8―(16)『失意』
二日目の夕食は合宿にでも来たような騒がしさに包まれていた。
席は未成年と成人に分かれ、志乃戦後に行われた宴会の倍以上のアルコールが宙を舞っている。
東雲さんや八雲さんは当然として、普段から真面目で堅物な司先生や揺火やガンマも破顔して酒を酌み交わしている。もっと驚きなのが無愛想でコミュニケーションの苦手な母さんまでもが楽しそうにしていることだ。
悪いことではないが、通常時の母さんを知る身としては目を疑う光景である。
現に未成年側に座している来夏先輩や翔無先輩といった『組織』勢は箸につまんだ料理を取り零すほどだ。よほど信じがたい光景であることは、魔獣の大群を退けた彼女らの反応で明らかだった。
席を離しているにも関わらず大人の飲物が降り注いでくるので、我慢の限界に達した面々が火鷹の能力の使用を強制。断る理由もなく、大人陣を閉じ込めることにした次第だった。
こうなったのは救世主――もとい、双弥が到着したからだ。
凪の機嫌はうなぎ登り。仏頂面など欠片もなく、別人だろと指摘してやりたい豹変ぶりを発揮していた。
双弥のせいでこうなってしまったわけだから、境界線内への荷物の運搬係に任命させてもらった。疲れてるだのどうだの意見は受け付けない。文句を垂れ流す皆に押しきられ、現在も忙しなく酒をテレポートさせ続けている。
大人のテンションについていけず、俺たちは呆れるしかない。
こっちの何人かも雰囲気だけで酔ってしまい、執拗に絡んでいく迷惑なやつがいるが、それらは他人に押し付けることで平穏を維持している。
もっとも、俺の雰囲気を鋭敏に感じ取ったらしく、途中からは適度に食べ物や飲み物を回してくるだけになった。邪険にされているわけではないらしい。
空腹を最低限満たす分だけ喉に落とし、切り替わってノアとなったレンにほかの分を回している。ノアは年相応の子供だから、体よく押し付けられていることにも気づかず喜んでいた。
ノアの頭を撫で、真宵に声をかけようとして――やめた。
いまはお互いにどう接すればいいかわからないのだ。
隣にどっかりと腰を据えた来夏先輩が、肘で脇腹をつついてくる。
「お前ら、いったい全体どうしたの? さっきから様子が変なんですけど?」
「…………え? 特になにもありませんよ」
「なんなの? それって心配しろって、相談に乗ってくれって言いたいの?」
「そんなこと言ってませんけど。別に気にしなくていいですよ。喧嘩とかしたってわけじゃありませんし」
むしろそれくらいなら距離を開けることもない。俺はというだけかもしれないが。
隣を完全に陣取った来夏先輩は、双弥が運搬していたつまみを手元に引き寄せ、大きく開いた口に含む。スルメイカだった。
「それならいいんだけど。やっと雪音たちと決着つけられたみたいだし、おねーさんとしては嬉しいばかりだよ」
「半ば無理やり持っていこうとしてましたけどね」
「かしぎ君がノロマだっただけですよーっと。あ、食べる?」
遠慮しますと断りを入れ、ジュースで喉を潤す。
「まあアレだね。昨日と今日とおかしなことが起きすぎてるんじゃない? 雪音の肌の焼けようとか日焼けで済ませらんないでしょーに。かしぎくんはなんか知ってたりしないの?」
「知ってますよ。いまさら隠すことでもありませんし、なんなら話ましょうか? 掻い摘んででも面倒な内容になりますけど」
「ならいい。いらん」
豪快にフライドチキンにかぶりつき、油が口角から顎にかけて伝っていく。ペロリと舐めとり、周りの目などないものとばかりに無我夢中で頬張る。
俺の知り合いの女の子って、なんでこんなワイルドなのしかいないんだ。まともな感性なのってぶっちゃけると揺火とつみれくらいしかいない。
超越者だとか『八天』だとか、生身で核爆弾並の戦闘力持ちとか魔王とか。
このなかだと比較的まともだけど、それにしたって禁忌の一族である。
