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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第八章〈夏休みの終わり〉編
114/132

8―(15)『会談』

 

 真宵は部屋に飛び込んだ俺に気づくと、脇目も振らず抱きついてきた。波動が放出されていたこともあり、かなりの速度が弾き出されている。踏ん張りきれず、背中から廊下に倒れこむことになった。

 寸でのところで風系統を展開。倒れた衝撃を削りきることができた。

 ひとまず安堵のため息を溢し、胸に顔を埋めて抱きつく真宵に視線を落とす。

 真宵の体は冷水に浸かったかのように小刻みに震えていて、なにかを確かめるようにぎゅっと抱きついている。ほんのわずかだが嗚咽を洩らしていた。

 復元していた地杖は無造作に放り捨てられている。部屋の惨状はあえて言うまでもない。別荘の外にまで光が溢れるほどだったのだ。壁や天井は焼け焦げ、家具一式は灰となり使い物にならなくなっていた。


「大丈夫か?」


 離れようとしない真宵の頭を撫でながら問いかける。

 いくら以前の殲滅兵器のような真宵でなくなったとはいえ、怖い夢を見た程度のことでこんなことになるわけがない。逆にどんなことが起きればこうなるのか検討もつかないから困惑している。

 いまの真宵は全体的なスペックはワンランクほど下がっているかもしれないが、だとしても俺や志乃と渡り合えるほどだ。しかも弱点らしい弱点もなく、もしかしたら夏休み以前よりも強くなっているのではないだろうか。

 その真宵がここまで怯えている。急激に危機感が込上がってきた。

 けれど危険を知らせるアラートは静けさを保っている。

 ――まさか、俺が関知できないほど格上だっていうのか……っ!?

 可能な限り真宵を守る体勢を整え、波動を全身に巡らせる。


「かしぎさん……」

「どうした」


 掠れた声。よほどのことがあったとしか思えない。

 右手を属性石に伸ばす。


「失礼します」

「は? おわっ!?」


 頭を持ち上げた真宵は、体調の悪そうな顔色のまま上半身の服を捲ってきた。

 激しい戦いを何度も経験してはいるが基本的に鍛えているわけではない。申し訳程度についた筋肉を見られるのは、なんだかこっそり鍛えてるんだぜとでも言いたげで恥ずかった。

 異世界では昼夜問わずぶっ通しで何日も戦い続けたこともあったし、師匠の元で炎剣技の習得時に剣術の基本から叩き込まれた。おかげで鍛えるまでもなく細マッチョになっていた。あれはむしろ誇るべきだ。自慢するべきだ。

 下らない考えを捨て去り、真宵になにをしているのか問いただそうとする――問いただそうとして、硬直した。

 真宵がこれまでにないほど感情を表に出して、泣く寸前になっていたのだ。


「よかった……本当に……」


 真宵は俺の胸に手を添え、言葉にならない言葉を吐き出した。堰を切ったように涙がこぼれ落ち、濡らしていく。

 とりあえず真宵の髪を撫でると、無言のまま体を寄せてきた。どうやら抱き締めろということらしい。ご要望に答えて腕を背中に回して小さな体を包み込む。

 複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。


「かしぎ、真宵! どないした、ん……や……?」

「どうした東雲!? なんで固まっちゃってくれやがって……あー、そういうこと?」

「そういうことってどういうことだよ来夏ちゃげばぁ!?」

「どさくさに紛れて抱きつこうとしてんじゃねーよ」

「来夏よ、少しは九重にも潤いを与えてやってもよいのではないか? 揉んでも減ってわかるような乳でもあるまい」

「おまえのデカ乳と学生のを比べるな」

「だったらゆかり君のと比べてもいいってことかい?」

「殺すぞ」

「ちょっとちょっとー! アミが見えないじゃん!」

「エミも見えない……」

「ちょ、あんたら押すなや!!」


 狭い廊下に別荘にいる全員が集まればぎゅうぎゅう詰めになるのは当然だった。我先にと前進する性格ばかりいるせいで、とんでもなく騒がしくなっている。

 しかも東雲さんと来夏先輩のほかはみんなが来たから来てみたくらいの感覚でしかないらしく、俺たちのことなど眼中に入っていないようだった。

 遅れて竜一氏やレンたちがやってくる。

 自分たちの専門であるからか、抱き合う俺たちを見てもふざけた表情はない。むしろ心配そうな目線を送ってくる。二人とも真宵のステータスの異常さを目の当たりにしているから、暴走したことに危惧を抱いているのだろう。

