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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第九章〈学園祭〉編
123/132

9―(4)「準備期間①」

 

 翌日の教室は、出来立ての衣装のお披露目会で賑やかだった。

 壇上の教卓は脇に追いやられ、そこに女子がわらわらと群がっている。黄色い声が廊下を歩いているときから聞こえていたし、それを聞きつけたほかのクラスの生徒が詰め寄せていた。

 よほど物珍しいらしく、見物客の数は増していくばかりである。

 それほど柊の執事姿は威力が凄まじいということだ。

 群衆のなかから俺に向けてしきりに助けを求めているのだが、あんなところに行く勇気はない。南無三。内心で合掌しておく。

 朝に買ってきた牛乳にストローを刺して啜る。


「と、冬道くん。お、おはよう……」

「ん? ああ、おはようさん」


 パックを机に置き、萩村はぎむら瀬名せなに挨拶を返す。

 すっきりとした小顔にすっと通った鼻筋。適度に潤っている唇は色気がある。鎖骨に流れるように結われた二つのおさげが、彼女のもじもじとした動きに合わせて揺れている。その先にはブレザーの上からでも存在を主張する二つの山があった。

 俺が苦手なのか男子がなのかは定かではないが、萩村の視線は宙をさ迷っている。たぶん後者だと思う。体育祭で少しは打ち解けただろうし、なにより俺に話しかけてくれるのだから。

 萩村はちらっ、ちらっとなにかを期待するように視線を行き来させている。

 なんだろう。どこか変わったところでも――ああ、なるほど。


「髪、切ったんだな」

「う、うん! 思いきって前髪、短くしてみたんだけど……ど、どうかな?」

「似合ってるんじゃないか。そっちの方がいい感じだぜ」

「そ、そうかな……?」


 毛先を弄び、頬を朱に染めながらはにかむ。


「と、冬道くんも、いい感じ、だよ?」


 言われて俺は首を傾げた。


「ちょっとトゲトゲしてるけど、い、いまの冬道くんの方が冬道くんらしいよ」

「俺らしいって言われてもなぁ」

「ご、ごめんね。変なこと言っちゃった」


 申し訳なさそうにする萩村に「謝ることねぇよ」と言い、牛乳を飲む。吸飲して二度ほど喉をならしたところで中身が空になった。ストローを中に押し込んでパックを握り潰し、机の脇にかけたコンビニ袋に捨てる。


「でもみんな言ってるよ? トゲトゲ具合が増してるけど、ちょっと話しかけやすそうになったなぁって」

「俺もなのか……」


 俺としてはこれといって変わったつもりはない。真宵と恋仲になったほかには変わったことはないわけで。それが原因だとは思えなかった。

 腕を組み、俯きがちに呟いた俺の態度に癪に障ったと萩村は勘違いしたのか、あわあわ慌てながら両手をぶんぶん振る。


「ち、違うの! トゲトゲって言っちゃったけど怖いとかじゃなくて、ちょっと機嫌悪いみたいで話しかけにくいっていうか……で、でも私はそんなことないから……ね?」

「取って付けたようなフォローが逆に辛いんだけど」

「うぅ……そ、そういうつもりじゃなくて……」


 体を縮こませ、うっすら涙を滲ませる萩村は小動物を彷彿とさせた。俺の秘められたサディズムがむくむくと芽を出してくる。


「だったらどういうつもりだったんだ――ごめん、俺が悪かった」


 間髪入れず謝罪する。一向に顔を上げず、トーンも低く言うものだから怒ったと思ったのだろう。口を横一文字に固く結び、溢れんばかりに溜まっていた涙が溢れかけていた。

 朝からクラスメートを――しかも大人しくて優しい女の子を泣かせたとなれば、釈明のしようがなかった。幸いなことに犯行現場の目撃者はいない。さっさと証拠隠滅だ。

 あと萩村さん、打たれ弱すぎじゃないですかね。


「ぐすっ……い、いいの。私もひどいこと言っちゃったもん」

「お前はなんにも悪くないぞ。ひどいのは全部俺だ。萩村はこんな俺にでも優しく接してくれる女神のような女の子だ。これからも仲良くしてくれるととても嬉しいなー……なんて」


