9―(8)「準備期間⑤」
女三人寄れば姦しいとはよく言ったものである。キッチンで晩御飯の調理に盛り上がるエプロン少女たちをソファに座りながら見つめ、盛大に溜め息を吐き出した。女子高生がエプロン姿で自宅のキッチンにいれるのは男としてそそられるシチュエーションなんだろうけど、ことが事なだけに素直に喜べなかった。
まあ、可愛い女の子たちが俺だけのためではないとはいえ、きゃっきゃと楽しそうにする様子は目の保養になる。ただ、妹で見慣れてると思ってしまう俺は駄目な兄貴だ。
余談になるが、姦しいと書くといやらしい感じがするのは俺だけだろうか?
「兄ちゃん、さすがのあたしも彼女がいるのにほかの女の子家に連れてくるなんて思わなかったよ」
ジト目のつみれに居心地の悪さを感じ、それを誤魔化すように背凭れに体重を勢いよく預ける。
「仕方ないだろ。俺だってこんなことになるなんて思ってなかったっての」
「じゃあなんでこうなっちゃったのさ。真宵さんも怒ってるわけじゃないみたいだし、ただのお泊まりってわけじゃあないんだろ?」
「まあな……」
人間は学校などの公共の場では無意識に猫の皮を被るものだ。それはそこにいる他人に対して心を開けていないからである。それなりに親しい相手ならともかく、関わりのない相手に自分をさらけ出すのは気が引けてしまう。少なくとも俺はそうだ。
だからこそ自宅などの自分だけの空間、すべてをさらけ出しても受け入れてくれる相手のいる空間ではリラックスすることができる。けれどここには部外者というか、私生活を共にして気を抜けないというか、そこまで打ち解けない相手がいるわけで。
なにが言いたいかといえば、家にいるのにまったく休めないということだ。
二人を責めてるわけではないけれど、私生活まで気を張るのは堪えるものがある。
旅をしていた頃は夜営も交替でやってたから常にではなかった。
ただまあ、こっちでは頂点にも太刀打ちできるとわかってるわけだし、そこまで張りつめてなくともいいだろう。
「でもご飯準備する手間が省けてよかったかな」
「お前は気楽でいいな……」
風紀委員室でとんでもない決定が下され文句を叩きつけたが逆に論破されてしまい、結局、萩村と蒼柳の二人を泊めることになってしまった。
萩村はやはり男の家に泊まるなど抵抗があったようでやんわりと断っていたが、蒼柳にまた襲われてもいいのか、今度襲われたら誰も助けてくれないぞ、と説得され、男の家に泊まるか襲われるかを天秤にかけた末にこうなった。
俺としては魔王の力――皮肉なことではあるが、とりわけ守りに向いている『拒絶』なのだから、翔無先輩のところにいたくれた方が助けるし安全のはずだ。
翔無先輩もそれはわかっている。それでも俺に任せたのは面白そうだからという理由と――急に世界が広がって無理に馴染もうとする蒼柳と、それを当然のように受け入れられない萩村へのアフターケアというところだろう。
それがわかり、そんなことはできないからと断ったのに、俺のどこに信頼を寄せているのか。
翔無先輩は大丈夫だと言うだけで二人を押し付けてくる。
任されたからにはやれるだけのことはやるつもりだけど、期待しないでくれよ、翔無先輩。
「かしぎさん、つみれ。もうすぐで完成ですので、お皿の準備をお願いしてもいいですか?」
キッチンから真宵の声といい匂いが届く。
よほどの自信作であるらしく声が弾んでいる。ただし萩村と蒼柳の表情は浮かばない。どうやら対決式で作っていたようで、それなりに料理の腕には覚えがあったというのに真宵の自信作には及ばなかったらしい。話を聞いた直後とはまた違うどんよりの仕方だった。女子力の差を見せつけられたのか。
真宵も『九十九』のメイドである五十嵐に負けてからずいぶんと練習していたから、勝てて嬉しかったのだろう。
どっこいせ、と立ち上がろうとすると、つみれに肩を掴まれ着席させられる。
「あたしがやりますよ! 兄ちゃんは台所に入っちゃだめって言ってるだろ。爆発させるから」
「皿の準備するだけで爆発なんかする分けねぇだろ」