 首を左右に振って、心配ないことを伝える。

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ人垣の後ろで、二人がほっと胸を撫で下ろしていた。

 俺も皆の元気に苦笑を隠せないまま、どうしたものかと思っていると、赤い鬣が揺れているのを捉えた。


『貴様ら!! 少し黙っていろ!!』


 竜と獅子の咆哮が、最高峰の超能力集団を直撃した。

 ヒートアップしていくばかりだった連中が一斉に黙る。事前に打合せしたのかと訊きたくなる連携を発揮して両端に寄り、廊下の真ん中を開けた。

 それくらいできるなら『組織』と『九十九』で睨み合わなくてもいいようなものだが、睨みあっているのが各々の頂点だから、どうしようもないのかもしれない。


「先ほどの爆発は何事でありますか」

「いや、それはだな……」


 俺もまだよくわかってないひとまず言えるのは一部屋スクラップにしたと言うことだ。これって修理代いくらになるんだと思うと冷や汗が止まらない。

 とうの凪は部屋をちらりと一瞥しただけで、特になにか言うわけでなく回答を求めてくる。どう答えたものかと頭を悩ませる。


「まあいい。貴様らの事情は貴様らで解決するであります。我輩はそちらの力については理解が及んでいないでありますからな」

「わかった。それと部屋のことなんだけど……」

「気にせずともよい。どうせ普段は使わないし、これから使う予定もない。だだっ広いだけの箱の一部がどうなったところで構わないであります」


 さすがブルジョワ。こんな豪華な別荘をだだっ広いだけの箱と言いますか。


「ほかにも部屋は有り余っているでありますが、貴様らは同室でいいだろう?」

「まあ、別にいいけど」


 といっても俺の部屋も大変なことになってるわけだが。

 その張本人である翔無先輩に批難の視線を突き付けるが、愛想笑いを顔面に張り付けてゆっくりと顔を背けられた。


「もうすぐ夕餉にするでありますから、それまでは自由にしているといい」


 俺たちの間に妙な緊張感が駆け抜けた。ごくりと唾を飲み込む音が耳に直接響いてくる。志乃はのほほんとしている。ふざけんな。

 颯爽と立っていく小さな竜の赤髪を見送り、背中が見えなくなったところで両端から中央に集まってきた。そこにはこれから決死の戦いに赴くかのような言い知れない空気が渦巻いている。そして志乃はのほほんとしている。


「おいおいおい、どうすんだよ。ふたみん来てねーし、また昨日みたいに重っ苦しい飯になんじゃね? ぜってーなるってマジで」

「せやなぁ。あんたらがいる間はずっとあのままやと思うで?」

「あんたらっつーけど、そこには東雲も含まれてるってことを忘れないよーに」

「いっそのこと『九十九』は別にしてしまえばいいのではないのか?」

「ちょいちょい黒豆、そりゃねーだろ」

「誰が黒豆だ!!」


 どうやって夕食を楽しく過ごせるか会議を始めた連中はさておく。

 双弥が間に合わないのならどう足掻いても気まずい飯になるわけだし、あとは上手くやってくれたことを祈るしかない。

 それよりも真宵だ。波導使いの二人は元より、志乃や母さんや八雲さんも異変に勘づいている。落ち着ける場所に移動してなにがあったか聞いてみるべきだろう。

 真宵には申し訳ないが、今回の限っては竜一氏とレンにも加わってもらうべきだ。

 レンは最初からそのつもりだったらしく、さっさと来いと訴えてきている。

 首と膝の裏に手を回して抱き上げる。いやに盛り上がる大喝采を素通りし、そそくさと俺の部屋に戻る。


「うわ、あんた部屋の整理くらいしなさいよ」


 部屋に入るや否やレンは眉をしかめ、そんなことを口にする。

 案の定と言うべきか予想通りと言うべきか。ホテルのように帰ってきたら掃除されてるなんてことはなく、起床後からそのまま散らかった床を踏み、真宵をベッドに寝かせる。頑なに離れようとしなかった真宵も俺の部屋について安心したからか、あっさりと横たわってくれた。

 レンは唯一直した椅子に直行し、竜一氏は背凭れに体重を預ける。

 白衣の胸ポケットから煙草を取り出したので、奪ってゴミ箱に投げ入れる。般若面のような形相で見下ろしてくるも、レンの冷たい視線に気づいて早々に切り上げた。

 竜一氏は煙草の代わりに飴玉を取りだして口に放り込む。


「そんで『夜天』の嬢ちゃんになにがあったんだ? ありゃあただ事じゃねぇぞ」

「そうね。実際にいろいろ見せてもらったけど、この娘、異常すぎる。レンたちだってぶっ飛んで異常だってのに、それよりさらに異常ってどうなってるわけ? そのわりにあんたは普通だし」

