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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第九章〈学園祭〉編
125/132

9―(6)「準備期間③」

 

 そしてこのにやにやである。

 実際に顔に出しているのは恋愛話が大好きそうな白神先輩だけだが、周りの奴らも内心で俺をおちょくっているのが手に取るようにわかった。わざとらしく口元に手を当てて笑みを隠そうとしている白神先輩。きっと口が大きいのだろう。全然隠しきれていない。

 それを指摘して馬鹿にしてやろうものなら、てんやわんやと目くそ鼻くその言い合いが続くだけだろうことは予想するまでもない。というよりこの人と言い合って論破できる自信がないというか、やるだけ無駄というか。ぶっちゃけめんどくさい。

 俺はソファに座ったまま白神先輩を視界から外し、端に寄ってスペースを開ける。隣には真宵が座るのかと思いきや、俺側に男、対面に女性陣が座った。

 いくら大きいソファだと言っても五人も座るのはきつい。現に司先生は壁際にもたれ掛かっている。こっちは三人しかいないのだから、もう一人くらい座れるだろうと横を向いて確認すると、見慣れない顔がそこにはあった。

 あいつってたしか……、


「冬道くん、お熱いわね~。熱すぎて真夏に逆戻りしたんじゃないかって思うわ」

「先輩も不知火とお熱くなりゃいいんじゃねぇの?」

「へ? なんで俺?」

「み、みみみ、ミナは関係ないでしょ! あんたも少しは察しなさいよバカ!」


 白神先輩を言い負かすには不知火のことを引き合いに出せばいいらしい。少し賢くなった。雑学にも必要なほどの知識だけど。

 それにしても不知火の天然の鈍感は健在のようだった。

 装ってたときは都合のいいスキルだと思ってたけど、外から見てると、どうしてあんなあからさまな好意に気づけないんだと思う。

 俺もそう言われたのかと思うと、恥ずかしすぎて嫌になる。


「じゃなくて。翔無先輩が言ってた奴ってこいつのことか?」

「ちょいちょいちょい。テメェさ、ほぼ初対面でいきなし喧嘩売ってね? 俺買っちゃうよ?」


 喧嘩腰で突っかかってくる桐代の取り巻きに、お前はチンピラかと言いたいのをぐっと堪える。


「ほたるん、それ買っちゃうとすごく後悔することになるからやめた方がいいよ?」

「……翔無サン、そんあだ名で呼ぶの、やめてもらえないすかね」


『ほたるん』とはどうやらあだ名らしい。バンダナくんは心底嫌そうに口をへの字に曲げて言うが、諦めに満ちた響きに俺と同類の臭いがした。挨拶代わりのやり取りのようだから、俺より付き合いが長いだろうバンダナくんは『かっしー』など及びもつかない回数『ほたるん』と言われ続けたのだろう。

 ここ最近は矛先が俺に向いて平和を過ごしていたに違いない。俺のいないところでは散々言われていたのかもしれないけど。

 翔無先輩が気に入った相手にあだ名をつけるという迷惑な拘りを捨ててくれれば、俺たちが諦めの境地に踏み入ることもないのに。

 不服を訴えたバンダナくんに、翔無先輩は唇を尖らせる。


「えー、可愛いじゃないか。女の子みたいな名前だし、おかしくないだろう?」

「俺のコンプレックスなんですよ。ほんとやめてくんねぇすか」

「いいから。ほたるん、自己紹介して」


 一刀両断。取りつく島もないとはこのことか。

 有無を言わせぬ翔無先輩の口調にバンダナくんはしぶしぶ向き直る。


「御影蛍。名前は嫌ぇだから、間違っても呼ぶんじゃねぇ」


 御影は俺と真宵にメンチを切って威嚇する。新入りには嘗められたくないというせめてもの意地だろう。だが夜天の少女には全く通用せず、逆に殺気を以てあっけなく撃退されていた。


「かっしーとマイマイちゃんはいらないよね。じゃあ自己紹介も終わったことだし、さっさと本題に入ろうじゃないか。えっと……ほい、みんなに回して」


 渡されたのはクリップで纏められた数枚の資料だ。ざっと目を通した限り、学園祭のカリキュラムの詳細のようだった。各クラスの出し物や、部活の発表会といった予定が事細かに記されている。それらを読み進めていると、翔無先輩がストップをかけた。