……急に妹が恋しくなってきた。
「え、なに? ちょ、どうしたのさ兄ちゃん!? なんで撫でんの!?」
「お前はこのまま普通でいてくれ」
「いきなりどうしたの?」
つみれが困惑していた。いきなり兄に撫でられてわけのわからないことを言われたのなら、これが当然の反応だろう。
一人寂しく豪華な夕食にありつく妹。人外魔境についていけなかったのだろう。つみれはまだ中学生だし、なによりも異能に関わったのはつい数日前のことである。
波導やら超能力やらと日常的に非日常を過ごしている彼らのノリに、異能に対抗できる武術を極めていたとしても元が常識人プラス一般人、そして気配りスキルまでカンストしているつみれでもついていけないのだ。
でもつみれはこれでいい。飲み食いしてるだけなのに能力を二つも使ってる奴らについていかれても困る。
身体能力だけなら問題ないとは思うけど。
「あたし、ちょっと後悔してるよ。海ってはしゃいでたけど、みんな本気で遊びすぎでさ。必死にならないと一緒にいられないって……これ、全然休めないよ」
「……つみれ。ごめん」
「……いいよ。ついてきたあたしが悪いんだよ」
哀愁漂う妹にいたたまれない気持ちになる。俺だってもっとまともだと思ってたよ。でも超能力が生活の一部どころかそのものになってる『九十九』に使うなって言うのは、呼吸するなと同じことである。
大丈夫。地元に帰れば異能が恋しくなるほど平和だろうから。それまでの辛抱だ。
「兄ちゃんってスゴいね」
「なんだよ。いきなりどうしたんだ?」
酔った勢いで東雲さんの胸を揉みにダイブした九重が、揺火の回し蹴りを顔面に喰らって錐揉み回転しながら不可視の壁に突撃する。
恍惚な笑みを作って何事もなく立ち上げる様からは痛みをまるで感じさせない。快感すら覚えているようかのようだった。頬の筋肉がぴくぴくと痙攣し、引き攣らせているのが見なくてもわかった。
「だって兄ちゃんはあのおっぱいお化けにやらたんだろ? それなのにまた戦って、それで和解したからって一緒にご飯なんて食べられないよ」
「そうか?」
「だって怖いじゃん。大丈夫だってわかってても、なにかの拍子にやられちゃうんじゃないかって思っちゃうよ」
数時間前の光景が脳裏にフラッシュバックしてくる。
真宵の話を聞き、殺意の灯火を宿らせた志乃。俺たちが止めに入らなかったら、この場にいる全員を巻き込んで戦禍を引き起こすことになっていただろう。
つみれの言うなにかの拍子。まさにそのときがそうだった。
志乃とは和解しても、信用してるわけでも信頼してるわけでもない。言い方を変えればこちらに牙を突き立てない限りはそっとしておくが、万が一にでも敵対するようなことがあれば即座に切り捨ててしまえるような関係だ。
一度でも敵対したのだ。矛を納めて打ち解けたように見えてもその実、腹の底では報復しようと打算を立てているかもしれない――という疑念は捨てきれない。
こうして気を緩めているいまにでも襲いかかり、首を刈りとらんと窺っていないとも言い切れない。さっきのこともあるから尚更だ。
つみれは深く考えて言ったわけではないだろう。感覚的にぼやいただけかもしれない。だが、言いたいことはこういうことのはずだ。
初めから結託していた者同士ならともかく、敵だった人間と同じ空間で隙を晒すこと。勝者であれば許されない行為一つと言ってもい。
殺し合いにルールはない。だからなにをどのようにしても、敵を殺してしまえばいいだけなのだ。
だからこんなふうに実力が拮抗、あるいは上回られている敵だった人間といることは、つみれにとっては耐え難い苦痛になるのだろう。
「心配ねぇよ。俺には――真宵がいる。俺とあいつ二人なら、なんとでもなるさ」
「そっかぁ。……いひひっ、そうだね! 兄ちゃんと真宵はもう二人で一人みたいなもんだしね」