 らしくもなく愛想笑いを浮かべる。

 萩村は「ごめんね」と涙声で言う。ごめんは俺のセリフなんだけどなぁ。


「あー、萩村? よかったら今度の休みにでも奢るぞ?」


 お金に余裕はないけど、萩村なら無茶な注文はしないって信じてる。


「う、ううん、そこまでしてもらえないよ。……で、でも」

「でも、なんだ? 俺にできることならなんでもやるぞ」

「じゃあ学園祭、一緒に回ってもらっても、いいかな……?」

「それくらいならお安いご用だ。けど俺とでいいのか? ほかの奴らといた方が楽しいだろ」

「だ、だめ……?」

「全然オッケーだぜ!」


 だから泣かないでくれマジで。

 途端に表情を明るくした萩村は目元をわずかに赤くしながら涙を拭い、鼻をすすってほのかに微笑んだ。


「約束だからね?」


 小指を立てた手を目の前に差し出してくる。


「あいにくと破れるほどの予定はねぇよ」

「そ、そうなの……?」

「そうなの」


 間に受けてまたも申し訳なさそうにした萩村。涙もろい彼女に泣かれる前に小指を絡ませ、大袈裟に上下に振る。

 驚いて目を丸くしたが、すぐに楽しそうに約束の歌を口ずさむ。子供かよというツッコミは野暮なので荒んだ俺の心のなかだけに留めておいた。

 幼い顔と低めの身長があいまって、いつにも増して可愛らしい印象を受けた。

 ところでいつまで指切りしていなければならないのだろう。控えめに、しかし異性が向けられようものなら「こいつ俺のこと好きなんじゃね?」と勘違いする笑顔で「指きった!」と宣言したはず。

 俺の目が腐ったのでなければ指は繋がったままだ。

 萩村の気持ちを尊重するならこのままでいいだろうけど、俺と関わって評判が悪くなるのは……。

 あれ? よく考えたら俺だけじゃん。

 引っ込み思案な萩村に無理やり関係を迫ったとか、そんな噂が流れるだけじゃん。

 それならまあいいか。


「詩織に注目が行ってるからと、ずいぶん大胆だな」

「ひゃあ!? り、両希くん!?」


 ぬるりと現れた両希に驚いた拍子に指が離れる。高速で飛び退いた萩村は俺の後ろに隠れ、そおっと肩から顔を覗かせた。予想外に近くいた萩村からはシャンプーやらなんやら、とにかく女の子のいい香りがした。

 真宵とか柊とか、知り合いの女の子はみんなそうなんだけど、どんなシャンプー使ってんだ。

 男が苦手な萩村も両希は大丈夫らしい。若干俺寄りに、間に戻ってくる。


「び、びっくりさせないでよ」

「すまない。あまりにもかしぎと仲良さげにしているものでどう声をかけようか迷ってしまってな」

「うぅ……もう!」


 からかわれた萩村は赤面しながらそっぽを向く。だが両希と反対側にいた俺とばっちり目が合ってしまった。しかも距離的に何十センチとない。教室の隅っこでせせこましくやっているのだから、こうなるのは不可抗力だ。

 俺が望んだわけではない。だから俺は悪くない。

 萩村は俺と目を合わせたまま固まっている。俺から逸らしたのでは負けた気がするので、じっと見つめ返してやる。いや、なにに負けるのかは知らねぇけど。つうか真顔のにらめっこかよ。

 焦点が揺れる眼球の動きを追いつつ内心でぼやく。


「……っ!」

 

 数秒のタイムラグを経て萩村が再起動した。声にならない悲鳴を上げ、俺でもびっくりな反射速度で後ずさる。しかし動きに体が追いつけなかったらしく、自分の足に引っ掛かりバランスを崩していた。

