1―(12)「開幕」
「か、勝った……のか……?」
「わかりま……せんよ。そんなの……」
被害を最小限……とはいえないものの、ある程度でとどめたヴォルツタイン王国の王宮近くで、冬道と藍霧はそんな会話をしていた。
まるで信じられないような表情をするふたりの視線の先には、横たわりぴくりとも動かない黒装竜の姿がある。
そして冬道と藍霧といえば、ぼろぼろだった。
新調したらしき制服のところどころが焦げたり切れたりして、見るも無惨な姿だ。
ただ、そんな制服とは対照的にふたりに目立った怪我は見受けられない。
「勝った……? ははっ、ははは……。くくく……ヤベェ、笑えてきた」
天剣を片手に、冬道は狂ったように笑い始めた。
今さっきまで行われていた殺し合いは、もうすでに思い出すことができない。
それだけ必死だったということなのだろう。
気がつけばこんなにもぼろぼろで、黒装竜が目の前に横たわっていた。
もう笑うしかなかった。
疲れただとか怖かっただとか、そんな感情を抱く前に笑いが込み上げてきた。
「くくく……なんだよ。やりゃできるんじゃねぇか」
「気持ち悪いです。迅速に消えてください」
「一緒に戦ったのに酷くねぇか?」
「別に一緒に戦った覚えはありませんけど」
藍霧の素っ気ない憎まれ口も、今の冬道からすれば笑えてくるものでしかない。
なんでこんなにも笑えるのか、それは笑っている冬道自身にもわからない。
ただ笑いが込み上げてくる。それだけなのだから。
そんな冬道の手から天剣が離れ、冬道は後ろに倒れていくのが藍霧の目に入った。
さすがにこれは藍霧も焦りを覚えた。
いくら憎まれ口を叩こうとも、冬道は自分と一緒に戦ったのだ。
そんな相手に心配を寄せないはずがない。
地杖を放り投げ、倒れた冬道に駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ヤベェ……力抜けた。もう動けねぇや」
「……は?」
「力抜けて動けねぇ。今まで動けたのが不思議だ」
もはや藍霧は呆れるしかなかった。
さっきまでの緊張感はいったいなんだったんだ。
心配した自分がバカみたいではないか。藍霧のなかでそんな感情が渦巻く。
「やってみると、案外なんとでもなるんだな……」
「まさか竜と戦うなんて思いもしませんでしたが、倒せるとはもっと思いませんでした」
同じように力が抜けたのか、藍霧もその場に座り込んでしまった。
ふたりは空を見上げたままなにも言わない。
何を話せばいいかわからないというのもある。
だけどそれ以上に、大きなことを成し遂げたような達成感で満ちていた。
ゲームだけの生き物だと思っていた竜を目の前にして、しかも戦って勝利した。
達成感があって当然だ。ない方がおかしい。
「スゲーよな、俺たちって」
「なんですか、いきなり」
「いや、だってよ。こっちの奴らが束になっても勝てねぇのにさ、戦った経験もないふたりであの竜を倒したんだぜ? スゴすぎるだろ」
数十分前までは剣なんか握ったこともなかったにも関わらず、竜なんかを倒すことができた。
しかも精鋭部隊すら敵わなかったのだ。
冬道がそう言いたくなるのも、藍霧も十分にわかっていることだ。
「魔王を倒す、か……。なぁ、お前」
「なんでしょう」
「やってみねぇか? 魔王、倒すの」
「……正気ですか? 倒れたときに頭でもぶったんじゃないですか?」
藍霧の失礼な言い分に冬道「正気だよ」とため息混じりで答えた。
「俺たちにしかできないことが、こっちにはある」
唐突に冬道は言った。
「俺たちのいる世界じゃ、大抵のことには替えが利く。自分にしかできねぇことなんて……見つからねぇだろ?」
「確かにそうですね。大抵のことは誰でもできることですからね」
『やらない』のと『やれない』のとでは大違いだ、と藍霧は続けた。
大抵のことは誰しもができるが『やらない』だけで、できないことではないのだ。
自分にしかできないことというのは、ほんのひと握りしか存在していない。
人間はそのほとんどが、自分にしかできないことをやらずに生涯を終えていく。
それが悪いというわけではない。
そもそも自分にしかできないことというのは、実際にはそこまでわかることではないのかもしれない。
