9―(9)「スクール・デイズ①」
真宵と萩村、蒼柳が泊まることになってから数日が経った。生活観が違うことから時間のスレ違いがあって最初こそ大変だったものの、三日としないうちに順応してくれた。彼女たちにすれば合宿に来たような感覚なのだろう。
初日のお風呂乱入事件で初っぱなから騒動になって心配になったのだが杞憂に終わり、その後は目立った騒ぎはなく平穏な日々を過ごしている。
ただ年頃の女の子が多数いるため、お風呂の時間の割り振りと入浴中の掛札だけは徹底している。気づかないなんてお約束の展開にはならないだろうが、保険をかけるに越したことはとはない。
まあ俺はないけど、何回か女の子同士でエンカウントしてしまったらしい。掛札を入浴中にするのを忘れて入ると、電気がついてても入ってないと勘違いしてしまうというのだ。あれから部屋の拡張を申請されてないから全員同室なのに、何故そんなことになるんだと言いたくなったが、女の子同士なら問題ないだろう。
よかれと思って引っ張り出した掛札が余計な方向に働いてしまったようだ。
だから俺が入浴するときは部屋をノックして全員いるか確認。掛札が入浴中になってないか確認。洗面所に彼女たちの着替えがないか確認。入る前にお風呂場に誰もいないかの確認の四拍子を毎回行っている。
ちなみに俺は最後の入浴なので、遅い時間帯になるのが目下の悩み事だったりする。男が浸かった湯に浸かるのは気持ち的にも嫌だろうし。
それを気にした真宵が「一緒に入りましょう。お背中お流しします」と嬉しい申し出をしてくれたこともあったが、その……ね? 俺も男だから。ビーストモードになっちゃうから。常備してる天剣を復元させちゃうから。
あとは俺を除いた四人で弁当と料理当番が決まっていたことか。
しばらくして余裕ができてから夕食を口にすると、真宵やつみれの味付けと違っていることに気づいた。じーっと見つめられる視線を感じたので顔を向ければ、祈るようにして俺を凝視する萩村にぶつかった。
どうやら萩村が作ったらしい。素直に感想を言えば安心したように頬を弛緩させていた。
その後も蒼柳だったり真宵だったりと、初日の料理対決につみれまで参加して継続中のようだ。俺が審査員とか勘弁してくれ。
あとは……洗濯物だな。いまは学園祭の準備が忙しい時期で、クラスでも率先して取り組む彼女たちの帰りは遅い。真宵も食材の買い出しがあるし、つみれは空手部で忙しいようだ。そして母さんは戦闘スキル以外はマイナスにメーターを振り切っているので役に立たない。
必然的に俺が家のこと――つまり洗濯物を取り込まねばならないのだ。
これが困った。せめて母さんが使えればよかったけど、さっぱり役に立たん。
最初こそ洗濯物も当番制でやっていたのだが、だんだんと追いつかなくなり、なくなく俺がやることになった次第である。
下着の替えがなくなったら自宅に帰ればいい、と言ったのに、大丈夫の一点張りだった。眷属に襲われたのを思い出してしまうのだろう。俺か真宵がいれば、それこそ大丈夫だというのに。
結局俺がやることになり……物凄い気まずい。おかげで偉い目に遭った。
ある日のことだった。特にやることもなかった俺は、日課になりつつあった洗濯物の回収を行っていた。これだけだと変態の所業でしかない。死にたい。
どれだけ視線を外しても女性用下着が目に入ってしまい、円周率を数えることで気を紛らせていた。一回目は三桁しかわからなかったが、次第に何桁も数えられるようになっていた。
その日も円周率を無心で数えていたため、誰かが帰ってきたのを気づけなかったのである。
「ひゃああああ!? と、冬道くん、それ私のだよ!! 見ちゃダメぇぇぇ!!」
「ん?」
円周率を無心で数えていた俺は視界の外から伸びてきた手を反射的に躱して、腕を取り、ソファに投げ飛ばしていた。誰か投げたなと思い顔を上げれば、空中でじたばた暴れる萩村がいた。いくらソファでも叩きつけられるとそれなりの衝撃になる。急いで風系統で小柄な体をキャッチし、ゆっくりと降ろした。
「早かったな。今日はなにもなかったのか?」
「う、うん。衣装合わせだけだったからすぐに終わったの。……じゃ、じゃなくて!」
熟れたリンゴのように耳まで真っ赤にした萩村は、俺の右手を指差している。はて、なにか握ってただろうかと視線を下げようとすれば悲鳴と共に後ろから目隠しされた。
「と、冬道くんが握ってるの、わ、私の……なの」
恥ずかしそうな声音の萩村。けれど目の前のことに集中しすぎて、さらに大変なことになっているのに気づけていないらしい。
後頭部に触れる母性溢れる柔らかいお餅。そう、萩村のおっぱいに俺の頭が埋まっているのだ!
