8―(17)『ツクモナギ/赤竜慟哭』
好き放題飲み食いした挙げ句、バーベキューと称してベランダで二次会を始めた大人陣はいったいなんなのだろう。酒瓶を何十本も空にしてまだ飲み足りないのか。元気なものである。
学生組は来夏先輩のテンションと、それに触発された柊についていけず、解散が告げられた途端に自室に引き篭もっていった。大浴場に行く約束をしていたから九時前後にはもう一度集合することになる
去り際の後ろ姿を見た限りだと何人集まることか。
アルコールが入ったのは俺と柊と来夏先輩の三人だけど、頭から浴びたのは全員だ。大浴場に行く前に軽くシャワーを浴びることだろう。俺だってすぐに浴びたい。
けれど、好き勝手に散らかされた部屋の片付けを率先してやる凪をほっとけなかったのだ。
酒瓶の後始末からフローリング磨き、食器の汚れを流してごみを捨てる。言ってしまえば簡単そうだが、だだっ広い部屋の膨大な掃除には大層な時間がかかる。凪だけなら間違いなく日を跨いでいた。
「我輩だけで構わないと言っているでありましょう。いいから部屋に戻っていろ」
「凪ちゃんだけにやらせられるか。準備だってほとんど一人でやったらしいじゃねぇか。せっかく招待してくれたのは凪ちゃんも楽しみたかったからだろ?」
「『九十九』共がいてはそれも意味を失ったでありますがな」
「……なにがあったか聞いたりはしないし、打ち解けろとも言わないけど、これくらいはやらせてくれよ。これじゃつまんないだろ?」
凪の『九十九』への怨念は底が知れない。抑えて殺気が駄々漏れるくらいだ。全開にしたらどうなることか。
油まみれになった食器に、泡立てたスポンジ押し当てる。
「これがモテ男の秘訣でありますか? まさか我輩もターゲットでありますかな?」
「そういうことじゃねぇよ。つーか幼女なんか狙うかよ。ただの性分だ」
「損な性分でありますな。見返りを求めぬところも、どこかしら人格が破綻しているように思えるぞ」
ひどい言われようである。皮肉や嫌味を平気で口にするとはお前こそ人格が破綻しているんじゃないか――と咄嗟に言い返しそうになって慌てて口を閉じる。
俺ってこんなに口悪かっただろうか。真宵のが伝染したのかもしれない。
これだと火鷹に人のこと言えたもんじゃないな。
「いいんだよ。目の前で困りそうな奴がいるのに無視できるか」
「……さすが親子でありますな。困ることになるのを前提で手を貸してくるものだから始末に負えん」
深く――本当に深く溜め息をこぼす凪だったが、まんざらでもなさそうだった。
「ゆかりの場合は『危なっかしくて見てられないよ。このままだといつか対応に追いつかなくなるぞ。そうなる前にオレがなんとかする』などと言って、半ば強引だったでありますがな」
「志乃と戦ったときのことか?」
「いいや、それより以前だ。『組織』を設立したばかりの頃だったでありますから……いまから七年は前のことであります」
「七年って……。凪ちゃんって何歳なんだよ」
よくよく思えば最初に志乃が表舞台に立ったのは五年前のことだ。
現在の『組織』と『九十九』の頂点はどちらも幼い外見をしている。しかも当時からトップはそのままだという。
つまり凪と一葉は年齢が二桁にも満たないときに戦争に駆り出され、戦果を上げたということなのだ。
一葉ならまだわかる。超能力が基盤となる家系で生活してきたということと、サポートに徹することのできる能力者がついていたと考えれば、一葉は能力を行使するだけでいいからだ。全体への指揮はほかの奴がやっていただろう。
しかし凪は違う。設立したばかりの『組織』に指揮をとれる人材がいたとは思えない。そうなるとやはり凪が指揮をしていたことになる。
仮にそうでなくとも、『組織』を設立したのは凪自身が言っていたのでその通りなのだろう。
でもそこまで幼い子供が超能力を管理する機関を立ち上げるなど、想像すらつかないというのが正直な感想だった。
