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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第九章〈学園祭〉編
120/132

9―(1)「変化①」

 

 けたたましく鳴り響く電子音。何度か息の根を止めたはずなのだが、未だに俺の眠りを妨げたいらしい。低血圧特有の気怠さを残した拳を握りしめ、頭上に振り落とした。

 がしゃりとなにかが壊れた音を最後に、電子音は停止した。

 これでようやく眠れる。

 カーテンの隙間から差し込む日差し。こればかりはさすがにどうしようもないので、寝返りを打って視界からそれを追い出した。

 それにしても俺はなんだってこんな早い時間に目覚ましをセットしていたのだろう。

 ぼんやりと疑問に思い、いつの間にか意識が落ちるまで考えることにする。

 夏休みの最後の三日間。

 俺たちは『組織』の頂点であるところの凪に別荘への招待を受けた。疲れきっていたところにバカンスへの招待だ。断る理由はなく、頭のなかを真っ白にして向かったのである。

 そうして結局休まることのなかった三日間を別荘で過ごし、八月三十一日――つまり前日の真夜中に我が家に帰宅した。

 明日からは学校だからとさっさと夕食にありつき、風呂に入り、ベッドに潜る。ここまでは覚えているのだが、次に記憶が繋がったのはつい先程だった。

 ったく、なんでこんな早く起きなければならんのだ。どうせやることも――ん?


「あー……あったわ、やること」


 しゃがれた声でうわ言のように呟いた。

 もう夏休みは終わったのだった。『勇者』として黄金の剣を振るう時は過ぎ、冬道かしぎは本業である学問を修める学生に戻らなければならなかったのだ。

 それではさっきの電子音は――目覚まし時計の叫びが示すものは?

 そこまで考えがまとまったところで顔を上げるが、そこには俺が壊した目覚まし時計しかない。体は起こさないまま辺りを探り、指先に触れた携帯電話で時間を確かめる。

 八時二十五分。

 始業式まで、あと三十分と残されていなかった。


「こりゃあマズイな……」


 いますぐにでも身支度を始めなければ完全に遅刻だ。初っぱなから遅刻ってのは幸先が悪すぎるか。しかしピンチだというのにいまいち危機感が沸かん。感覚が元に戻りすぎるのも困りものだ。

 ドタバタと階段を誰かが駆け上がってくる。

 これもマズイと思いドアの防衛に取りかかろうとする。が、間に合わない。


「ぎゃああああ! 兄ちゃん起きてる朝ごはんだよいってきますっ!!」


 制服のボタンをかけ違えるほど慌てたつみれは、兄である俺の部屋のドアを蹴破って突撃してきたかと思えば、矢継ぎ早にそう言い、全力投球でトーストをストライクゾーンにぶん投げてきた。

 ただの焼けた食パンだが、投げたのがつみれだ。

 とんでもない勢いと速度を抱えたトーストは避ける暇さえない。あえなくデッドボールを喰らった俺は、試合続行は不可能。一発で退場することになった。

 まあギリギリで咥えて痛くも痒くなかったけど。

 そういえばあいつ……。


「つみれー、お前、夏服のままだぞー」


 トーストを咀嚼し、すでに玄関を出たつみれに叫ぶ。

 すると砂埃を巻き上げて疾走していた妹が急ブレーキをかけて帰ってくる。


「なんでもっと早く言ってくれないんだよ!」


 お前が言う前に行っちまうからだ、と反論しようしてる間にドアの蹴破られた部屋の前を爆走していったつみれは、自室で冬服に着替え始めた。なぜ見てもないのにわかるかと言えば、というか見ていたら人としてどうかと思うが、こうも騒がしければ嫌でもわかってしまう。

 と、妹の観察をしてる場合じゃない。

 俺も遅刻する寸前だったのだ。

 つみれの失敗を目の当たりにしているので、俺は間違わずにブレザーに袖を通す。

 たった一ヶ月ぶりだというのに、もう何年も前に着たような気分だ。


「兄ちゃんはなんでそんな余裕そうなんだよ!」


 冬服に着替えたつみれが言う。ちなみにセーラー服である。


「余裕ってわけじゃねぇよ。何回も死にかけたせいで、遅刻くらいなら大したことじゃないなって思えてるだけだ」

「わかってるなら急ごうよ!? 兄ちゃんも遅刻しそうなんでしょ?」

「まあそうだけど、なんとかなるだろ」

「うわー……たしかに兄ちゃんなら大丈夫だろうけどさ。いろんな意味で」

「いまの発言についてじっくり話し合うか?」

「ごめんなさい! ほんとに遅刻しそうだから文句はあとにして――ねっ!!」


 つみれは猛然と突進してくる。攻撃のためではない。視線は外だ。彼女の意図を理解して端に寄って道を開けてやると「ありがと!」を八重歯を見せ、窓枠に足を引っかけ、ぞのまま空を蹴った。