言わぬが仏か。ううむ、せっかくだし堪能したいところだ。
「おじゃましまーす……あれ、冬道を胸に抱き寄せてなにやってんの?」
真宵や萩村が「ただいま」と敷居を跨ぐようになったなか、蒼柳だけは「おじゃまします」を貫いている。他人に関心を持てないのと奥手な恥ずかしがり屋なだけで、打ち解けさえすれば簡単に馴染めるのだろう。コミュニケーションが苦手なのではなく、最初の一歩をどれくらいの幅にすればいいかわからないのだ。距離感が掴めないともいう。
こういったタイプは難しい。下手に踏み込みすぎれば何様のつもりだと侮蔑の眼差しを向けられたり、押し付けられた感情に潰されてしまうこともある。浅すぎればろくに会話が成立しなかったり、続かなかったりする。ちなみにどっちがどっちなのか、言うまでもないだろう。
だから相手との距離をしっかりと把握して接することが大事なのだ。
真宵みたいな性格だと、繰り出される口撃に怯まず言い返し、興味を持ってもらえれば自ずと良好な関係を築けるだろう。その間に心が折れてしまう可能性が絶大だが、まあ罵倒も山を越えれば快楽になるともいう。根気強く話しかけ、マゾヒズムに目覚めるのを覚悟すれば話すだけの知り合いにはなれるのでなかろうか。いまのところ異能関係者以外で友達になったとは聞かないし。
萩村は彼女の振る話題を広げて、話しやすい雰囲気で気長にしてればいつの間にか、かな。俺はそこまで話した記憶はないけど。
蒼柳は二人のようにこちらから距離を詰めるのではなく、自分から詰めていくタイプだ。「ただいま」になるのはずっと先になるだろう。
買い物袋を片手にした蒼柳が、呆れたように萩村を見ている。
萩村は言われて自分がなにをやってるか気づいたらしく、短い声にならない声を紡いでいた。
「ち、ちが、違うの! わ、私……うぅ、ごめんなさい!」
なくなったお餅の感触に名残惜しさを感じつつ、回収した洗濯物の残りを蒼柳に任せることにする。蒼柳は萩村ほど大袈裟な反応は示さず、むしろ気にしていない様子だった。
そんなこんなが、最近の冬道家の日常だった。
しかし変化したのは冬道家の日常だけではなかった。
眷属が襲撃してから二日間はやはり休校となった。帰り際に見上げたとき、2―Aの教室のある壁のほとんどが破壊されているのを目にした。玄関前には投げ出された机や椅子が変形して転がり、処理するにも一日ではどうしようもなかった。
実際は二日間も必要なかったらしい。壊れた箇所は協定関係を結んだ『九十九』の能力者にしてメイドである五十嵐の『元の状態に直す』能力でものの数分で片付いたという。むしろ移動に時間がかかったと後に両名から愚痴られた。いい迷惑である。
二日間も要したのは、比較的表沙汰になったのを揉み消したり、その他の機関に働きかけたりしたからだそうだ。生徒の何名かは目撃しているので、犯人が捕まらないのでは登校した際に不安が残る。それに学校にも報告する必要があるので、警察が介入し、犯人は捕まったと偽装しなければならなかった。
これだけ聞けば犯罪者は俺たちだが、超能力の存在を露見させることと比べるべくもない――というのが凪たち『組織』の総意だそうだ。どうせ眷属の始末は俺たちがするのだから、余計な介入をされてもお互いに困るだけだ。
表向きには警察が現場検証をするので休校となった。朝早くに電話が鳴り、担任教師からその旨を伝えられた。
予想通り休日となった二日間は、さっきも言ったような感じで過ごした。
そして臨時休校も終わり登校することになったわけだが、周りからの視線が以前と違っていた。
朝から美少女を三人も侍らせるように歩いていれば、悪い意味で注目されるのは覚悟していた。学校のアイドルである真宵と恋人宣言したことは全校生徒の大半に知れ渡っている。なのにすぐほかの女の子を連れていれば、悪印象を持たれるのは当然だ。敵意を剥き出しにされ、これまで以上に過ごしにくい環境になるだろうと予測していた。