 咄嗟に机から身を乗り出して手を伸ばすが届かない。

 両希に至っては慌てすぎて別の机にぶつかる始末だ。性格に難ありだが成績優秀、スポーツ万能のくせにアドリブに弱いのか。まあ、誰でも一つや二つ欠点がある方が人間味があるものだ。

 ぺたんと尻餅をついた萩村が痛みに顔をしかめる。


「大丈夫か? 少し落ち着け……あ」


 起こそうと立ち上がった俺の目がある一点に釘付けになった。


「いたた……う、うん、大丈夫。……と、冬道くん? どうし……」


 萩村の言葉が途切れる。俺の目線の位置がどこにあるか追ってしまったのだ。

 そして気づいてしまった。

 チラリどころか、見事に丸見えになったスカートの中身に。

 白と黄緑のボーダー柄。……っていかん! なにを凝視してんだ俺は!

 両希からは俺たちの状況がわからないらしく、疑問符を浮かべている。

 これが真宵だったら「見ましたね?」と堂々と真正面から問い詰め、柊だったら「見たろ?」とにやにやしながら絡んできたことだろう。この二人は下着を見られてどうとも思わないからこそ発言しているが、萩村はそうではないのだ。

 異性に下着を見られるのが恥ずかしいと思う女の子だ。

 俺が一方的にならまだしも、お互いの認識したときの気まずさは計り知れない。

 萩村の赤面具合は、もはやヤバイとしか言えないレベルだった。奥手な萩村は叫ぶこともできず、慌ててスカートを直す。すがるように見上げられ、言葉に詰まった。

 え、なに? どうすればいいわけ? 変化球しか打てないバッターにストレート投げ込まないでくれませんかね。


「か……可愛い下着、だな」


 やっと紡ぎだした言葉は、萩村を恥ずかしさで昇天させるには十分な一撃だった。

 いや、ほんとにごめん。


     ◇◆◇


 騒がしい一日が始まった。

 燕尾服を着せられて虚ろな目をする柊。ときおり漏れるやけくそ笑いは気の毒にすら思った。理想の執事に仕立て上げられた彼女は、どこから見てもハンサムな優男だった。

 がらりと教室に一限目の担当教師が入ってきた。

 独身の女教師。絶賛彼氏募集中。この人の授業は、およそ授業とは言いがたいものだ。誤解しないでほしいのが、生徒からは慕われているということである。みんなも彼女の愚痴を毎回楽しみにしているのだ。……あ、愚痴とか言っちまった。