「それでもだめです。兄ちゃんは台所に入らないでください」
ぴしゃりと言われてしまい、しぶしぶ任せることにした。俺は戦い以外では役立たずだと言われているようで気分はよくないが、萩村たちもいるのに迷惑をかけるわけにもいかない。大人しくしているのが吉だ。
俺は自分に言い聞かせて納得させると、今日一日を思い返すことにした。
桐代の乱入に始まり、学園祭にいまもっとも注目されているアイドルを招待。そのアイドルが『組織』の一員である御影の姉という衝撃の事実に続き、眷属対策の話し合いをした直後の襲撃。
そして最後にクラスメートの女の子が泊まりに来た――と。なんだこれ。
あまりにも濃密すぎる一日だったのだ。疲れも溜まる。
しかもラストイベントについてはこれからだし、付け加えるならこれらは今日に限定したことだ。明日からは別のことが待ち構えてるわけで、考えただけでも憂鬱になってくる。
萩村たちも学園祭が終わるまではうちで過ごすことになりそうだし、すぐにアフターケアに勤しむことはないだろう。
そんなことよりも気になるのは襲撃した男を運び出した正体不明と、それを追いかけた御影のことだ。ちなみにノー・カラーは翔無先輩の命名である。
翔無先輩に聞いた話だと、眷属は何度か接触してきたのだが、尻尾を掴むことができず悉く逃がしてしまっているのだという。もはや眷属単体など片手間で相手取れる『組織』なのだ。油断から一度は逃がしたとして、二度目からはそうなるとは思えない。
私怨で俺を殺そうとした黒兎先輩もすっかり改心して、言葉遣いには若干名残があるものの、傲慢な態度はなくなった。傲慢がなくなり、東雲さんに鍛えられた黒兎先輩が尻尾も掴めないまま何度も逃がすわけがないのだ。
なのにこの様なのは、ノー・カラーのせいなのは予測するまでもない。
そこで俺が予測すべきなのは、そいつの能力だ。といっても情報が少なすぎる。
俺や翔無先輩に気配を一切悟らせず近づき、接近したことに気づいても、姿はともかく気配も物音も感じとることができなかった。
蒼柳に見えていたことから能力の対象は異能者に限られたものかとも考えたが、萩村にはそんな素振りはなかった。つまり蒼柳だけが見えていたわけだが、訊ねてみようとあの様子からして、なぜ俺たちが見えていなかったのか、という疑問で返されそうだ。
現時点ではノー・カラーの能力は『存在を消す』に着地するしかなさそうだ。
そうなると男を抱えたことでそれが目印となり、今度は見失うことはなくなるだろうが、翔無先輩から連絡がないということは御影も失敗したということになる。
だが、御影なら監視もしているし、追いかければ見失うこともないだろうと翔無先輩は言った。
御影の能力は知らないが、逆算して考えればノー・カラーの正体も暴けるはずだ。
そもそもだ。
ノー・カラーひとりを追跡できないというのに、御影はどうやって本拠地を発見したのだろう?
「……まさかな」
一瞬だけ御影はスパイなのではないかと思ったが、彼は翔無先輩と一緒に派遣されてきた『組織』の能力者だ。眷属が急激に増えたのはつい先日のことなのだから、前提が間違っている。
ノー・カラー単体を追跡できると思わせるほどの能力者だというなら、固まっている眷属の拠点を見つけるのはそう難しいことではないはず。
仮に御影がスパイだとして、勝ち目が薄いことはわかるだろう。メリットがない。
……それでも御影に疑心を抱いたのは確かだ。翔無先輩たちに気づかれないよう、御影に探りを入れる必要があるな。もしスパイだとしたら、こちらの情報は筒抜けだ。
「なにがまさかなのですか?」
腕に触れる控えめに主張する二つの柔らかいものに思考が中断させられる。
真宵のちっぱいだ。言うと怒られるから言わないでおこう。
「ちょっと考え事してただけだよ。大したことじゃない」
「ノー・カラーと御影さんのことですよね? ……確かに御影さんは警戒しなければならないでしょうね。いくら翔無さんの指示とはいえ、あの男の近くにいるのですから、敵に寝返っている可能性は低くありません」