 最初からその気だったようで、手には靴が握られている。器用に空中で靴を履き、隣の家の屋根に着地し、中学校のある方角に跳躍を繰り返していく。

 枷が一回外れたからって大胆にもほどがあるだろ。

 ご近所さんに見つかったらどうするんだ。

 だが俺も悠長なことは言ってられない。つみれと会話する時間すら惜しかったところだ。この際手段を選んでいる暇はない。――たぶん、あいつもそう思ってるはず。

 そうと決まれば早かった。階段を下りて洗面所で身支度を整え、靴を履いて玄関を出て手を真上にかざす。


「すみません! 寝坊しました!」


 稲妻が俺を攫っていく。

 サイドテールに結われた黒髪が風になびく。精巧に作られた人形のように整った顔立ちは、美人揃いの桃園高校で、嫉妬する気さえ起きないと言わせてしまうほどだ。無表情の上に添えられた碧色の瞳は、まさしく俺と同類である証だった。

 藍霧真宵。

 俺と共に異世界に召喚された元『勇者』。

 そして俺の恋人である。

 秒速何百メートルの速さで腕を掴まれれば途端に胴体から千切れてしまうだろうが、そこはお互いに配慮してある。俺は風系統で体を浮かせ、真宵は雷系統の速度と闇系統の重力操作で負担をゼロにしてくれたのだ。

 

「気にすんな。寝坊したのなんて俺も一緒だ」

「そういうわけにもいきません。毎朝かしぎさんを迎えに行くのが私の役目なのですから」

「だからって謝ることねぇよ。むしろお礼を言われるべきだ」


 頭上で一瞬だが長めにしてあるスカートが翻り、その奥の純白の生地が露になった。一瞬と言ったがおそらくコンマ一秒ほど。だがそこは俺の動体視力を全開にして擬似的な加速状態にし、秘奥の花園の記憶に全力を注いだ。

 異世界では何度と目撃したものではあるが、それは戦闘衣でである。制服姿の女子の下着は、それとはまた別の魅力があるのだ。男子は一目でもしようと常に目を光らせ、偶然を装ってそれを録画するのである。

 思春期なら当然の反応だ。


「そうですか。じゃあ私に感謝してください。感謝としてジャンボパフェを所望します」

「物理的な感謝ってどうなんだ? つうか切り返し早すぎるだろ」

「かしぎさんがそうしろって言ったんじゃないですか」

「言ったけどもう少し悩めよ」


 しかもジャンボパフェ、喫茶店に出てきそうなほどのボリュームで、なおかつ見合った値段だから学生の財布には大ダメージなのだ。

 月はじめにって言ってもまだお小遣いはもらってないし、痛い出費だ。

 せめての救いが先月の分に一切手をつけてないところか。


「こんなに可愛い彼女からのお願いなんですよ? いいじゃないですか」

「可愛いのは否定しないけど、訂正したい」

「……? どこか訂正するようなところがありましたか?」


 真宵がきょとんと首を傾げている。

 夏休みの間はぽんぽん言えてたけど、改めてみるとかなり恥ずかしい。

 これまでの発言が次々に思い出され、顔に熱が集中していくのがわかった。


「……やっぱりなんでもねぇ」

「気になるじゃないですか。最後まで言ってくださいよ。私をどのように可愛いと思ってくれているのですか?」


 小悪魔とはお前のことか。ちらりと視線を向けた真宵の横顔には、妖艶な笑みが浮かんでいる。ちくしょう、わかってて聞いてやがる。


「内緒だ」

「そうですか。じゃあ言ってくれるのを楽しみにしてます」

「…………」


 いいように言ってくれる。いつか羞恥心で悶えさせてやる。


「ふふっ、かしぎさんにできますか? 男子三日会わざれば刮目して見よと言いますし、私を以前の私だと思わないことですね」

「お前は男子じゃないけどな」

「当たり前じゃないですか。ニュアンスとして用いただけです」

「わかってるって。それで具体的にどこが違うか教えてもらっても構わないかな?」


 芝居がかった俺の挑発に真宵はわかりやすくムッとする。

 どんな挑発でも受け流すどころか、取り合おうとすらしないってのに、俺のには過剰に反応してくれるから楽しいんだよな。あんまりやると俺限定で怒るから気をつけないといけないのが玉に瑕だけど。