狙われる可能性のある萩村と蒼柳を放置して保身に走るくらいなら、いまさら俺ひとりの印象が悪くなろうと構わなかった。
というのに、なにやら敵意が少ない。
なんでだろうと首を傾げれば、萩村と蒼柳はいたずらっ子のような表情を浮かべていた。
ますます疑問が募るばかりだったのだが、教室に到着したことで決壊した。
「おっと! 我らがナイトのお出ましだぜ!」「あの冬道くんがねぇ。こりゃたまげた!」「私は最初からいい人だと思ってましたー」「ばっか。お前ずっと極悪人だとか言ってたろ」「ふぅ! さすが真宵ちゃんの彼氏なだけあるね!」「それ、関係なくね?」「隊長! やつを、やつを粉砕する許可を我々にお与え――」「バカ野郎! 俺もやつは憎いが、女神を守る騎士なんだぞ!」「騎士っていうか剣士って感じもするけど」「どうでもいいけどスゴいね冬道くん!」
押し寄せてくる人垣に俺は後ずさる。これまでの危険物に接するのと違い、俺に向けられる感情は好意的なものばかりだ。皆の表情はそれぞれ安堵や尊敬といった、悪意からかけ離れたものだった。
異世界にいたころは純粋な善意の感情を素直に向けられるのは少なかったように思える。
たとえば魔物に襲われた村を救ったとき。村の男が何人と束になっても敵わなかった魔物を、俺はただのひと振りで絶命させた。全員が全員ではなかっただろうが、その光景に恐怖を抱いたはずだ。なにせ『勇者』は世界を支配する『魔王』を斃すために召喚された、いわば個人で対等の力を保持する化物なのだ。
『勇者』がその気になれば――、と考えるだけで純粋だったはずの感情に疑心や恐怖が混じり、素直に感謝することができない。それはどこでも同じだった。
姫さんが俺たちを帰還させてくれたのは願いを叶えると同時に、民の心の底に巣食う恐怖を払拭するためでもあったのだろう。還りたかったのは本心なので、それにどんな思惑が含まれててもどうでもよかった。
が、ここにあるのは善意の塊。眩しすぎて眼球弾けそう。
「ありのままを伝えただけなんだけど、現金なもんだよなだぁ……」
「お前、なにやったんだ? このままだと目ン玉潰れそうなんだけど?」
「と、冬道くん大丈夫……?」
さすさすと頭を撫でてくれる萩村の手が優しかった。
ドアの前で呆然と立ち尽くす俺をわらわらと教室に連れ込み、いつもなら多くて三人しかいない窓際後方二番目の席の周りにクラスメート全員が集まり、やれ逃走犯を撃退したやらやれ怪我するのも構わず二人を逃がしたとか、そのときの話を聞かせろとせがんでくる。
たしかに眷属を撃退したし二人を逃がそうともしたけど、いろいろ脚色されているではないか。
周りの声を遮断して得意げに俺を見る蒼柳に説明を求めた。
「実は休み中に瀬名と一緒に冬道から助けてもらったんだ、ってみんなに連絡してたんだ。せめてクラスメートのみんなが知ってくれればいいなってくらいだったんだけど、まさか全校に知れ渡っているとは思わなかったなぁ」
「なんで……?」
詰め寄せる人垣に翻弄されながら、ちゃっかり背後に陣取っている蒼柳に訊ねる。
「え、そりゃ冬道がいい奴だってこと知ってもらいたかったからだけど」
胸の前で腕を組む蒼柳はぽかんとしている。
「そんなの頼んでねぇぞ」
「た、頼まれてもやらないよ?」
「萩村?」
振り向けば目の前に超重量級のメロンがズームインし、さすがの俺の肩を震わせて驚いた。それがまたおかしかったらしく、周りの連中から笑い声が飛んだ。つい先日まで関わろうとしなかったのに、とんだ手のひら返しだ――と捻くれたことを思いながら、視線を巨乳から彼女の顔に上げる。羞恥から顔を真っ赤にしていた。
「と、冬道くんが優しいのは、ずっと前からわかってたから……その、みんなに知ってもらいたくて」
聞いている俺も恥ずかしくなるセリフを赤裸々に語られ、俺の反応で自分が言ったことを理解したらしく、あわあわと両手を振り回している。クラスの連中はそれを温かい眼差しで見守り、耐えきれなくなった萩村は全力疾走で教室を飛び出していくのだった。