「説明いらずで助かる。真宵も警戒しててくれ」
そう言って頭を撫でると、真宵は気持ちよさそうに目を細めて体を預けてくる。けれどせっかく出来立てなのだから、ゆっくりして冷めては勿体ない。
真宵の頭から手を離すと、それを名残惜しそうにしていた彼女を微笑ましく思いながら、このあとはどうしようかと思考を巡らせた。
◇◆◇
賑やかな夕食を終えたころには、時刻は九時を回っていた。腕を振るって並べられた料理は彼女たちの自信作。料理人バトルでは真宵に軍配が上がったが、料理はいかに食べてくれる相手を満足させられるかがメインのため、俺への注目が尋常ではなかった。
巨人の足音が聞こえそうな迫力に顔を引き攣らせつつも、差し障りのないコメントでお茶を濁しておいた。勝敗をうやむやにしたことで、不満げながらも箸をつけた彼女たちは、お互いに褒めながら楽しそうにしていた。食卓は楽しく囲むものである。
その後は風呂の順番だとか寝泊まりする部屋を案内しようと思ったが、萩村と蒼柳が一旦帰ること言い出したのだ。狙われる可能性があるのに無闇に出歩くなと口から出そうになったが、意外なことに真宵が賛同したため躓くことになった。
なんでだと問いかけると「泊まってる間、ずっと同じ服着ろっていうのか?」と蒼柳に言われた。
ようは家に寝間着や下着類を取りに行くということだ。
しかし二人だけで行かせるわけにはいかないのでついていこうとしたが、真宵が自分だけで十分だと言うので、俺は部屋の準備などをすることにした。
幸い部屋は余ってるし布団も余分にある。あとは風呂の順番を決めるくらいか。入浴中に間違って突撃するわけにはいかない。まあ移動の際のノックを忘れないようにすれば大丈夫だとは思うけど。
「……こんなもんか」
とりあえず三人で寝泊まりするには十分なスペースを確保して布団を川の字に並べる。これでも狭いなら隣の空き部屋も掃除しなくてはならないけど、ひとまず今夜は我慢してもらうしかない。
「ごめんね兄ちゃん。あたし、掃除だけは苦手だからさ」
「それ以外は全部やってくれてるんだから、これくらいやらせてくれ。つうか俺のクラスメートが泊まりに来てるんだから、つみれにやらせるわけにはいかねぇよ」
そのクラスメートが全員女子というのも、客観的に見るとすごい状況だ。
「でもあたしの友達が泊まりに来たとき、部屋の準備、兄ちゃんがしてくれたじゃん」
ドアを閉め、階段を降りながらつみれは言う。
「結構前のことだろ。元気にしてるのか? ほら、あの膝の上に座るの好きな子とか」
何人か泊まりに来てそれなりに仲良くなったのだが、そのうちの一人が人懐っこい子で、暇を見つけては俺の膝に座っていたのだ。俺だけでなく、つみれやほかの子たちの膝にも収まっていたのでなんとなく覚えている。肝心の名前は誰も覚えてないけれど。
「みんな元気にしてるよー。学園祭も一緒に行く約束してるからね。兄ちゃんのとこにも遊びに行くからサービスしてよ?」
小悪魔のような笑みのつみれ。内心で俺が苦虫を噛み潰したような気持ちだとも知らずに、摺り寄って媚びてくる。
ええい、やめんか。お前なんぞに構ってる暇はないのだ。
「残念。俺は裏方だからそんなことはできません。ちなみに口添えも無理だからな」
「あー、兄ちゃんってばぼっちだからね。別にいいもん。柊さんにサービスしてもらうから」
階段を降りきるとつみれは洗面所に一直線だった。いつ帰ってくるかわからないし、時間があるときに済ませるつもりなのだろう。
つみれが風呂上がっても帰ってこなかったら俺も入るか。
リビングに戻ってソファに座り、点けたままだったテレビ番組を無機質に流し見る。バラエティー番組だ。女だらけの大運動会という企画らしく、女芸人や女優、果てにはアイドルまでもが汗水を流して競っている。
そこで一際アングルが向いているのは、学園祭に招待されている小椿彩架だった。健康的な肌に汗が弾け、花が咲いたような笑顔は心を温かくしてくれると評判だ。人気絶頂中のアイドルである彼女をうちの高校はどうやって招待したのやら。