「じっくり読むのはまたあとでね。みんなを集めたのは、ある人の護衛を任されたからなんだ」

「護衛?」

「もう耳に入れてる人もいるようだけど、今年の学園祭ではとあるゲストを招待することになったんだよ。ボクたちが護衛するのはそのゲスト――小椿こつばき彩架さいかだ」


 小椿彩架の名前を聞き、珍しく驚きを覚えた。なにせ無知な俺が嫌でも記憶に植え付けられてしまうほど有名な女子高生アイドルなのだ。流星のごとく現れ、 そこらにいるアイドルの人気を総なめ、テレビを点けていれば彼女を見ない日はないと言っても過言ではない。

 小柄な身長に愛くるしい顔立ち、誰に対しても愛想がよく、礼儀もしっかりしている。

 いきなり有名になれば悪い話の一つはありそうなものだが、俺が聞いてないだけかもしれないもののまったく耳にしたことがない。

 まるで男の理想を体現したような女の子だ。

 スケジュールに空きがなく、移動時間にしか休憩できないほどの彼女が、うちの高校にゲストとして登場する。驚きだ。


「どういった経緯でこうなったのかはボクたちもさっぱりわからないんだけど、誰かに狙われてるみたいだからって頼まれちゃってねぇ」

「どうせ熱狂的なファンとかじゃないの?」


 白神先輩が言う。


「たぶんね。能力者って可能性も当然あるわけだけど、あれくらい人気のあるアイドルだからねぇ。中には彼女を自分だけのものにしたいって思う人間はうじゃうじゃいるはずだよ。なのにこうして健在だってことは、なんとかなってるってことなんじゃないかな」


 翔無先輩はそんなことは問題ないとばかりに早々に話題を取り下げると元の路線に戻す。


「それだとボクたちに直接コンタクトをとってくるには大袈裟すぎる気もするけれど、ほたるんの報告のおかげで大袈裟じゃなくなったんだよ」

「だからほたるんって……」


 拗ねる御影。だけど合点がついた。

 依頼されたからには断ることはまずないだろうが、それにしたって対能力者ではない案件に、仮にそうだとしても俺たち全員を招集したのは、事前に聞かされていた『吸血鬼』の眷属のせいだ。

  桐代を監視していた御影。取り巻きのようについていたのは、あくまでも夏休みに眷属の力を使えることに気づいた桐代を監視するためだった。

 眷属になったということは、能力者だということでもある。ちょっかいを出されたのは黒兎先輩だったわけだし、御影が『組織』の一員だとバレていないからできたことだ。それでも眷属の会合に突入していれば一発でだめになる。

 いまのところ監視は問題なく行えているようだ。

 黒兎先輩を襲撃し、翔無先輩に必要以上に警戒していたことから、桐代――引いては眷属たちが『組織』を敵対視していると考えていいだろう。

『組織』の印象は良し悪し半々ほどだ。

 自分たちを助けてくれる聖者。

 保護の名目で収監させる愚者。

 集まった眷属は後者として考える集団なのだろう。そうでなければ説明がつかない。

 そして真宵に接触したのは、俺から引き離すためではなかった。

 おそらく六月の生徒会と風紀委員の対立に第三者として真宵が介入したのを知っていたのだ。だから方法はともかく、仲間に引き入れようとした――といった辺りか。


「――そんなわけで、ボクたち全員で護衛および、学校の防衛に望みたい」


 軽く意見の交換を交えながら、スムーズにこの結論にたどり着いた。


「学園祭は普段立ち入りの禁止になってる部外者がぞろぞろ入ってくる。ボクたちの知らない能力者が入ってきて、暴れるなんてケースは珍しくないからねぇ」

「去年もあったんですか?」


 不知火が訊ねる。

 もちろんだと翔無先輩は答えた。


「去年は来夏先輩のほかに、広範囲で察知できる先輩がいたからなんとかなってたけど、今年は人数が少ない上に眷属のこともある。かっしーとマイマイちゃんがいてくれるのは助かるけど、全部をカバーできるわけじゃない……よね?」


 言いながらも若干の期待が籠った眼差しを向けられる。俺は真宵とアイコンタクトして考えてみたが、能力者がいつ来るのか、それが誰なのかわからない以上、カバーしようにも限界がある。

 首を横に振ってその旨を伝える。


「だよね。ってことで、とりあえず役割分担だね」


 書類の一枚を抜き取る。学校の見取り図だ。それをテーブルに広げる。


「学園祭中は立ち入り禁止区間も開放される。ただし、ここと生徒会室だけはボクたち以外は入れないようにしてるから、なにか問題が起こったらすぐに来るように。それで分担だけど……」