こうしてクラスの連中に溶け込んでしまったということは、当然ながら学園祭の準備に積極的に関わることになる。このまま行けば裏方で買い出しや荷物運びの雑用だけだったのだが、嬉しくないことにいまや俺は逃走犯を撃退して女の子を救った学校一の有名人だ。
廊下で先輩にすれ違えば絡まれ、下駄箱で後輩とエンカウントすれば尊敬の眼差しで握手を求められる。おまけに秘密裏に行われた校内アンケートでは栄誉ある八位を受賞している。有名という点では最前線を走っているわけだ。
そんな俺を裏方で費やすわけがなく、資金集めのため急遽ホールに出陣するはめになった。
しかし当日は眷属に動きがあったとき食い止める役目を担っている。私情でやりたくない気持ちもあるが、俺の行動に制限がかかれば陣形の再編成が必要だ。やったとしても要を担う俺が動けなくなる以上、どうやっても穴は大きくなる。
だが本当のことを言うわけにはいかない。なのですでに事情を知る萩村と蒼柳になんとか説得してもらおうとしたが、二人とも勢いがあるタイプではない。あっさりと押しきられ、俺に謝る次第だった。
それではまずいので俺が直接交渉することにした。
「俺にホールやらせるって言ってたけど衣装がないだろ? いまから採寸して作るってのも大変だろうし、このまま裏方に回らせてもらう」
「いやいや! 冬道くんが裏方なんてもったいないよ! それに衣装だって余分に作ってあるから大丈夫だよ! ちょうど執事服だしサイズが合わなくてもすぐ直せるから心配しないでね! あとこれは執事の作法を書いたから、しっかり覚えてね!」
「そうじゃなくて、俺はやらねぇって……」
「じゃあよろしくね!」
「聞けよ!」
俺の言葉など聞こえないかのように踵を返すと、目にも留まらない早さで去ってしまった。
萩村も蒼柳も押しきられるわけだ。あんな人の話も無視して進める奴を相手に交渉の余地なんてあるわけがない。つうかいきなりフレンドリーに接しすぎだろ。お前誰だよ。
「しぐれだよ!」
「あー、はいはい、しぐれさんね」
気配を察知させることなくズームインしてきたしぐれに驚くべきなのだろうが、あの素早さを見せつけられてはその気にもならない。時期が時期なだけに少し動きそうになってしまったものの、どうやらその線はなさそうだ。巻尺を片手にした彼女は目をキラキラと輝かせ、まさに趣味丸出しの様子は「採寸させて? ね? いいでしょ?」と言いたげだ。
「採寸させて? ね? いいでしょ?」
身を乗り出して、ともすれば額がくっついてしまうところまで詰めて同意を求めてくるしぐれ。まさか顔を鷲掴みにして押し返すわけにはいかず、机を壁代わりにして椅子を引いて彼女から離れる。だがわずかな障害などものともせず、回り込んで椅子ごと俺を向き直らせる。
「先っぽだけ! 先っぽだけやさかい! な? ええやろ?」
「暑苦しいから近づくな。巻尺の先だけでどうやってなにを測るんだよ。だいたい、そう言う奴に限って最後までやるもんだ」
「さすがかっしーくん! わかってるね!」
「おいコラ待て。その指へし折るぞ」
笑顔でサムズアップするしぐれの親指を捕まえ、逆関節に力を込める。
「いたたたたたたた!? 折れる折れる! ほんとに折れる~!! ギブアップだよかっしーくん!!」
「カウント三秒前。はい三……」
「ごめんなさい冬道くん!」
涙目で謝られても、こういうお調子者はいまいち信じられない。痛いけどギリギリ我慢できるかできないかで指の位置を固定してジト目で睨んでやる。いやいやと首を振りながら、要約すれば二度と言わないと早口で捲し立てるので、痛みが残るように離した。
親指に息を吹き掛けるしぐれが恨めしそうに唸っている。噛みつかれては困るので適当にあやしておく。
「折れるかと思ったよまったくもう! ぷんぷんだよぷんすか!」