 この前は合コンに行くと言っていた。といっても一学期最終日だ。

 陰鬱そうな雰囲気から察するにまただめだったらしい。

 そういえばこんなことも聞いた。

 なんでも男子生徒に成績を盾に――この場合は矛と言うべきか。関係を迫ったとかなんとか。

 面白半分の噂だと信じたいが、休み時間などで男子生徒に過度な接触をしているのをたびたび目撃してしまうと、あながち嘘ではないのかもしれない。

 いい人なんだけどね。婚期とか焦ってんのかね。

 そんな先生を、ハンサム柊がロックオンした。

 女の子の理想を刷り込まれた柊は、色気のある仕草で先生に迫る。


「ねえ先生……」


 低く絞られた声は生意気で、しかし俺様系の少年を彷彿とさせた。

 瞬間、クラスに黄色い声援が響いた。

 そのせいで続きが聞き取れなかったが先生のあの反応。

 顔を真っ赤にして内腿を擦りあわせている。自分の年齢を自覚してもなおあの反応。これは間違いない。堕ちやがった。

 女子も大概だけど、先生も先生だ。

 同性で、しかも教師と生徒で恋愛はだめだって。成績を後ろ盾に迫ったんじゃねぇのかよ。この分だと噂は虚実ということでいいらしい。

 それはまずいい。

 この男子はお呼びじゃないのよとばかりの空気をどうしてくれるんだ。俺たちは先生の失敗談を聞きたいんだ。それも違うか。


「両希もやってみたらどうだ?」

「ばかめ。僕が愛を囁く相手は決まっている」


 そういえば真宵って非公式のファンクラブとかあったっけ。

 付き合ってるとか言ったらどうなるんだろう。発狂してしまうのではなかろうか。ほかのメンバーにも闇討ちとか平気で仕掛けられそうだ。

 とりあえずバレるまで黙っておこう。

 触らぬ神に祟りなしである。


     ◇◆◇


 二限目は学園祭の準備に割り当てられることになった。

 衣装はもちろんのこと、用意するものはほかにもある。テーブルクロスなどの小道具や当日のメニューを決めたりしなければならない。いまのところ衣装しか具体案はないとのことだ。


「なんか、記憶飛んでんだけど……」


 制服に着替えた柊が気怠そうに机に突っ伏していた。

 髪も染め直し、カラーコンタクトも問題なくつけられたようだ。


「世の中には思い出さない方がいいこともたくさんあるぞ」

「周りの視線がいてぇんだよー。キラキラしててスゲー眩しいし。……あと先生に」

「言わんでいい。あれは悲しい事件だった」


 まさか婚期に焦ってるからとはいえ、柊に求婚するとは。ちょうどハンサム柊も我に返った直後だったため、いきなりの展開に驚きを隠せなかった。

 先生も空気に毒されただけだろう。……だけ、だよな?

 あの興奮の仕方は危ないかもしれない。

 二限目が学園祭の準備に割り当てられたのも、授業開始まで柊に食いついていたからだ。やってきたほかの教師が首根っこを掴み、去り際にそう言ったのである。

 柊の格好に疑問を抱いたが、そこはクラスの団結力の出番だ。出し物の衣装の試着をしていたという苦しい言い訳ではあったものの、あっさりと納得してくれた。


「悲しい事件ついでに、問題が起こってるんだが」


 両希は淡々と言う。


「衣装は当日まで間に合いそうだが、肝心なことが決まっていないんだ」

「メニューだろ? 無難なの適当にチョイスしときゃあいいだろ」

「それはなんとかなる」

「じゃあなにが決まってねーの?」


 柊は上半身を起こすと両手で頬杖をつく。両側から頬が押し潰されて唇がタコのようになっていた。

 なにやってんだと呆れた俺に変顔で追撃を仕掛けてくる。予想外に面白かった。


「僕たちのクラスの出し物はなんだ?」

「は? なにって喫茶店だろ? コスプレ喫茶」

「うむ。ならばわかっただろう」


 俺と柊は揃って首をかしげる。

 なんだろう。コスプレ喫茶で必要なものといえば、名前にもあるコスプレの衣装。それと喫茶店なのだからお客に出す品物だ。

 衣装は間に合うってことだから料理の方か。それはほかの奴らも考えている。

 盛大だといっても所詮は学園祭だ。料理は一定水準を満たしていれば、あとは勝手にコスプレに注目してくれるはず。もちろん美味いに越したことはない。

 可愛い女の子たちが美味しい料理を運んでくれば、客足は増し増しだ。柊のように女性客をターゲットとした要員もいるのだから、ぶっちゃけメニューはそこまで凝ったものでなくとも十分である。