 一階は真宵と火鷹。二階は不知火と白神先輩。三階は黒兎先輩と翔無先輩。

 護衛は御影。緊急時に備えて待機が司先生。

 最後に臨機応変に対応できるように俺がフリーということになった。


「かっしーは一番の実力者だからねぇ。不足の事態になったとき、君には働いてもらうからね?」


 ――と言うが、これは建前だろう。

 俺は柊の監視を承っている。いや、実際に手が足りなくなれば働かせるつもりだろう。一階と三階は元『勇者』と魔王がいるから安全だとしても、言っちゃ悪いが二階は心許ない。だが柊の行動範囲は限られている。

 おそらく翔無先輩は柊がコスプレ喫茶で執事をやることをチェックしていたはずだ。おそらくだが人気になると思う。そして看板娘である柊は持ち場を離れられなくなる。

 そうなれば柊の監視をする俺が実質的に二階をカバーできるわけだ。

 ……つうかすでに働かせる気満々じゃねぇか。


「でもってほたるんもお姉さん・・・・の護衛、しっかりね?」


 衝撃的な事実の発表に目を引ん剥いて御影を凝視した俺だったが、周りの反応は薄かった。が、しかしよく観察してみると全員がフリーズしているだけのようだ。一拍置いて壊れたブリキ人形のように動き出したかと思えば、全員が御影に押し寄せた。

 俺より衝撃が大きくて理解するまでに時間を要したらしい。

 迷惑そうにする御影は首にかけているヘッドフォンを装着し、黙秘の姿勢を完成させている。

 波に乗り遅れた――まあ、乗るつもりもない俺は、爆笑して笑い転げる翔無先輩に近づく。


「小椿彩架があいつの姉なんだったら、『組織』のこと知っててもおかしくねぇじゃんか」


 御影が小椿彩架に言っているならば、どうやって『組織』を知り依頼してきたのかという疑問は解消される。


「ボクがそう考えなかったと思う? ほたるんに訊いてみたけど、初耳だって返された。あの反応からして嘘はついてなかったはずだよ」


 無遠慮に心のうちに踏み入ってくる翔無先輩が言うならそうなのだろう。過ぎてしまったことをあれこれ考えてても埒が開かない。考えるにしても、ひとまずあとにしておこう。


「ほたるんに話があるなら外でやってねー。ボクはかっしーと秘密のおはなしがあるから」

「私も同席します」


 真宵の素早い割り込みに「いいよー」と翔無先輩。

 よほど御影と小椿彩架のことを聞きたいのか、さっさと部屋を出ていく。

 全速力で逃げる御影を追って、全員が各々の長所を活かすのだった。



 一転して真面目モードになった俺たちは、真宵に柊の監視の旨について説明しておく。

 翔無先輩が真宵に言うのを渋っていたいたが、それは自分も一緒に監視すると言うのではないかと思ったかららしい。案の定、真宵はそう言い出した。

 不知火と白神先輩を一階担当に回し、自分を二階を担当すれば柊の監視を行いつつ防衛もできると主張してきたが、それだともしものときに対応が間に合わなくなる、ならないの一悶着があり、結局俺がお願いする形で折れてくれた。


「それで……えー……どこまで話したっけ?」


 疲労の溜まった表情の翔無先輩を見て、いたたまれない気持ちになる。


「御影が監視してた奴らが行動を起こしたってところまでだ」


 そうだったねぇ、と言ってまたお茶を淹れて差し出してくれた。今度は二つであることから、彼女の湯飲みを真宵に貸してくれるらしい。そうとは知らない真宵は俺が借りるはずだった湯飲みに手を伸ばし、翔無先輩が制止する間もなく縁に唇をつけた。

 お茶を飲んでからどうしたのか、と訴えてくる。

 なんでもない、と頭を振り、湯飲みに手をつけないでおく。

 翔無先輩は咳払いを挟み、


「ほたるんの話だと、眷属たちは詩織ちゃんに接触したみたいなんだ」

「やっぱり柊を引き入れようとしてんのか」


 嫌な予感ほど的中してくれる。面倒なことになりそうだと俺は舌を打つ。


「……もしかしたら手遅れかもしれないけどねぇ」


 翔無先輩の不穏な呟きに、真宵の目に剣呑が宿った。真宵も睨んでるわけではないだろう。

 ともすれば閃光が迸りそうな碧の二点に、しかし魔王となった翔無先輩は臆すことなく、


「詩織ちゃんに接触した眷属の能力は、ほたるんが調べた限りじゃわからなかったみたいなんだよ。この町で眷属化したんだったらデータベースにもあったと思うんだけど、ボクが確認しても見つからなくてねぇ。唯一わかるのが、直接相手に触れることで発動するタイプみたいなんだ」