はっきりと「これは自分にしかできないことだ」と断言するのは難しい。
しかし今、ふたりにはそれができる。
はっきりと断言することができるのだ。
「だからやってみないか? 俺たちにしかできないこと。俺たちじゃないと成し遂げられないことを」
「得がないのですけど?」
「損得で決めんじゃねぇよ」
相変わらずの物言いに冬道は苦笑いする。
「俺はやるぜ、魔王討伐。俺にしかできないことを、俺はやってみたい」
「はぁ……とんだ主人公思考ですね、貴方も」
「あ? 悪いかよ。どうせ還れねぇんだし、いい機会じゃねぇか」
「どんな機会ですか……。まぁいいんじゃないですか、魔王討伐」
藍霧の言葉を聞いて冬道が顔をあげると、そっぽを向きながら頬をわずかに赤く染めていることに気づいた。
照れているのだろうか、などと思いながら冬道は頬を緩めた。
「な、なんですか。気持ち悪い笑みを浮かべて」
「素直じゃねぇと思ってな。んじゃ改めて自己紹介だ」
力が入らない体を無理やり起こして、冬道は藍霧に向き直る。
「私立桃園高校二年、冬道かしぎだ。お前は?」
「私立桃園高校一年、藍霧真宵です」
「藍霧真宵ね。これからよろしくな、藍霧」
「……よろしくお願いします」
差し出された右手を、藍霧は不本意そうに握る。
こうして、冬道かしぎと藍霧真宵の魔王を倒す旅が始まったということをここに記す。
◇
筋肉痛で動けなくなった男という不名誉な称号をもらった俺は、女の子三人の手助けを借りて壁に寄りかかっていた。
あんなに無茶しないで、さっさと終わらせておけばよかったか。
今さらそんなことを言っても遅いけどさ。
「なんか初めて戦ったときのこと思い出すな」
「あのときも動けなくなっていましたからね。違うのは狐狩りではなく竜狩りでしたけど」
「お前らは竜とも戦っていたのか……」
「さすが兄貴! マジパネェッス!」
まさか俺も、最初に竜なんかと戦うはめになるなんて思わなかった。
あのときは必死で戦ってたから、今でもどうやって勝ったか思い出せないんだよな。
「で、狐の面はどうすんだ? 殺すのか?」
「こ、殺す!? 何もそこまでする必要はないんじゃないッスか!?」
そう言えば白鳥には細かい説明はしてなかったな。
殺すという単語をきいて慌てていた。
「そういう決まりなんだ。罪を犯せば罰がある。当然の報いだろう?」
「アンタには訊いてないっての! 兄貴、そこまでしなくてもいいと思わないッスか?」
なんで俺とアウルとの態度がそこまで違うんだか。
「俺はどっちでもいいよ、関係ねぇし。お前はどう思ってるんだ?」
「ウチッスか……?」
「俺は傷つけられたわけじゃねぇからな。お前はそいつのこと、許してやれんのか?」
別に俺は狐の面がそこまで憎いわけじゃない。
やられたからやり返した。やり返した今となっては、狐の面がどうなろうと知ったことではない。
でも白鳥は違うんだ。
生死に関わるような大怪我をさせられたんだ。
白鳥が狐の面を許せるかどうか。それで決まってくるんじゃないかと思う。
「……許して、やれるッス。やったことの大きさは違うくても、やってるようなことは同じッスから」
「そっか。それがお前の気持ちか」
こくりと、白鳥は一回だけうなずく。
「だそうだ。被害者の白鳥がこう言ってんだ。殺さなくてもいいんじゃね?」
「だめだ。被害をだしている以上は、殺すしかない」
「物騒だねぇ。ならそいつに聞いてみたらどうだ? それ次第で、生かすか殺すかを決めりゃいい」
俺がそういいながら視線を向けると、狐の面の体が痙攣でもするようにびくっと震えた。
「起きてんだろ? さっさと来いよ」
天井から床に一回だけ叩き落としたが、そのときは気絶はしていなかった。
さっきのは衝撃がなかったんだから、気絶しているはずがないんだ。
ようは気絶したフリをしてるだけ。
「聞こえねぇのか?私立桃園高校三年、秋蝉かなでさん?」
「……し、知ってたの?」
狐の面――秋蝉かなでが、弱々しい素の口調で俺に問いかけてきた。
「わかってるって言ったろ。私立桃園高校演劇部の秋蝉かなでっていったら声帯模写で有名だろ?」
「うぅ……」
さっきまでとは大違いだな、おい。
柊の口調を真似ると同時に性格まで模写してやがったのか? さすが演劇部だな。
立ち上がり秋蝉かなでは狐の面をとる。