「十二だが、それがどうかしたのか?」
「……お前はどんな幼少時代を送ってきやがった」
ということは五歳で『組織』を立ち上げたことになるわけだが、いくら能力者だからといっても許容範囲を越えている。
いや、実際にやったわけだからやれたのだろうけど、しかしにわかに信じがたい。
母さんと竜一氏が協力したのだってもう少し先の話だ。
いまの凪だって政治的な駆け引きで優位に立てるほどに饒舌だ。頭に血が昇りやすいことを差し引けば内政だって簡単にやってのけるだろう。
そう考えると幼少期に『組織』を立ち上げるくらい問題ないように思える。
「我輩が子供らしくないと言いたいのか?」
「言いたくもなるだろ。十二でも大人と話してるみたいなんだぜ? 五歳で『組織』を立ち上げるって子供じゃねぇよ」
「まあそうでありますな。我輩自身も常々思っている」
紅蓮の鬣を鬱陶しそうに払う凪。真宵に髪ゴムを借りていたことを思いだしポケットを探ると、指先に細い紐がぶつかった。
凪は手が濡れていて髪を結べそうにない。ちょうど水分を拭き取って手が乾いていたので、取り出した髪ゴムで邪魔にならないよう髪を結んでやる。
俺のいきなりの行動にぎょっとした凪だったが、すぐに目下に視線を定めた。
「お前は女に対して軽率すぎるのではないか? 断りもなしに髪を触るなど、親しき相手でも嫌悪を抱く場合もあるでありますぞ」
「同い年くらいだったらやらないし、小学生だったらそんなこと言わねぇよ。そもそも妹みたいな奴に気ィ遣ってても仕方ないだろ」
「……妹、でありますか?」
「凪ちゃんって母さんの世話になったんだろ? 母さんももう一人の娘みたいだって言ってたしな」
それに母さんは面倒を見るような性格じゃない。放任主義である母さんが自分からほっとけないと言い出すくらいなのだ。なら俺だって気にかけたりもしたくなる。
そんなふうに思って、ふと凪が静かになったことに気づいた。
流しっぱなしの水をぼんやりと見やり、心ここに在らずという感じだ。思い詰めているとか、怒りを沈めているわけではない。少し悩んでいるといった出で立ちに内心で首を傾げる。
じっと見つめていると凪ははっと我に返り、俺の視線とぶつかって体を強張らせていた。
「あ……お、お前は我輩が何故こうなのか気にならないのか?」
明らかに話を逸らそうとしている。まあ、特に気になることでもないので嫌なら風呂敷を広げることもない。
俺としては凪の人格についての方が興味があるわけだし。
頷いて肯定すると、凪はほっとしたように表情を柔げた。
「我輩の能力は特殊なもので、継承型の能力なのであります」
「『九十九』の……じゃないんだな。うん。わかってるから睨むな」
心底嫌ってるからって口にしただけで睨むとか勘弁してくれ。ほどよくアルコールが回って気分が良くなっているのだから、濃厚すぎる殺気をぶつけられると脊髄反射で攻撃してしまうかもしれん。
「たしかに我輩は『九十九』の血を引いている。しかし半分だけであります。身内で機械的に行為を起こして生まれたのが奴らなら、我輩は愛の行く末に生まれたのでありますよ」
「それって『九十九』の家系の人間が、それ以外の人間と交わったってことか?」
「言い方が腑に落ちぬが、つまりはそういうことであります」
素直に驚いた。これまで聞いてきた話からだと『九十九』の能力者は身内だけで子を成しているのではなく、身内でしか子を成せないよう縛られている印象だった。
志乃は右眼に死へと誘う魔眼が宿っている。それを継承させるために薄まった因子を一つに集めようとしていた。
『死乃』という超越者としての格式が志乃を上回ることができれば、その時点で魔眼の所持する権利は譲渡される。左眼に宿っていた氷王の魔眼は九重に受け継がれ、志乃にその使用権は失われていた。
片方の魔眼の所有者を生み出せたのだから当然、目的だった魔眼所有者だって生み出すことができる。