「どの方向に特化したものかはわからないのですか?」

「触れるってだけでも超能力は多種多様だからねぇ。断定はできないけど、何人も眷属を率いてたらしいから、攻撃特化ではないと思うよ」

「そうでしょうね」


 攻撃に秀でていれば腕力と再生力のスペックに差があろうとも、大人数で仕掛ける必要はない。『吸血鬼』同士では戦いにおける死という敗北条件がないのだ。そもそも攻撃特化だとしてもダメージさえ残らないのだから、戦うことがすでに無意味な行為だ。

 それでも眷属を率いていたということは、やはり触れることでなにかしらの利益を得ることができるため、柊に隙を作らせる布石だったのだろう。

 だがどんな能力者なのだろうか。

 俺が見てきたのは良くも悪くもメジャーな能力ばかりだ。基本的に波導も属性で効果が固定されているせいで、触れるだけで効果があるというのはイメージしにくい。――が、それ以前に一つだけ疑問があった。


「でも柊からそんな話聞かなかったぞ」


 柊の性格からしてそんなことがあったなら間違いなく言ってくるはずだ。そうでなくとも態度に表れると思うのだが、そんな素振りは一切なく、いつも通りの彼女だった。


「ボクの疑問もそこなんだよ。戦いにこそならなかったみたいなんだけど、それなりにやり取りはあったみたいなんだよ。なのに次の瞬間にはいがみ合ってた事実なんてなかったみたいに振る舞ってたらしいんだよねぇ」


 どう思う? と翔無先輩は困惑した弱々しい笑みで訊いてくる。

 翔無先輩が真っ当な質問をしてきたことに珍しいと思った。いつもなら、少なくとも自分の答えを出してから訊いてくる。別の視点からの意見を取り入れ、より正確な解を導き出すためだ。こうやって最初から頼ってくれるということは、調べた結果お手上げだったのだろう。


「単純に考えるなら記憶操作とかだろうな。そういう能力ってあるのか?」


 しかし俺も超能力は専門外だ。真っ先に思い付きそうな意見しか出てこない。


「似たようなのはあるよ。でもあれは記憶操作っていうより、暗記術の延長線みたいなものなんだよねぇ。記憶にロックをかけて忘れないようにするだけなんだよ。だから記憶の消去までできるってなると、かなりランクの高い能力だろうねぇ」

「ですがそのほかと言いますと、洗脳などしかありませんよ?」

「洗脳術にまでいくと、名付きになるだろうねぇ」


 記憶を関する能力にも段階がある。翔無先輩が言ったような能力はさほど珍しくない。記憶を消去できるとなれば高ランクに位置し、洗脳術になると固有名が付くほどだそうだ。

 そしてさらに上位にいるのが――記憶作成。

 記憶操作で消去を行ったとしても一時的なもので、能力者が解除すれば思い出せる程度らしい。洗脳術も同様だが、記憶作成で植え付けた記憶は、能力者が解除しても効果がなくなるわけではないとのことだ。正確には植え付けられた時点で効力は完成しており、使用者の手から離れたものとなっているため弄りようがないらしい。


「けど詩織ちゃんが忘れてるのも事実。記憶操作系の能力者ってことでよさそうだねぇ」


 そう結論付ける翔無先輩に、


「……御影が嘘ついてなければ、だけどな」

「ですね」


 俺たちの言葉に翔無先輩は苦笑するだけで咎めようとはしない。

 いかに翔無先輩が御影を信用していても、絶対に裏切らないとは限らない。仲間だと思ってた奴が敵の手先で、後ろから刺される経験は何度もあった。学習しろと思われても仕方がないが、どうしても数を揃えなければならない戦いだったのだ。いちいち敵か味方の確認をする余裕はなかった。

 幸いだったのは狙いが『勇者』だったこと。

 もし誰彼構わず標的にされていたらひと溜まりもなかった。

 御影は眷属の監視という危険の底なし泥沼の手前にいる状態だ。見つかればすぐにとはいかなくとも、遠くないうちに殺される。どんな人間も本質的には自分が一番可愛いと思う生物だ。生き残るために裏切ることなんて珍しくはない。

 すでに敵寝返っていて、偽の情報を与えているのではないか――御影には、そう思ってしまう程度の信用しかない。


「ひとまず桐代くんの監視はほたるんに続行してもらうけど、君たちも君たちで警戒してくれ。記憶操作系の能力者がいる以上、ほたるんが下手打ってもそのことに気づかない可能性もある。ボクたち全員が君たちの敵になってもなんとかなるけど、その逆はマズイからねぇ」