眷属騒ぎでゴタゴタしてて忘れがちだけど、本来の目的は小椿彩架の護衛だ。何者かに狙われているらしく、翔無先輩や白神先輩はファンがストーカーしているだけではないかと眷属にだけ集中してたけど、それならそれで放置したらいかんだろ。
「兄ちゃーん。お風呂空いたよー」
「もう上がったのか?」
夜は昼間と違って冷え込むからか、長袖のティーシャツとスウェットの格好をしたつみれが首にタオルをかけたまま声を掛けてくる。ほのかの頬が紅潮し、妙な色気を感じさせた。
「なに言ってんの? 三〇分くらい経ってるじゃん。あたしが長風呂しないの知ってるだろ?」
なぬ? テレビ画面の右下に小さく表示された時計を確認してみれば時刻は一〇時を過ぎており、小椿彩架の出演していた番組が終わり、次の番組になっていた。ちなみに彼女はそこでもゲストで登場している。
ゲストに質問などをしてギリギリのことを喋らせる番組だった。メインキャストのゲスト置いてけぼりのトークだというのに、小椿彩架は難なく食らいついている。芸人顔負けのノリだというのに、アイドルの華やかさが全面に押し出されていた。
「真宵さんたちまだ帰ってこないし、いまのうちにお風呂入っちゃいなよ。あたしと違ってみんな髪長いから、手入れだけでもスゲーかかるからね」
そういえばそうだ。サイドテールに結ってる真宵もほどけば腰の辺りまでの長さだし、萩村と蒼柳も手入れに時間がかかるくらいの長さはある。待ってたら日付が変わってもおかしくない。
「そうだな。……真宵たちが帰ってきても上がってなかったら、一言頼むぞ」
風呂場でエンカウントなんて洒落にならん。照明もついてるし普通なら気づくだろうけど、もしかしたらということがある。真宵なら我慢できなくなるだけで済むけど、同級生の裸を見てしまおうものならかなり気まずい。
「オッケー。真宵さんだったら言わないでおくよ」
「おいコラ。暴走すんだろ」
「いいんじゃない? 初体験がお風呂場でも」
「俺が言いたいのはそういうことじゃねぇよ。いや、そういうことでもあるけど、とにかく頼んだからな」
つみれの気の抜けた返事に不安を覚えたが、じゃあ帰ってくるのを待ってるかと言えば、そんな効率の悪いことはしない。
昔――といっても一年くらい前、まだ会話するほどの仲ではなかったとき、どちらかが洗面所および風呂場を使っていたときは絶対に立ち寄らないのが暗黙の了解になっていた。けれど数回の割合で着替え途中のお互いに出くわしてしまうのは避けられなかった。
俺は下半身さえガードできていれば問題なかったが、つみれは下着姿でもアウトだ。もし生まれたままの姿とかだったら、ただでは済まなかっただろう。
そこで登場したのが掛札だ。使用中かそうでないかを明確にするため、俺が一〇〇円均一の店で掛札を購入して洗面所のドアに取り付けたのだ。
最近では見られても平気そうにしやがるし、せっかく着た下着を脱ごうとまでしやがる。俺に妹で興奮する性癖はないのだ。カップ数が上がっていたのを真っ先に確認してしまったのは兄として当然の行為なのだ。断じて疚しい気持ちはないのだ。
とにかく、そんなわけで掛札はしまってたわけだけだけど、久々に仕事だ。
入浴中を見せて洗面所で衣服を脱ぐと、さっさと湯船に浸かった。
「くぁ……はぁぁぁ……」
爺くさく唸りながら、前髪を掻き上げた。無駄に長かった一日もようやく終わると思った途端、張り詰めていた気が抜けたのも相俟って疲れがどっと押し寄せてきた。
よくよく考えてみたら、桐代にちょっかいかけられて真宵が恋人だって宣言したのって今日の昼休みなんだよなぁ。おかげで親衛隊やらファンクラブの奴らに追いかけられるようになって、せっかくの休み時間を逃げるだけで潰すはめになった。思うに、恐怖の権化である俺への恐怖より、女神(真宵)が堕天させられた怒りが上回ったのだ。
まさか暴力で対抗するわけにもいかないから逃げ回ってたのだけど、一部ではその姿に噂のようなことはないのではないか、の声も上がってるとかないとか。