 しかし両希の言いたいこととは違うようだ。


「衣装とメニュー。どちらも嬉々として製作に取り組んでいるが、誰が料理を作るんだ?」


 そういえばそうだ。コスプレにばかり気を取られてたけど、料理がなければ始まらない。


「柊が作ればいいじゃねぇか。得意なんだろ?」

「あたしでいいなら喜んで作るけど、そしたらホールに回れなくなるから無理じゃねぇかな」

「あー……そうだな」


 教室を見渡してげんなりする。もし柊に料理をさせて給仕をやらせないとなれば、女子の反感を喰らう。いまだって余計なことを言うなと眼光を鋭くされているのだ。

 つうか俺のこと避けてるくせによくそんなことやれるな。キレるぞ。嘘です。


「冬道は? 料理部に入ってたじゃん。いまこそ実力を見せるときだぜ!」

「三日でやめた俺に期待してんじゃねぇよ。まともに包丁すら握らせてもらえなかったっての」


 つみれの負担を少しでも減らそうと入部したものの、怯えられてそれどころじゃなかった。

 入部の際の自己紹介をしたときの部員たちの表情は忘れられない。まるでこの世の終わりのように顔面を蒼白にしていた。

 入部初日は逃げたと思われ目をつけられたくなかったからか、不自然に俺から距離を置いて活動をしていた。二日目からは半分に減り、三日目は顧問しか来なくなった。部をやめたわけではないが、なかには何人かやめた部員もいたらしい。

 真面目に教えを乞うても俺のご機嫌伺いばかりでまともに活動した記憶がない。

 三日坊主で帰宅部へと逆戻りしたのだった。

 家で練習をしようにもつみれが台所への立ち入り禁止令を発行。掃除以外では立った試しがない。

 なので俺の料理スキルはゼロである。

 鍋を爆発させるレベルである。飯まずヒロインか。


「でも包丁の扱いなら一級品だろ?」

「包丁じゃなくて剣だ。一緒にすんじゃねぇ」

「かしぎは剣道をやっていたのか? 知らなかったな」

「やってねぇよ。まあ、いろいろあるんだよ」


 しかしどうするか――と。

 ふと思った。

 なにも俺が解決案を出さなくてもいいではないか。俺なんてスクールカーストで表せば三軍。もしくはCランクといったところだ。

 柊や両希は言わずもがな最上位。俺なんて二人がいなければただのぼっちだ。意見を提示したところで突っぱねられる――というより、どんな意見でも料理部の奴らと同様、機嫌を損ねないため受け入れることだろう。

 完全に触るな危険だからな。誰か爆弾処理班でも呼んでこいよ――ってな。


「そこらはお前らに任せるよ。俺は楽させてもらうさ」

「サボりたいだけだろ」

「どう思ってもらっても結構。文句は受け付けねぇけど」


 どっちにしろ俺に案はない。クラスでどうにかしなければならないのだから、クラスメートのスペックを把握してないのでは話にならない。

 誰がどういった料理が得意だとか、そもそも誰が料理できるかわからないのだ。

 こいつらに任せた方が確実だ。


「いっそのことつみれとか呼べばなんとかなるんじゃね?」


 名案だろとばかりに柊はドヤ顔を作るが、


「あほか」


 俺は一蹴してやる。


「あいつなら喜んで手伝うだろうけど、これってクラスの出し物だろうが」

「ならばお前も参加するのが筋ではないのか?」

「ぐっ……」


 痛いとこを的確に突いてきやがる。

 俺だって参加できるならしたいよ? だけど誤解も解けてないのに混ざったって悪い雰囲気にしてしまうだけだ。

 料理だってできないし給仕だって無理だ。せいぜい荷物運びや買い出しが関の山だ。

 両希のもっともな正論。言い返そうにも言い訳しかできそうになかった。


「わかったよ。俺にできることがあったら言ってくれ。なるべく手伝うから」

「よし、言質は取ったぞ。雑用をこれでもかというほど押し付けてやる」

「しばいてやろうか」

「はっはっは」

「しばくっ!!」


 明らかにバカにした両希に怒鳴る。

 クラスメートが何事かと慌てていたが構いやしない。

 こうしてドタバタと時間が過ぎていった。


     ◇◆◇


 空腹をしのぎ、ようやく昼休みになった。

 購買に走る者、机をくっつけて弁当を食べる者、ほかのクラスにお邪魔する者と、あっという間に教室から人がいなくなった。

 結局誰が料理を作るのかは決まらず、後日改めて会議することになった。コスプレして給仕するのはお祭り気分で楽しいが、裏方となると気が進まないらしい。それにあまり交代できないのも不満の一つだ。接客は誰でもできるが、料理となるとその限りではないからだ。