あらわとなった秋蝉かなでの顔立ちは、少なくとも能力を使って人を傷つけるなんてことができなさそうな、優しい顔立ちをしている。
長くさらさらとした黒の長髪は、月の光を受けて美しく映し出していた。
「話は聞いてたろ? お前の返答次第じゃ、殺さねぇといけないみてぇだ」
「そ、そんな……」
「でも仕方ねぇよ。それだけのことをやったんだ」
秋蝉かなでは清楚な顔を青ざめさせ、恐怖からか、かなり怯えていた。
「どうして、こんなことをしたんだ?」
俺は秋蝉かなでを怯えさせないために、なるべく優しく問いかけた。
「きっかけは、ある日突然、この力が使えるようになったから……」
秋蝉かなではそう前置きして、こんなことに及んだいきさつを話し始めた。
◇
私がこの『超能力』と思われる力を意識して使えるようになったのは、だいたい、一ヶ月ぐらい前のことでした。
今までは無意識に、当たり前のように使ってきたものですが、意識して使えるようになると、これが普通でないと気づくにはあまり時間は必要ではありませんでした。
ううん、違うね。私はずっと昔からこれが異常なものだと知ってたから、みんなの前では使わなかったんだよ。だってね。秋蝉かなでは異常だと思われたくなかったから。
私が異常だと思われたら、きっと、ひとりになる。ひとりになるのは、嫌だった。
けれど私のなかには、それを使ってみたいという気持ちもたしかにあって、それが使えばどれだけ楽しいだろう――そう、思ってしまったんです。
使ってはいけないと思いながら私は、それを使った。
最初はほんの遊び心からでした。ちょっとだけ、一回だけという考えが、もうすでに間違っているということに、私は気づけませんでした。
でも、超能力を使うのが私だとバレるわけにはいかない。なら、どうすればいいのか。
……そうだ。演劇部の衣装を使えばいいんだ。
演劇部にはたくさんの衣装があって、どうしてこんなものまであるんだろう、って思わせるものまで、多種多様が取り揃えられていました。
そこで私が選んだのは――九尾の女の衣装。
顔は面で覆われてるし衣装は分厚くて、体のラインで私が女であるということはバレることはない。
見た目は万端だ。でも、場所はどうしよう。誰にも見られることがなくて、すぐに衣装を返しに来れる場所がいい。
そうなると選べる場所は、私立桃園高校付近の、寂れた建築物。そこなら誰にも見られる心配はない。ここでなら、異常を使ってもバレることはない。
しかし私はそこで気づかないといけなかった。そんな浅はかな考えなら、私以外にも考えるはずという可能性に。たとえ超能力を使えない人でも、そういう場所に集まる人はいる。
そこには、ひとりの女の人がいた。
それに気づかず超能力を使い、バレてしまった。私が異常な人間であるということが。
バレてしまった。私が異常な人間だと言いふらされてしまう。だったら――殺すしかない。
そんな考えに至る私は、もうとうの昔に、異常な人間だったのです。正体がバレないように九尾の衣装を纏ってたのに、それがあることを忘れて、その人をズタズタにした。
私はそれをやってしまったことが怖くなって逃げ出したのに、鏡に映る私の顔は、歪んでいた。
そう。私は楽しんでいた。
超能力を使って自分より弱い人間を傷つけることを。
そこから私は五回に及んで同じことを繰り返した。
そして六回目。
私が選んだ相手は冬道かしぎという、同じ高校の男の子でした。
◇
秋蝉かなでは怯えながら、最後まで言い切った。
なるほど。そういうことか。
「も、もうやったりしない、だから……」
「だめだ。そんな保証はどこにもない。お前はここで死んでもらう」
聞く耳を持たないとばかりに秋蝉かなでの言葉を切り捨て、アウルは歩み寄っていく。
だが、そんなアウルの腕もわずかに震えていた。
やっぱりこいつに、殺しは似合わない。
アウルが一歩ふみ出すごとに秋蝉かなでも一歩ずつ後退し、それが繰り返されていく。
でもここは外と違って、どこまでも逃げられるという訳じゃない。
すぐに壁際に到達して、逃げ場がなくなっていた。
当然といえば当然の報いだ。
誰かを殺しかねないことをしたんだから、殺されそうになっても文句を言う権利はない。
誰かにやろうとしたことは、ときには自分に跳ね返ってくることもある。