いつからそのように縛ってきたかは不明だが、氷王の魔眼だって何代も重ねてようやくだったのだから、それより格上の魔眼所有者を生み出すには、余計な手間をかける時間はないはずだ。
それは『九十九』に流れる血が強制的にさせるものだ。
けれど凪の親は志乃の呪縛に打ち勝ったのだ。本当に驚くしかない。
「奴らの能力は自然発症するものより質が高い。もし我輩のような例外が誕生した場合は外部に因子が広がらぬよう、生まれた子はもちろんのこと、親からも『九十九』としての力が失われる仕組みになっているであります」
「能力を失うってことか。でも凪ちゃんは能力者じゃねぇか」
「たしかに我輩は『九十九』の力は持っていない。必要だとも思わないでありますがな。言ったでありましょう? 我輩の能力は特殊なものだと」
すべての食器を洗い終え、水を止める。
長い間水に触れていたおかげで、すっかりふやけてしまった両手に思わず苦笑いがこぼれた。年寄りみたいに皺だらけだ。
「母君が『九十九』、父君が外部の能力者でありました。我輩の能力は父君より受け継いだものなのであります」
「ふーん。能力って受け渡しできるもんなのか?」
志乃のような規格外ならともかく、一介の能力者にそんな芸当ができるだろうか。
「詳しいことは糞忌々しい創設者にでも聞かねばわからない。超能力そのものがブラックボックスでありますからな。本人ですら理解できていないやもしれないでありますが」
「その可能性の方が大きいな」
それはさておいても、凪が能力を受け継いだのは事実なわけだし、機会があれば聞いてみることにしよう。
「『アリス』――それが我輩の能力名であります。効力は肉体変化とさほど珍しくもないでありますが、これが特殊なのは、能力に意思があることであります」
理解するのに一瞬のタイムラグが生じた。
「……は? い、生きてる……ってことか?」
我ながらアホな切り返しだと思った。能力が生きてるというのは、俺たちに置き換えれば波導が生きているということだ。
使うときに精霊の力を借りるといっても、あくまで発動するときの話である。精霊の意識を介し、詠唱という祈りを捧げ、承認を形にして放出する。それでも波導には意思なんてないし、生きているのは精霊であって術式ではないのだ。
なら波導の親戚みたいな超能力に意思があるなんてそんなわけが――、
「そういうことであります」
「……あったよ」
「ん? どうしたでありますか?」
「ああ……ううん。こっちの話だから気にしないでくれ」
本当に超能力はわけのわからないことだらけだ。
武器も術式も道具だ。それに別の意識があったら使いにくいにもほどがある。もし天剣に人格が宿ってたら絶対に使わない。
伝説になるくらいの剣なのだから、ド素人だったころの俺に握られたら、前の所持者比較されて才能がないだの動きがなっちゃいないだのと、ごちゃごちゃ言われるに決まってる。
そうしたら叩き折って捨ててただろうことは予想するまでもない。
「『アリス』が我輩のもう一つの記憶庫のようなものであります。しかも様々な宿主を転々としてきたからか、どこかで規律に厳しいところにいたのだろうな。我輩が妙な口調なのはその影響が顕著だからであります」
「キャラ作ってたわけじゃないんだな」
「そのような下らんことをしてどうなる」
結っていた髪をほどこうする凪だったが、思い悩んだような仕草をしたのち、後ろに回していた手をゆっくりと下ろした。
目を伏せる凪。二人しかいない広い部屋に静寂が漂う。
「……『アリス』がもう一つの記憶庫であったせいで、我輩は『九十九』に憎悪を抱くことになったのであります」
室内の温度が一気に数度低くなった気がした。
「前述したかと思うが、志乃と初めて戦ったのは六年前。そして『組織』を立ち上げたのが七年前。――しかし、どうして『組織』を立ち上げようと思ったかわかるでありますか?」
「わかるわけないだろ」