「心配なされなくても他人を拒絶することにはなれてますよ」

「え、えっと、そういうことじゃないんだけど……ま、まあ、そのくらいの気持ちでいてくれた方が確実性は増すかな」


 口角を引き攣らせる翔無先輩。内心でドン引きしていることだろう。心中お察し申し上げる。


「もしかして君たちに接触してこないとも限らない。そうなったときは、なるべく遠距離から牽制するか、能力を使わせる間もなく殲滅すること。いいね?」

「了解。先輩も気をつけて」


 そう言って俺たちは風紀委員室をあとにした。


     ◇◆◇


 その日の放課後、萩村瀬名はクラスの友人である蒼柳あおやぎ紗耶香さやかに呼び止められ、無人の教室に残っていた。

 女の子にしては高めの身長。セミロングに切り揃えられた頭髪。なにかスポーツをたしなんでいるのかスカートから伸びる脚線美は目を奪われるものがある。顔立ちは整っており、ぽわぽわとして可愛い印象の瀬名とは対照的に、綺麗な容姿をしていた。

 しかし凶悪につり上がった目付きのせいか、初対面で話しかけようとする異性は少ない。

 そんな紗耶香に見下ろされるように、瀬名は椅子に姿勢正しく座っていた。

 座れと命令される形で椅子に腰を下ろしてからかれこれ数分は経っただろうか。無言で見下ろされ、なにか気に障ることしちゃったかな、と冷や汗が止まらない。


「瀬名」

「ひゃ、ひゃい!」

「……なんでそんなに緊張してるの?」


 紗耶香は自分がそうさせるだけの雰囲気を醸し出しているのに気づいていないらしい。裏返った声でなんでもないよ、と誤魔化す。


「ふーん。ならいいんだけど」


 興味なさげに紗耶香は呟く。


「あの……さ、紗耶香? なにか話があるんじゃないの……?」


 そう言われてこんな体勢になっているのだ。紗耶香のことは友人だと思ってるし苦手ではないが、凶悪なつり目に見下ろされて居心地がすこぶる悪かった。声音からして瀬名が気に障ることをやったわけではないようだが、だとしたらわざわざ無人の教室に呼び止められる覚えはない。

 恐る恐る紗耶香の顔を下から覗き込む。そこには一直線に凝視する少女がいた。穴が開くのではないかというほど一直線。一度目を合わせたら逸らせないほどの眼力に、瀬名はプルプルと小動物のように震えるしかなかった。

 紗耶香は少しずつ視線を下げ、ある一点に到着した途端、大きく目を剥いた。

 小さく悲鳴をもらす瀬名に、


「胸、また大きくなってる」

「え?」


 戸惑う瀬名をよそに紗耶香は背後に回り込む。脇の下からずっしりとした重みのある二つの弾力のあるものを持ち上げる。制服の上からだというのに柔らかさを阻害することなく、溢れんばかりに主張を訴えてくる。しかし拒絶しているのではなく、包み込みような反発力だ。

 一拍遅れて反応した瀬名は慌てたように両手を振り回す。

 紗耶香は器用に避け、満足げな表情で正面に戻った。


「Eカップ」

「……そ、そうだよ」

「――!? まさか、さらに上!?」


 わざとらしく口笛を吹き始めた瀬名に、紗耶香は恐ろしいものを見るような眼差しを向ける。


「無茶すんなよ? Eより上なのにEのブラつけてたらホックが壊れるから」

「い、いらない心配だよ!」


 体を抱いて胸を隠そうとするも、推定Eカップ以上の怪物を隠すには瀬名腕は細すぎる。むにゅと柔らかく変化し、上下からこぼれ出てくる。目の前で見せつけられた紗耶香は戦慄のあまり、己のスポーティーなバストと比べてしまった。

 天と地――いや、形容不可能な差に、絶望する気さえ起こらなかった。何重にも存在するカップと言う名の壁が、住む世界が違うのだと紗耶香は静かに悟るのだった。


「高校生でこれって大変じゃないか? 雄に発情されて」

「お、雄? よく見られてるなぁって感じるときはあるけど、詩織とか紗耶香のおまけで見られてるだけだよ。あんなに可愛い二人となんで私みたいなのが一緒なんだろうって」

「違う違う。おまけはあたしの方。メインは瀬名と詩織だから」


 紗耶香も人気はある。けれど柊や瀬名とは比べるべくもない。その最たる理由が凶悪なつり目であることは本人も自覚しているものの、外見だけで群がってくる男は発情した雄だと割りきっている。だから悔しいや類似した感情は持ち合わせていなかった。