一応ここらの不良は絞めてるからあながち間違いではないんだけど。いまは俺を兄貴と慕う白鳥が仕切ってるらしいので心配ないはずだ。
にしても、意外だったのは両希がいつも通りだったことだ。
真宵と一緒に登校するだけで闇討ちだの言ってたのに、付き合ったと聞いてもなにも仕掛けてこないのだ。あまりにも不気味だったので話しかけてもいつも通りで、実は事実を受け入れられてないのではと勘ぐってしまった。
……うん。明日にでも聞いてみるとしよう。気になりすぎてモヤモヤしてきた。
「……………………はっ!?」
いかん。なにも考えないで浸かってたら寝そうになってた。
ゆっくりできるのはいまくらいしかない。どうせならもう少しこうしてたかったけど、彼女たちが帰ってくる前に上がっておくべきか。
たぶんルートとしては萩村と蒼柳のところを回ってから最後に真宵の家、といったところだ。蒼柳の住所は知らないけど、萩村と真宵の家は近からずも遠からずくらいだったはず。一件ずつ時間をかけての準備になるとしても、一時間以上も経ってるのだから、そろそろ帰ってきてもおかしくはない。
動いて汗もかいたので念入りに素早く洗って泡を流す。
――が、そこで不意にドアの向こうに三つの気配が飛び込んできたのを捉えた。紛れもなく真宵たちのものだった。
なんでだよ! ちゃんと入浴中の掛札かけてただろうが!!
「お、おい! まだ俺いるんだけども!?」
気が動転して普段なら絶対に出さない悲鳴をドアの向こう側に届ける。
『す、すみません! それはわかっていたのですが、ここしか逃げ場が……』
『うわっ!? あ、藍霧さん、ヤバイって! ちゃんと押さえて!』
『ご、ごめんなさい~!』
切迫したやり取りだけれど、しかし緊張感の欠片もないそれに俺は疑問符を浮かべた。
真宵の逃げ場がない発言には全身を総毛立たせるだけのものがあったが、続く二人のおかげで命をやり取りすることではないとのは確かだった。
「……なにやってんだ?」
馬鹿らしくなって訊ねると、少しの沈黙のあと答えが返ってくる。
『ゆかりさんに襲われてるんです! つみれが食い止めようとしてくれたのですが、お酒を飲んで酔った彼女にやられました!』
「とんでもなくヤベェじゃねぇか!!」
静かだと思ったら母さん、部屋でずっと酒飲んでやがったのか。
母さんは飲み過ぎて酔いつぶれることはめったにない。というのも、人が見てる前では酔う直前でセーブ、もしくは醒めてから飲むからだ。
酔った自分を見せたくないらしく、どれだけ親しい人たちとでもそうしてしまう。
だがプライベートで飲むとき、酔うことをいとわずに飲みまくるのだ。
クールな内面に秘めた熱が一気に解放される。
ヤバイ。超ヤバイ。
俺の口調が乱れるくらいヤバイ。もはやヤヴァイ。
見境なく綺麗に暴れるのだ。
物体はまったく傷つけないのに、対人には怪我を負わせかねない勢いで――ホールドしてくる。
きっと父さんに会えなくて寂しいんだろうなぁ。
「ここは俺に任せて先に行け!」
『なに言ってんだよ!? 犠牲になれってことだろそれ! ちょ、やばっ……!』
あっさりバレた。何故だ。
『と、冬道、なんとかしてよ!』
「半裸の俺にどうしろってんだよ。死ぬ気で頑張れ」
暴走した母さんを止められるのは父さんだけだ。あの人も半分人間やめてるし。
しかし困った。母さんのホールドは寂しさを紛らわすものだから、酔いが醒めるまでこのやり取りは続くだろう。そうなると俺も半裸のまま湯船に浸かり続けることになる。冷めてきたら暖め直せばいいけど、いつまでもこうしてたら埒が開かない。
「そこから俺の服、投げ込めたりできないか? そしたらなんとかしてやれるけど」
『できればそうしてますが、誰か一人でも抜けると押しきられてしまいます。もうこの際、かしぎさんがお風呂から出てくるのは……』
『だ、だめだめだめぇ! 絶対だめ!』
『この状況で男性の体を見慣れないという理由だけで止めないでください。非常事態です』
『それでもダメぇ!』