「少しは答える姿勢を見せてくれ。まあ、復讐のためであります」
気負いなく発せられた言葉に、息が詰まりそうになる。
「先代の『九十九』の当主――一葉の祖父である九十九禅二郎はその在り方に異常なまでの執着心があった。『九十九』という家系を極端に体現したような男だった。だからでありましょう」
テーブルに添えられた手からみしりと軋む音がこだまする。
瞳孔は縦に切り裂かれ、紅蓮に染まる癖っ毛の長髪が波打つように蠢く。
「あいつは、『九十九』より離反した我輩の両親を殺したのであります!」
その叫びは怒りとなって俺に叩きつけられた。直前までの落ち着いた雰囲気などどこにもなく、憤怒と憎悪によって塗り潰された少女の姿だけが、そこにはある。
凪はこれまで誰に言うこともなく、自分のなかだけに溜め込んできたのだろう。
『九十九』への憎しみは隠すつもりはないが、憎しみの理由を打ち明けることはできなかった――できるだけの相手も、いなかった。気の緩んだ隙を突いて、それが顔を覗かせたのだ。
凪の威圧は見る間に膨らんでいき、大気を震動させる。
「我輩の目の前で、奴は父君と母君を殺した! それが当然の報いだと言わんばかりにだッ!! ふざけるな……ふざけるな! ふざけるなァッ!!」
咆哮する。相当に溜め込んできたらしい。爆発した怒りは膨れていくばかりで、一向に収まる兆しがなかった。
異能者が集まると、どうしても物騒な展開を避けられない傾向にあるらしい。
焦点の絞られていない無造作に放たれる殺気。俺だけに向けられていれば息苦しさを感じていただろうけれど、昨日から全盛期並みの殺気を受け続けてきたのだ。またなのかと嘆息するほどには馴れてしまっていた。
席を立ち、凪の背後に移動してげんこつを落とす。鈍い打撃音が鳴る。
突然の激痛に声もなく凪はうずくまった。
「少し落ち着け。話にならねぇだろ」
「ぐぅ……落ち着ける、わけがないでありましょう!」
スイッチの入った凪にはげんこつ如きでは平常心に戻すためにはインパクトが足りないらしい。
一点に集まった殺気が脳裏に心臓を貫くイメージを形成する。右足を引いて左足を軸に体を回転。浮かんだイメージのなかでの凪は怒りで動きが散漫だ。秒単位で反応が遅れている。
凪は全身のバネを駆動させて重心をずらして体躯をスライド。――遅い。
脚力だけで開いた距離を縮める。裏拳を後頭部に命中させたところで、現実に意識を引き戻す。
目を細めて睨む。殺気には殺気をぶつけて相殺するのが手っ取り早い。効果は抜群だ。小さな竜は牙を引っ込めて黙り込む。
「凪ちゃんは『九十九』に復讐するために『組織』を設立したって言ったよな? つうことは『組織』がやってきたことって、能力者を保護するためじゃなくて『九十九』に対抗するための戦力集めだったってことか?」
三桁に近い数の戦力が控えている上に実力まで兼ね備えている。いかに凪が強力だとしても、人数こそ少ないが同等の実力者は何人も控えているのだ。
凪だけで『九十九』を潰すことはできない。
同じように『九十九』を潰そうとしていた東雲さんも、各地を奔走して実力者を集めていた。
こっちは一転突で博打に近い戦力での乗り込みになってしまったが、凪は『九十九』を根絶やしにしようとしている。家系の在り方を壊すだけなら頂点を倒すだけの戦力でよいが、根絶やしとなればそうもいかない。
質と量を最大限に。
そのための『組織』。
「……半分はそうだ」
「残りの半分は?」
「方針通りであります。能力者の置かれた境遇はどれもひどいものだ。我輩も人生が狂うような体験をした。ゆえに救いたいと思った――これで満足でありますか?」
かはっ――と。
堪えきれずに短く笑ってしまう。
きっといま、俺は冷たく微笑んでいる。
「嘘つくなら俺みたいに上手くならないとな」
鈍感の鎧で装甲を固めていたころの俺は嘘の塊だった。だからわかる。凪は嘘をついていない。