「わ、私? そうなの、かな?」

「信じられないなら男子に訊いてみなよ。たぶんそいつ勘違いするよ? 『あれ、萩村、もしかして俺のこと好きなんじゃ……』って」

「そ、そんなわけないよ!」


 無駄に上手い紗耶香のアルトボイスに瀬名は顔を真っ赤にしながら抗議する。


「どっちが? 瀬名がそいつが好きってこと? それとも訊いたそいつが勘違いするってこと?」

「どっちもだよ! それにそんなこと訊けるわけないよぉ……」


 湯気が出そうなほど赤面する瀬名は頬の熱を冷まそうと手で扇ぐ。

 その様子を楽しそうに見ながら、顔ににやにやを張り付け、


「だったらあたしが訊こうか? あたしなら勘違いされないだろうし」

「……みんな紗耶香の目力に逃げちゃうもん」

「ほほぉ? いつになく強気だな、瀬名。また乳揉んでやろうか?」


 真顔の言葉に瀬名は勢いよく首を左右に振る。紗耶香は冗談をほとんど言わない。やると言ったらやるし、やらないと言ったらやらない。疑問形で言ってるうちに引き返さないととんでもないことになるのは、実のところ体験済みだった。


「遠慮しなくていいのに。瀬名がやめろっていうならやめておくよ」


 紗耶香が手を後ろで組むのを見てほっと胸を撫で下ろす。


「もう、こんなこと話すために引き留めたの? 帰りながらでもいいのに……」


 瀬名と紗耶香はいわゆる幼馴染みの関係だ。幼少のころはよく遊んでいたらしいが、 インドア派の瀬名とアウトドア派の紗耶香ではすれ違うことも多くなり、高校に入学するまでは疎遠になっていた。同じクラスになってもたまに話すくらいだったが、いつのまにか仲良くなっていた。

 家も隣同士だし、実は部屋の窓から行き来できるほどだ。わざわざ学校で話さすとも、帰ってからゆっくり話してもいいような気がした。


「ん? それは男も通る帰り道で胸を揉みしだいてもよかったってことか?」

「そういう意味じゃないよ!」

「怒鳴るなよ。帰りながらでもいいって言ったの瀬名だろ」

「む、胸は揉ませるなんて言ってないもん!」


 隙あらば胸を揉もうとする紗耶香に瀬名は貞操の危機を覚えた。いたずらでやっているのはわかっているが、いたずらでも本気だと思わせるほどのクオリティでやってくるので判断が難しい。しかもいたずらにいたずらで返してやれば、倍になって返ってくる。自分が折れないと終わらないのだ。


「――なぁ、瀬名」


 紗耶香の声のトーンが低くなった。顔をあげれば、そこにあったのはいつになく真剣な表情の彼女だった。


「昼休みのことから、逃げない方がいいと思うよ」

「……っ! 言わないで……!」


 ようやく紗耶香が呼び止めた理由がわかった。

 冬道かしぎが藍霧真宵と恋人関係にあると宣言した昼休みの一件が原因だ。


「瀬名がどうしてあいつのことが好きなのか詮索はしない。人の気持ちを無理やり聞き出そうなんてあたしのやり方じゃない。だけどこれだけは言いたい」

「聞きたくない! 聞きたくないよ!!」

「――っ! うるさい! いいから黙って聞け!!」


 耳を塞いで癇癪を起こしたように暴れる瀬名を取り押さえ、紗耶香は鬼気迫る表情で怒鳴る。しかしどこから力が沸いてくるのか、体格的に勝っている紗耶香の拘束を強引に振りほどこうとしている。気を抜けば逆に押し退けられ、逃げられてしまいそうだった。