――そう、だよな。
「なんかうじうじ考えてんのも馬鹿らしくなってきた」
『夢のような現実』での俺と真宵の結末がどんなものであったとしても、ここにいる俺たちが同じ結末に辿り着くというわけではない。
いる世界が違えば『冬道かしぎ』の想いも違ってくるのだ。
そこで対立を選んだ想いは俺に知る由はない。
対立し、彼を殺した『藍霧真宵』の感情を覗く術はない。
たしかにショックではある。裏切られたような気がして、どうしようもないほど失意のどん底に突き落とされた。正直なところ、立ち直れないのではないかと思い始めていたほどだ。
でも。
それは俺じゃない。
俺はなにがあっても真宵を信じ抜く。
そう決めてるんだ。
「お? なんだよかしぎくん、もう元気になったんですかー? さては妹ちゃんに慰めてもらったんですかー?」
首に腕を回してにいやらしい笑みを俺とつみれに向けてくる。
「お前たちが距離置くもんだからマジで核爆弾の嵐でも降ってくるのかと思ってたけど、これなら大丈夫ですかねー。妹ちゃん、グッジョブ」
「あたしはなにもしてないですよ。兄ちゃんが勝手に立ち直っただけっすよ」
「はははっ! そっかそっか。みんなでローテして最後に真宵ちゃんに回そうって話してたんだけど、そこまでする必要なかったかなー」
「なんですかその行動力」
周りを窺えば柊や火鷹や翔無先輩。果てには御神や大人陣に混ざらなかった姫路まで揃って俺を見ていた。
俺ってそこまで心配されてたのか。自分が思ってる以上に沈んでたってことか。
「いやぁ、よかったぜ。さすがにあの冬道には話しかけらんなくてさ。来夏先輩とつみれの勇気には恐れいったぜ」
体の動きに合わせて揺れているだけのはずの白のポニーテールが、楽しそうにピコピコと動いているように見えるのは、柊の表情と仕草がわかりやすく嬉しいと伝えてくれるためだろう。
箸を咥え、口角を高くする柊。その膝の上には、なぜか真宵が座っていた。
小さく縮こまっている真宵は、俺と柊を交互に戸惑いの視線を移動させている。
それがまたおかしくて声をあげて笑ってしまう。
「お、いいテンションになってきたんじゃない? ふたみーん、こっちにも軽いやつ回してくんない?」
「ちっ……ふたみんって言うんじゃねぇよ。ほらよ」
「サンキュー」
来夏先輩は頭上に出現した酒瓶を念動力で浮かせ、手元でキャッチする。
「こら来夏。高校生に酒など飲ませるな」
くぐもって聞こえた司先生の声に来夏先輩はすかさず言い返す。
「司センセー、顔真っ赤にしながらだと説得力ぜーんぜんないですよー?」
「ん。一応教師として言っただけだ。どうせバレはしないだろうが、程度には気を付けるんだぞ」
「了解りょうかーい。センセも気を付けてねー。……と・い・う・こ・と・で」
司先生許可をもらった来夏先輩は、まさに水を得た魚という言葉がぴったりなほど振り切ったテンションで振り返る。
ああ、そういえば来夏先輩、若干酔ってたんだっけ。
酒瓶の栓を念動力で吹き飛ばし、内側に押し止められていた液体が解放される。
そして俺は見た。
翔無先輩はテレポートでベランダに避難し、火鷹は自分の周囲に境界線を敷き、姫路がドアをぶち破って逃げていったところを。
真宵の逃げ出そうとしていたが、柊の先天的に保有しいた空気読みのせいで羽交い締めにされていた。飛んできたアルコールの軌道上で移動もできず、珍しく慌てて暴れていた。
逃げるなら翔無先輩が逃げたところに合わせるべきだったのだ。もう手遅れだ。
「宴会はこっからが本番! お前ら、気合い入れろ!」
来夏先輩、これ宴会じゃないです。慰労会です。
俺の言葉は虚しく消え去り、双弥の追加の酒がテーブルを占拠した。
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