わざと最後のセリフを付け加えて後半の本音を建前であるように思わせたかったみたいだが、嘘つきで偽善者の俺を出し抜くには、まだまだ自分の心と感情を騙しきれていない。
「だいだいわかったよ。凪ちゃんの性格について教えてもらうだけだったのに悪かったな、余計なことまで話させちまって」
「我輩が自分で言い出したことであります。お前が気にする必要はない」
話は終わりだと言って、凪は話を締め括った。
――復讐に生きる凪の生涯を語り終えた。
「凪ちゃん、復讐をやめろなんて野暮なことは言わない。でも辛いぞ?」
「ああ。復讐を終えれば我輩にはなにも残らない。しばらくは脱け殻としてさ迷うことになるでありましょう――それでもやると決めたのだ」
「……それじゃあ仕方ないな。頑張れ、なんて言えないけど、俺としては達成できないことを祈ってるよ」
「どこまでも甘く優しい、そして残酷な男でありますな」
言われなくても自覚してる。
俺は遠回しに一生憎しみを背負って生きろと言ったのだ。
凪は復讐を完了すればおそらく、人間としての機能を失う。『アリス』によって生まれた瞬間からいまこのときまで忘れることなく記憶している凪は、復讐なしでは生きられない。
しかし復讐を終えない限りは憎しみから解放されない。どす黒い感情を抱えたまま生きていくことになる。
俺に言わせれば選ぶまでもない二者択一だ。
復讐して死ぬか、憎んだまま生きるか。
「生きてなんぼの人生だろ?」
「であれば我輩は、ただの死にたがりでありましょうな」
「志乃と……おっと、なんでもねぇよ」
うっかり志乃みたいだなんて言おうものなら、また怒りの導火線を点火させかねないからな。
「……あの……」
凪らしからぬ消え入りそうな声が鼓膜を震わせた。
「先ほどお前は、その……我輩が妹、みたいと言ったでありますよな?」
「言ったよ。もしかして嫌だったか? それなら悪かったな」
「そ、そうではない!」
首を激しく左右に振って否定する。一本に結われた髪が鞭のように鋭く迫り、椅子から転がり落ちそうになりながらギリギリで避ける。ちりっと鼻っ面をかすめ、痒みとも痛みとも言えない中途半端な感触が走った。
おい凪ちゃん、あんまり激しくやると首を痛めるぞ。
そして避けても避けても迫る鞭をどうにかしてくれ。下がっても下がっても近づいてくるんですけど。
「お、お前は……その……我輩が、妹になるとしたら、どうするでありますか?」
とんでもない爆弾を爆発直前に投げつけられた気分だった。
「も、もしもでありますぞ!? 我輩はまだ決めたわけではないでありますし……!!」
「……ちょっと待ってくれ。マジでなに言ってるんだ?」
頭蓋を開いて脳味噌を取り出され、痛覚だけはそのままに端から磨り潰されているような頭痛が俺を苛む。
「そ、そこまで苦痛なのでありますか……?」
「理解しようとしてキャパシティを越えただけだ。処理落ちしたんだよ。つーかそれにどんな意図があって話したんだ?」
「……わからないでありますか?」
「……鈍感は卒業したんだよ」
わかっていなかったら物凄い頭痛に見舞われたりしない。異世界で鍛えられたのは肉体だけではないのだ。
「で――どういうこと?」
「ゆかりに言われたのであります。家族に、ならないかと」
頭痛も少しずつ収まり、ようやく凪の言葉を理解しよう思考が回転し始めた。
「我輩は『九十九』から離縁し、両親も殺された。いまは『組織』の権力で情報を操作しているが、実際は孤児となんら変わらない。うっかりゆかりに話してしまったのであります」
「それで母さんがうちに引き取るなんて言ったのか? 考えらんねぇな」
凪を娘みたいに思っているといっても、母さんが自ら面倒を背負い込むようなことをするなんて信じられなかった。
「最初はなんの反応も示さなかったでありますが、いつからか事あるごとに言うようになっていたであります」
「家族になれって? 母さんはなに考えてんだ……」