「いいでしょう。教えてあげます」

「ふむふむ」

「かしぎさんの愛の囁きを聞いても感じるのを我慢できるようになりました」

「ぶっ!? 予想外に重大なカミングアウトだなっ!」


 俺のいたずらで感じてたのも驚きだけど、それを素直に報告してくれたのも驚きだよ。

 ……ちょっと残念だ。耳元で囁いてやると体をびくっとさせて背中など弓なりに、頬を上気させて涙をいっぱいに溜めてぎゅっと目を閉じている姿は、思い出すだけでぞくぞくしてくる。ふだん強気な真宵を支配する感覚がもう堪らない。

 でも我慢できるようになっただけだし、もっと過激にやれば――、


「かしぎさん、顔がえっちになってます」


 繋いでいないほうの手で、ぽかりと頭を叩かれた。


「私をいじめるのがそんなに楽しいのですか?」

「楽しい」

「もうっ! 私は責めに弱いんですから控えめにしてください!」


 ああ、そこなんだ。でもやめろって言われたらやりたくなるのと同じで、控えめになんて言われたらもっと責めたくなるものだ。

 明後日を見ながら「善処するよ」と言ってやれば、疑わしそうにしていた。

 いい傾向だ。『冬道かしぎ』が『藍霧真宵』のすべてであったころは演技でも疑うことはしなかったし、感情らしい感情を表に出すことはなかった。いまも第三者にしてみれば稀薄ではあるが、俺たちにしてみれば驚くべき進歩である。

 疑われたいわけではないが、こうやって俺に『信じる』以外の感情をぶつけられるようになったのは嬉しいことだった。決して蔑まれて興奮しているわけではない。これは真面目にだ。


「なんで嬉しそうなんすか。ジャンボパフェ追加しますよ?」

「それは勘弁してくれ。つうかそんなに食ったら腹壊すぞ」

「問題ありません。私のお腹はちょっとやそっとじゃやられたりしませんから。……触って確かめてみますか?」

「ふにっ」

「ひゃん! か、かしぎさん!」

「俺の難聴スキルはロストしてんだぜ? どんな小声で言ったって、元々のステータスが底上げされたんだから聞こえるに決まってんだろ」


 むくれっ面の真宵にしたり顔で言ってやれば、さっきの比ではない拳が脳天に落ちてきた。かろうじてそれを避け、一言謝りを入れる。

 親しき仲にも礼儀あり。許可をもらっても即実行では失礼だ。


「まったく……ほら、もうすぐで着きますよ」


 校門から少し離れた茂みに降りると発動していた波動を切る。

 ほとんどの生徒は登校してどこにも姿はないが、教室から見られているかもしれない。夏休みのときはそんなこと気にしなかったけど、人間に在らざる力を目撃されてはならないのが変わったわけではないのだ。

 不便極まりないけれど、異能のない世界でそれがバレてしまえばパワーバランスが一気に崩れてしまうし、なによりも畏怖の象徴となってしまう。

 そんな事態にさせないために『組織』や『九十九』といった超能力者を統率、管理、監視する機関があるのだ。


「どうしたのですか? 急がないと遅刻しますよ?」

「……っと、そうだった」


 ズルして移動時間を短くしたといっても遅刻確定からギリギリになっただけ。のんびりと話してるだけの余裕はなかったのだった。

 生活指導の教師があくびをしながら立つ校門を駆け抜け、校舎内に入る。

 ちらっと見たとき俺と真宵が一緒に登校してきたことに目を丸くした教師の反応からすると、どうやら生徒間に知れ渡っているほどのことは知らないようだ。

 それなら素行の悪い不良と才色兼備の優等生が一緒では、驚くのも無理はない。一年のとき俺についた不良のレッテルはそう簡単に剥がれてくれるものではないのだ。


「ではかしぎさん、また後程」

「おう。またな」


 そう言ってハイタッチを交わし、それぞれの教室に向かった。


 

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