 瀬名にとって昼休みの一件は受け入れがたいことなのだろう。

 逃げようとする瀬名の足を払って押し倒し、床に腕を押し付ける。


「学園祭であいつと一緒にいる約束してただろ。やめた方がいい。傷つくのは瀬名なんだぞ」

「やめてよ! 聞きたくないってば!」

「目ェ背けんな! いつまでも苦しいだけだぞ!」


 放課後までの瀬名は見ていて痛々しかった。受け入れられない事実を自分のなかで整合化し、自分のいいような形にしようとしていたのだ。


「冬道はたしかにいい奴だよ。困ってたら助けてくれるし相談にも乗ってくれるんだろ? でも瀬名だからってわけじゃない。あいつはそういう奴なんだよ」

「……そんなの、わかってるよ……!」

「あいつは瀬名を女友達としては見てると思うよ。でも――そこまでなんだ」

「そんなのわかってるってば!」


 上に被さる紗耶香を押し退け、立ち上がる。

 目から溢れ出る滴を拭い、心配そうに眉を下げる紗耶香を睨み付けた。


「ずっとわかってたよ。冬道くんが私のことを恋愛対象として見てないことくらい。冬道くんが、ほかの誰かを好きだったことくらい。――でも諦められないよ!」


 瀬名の迫力に紗耶香は思わず一歩後ずさる。普段怒鳴らない人が怒鳴るとすごい怖いんだな、と紗耶香は激しく脈打つ動悸を沈めようと空気の入れ換えをする。


「あたしは誰かを好きになったことがない。なったのかもしれないけど、自覚したことがない。だからわからない。好きになった相手がほかの奴を隙になっても諦められない感覚が。瀬名の世界には、あいつしかいないのか? あいつ以外は好きになれないって思ってるのか?」

「……そうじゃないよ。でも、そんなに簡単に割りきれないよ」


 拳を震わせ、瀬名はうつむいた。

 やはりわからない。紗耶香は自分で言ったように、誰かを好きになった自覚がないから諦められない、割りきれない感覚が理解できないのだ。


「どうしてそんなこと言うの? 好きな人がほかの人と付き合ったら、その気持ちは捨てなきゃいけないものなの? おかしいよそんなの!」

「おかしくないよ。逆に訊くけど、いつまでもその気持ちを持ち続けてどうするつもりなんだ?」

「どうするって……」

「ずっと思い続けて、その願いは叶うのか? あたしはそう思わない。あたしは冬道が藍霧から離れるとは思えない。だから瀬名の願いは叶わない」

「そんなのわからないよ!」

「わかるよ! あたしにだってわかることが、あたしよりずっと長くあいつを見てきた瀬名にわからないわけがないだろ! 冬道は藍霧のことが……」


 好きなんだ。好きで好きでたまらないんだよ。そう言いかけて思い止まった。

 紗耶香が言うまでもなく、改めて諭すまでもなくわかっているはずだ。言ったように、瀬名はずっと彼を思い続けてきた。少なくとも高校に入学して復縁してからずっと。自分が見向きもしなかった間も彼の姿を見てきたのだ。きっと彼があの少女に気持ちを傾けたときに気づいていたはずだ。

 それでも諦められなかった。嫌な言い方にすれば、自分のものにしたかった。

 しかし瀬名にそんなことはできない。誰かが傷ついてしまうとわかっているからこそ、傷つくのは自分だけでいいとしてしまったのだ。

 紗耶香はそれが心配だった。

 いつか壊れてしまうのではないかと、心配になったのだ。

 それに近づかせたくない理由は別にもある。


「別に冬道を嫌いになれって言ってるわけじゃない。ほかの誰かを好きになれって言ってるんじゃない。ただ、あいつのことは諦めて、必要以上に関われない方がいいって言ってるんだ。瀬名が苦しむことはないよ」

「紗耶香に言われることじゃないよ! なんで紗耶香にそんなこと……」


 そこまで言って瀬名は口を閉ざした。


「わかってるよ。紗耶香がなにを言いたいのか。でも……もう少しだけ、もう少しだけ夢を見たいっていうわがままは、だめなことなのかな?」


 受け入れられなかった――けれど、わかっていたことだ。

 紗耶香に言われなくても、いずれ同じ問答を自分のなかでしなければならなかった。少しだけ早くなっただけのことなのだ。


「そっか。……いや、これはあたしが悪かった。あたしが口を挟むことじゃなかったよ。ごめん」

「い、いいよ。私も、紗耶香に気を遣わせちゃったし、ひどいこと言った。私こそごめんなさい」


  しばらく無言が続き、やがてお互いに吹き出した。無人の教室で頭を下げあってなにをしてるんだろうと笑いを堪えきれなくなったのだ。


「ありがとう、紗耶香。心配してくれて」

「……心配ついでにさらに気の悪くなるでしゃばりをしようかと思うんだけど、どう?」

「そんなふうに言われたら聞きたくないよ。でも、聞こう、かな」


 はにかむ瀬名に安堵を覚えつつ、しかし言えば一転して怒られるか馬鹿にされるかのどちらかになるだろう。いや、馬鹿にすることはないだろうから、おそらく怒られる。

 ――だけど、それを踏まえても言っておかなければならない。


「冬道は普通の人間じゃない。――異常者だ」

「紗耶香!」

「待って待って。異常者っていうのはほかに言い表せる単語がなかったからなんだ。えー……それじゃあ魔法使い、とか?」

「……紗耶香?」

「あーもう! とにかくあたしは見たんだ! 冬道が人間離れした、それこそ映画の登場人物みたいな信じられない動きをして戦ってたのを!」


 結局怒られて小馬鹿にするような眼差しを向けられた紗耶香はやけくそぎみに叫んだ。

 髪をかき混ぜて気を取り直すと、思い出しながら言葉を紡いでいく。


「六月くらいだったかな。夜中に学校に忘れ物したの思い出して取りに行ったんだけど、なんかすごい音がしたんだ。どうしたんだろうって思ったんだけど近所の人たちも反応なしだったから、どこかの誰かが爆音でテレビ見てるのかとも思った。――けど違った」