今年の夏休みは志乃騒動もあって、さすがの母さんも仕事に支障を来すと判断したため療養していた。もともと義手義足の人が不調なんて言うくらいなのだから、とんでもなく不調なのだろう。
そんなわけで母さんとはずっと一緒だったのだが、一切そんな話は聞いていない。
母さんは秘密主義者というより、あとで言えばいいかくらいの軽さで物事を捉えているのだ。このことだって後回しにするつもりだったに違いない。
「マジでなんなんだよー……」
別荘に来てから急展開続きで、当事者である俺でさえ置き去りにされた気分だ。
記憶改変による体調不良。
翔無先輩の魔王化。
そして凪の家族入り――どうやって呑み込めってんだ。
どれも別視点からの問題であるため、順々に解決していかなければならない。しかもこぞって面倒だ。まともに対応してたらどれだけ時間があっても足りない。
凪のは頭を悩ませるだけでほとんど母さんに任せておけばいいけれど、前半の二つは俺と真宵でなんとかしなければならないのだ。無視したいのは山々だが、そうすると取り返しのつかないことになりかねない。
「迷惑、でありましょう。話も通じていなかったようでありますし、そもそも我輩を抱え込むというのは超能力の最深部で常に危険に晒されるということだ。おまけに我輩は個人的に敵が多い」
「だろうな。それはなんとなくわかってた」
「……一緒にいれば、普通の生活は送れまい。『組織』の管理もあるでありますし」
――そうやって不利益を言葉にして改めて提示するのは、俺の同情を買うためか?
声には出さず問いかける。
凪にその気がないのはわかる。純粋にマイナス点を挙げていっただけのことだ。百害あって一利なし――とまではいかずとも、莫大な負債を懐に招き入れようとしているのは確実だ。いままでのような生活を送ることはまず無理だろう。
所在を確定してしまうということは、それだけ敵側に襲撃するチャンスを与えることになるからだ。
こちらはいつか敵襲があるかもしれないという疑心のせいで気を抜けなくなり、いつでも仕掛けられる側としては疲弊した隙を狙って攻撃すればいい。
凪を引き入れた俺たちも当然、攻撃対象に含まれる。彼女が心配しているのは俺や母さんではなく、つみれなのだ。
つみれは強い――が、その一言で済んでしまう。特筆するほど秀でているステータスを持っていない。バランスが取れていると言えば聞こえはいいが、逆に捉えればそう言うしかないのだ。
だけどまあ――いらねぇ心配してんじゃねぇよ。
「あんまり嘗めんじゃねぇよ。こっちは異世界で『勇者』やってきたんだぜ? 母さんだって人類最強の剣士だし、つみれはそんな俺たちの家族だ。お前に心配されるようなことはなんもねぇっての」
「し、しかし……!」
「うるせぇよ。変な気ィ遣ってんじゃねぇ。家族になるんだろ?」
凪の瞳が動揺に波打った。
「……よいのでありますか?」
「悪いなんて一言も言ってねぇだろ。だけど覚悟しておけよ?」
「覚悟? なんのでありますか?」
決まってんだろ、と凄惨な笑みを顔面に張り付けて凪を見下ろす。
「真宵より先に俺の家族になるんだ。ただじゃ済まねぇだろうぜ?」
「……いまからでも断って構わないでありましょうか。あの娘の名を出されてただでは済まないとなると、命の保証はないのではないか?」
「俺に聞いたら余計にガタガタ震えるはめになるぞ」
「それだけで我輩の運命は決まったも同然でありましょうに」
本当にガタガタ震え始めた凪に、またも笑いを堪えられなくなる。
真宵ってどんな尾ひれが付いて伝わってるんだろうな。それがあながち冗談にならないから恐ろしいんだ。
ふと腕時計に視線を落とすと、短針はもうすぐで上向きに真っ直ぐになるところだった。荒いもののついでにしてはずいぶんと話し込んでいたらしい。
アルコールもだいぶ抜け、思考もすっきりしている。後片付けも済んだことだし、そろそろ部屋に戻って爆睡しようかな。
◇◆◇