 柊に聞いたところ、料理はできても厨房を任せられるほどの仕上がり達するのはほんの一握りだけとのことだ。柊も接客の合間に入るようだが、それでも全然手が回らないらしい。

 ちょっとした壁にぶち当たってしまったのだ。

 テーブル整理や食材補充の役割もある。上手く交代していくしか休憩は難しいかもしれない。ちなみに俺は現時点で買い出しに決定している。

 メインジョブに就けないならサブジョブしかない。

 異世界で言えば剣士じゃなくて鍛冶師。

 あ、でも『雷天』に言うとぶちギレられるな。あのチビ助、鍛冶一筋だし。

 不意に教室が騒がしくなった。


「お、おい……あの子」「え? おお、藍霧さんじゃん。うちのクラスになんの用だろ」「そういえば前にも来てなかった?」「総員! 素早く配置につけ! 我らが女神が降臨なさったぞ!」「何回か来てたよね。……ちょっと男子、興奮しすぎ」「馬鹿め! これが興奮せずにいられるか!!」「鼻息荒すぎてドン引きなんだけど……」「大変です! 隊長が購買に行ったまま帰ってきません!」「そんなんほっとけ!」「はーい、写真一枚につき五〇〇円ねー」「貴様、勝手に商売などするな! ……とりあえずこのくらいで」「ほんとに可愛いなぁ。剥製にして飾りたいよぉ……じゅるり」「ちょっ、いまの危険な発言だれ!? 藍霧さんにげてー!!」「おれ、帰ったら藍霧さんと結婚するんだ」「どさくさに紛れて死亡フラグと願望垂れ流してんじゃねーぞ!」「げへへ、真宵たそぺろぺげばぁ!?」「いいんちょー、こいつどうしたらいい?」「その辺に捨ててきなさい」「ういー」


 ……真宵が来ただけで騒ぎすぎだろ。しかも何人か危ない性癖暴露してたぞ。

 これが冗談だから苦笑いで流せるが、戦場だったら皆殺しにしてたかもしれない。

 俺は嘆息し、そして見た。

 真宵の眼が――碧色の眼が、苛立ちで満ちているのを。


「――――黙りなさい」


 刹那。

 あれだけの騒ぎが小さな呟きに掻き消された。

 すげぇ。声張ったわけでもないのによく一言で黙らせられるな。威圧感は半開くらいにしかしてなかったけど、素人でも察知できるように調整するとか人間業ではない。腰が抜けて座り込む人もいるほどだ。なかには恍惚の笑みを浮かべるマゾ男もいるけど。