腕を組んでそっぽを向くしぐれ。わかりやすく怒ってるのをアピールしてくれてるみたいだけど、そもそも手のひら返して俺に近づこうとしなかったら痛くなかったわけで、ある意味自業自得ではなかろうか。あとキャラ濃すぎ。まんぷくです。
「えーと、怒ってるとこ悪いんだけど、学祭は予定があるんだ。だから衣装が余ってて仕立て直してくれても参加できないんだ」
「ほほう? 藍霧さんと学園祭デートですかな?」
「ろくに知らない相手に予定を話す答える必要ないだろ。いいから構わないでくれ」
中途半端に断ると、しぐれみたいな手合いはぐいぐい押しきろうとしてくる。断るにはきっぱりと拒絶して、応える意思がないことを明確にすることが重要だ。
俺だって本音を言えば真宵と学園祭デートしたい。けれど全校生徒の安全に比べれば、いつでもできるデートなど後回しだ。
「そっか! じゃあ自己紹介だね!」
「は?」
「白鱗中学出身の茅野しぐれです! あ、いまお嬢様っぽくないって思ったでしょ? みんなに言われるよ! えと、好きな食べ物はお肉! 嫌いな食べ物はお野菜! 部活動は新聞部で、面白い話題はいつでも募集中です! ちなみに彼氏も募集中だよ? 不知火くんとか桐代くんみたいな優メンより、両希くんみたいな知的メンが好みかな。スリーサイズは――」
「ストップ!」
「ふぇ?」
しぐれ可愛く首を傾げて、制止を促した俺を見ている。それを見た俺の脳内で「なんでなんで?」としぐれのアニメボイスが繰り返し再生されていた。眉間を揉んで頭痛を和らげながら、
「俺は構うなって言ったんだ。なんで自己紹介なんか始めてんだよ」
「だってしぐれのこと知らないから教えてくれないんでしょ? だったら知ってもらわなきゃだよ!」
しぐれは胸を張ってそう宣言する。どうすればそんなメチャクチャな理論に到達するのか俺では到底理解できそうにないが、しぐれにすればそういうことらしい。
「そうじゃねぇよ。俺は構うなって言ってんだ。自己紹介なんてされてもクラスの出し物には参加しないぞ」
「えー? じゃあ、どうやったら執事になるの?」
「ねぇ話聞いてた? 俺の話聞いてくれた? 聞いてないよね?」
「イエス!」
「指へし折るぞ」
またもサムズアップしたしぐれの指を今度こそへし折らんと手を伸ばす。もう我慢ならん。言って利かないなら痛みで思い知らせてやる。
「ぎゃああああああ! ご容赦うおぉぉぉおおおおおお!! やられる前にやるぅぅぅぅ!!」
「ほう?」
サムズアップしたまま、素人丸出しの突きを俺の喉元に放ってくる。本人としては全力なのだろうけれど、いやしかし俺の経歴に『勇者』があると知らないのに全力で喉元を狙うとは、見かけによらずエグいことをしてくれる。
やはり刺客なのでは? なんて思ってみたが、眷属なら頑張って力をセーブしても御しきれる代物ではない。もししぐれが類を見ない実力者なら、接触する瞬間に力を爆発させて喉を貫くくらいはやったかもしれないが、だとしたら狙いを絞らせる単調な突きのはずがない。それすらブラフの可能性も捨てきれないけれども、その可能性を考慮してたら、すでに反撃するのが俺だ。
もちろん反撃したら大惨事だ。ただ受け流すのでは面白味に欠けるし、なにより追い返せない。たっぷり時間をかけて考えたあと、結局言葉の通りに実行することにした。
手首を掴んで動かせないようにし、親指をぐっと逆関節に倒す。
「ね、ねぇ冬道くん?」
「どうした。すげぇ汗だくだけど」
「手元見て? 超見て? 親指はそっちに曲がらないよ?」
「試さないとわかんねぇだろ」
「しぐれさんの親指で試さなくてもぅっ痛いよ!! そろそろホントにやばいよ! 限界値越えちゃいそうだよぉ!!」
しぐれの絶叫は学園祭の準備をするクラスメートにも聞こえているだろう。現に俺たちのやり取りを眺めて苦笑いしている。しかし助けるつもりはないらしく、自分の作業に意識を注いでいた。
本番もすぐそこに迫っているわけで、衣装の最終仕上げや内装の飾り作り、あとは材料の準備する分量の打ち合わせをしていた。
「じゃあ諦めてくれるか?」
