数時間だけ載せて削除したまとめはまた後程掲載させていただきます。
とりあえず九章がいい感じにまとめられそうなので、リメイクを書きつつ、やはり九章が完結してからリメイクを、投稿したいと思います。
優柔不断で申し訳ないです。
次回の投稿はなるべく早くしたいと思います。
では失礼します。