 しかし真宵は意に介した様子など微塵もなく、それらに見向きもせず平然とした態度で俺のところにやって来る。


「お弁当、一緒に食べませんか? かしぎさんの分も作ってきました。愛妻弁当です」

「ありがたいんだけど、わざわざ迎えに来ることなかったのに」

「……迷惑、でしたか?」


 表情には出てないが、不安そうにしているのがわかった。

 俺が本気でそんなこと思うと思っているのだろうか? だとしたら正直落ち込む。だって真宵にそう思わせてしまう程度の信頼しか見せてこなかったことに他ならないからだ。

 それなのに恋人とかパートナーだとか言ってたなんて、とてもではないが許せることではない。

 誰が――ではない。俺が自身がだ。

 真宵の不安そうな雰囲気に、心臓が握りつぶされるようだった。

 俺は真宵の頭に手を乗せ、無造作に撫で回す。


「そんなことねぇよ。むしろ俺に謝らせてほしいくらいだ。俺って、真宵が迎えに来てくれたのに迷惑に思うような奴に思われてたんだってな」

「あり得ません! ただ……その、学校ではあまり関わらない方が、いいのではないかと……」

「なんでだよ。まさか誰かに言われたのか?」


 俺の底冷えするような声に何人か教室から逃げていった。残った奴らは問題が起こるのではないかと心配しているのか、真宵の身を案じるような視線を送っている。

 辛辣な毒素を吐き出すと有名な真宵だが、それに劣らず成績優秀・スポーツ万能・容姿端麗の認識が強い。さらにテニス部の一年生エース(仮)の肩書きもある。エースの後ろに(仮)があるのは、ろくに部活にも参加しないで結果だけを残すからだ。高校総体でも地区は相手にストレート勝ちで優勝したくせに、県大会を辞退したのである。理由は怠いから――なのだが、表向きには一身上の都合だと誤魔化したらしい。

 ちょっと難ありだが学校のアイドルの真宵と俺みたいなのが一緒なのだ。当然の反応だろう。

 俺はそれらを無視する。

 真宵は首を左右に振って否定する。

 まあそうだろう。言われてたら言った奴を再起不能に追い込むだろうし。


「私って、その……容姿があれじゃないですか」

「すげぇ美人さんだな」


 間髪入れずに言う。

 ほんのり頬を赤くした真宵は、恥ずかしさを紛らすように咳払いする。


「前までなら気にしなかったんですけど、少し気になってしまって。私と一緒にいると迷惑がかかるのではないかと思ってしまいました」


 ああ、なるほど。そういうことか。よく話しかけられるようになったって言ってたし、男子にも声をかけられるようになったのだろう。俺と真宵がずっと一緒にいるのは噂を通り越して周知になってるはずだから、どうせ脅されて一緒にいるだとか言われたのだろう。

 真宵は否定してるけどたぶんそうだ。

 それで俺をどうにかしてやるとか、そんな言葉が出た。もちろん言ったそいつは再起不能にしたものの、きっとどこか思うことがあったのだ。

 いらない心配しやがって。そんなので迷惑に思ってたら『勇者』なんぞ引き受けるか。


「大丈夫だから心配すんな。つうか心配することじゃねぇよ。にしても、そんなこと思ったのな」


 意外な心配に口元が綻ぶ。


「なんですか。おかしいことではないでしょう?」


 語気を強くして真宵が噛みついてくる。

 それだって照れ隠しだとわかってしまえば微笑ましい光景だ。


「そうだな。おかしいことはないな」

「……どうしてにやけてるんです。気持ち悪いと言われたいんですか。かしぎさんでなかったら確実に言ってました」

「おっ。お前にドクドク攻撃喰らうの久しぶりだなぁ。なんか懐かしい」


 俺とリーンが前衛でチトルが後衛、中間に真宵とエーシェの陣形が基本だったわけだけど、少しでも敵を討ち漏らすと心を抉られる罵倒が飛んできたものだ。下手すれば剣を振ることより、真宵の言葉に耐える方が辛かったかもしれない。

 あれは二度と喰らいたくない。マジで心が折れる。メンタルが鍛えられたとすれば、真宵がその大半を担ったと言っても過言ではない。

 チトルなんてお気楽な性格じゃなかったらヤバかった。狙撃の腕ではなく、存在そのものを否定される言葉を日常的に向けられていたのだ。よく最後までパーティーにいたと感心する。


「かしぎさんが望むなら、いくらでも言いますけど」

「いや、遠慮しておく。異世界で散々ぶちまけられたから」


 そう言うと真宵はほっと胸を撫で下ろした。


「まぁよかったです。ところで、かしぎさんの後ろの席はどなたですか?」

「柊だ。あいつに用でもあったか? ほかのクラスにお邪魔しに行ったから、昼休みのうちは帰ってこないと思うぞ」

「柊さんですか。いえ、用があったわけではありませんから問題ありません」

「そっか」

「ですです」


 なんだよその相槌。デスデスって死ねってことか。二回死ねってことか。物騒すぎるだろ。


「…………」

「…………」


 じーっと真宵は俺を凝視してくる。願望の眼差しのようだった。

『真宵が仲間になりたそうな目でこちらを見ている。仲間にしますか? 成功率:一〇〇%』

 そんなテキストが脳内ディスプレイに表示された。隠しラスボスが序盤の雑魚キャラ扱いにできそうなモンスターを確実に仲間にできるってどんな仕様だ。つか、それより強い敵とか出現しないのに、いまさらいらねぇだろ。いや、真宵がいらないわけじゃないけど。