「うぐっ……お、親指くらい好きにしなよぉ!」
しぐれの絶叫は、これまでとは違い鬼気迫るものがあった。周りにすれば戯れのひとコマにしか見えないだろうが、正面にいる俺にはそうは見れなかった。
俺は親指を離してこっそり風系統で痛みを緩和させる。
「なんで俺にこだわるんだ? 俺が話題になってるからってわけじゃなさそうだし、よかったら理由とかあるなら聞かせてくれ」
資金集めだとか客寄せになるだとかくだらない理由だったら聞いても突っぱねるつもりだが、親指の犠牲も構わないと言った。バカらしい話の流れからして冗談半分にも取れる発言に聞こえるが、言ったしぐれの目は本気だったのだ。本気で親指が使い物にならなくなったとしても、俺を学園祭に関わらせようとしたのだ。
しょっちゅう怪我する俺は、剣術の生命線である親指が折れても戦いに勝てるのなら安い犠牲だと簡単に切り捨ててしまうだけの癖がついている。肉を切らせて骨を断つを身をもって実行してしまうだけの悪い癖だ。
だがしぐれにすれば、親指が折るの並々ならない覚悟があったはずだ。なのに即決した。俺を学園祭に関わらせるだけのことでだ。
理由を聞かずに断るには、言葉を交わしすぎた。
「……大したことじゃないよー? 冬道くんにも、学園祭を楽しんでもらいたいんだよ!」
しぐれは両手を大きく広げて朗らかに笑った。
「冬道くんは覚えてないだろうけど、去年もおんなじクラスだったんだよ? あ、やっぱり覚えてないって顔してる!」
「う、うるせぇ」
「紗耶香ちゃんも瀬名ちゃんも、かれきちゃんもゆかたちゃんも一緒だったのに~!!」
「わかったから暴れんな。子供じゃねぇんだから。それがどうしたってんだ?」
俺の去年は、異世界で過ごした五年間もあるから実質的には六年前なのだ。ろくに名前も覚えようとしなかったし興味もなかったのに記憶してるわけがない。
「冬道くんはさ、去年の学園祭、ほとんど参加しなかったでしょ? しぐれの記憶だと一般解放された一日目だけだったはずなのだよ!」
「覚えとらん」
「そうなの! で、やっぱり覚えてないだろうけど、冬道くんは唯一参加したその日に、柄の悪い人たちと喧嘩して大騒動になったんだよ?」
「ふーん」
「自分のことなのに興味なさげだね!」
しぐれのヤケクソぎみな言葉に俺は肩をすくめる。
「まあ、去年ならそれくらいあってもおかしくないと思ってさ」
そのせいで最近まで悪名を轟かせてたわけだし。目が気に喰わないってだけで噛みつくような喧嘩っ早かった俺が、学校の外から来たくせに偉そうにふんぞり返って闊歩する野郎共を目にして拳を握らないわけがない。
覚えてないけど、そいつらを半殺しにしたところで前生徒会長である来夏先輩か、前風紀委員長に見つかって停学処分でも喰らったのだろう。
そんなふうに思っていると、しぐれは嬉しそうにえくぼを作った。
「そっかそっか! やっぱり冬道くんはナンパされてる女の子を助けるために喧嘩する男の子だったんだね!」
「は? 話が見えねぇんだけど」
しぐれの表情が陰る。
「だから、冬道くんは柄の悪い人から女の子を助けるために喧嘩して謹慎になったんだよ! ……しぐれも冬道くんは怖い人だと思ってたけど、それで印象が変わったんだ。ずっと話しかけられなかったのに、虫のいい話だよね」
「知らんがな」
「あるぇ? しぐれ、結構しんみりする話してたよね?」
悲しげに呟いたしぐれの言葉を一刀両断にしてやれば、目を丸くし、ぽかんと口を開く心底間抜けな面に早変わりした。百面相の称号がぴったりな光景に笑いが込み上げてくるも、手で口元を覆って笑みを隠す。
「俺が覚えてないことでぐだぐた言われてもなぁ。そもそもどうでもいいんだよ。怖いものは怖い、危ない奴は危ない。それだけのことだろ? ただまあ、俺に言わせれば、実はそいつがいい奴だったから、いままでの罪滅ぼしのつもりで強引にでも参加させようとしてるお前が――」
「え?」
とん、と指でしぐれの額をこづく。
「一番ムカつく」