それが今だった。それだけのことだ。
「兄貴……」
「ん? なんだ?」
「兄貴はどう思うッスか? あんな風に、簡単に殺してもいいって思ってるッスか?」
隣でアウルと秋蝉かなでの経緯を見ている白鳥が、拳を握りしめながら言ってきた。
「ウチは思わないッス。どんな理由があっても、殺してもいいはず……あるわけがない」
「じゃあ、どうするってんだ。助けるか? お前を殺そうとした相手を」
「もちろん!」
満面の笑顔を見せた白鳥はその場から駆け出し、追いつめられた秋蝉かなでをかばうようにアウルの前に立った。
「行かせてよかったんですか?」
「別に俺が行かせたわけじゃねぇだろ」
「後押しをしたのは間違いなく先輩だと思いますけど。秋蝉かなで、でしたか。また能力を使ってこんなことを起こすかもしれませんよ?」
「そしたらそれまでだったってことさ」
犬歯をむき出しにして、アウルから秋蝉かなでを護ろうとする白鳥を見ながら俺は言う。
何かを言い合っているみたいだが、ここまでは聞こえてこない。
「大丈夫なんじゃねぇの? 秋蝉かなで、あいつは二回も間違ったりはしねぇさ」
「本当ですか?」
「知らねぇけど」
俺は未来が見えるわけじゃないんだ。
秋蝉かなでが間違わないなんて保証はない。
それでも俺は、大丈夫なのではないかと思えた。
「先輩もつくづく無責任ですね」
真宵後輩の刺すような視線が痛かった。
これに俺の責任はないと思うんだが……。
「どうするんですか? おそらく明日から、屋上は賑やかになってしまうと思いますけど」
真宵後輩がまっすぐに視線を向けている方を追うと、言い合いに勝ったと思われる白鳥がこちらに手を振っていた。
そんな白鳥に抱きついている秋蝉かなでと、ため息をつくアウルの姿。
「確かにこりゃ、多くなるかもな。いいんじゃねぇの? 多い方が楽しいし」
明日からの昼休みを想像して、俺は思わず笑みを浮かべていた。
これは確かに賑やかで、楽しそうだ。
ふと、真宵後輩が俺の顔を見ているのに気づいた。
さらに視線が多かったため周りを見れば、いつの間にかやってきた三人も俺の顔を見ている。
「なに人の顔ジロジロ見てんだよ」
「いやぁ、兄貴もあんな顔して笑うんスね?」
「お前の笑った顔など、初めて見たぞ……」
「さっきまでと全然違うよぉ……」
アウルと白鳥の反応はわからんでもないが、なんで秋蝉かなでは泣いてるんだ。つーか……。
「俺だって笑うときぐらいあるっての」
「先輩は普段から表情が変わりませんからね」
「いや、お前には言われたくねぇ」
いつも無表情な後輩の藍霧真宵。
「兄貴の笑顔は超レアッスね!」
「お前だけには見せてやらねぇ」
「がびーん!」
喧嘩好きで優しい、主人公体質の白鳥瑞穂。
「私はもうしばらくこちらにいる。その間はお前の家に住まわせてもらうぞ?」
「ホテルにでも泊まってやがれ」
『組織』なんてものに属している能力者で、見た目によらず優しいアウル=ウィリアムズ。
「あ、あの、さっきはごめんね……?」
「謝るくらいならやるなっての」
気弱なくせに、演技をやらせたら右に出るものはないほどの役者の秋蝉かなで。
「明日から、ずいぶん賑やかになるな」
そしてそんな女の子だらけに混ざる黒一点、俺こと冬道かしぎ。
明日から賑やかになるのは間違いないだろう。
俺はさっきまでバラバラだった四人を見ながらもう一度、微笑んだ。
◇次回予告◇
「い、いや。そんな猫みたいなニックネームをつけてもらっても困るッスけど……」
「嫌です。面倒ですから」
「うひゃあ!?」
「で、どうなんだ? 好きなのか? 嫌いなのか?」
「敵だったらどうするつもりだ」
「兄貴! なんか行ったッス!」
「あり得ねぇ」
「危ないなぁ。ボクを氷の芸術品にでもするつもりかい?」
「冬道と互角だと? あの女、何者だ?」
「君を風紀委員に推薦したい」
◇次回
2―(1)「風紀委員」
「ボクはこの学校の風紀委員長の翔無雪音っていうんだ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
1―(12)「スタジオ」は別版の番外談として更新することにしました。
次回の本編をお楽しみに。
以上、ぱっつぁんからでした。