「いまから移動してゆっくりしてる時間もねぇしここで食ってけよ。どうせ最初っからそのつもりで訊いてきたんだろ?」

「別にそのようなつもりで言ったわけではないのですが、かしぎさんがどうしてもと言うのでしたら柊さんの席を借りるのもやぶさかではありません」

「はいはい。ぜひともご一緒していただけると嬉しいです」

「まったく仕方ないですね。かしぎさんは寂しがり屋なんですから」

「ツンデレ、ごちそうさまです」

「どういたしまして」


 勝ち誇った笑みで真宵は言う。小さい女の子が頑張って背伸びする姿は見ていて微笑ましくなる。いや、真宵が小さいってわけじゃないけど。将来に望みあるし。身長が低いのはいまだけだから。

 しかしなにやら廊下が騒がしい。

 俺と真宵は揃って表情の変化が乏しい。それなりの関係を築いた間柄になら通じるのだが、友達未満知り合い以上……ではないな。同じ空間に存在し、同じ空気を吸ってるだけのクラスメートにしてみれば相当ヤバい・・・のだろう。

 盗み聞きしてみれば誰かに助けを求めに行ったともあった。騒ぎたいならよそでやれよ。


「悪いんだけどやっぱり別の場所にしねぇか? うざすぎて耐えられん」

「黙らせればいいのではないですか?」

「さすがにこの人数はまずいだろ。お前の人気が爆発してんぞ」

「私のせいだけではないと思いますけど……」


 だろうな。真宵ひとりだったらファンクラブだか親衛隊が煩かっただけだったが、俺が加わったせいで騒ぎが一般生徒にまで伝染してしまったのだ。物珍しさに群がる野次馬もどんどん増えている。落ち着いて飯も食えん。


「風紀委員室とかどうですか? あそこなら誰も入ってきませんし、入ってきたとしても気の知れた人たちですから」

「でも、たぶん鍵かかってるぞ」


 生徒会室や風紀委員室は超能力者を統括する機関である『組織』の管轄する拠点の一つとなっている。起こった事件の詳細をまとめて報告しなければならないので、データや書類の量は膨大だ。個人が抱えるには手に余るもので、それらを一括して保管している。

 そのため外部から侵入されないようにスキル対策が成されている。また、重要な会議も行う場合があるので防弾対策も万全だ。

 だがここまで超能力に対策を施しても、それ以外を見落としては本末転倒だ。それに使わない教室に鍵をかけておくのは当たり前のことである。


「困りましたね……」


 眉を八の字に曲げ、サイドテールの毛先を弄る。

 俺は騒ぐな、などと土台無理なことは言わない。珍しければ注目するし、野次馬が群がるのも人間の本質的な部分だと思っている。 だからといってこれはないだろ。陰鬱な気分になってきた。


「とりあえずほかの場所に行くか。ちょっと遠いけど、屋上ならゆっくりとまではいかないまでも静かに食えるだろ」

「そうですね。……はぁ、どうして私がかしぎさんと一緒だからといって騒がれなけらばならないのでしょうか。不愉快極まりないです」


 真宵早くするよう促され、重い腰を持ち上げる。


「――おい君、彼女になにをしているんだ」

「あ?」


 突然現れた第三者を俺は不快感丸出しで睨み付けた。

 そして、眩い輝きに濁った眼球が溶かされそうになった。


「彼女が困ってるだろ。離してあげなよ」


 ……はい?



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