「違った……?」

「そう。その音はテレビの爆音なんかじゃなくて――冬道が巫女さん相手に剣をぶん回してたんだ」

「……紗耶香?」


 瀬名はジト目で見つめてくる。信じてもらえなくても仕方がない。かく言う紗耶香も目撃しておきながら、あれは夢だったのだと言われればあっさり信じるだろう。

 だが手元には、あれは夢ではなかったと突きつけてくる証拠があった。

 紗耶香は携帯電話を取り出して操作し、一枚の写真を瀬名に見せる。


「暗くてちゃんと写らなかったけど、なんとなくわかるだろ? 冬道の持ってる剣なんか金色だし、巫女さんの周りになんか炎が何個も浮かんでるんだ」


 瀬名は食い入るように写真を見つめていた。

 黄金の剣を片手にする人影。剣の放つ輝きが照らす部分で、その人物が桃園高校の生徒だということが伺える。注視してみれば輪郭もうっすらと見えてきて、紗耶香の言うとおり、それが冬道であることがわかった。

 もう一人の巫女は周囲に浮かぶ炎のおかげではっきりと写っている。ところどころが破けた巫女装束は神聖というより、荒々しさを感じさせた。茶色の頭髪。両手に嵌められた手甲。なにより目を引き付けたのは、彼女の浮かべる凄惨な笑みだった。

 それは自分たちと別の世界に生きているのだと明確に突きつけてくる。

 だとすれば彼女に対峙する冬道は、いったいどんな表情を浮かべているのだろう。

 想像してみるが、急に冬道が遠くに思え、できなかった。


「あたしが冬道は諦めろって言ったり異常者だって言ったのは、これがあったからなんだ。それによく見てみなよ。……ここ」


 ディスプレイを操作して写真を拡大。クローズアップしたのは、冬道と巫女ではなく、背後に写り込んだ校舎の屋上だった。そこには手前に写る二人よりもさらにぼやけているが、いくつかの人影があった。


「誰かいるだろ? さすがに誰か特定はできないけど、これが心霊写真じゃないなら確実に誰かがいる。つまりこの二人のことを知りながら黙っている人が、この学校に何人かいることになる」

「う、うん」

「あたしは――藍霧真宵なんじゃないかと思ってる」

「……え?」


 紗耶香の発言に遅れて声を発したものの、瀬名はそれが決定的な間違いとは思えなかった。

 冬道と藍霧が交際を始めたのはおそらく夏休み中だろう。それ以前は恋人のように振る舞っていたが、間違いなく無意識だと断言できる。お互いに意識して接していた様子はなく、ともすれば家族同士のような気軽さだった。

 この写真を撮影したのは六月。だが、あの二人が関わるようになったのは春休みが開けてからだと記憶している。

 つまりだ。正式に恋人関係になる前から、違う世界で同じ秘密を共有していたことになる。

 そこに思い当たったとき、ようやく納得した。

 藍霧がよくて、瀬名がだめな決定的な理由を。


「残りはわかんないけど、六月前後で親しくなった奴が……って、せ、瀬名? なんで泣いてるんだ? えっ!? もしかしてあたし、また変なこと言った?」


 紗耶香は慌てて近寄り、涙をこぼす瀬名の背中をさする。


「ううん、ち、違うの。なんだかね、納得しちゃったんだ」

「へ?」


 涙をぬぐいながら言う瀬名に紗耶香は間抜けな声をもらした。

 誤魔化すように咳払いすると、


「納得って。それで泣いたのか?」

「ごめんね。紗耶香のせいじゃないから」

「な、ならいいんだけど。もうこの話やめるか?」


 聞いていて気持ちのいい話ではないだろう。ただでさえ恋を諦めさせることを言ってるのに、その相手が普通じゃないと告げられては泣きたくなるのも頷ける。


「……うん。もうだいぶ吹っ切れたし、あとは私だけで――」


 そのときだった。

 瀬名の言葉をちぎり、破壊音が教室に響き渡った。


 

 

 新キャラ登場しつつ、事態が動き出します。

 次回の投稿は5/29の予定になります。

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