萩村の絶叫に真宵が渋面を作っているのが簡単に想像できた。耳元で叫ばれるのには抵抗があったようで、真宵はこれ以上なにも言わなかった。
『それではどうするのですか? ほかに策があるなら聞きますけど』
どこか刺々しさのある口調で問いかける。
『え、えっと……さ、紗耶香が囮になる、とか……?』
『名案ですね』
『さらっとあたしを犠牲にしようとすんな! ……わかった。あたしが冬道に服届けるから、なんとか持ちこたえてくれ』
『そう言って私たちを犠牲にする魂胆ですか?』
『…………』
嫌な沈黙が三者に走る。一人でも抜けたらアウトだって言ってるのに最後尾に行くんだから、本人にその気がなくても真宵と萩村を犠牲にするようなものだ。
いつまでも決着が着きそうもなく、俺はもう一度湯船に口元まで浸かって窓から空を見上げた。夜空のキャンパスに散りばめられた星のタッチ。キラキラと輝いていて、胸の奥にわかだまる悪いものを浄化してくれるようだった。現実逃避である。
喧騒の矛先はもう俺には向けられておらず、いかに自分が助かるかだけを口論していた。
その奥で、ゆらりと気配が揺れた。
「おい! 来るぞ気ィ引き締めろ!」
水飛沫を撒き散らしてドアに駆け寄り、三人に思いきり叫ぶ。
同時になにかが壊れる音と床に転ぶ音を鼓膜が捉えた。……ヤバイ、城壁が破られた。
人は誰しもが微量ながら波動を内包している。異世界では大気中に含まれる波動に充てられ、または吸収して胎児のころから成長していくため、体内に秘める波動量は徐々に増加していく。個人によって波動量は変わってくるものの、大気中の波動が多い場所で育てば増えるわけではない。
世界の中心にあるとされる世界樹の付近で生まれたから子供が、阿呆みたいな波動を秘めていなかったことから証明されている。波動が多いのはあくまでも体質なだけなのだ。
重要なのは、波動を全身に行き渡らせるポンプである波脈だ。
波脈は無属性――誰でも扱える波動と、生まれた瞬間から決まっている属性波動が流れる二つに分かれている。これについては後に詳しく説明するとして、こちらの人間が波動を扱えないのは量がそもそも少ないことと、波脈がないためだ。
前述した通り人間なら誰しも波動を秘め、俺はそれを視ることができる。
『賢者』のように流れる波動とその量でどんな術式を発動させるのかは『鑑定』できないが、揺らぎで精神状態を診ることはできる。
……母さんの波動の揺らぎは平常時をあっさり越え、異世界人なら生きてるのが解剖したがる研究者が続出しそうな有り様だった。
『……ふふっ』
『ひっ――だ、だめです。逃げ切れる気がしません……!』
小さく悲鳴をもらした真宵に釣られ、ドアまで後退した三人の背中が見えてくる。
『かしぎさん、あなたと過ごした日々、絶対に忘れません』
「バカなこと言ってんじゃねぇよ! 諦めんな!」
『……夜天と謳われた私もここまでのようです。――ですが、ただでは果てません。ゆかりさんを道ずれにしてやります!』
「真宵! ……うおっ!?」
やり取りだけを聞いていれば感動的な場面なのだが、絵面も合わせてみると、それはそれは間抜けな光景で呆れを隠せないだろう。
そんなとき、ドアに体重を乗せていたせいだろう。みしりと金具が軋み、ばきんと盛大に壊れてしまったのだ。支えを失った三人は不意なことでバランスを崩し、そのままの体勢で後ろに倒れてくる。
俺は慌てて横に移動して直撃を避ける。
ごすんと鈍い音が風呂場に轟き、悶絶する真宵と萩村、蒼柳の顔を覗き込む。
「おいおい、大丈夫かよ」
「う、うん。大丈……」
いち早く復活した萩村は涙目のまま体を起こした。すると覗き込む体勢だった俺とバッチリ目が合い、言葉途中のまま停止する。視線は俺に向いているが下半身はタオルで隠してあるし、固まる要素はないと思うんだが。
しかし俺の思いとは裏腹に、萩村の顔は明らかに熱気からでなく羞恥で紅潮していき、あわあわと唇を震わせている。
このパターンはヤバイと俺は咄嗟に耳を塞ぐ。
「きゃあああああああああ――――っ!!」
萩村の悲鳴が冬道家に木霊するのだった。