「俺で普通ですか……」


 やはり異世界のトップクラスに言わせれば、『勇者』の称号そのものである天剣を扱えるというだけで許容範囲に収まりきるほどらしい。

 師匠にも『八天』に選ばれているものの、特に秀でているわけじゃないと言われたことがある。剣術は異世界最強の師匠と同等であるらしいが、経験の差がありすぎてまともに打ち込めるようになったのは『魔王』との決戦間際のことだった。

 こっちの世界では平凡な学生だったのだから、この高みに辿り着けただけでもとんでもない偉業を成し遂げたことだろう。


「あんたはともかく、そっちは初期化からそこまで戻ってないんでしょ?」

「そうだな。俺は何回も戦って無理やり底上げしたけど、真宵は今回を含めても数えるくらいしかないかな」

「それであんなのとまともにやりあえるんだから、全開になったらレンたちが束になっても勝てなさそうね……」


 レンから弱気な言葉が聞けるとは思わなかった。彼女は初期化どころか退化までしていたから長時間は戦えないが、それでも魔王と渡り合うほどである。おまけに強気な性格も相俟って勝てないと言うことはめったにないだろうが、こうもすんなり言わせるとはさすが真宵だった。


「そんな嬢ちゃんがこんな状態になってんだ。考えたくはねぇが、くそ面倒なことになってんじゃねぇか?」

「でも特に変わった気配は感じないけどねぇ」

「俺たちにも気づかせないほど格上ってこともあるかもしれないだろ」

「そんな化物こっちの世界にいるわけないでしょ。シノより強いっていうならわからなくもないけど、レンたちの世界にだってそういないわよ? ぱっと思いつくのだってシルヴィかソフィアくらいだし」

「わかってるって。言ってみただけだよ」


  こっちの世界には超能力があり、その頂点にいるのが志乃だ。数十にも及ぶ能力を保有しながらもそれらは付属品でしかなく、本領は手刀による肉弾戦だ。不老不死に加えて超回復力まで持つ彼女より強い奴なんているわけがない。

 正直、師匠でも勝ちに漕ぎ着くのは難しいだろう。

 しかしだ。

 俺と真宵はそんな志乃に引き分けた実績がある。こっちの世界に志乃よりも危険な存在がない以上、真宵を怯えさせる要因があるとは到底思えなかった。


「真宵、話せるか?」


 予測だけで議論を交わしていても無駄だ。答えを知る者がいるのだから、議論するのは話を聞いてからの方がいい。

 力なく頷いた真宵は辛そうにしながら起き上がり、ぽつりぽつりと紡ぎ始めた。


「まず言っておきますが、私は至って真面目です。ほかに表現できる言葉が思い浮かびませんので、こう言わせてもらいます」

「そんなのいいからさっさと話なさい」

「褐色ドチビは黙っててください。ドチビに偉そうにされるのは不愉快です」

「あんたねぇ……喧嘩売ってんの?」


 額に青筋を浮き彫りにし、いまにも襲いかからんと犬歯を剥き出しにしたレンを後ろから羽交い締めにする。


「ほんの短い時間ではありましたが、私は夢のような現実・・・・・・・にいました」

「現実みてぇな夢じゃなくてか?」

「はい。あれは紛れもなく現実で、私はそこにいる『私』として存在していました」

「つまりあれか? 人格としちゃあここにいるおめぇだが、夢のような現実では、夢のような現実のおめぇの肉体だった――てぇところか?」

「理解が早くて助かります」


 竜一氏はやる気ゼロな外見に騙されてしまうが、思考速度と頭の回転がとんでもなく早い。呑み込んだ情報を元にあらゆる仮説を作り上げ、一点に偏らない柔軟な思考能力で様々な観点からいくつもの解答を見出だしていく。

 人間は糸口を見つけてしまうと、どうしても視野が狭まってしまう。

 そういう点では竜一氏の頭脳をつい羨んでしまう。

 無人島では世界の行き来の時間のずれを図解まで加えて説明してくれた。正解かどうかはさておいても、納得してしまうだけの説得力があった。


「ですが意識と感覚があるというだけで、私には自由がありませんでしたが。言いたくもないことを勝手に口走ってましたし」

「つうこたぁ、その『夢のような現実』ってのはおれたちの知らねぇところで終わってるってことじゃねぇのか? たとえば別の世界、あるいは平行世界ってのでよ」

「……そうだとしたら、私はその『私』を許しません。――殺してやる」


 殺される――と、錯覚した。

 気負いなくさらりと出た言葉は、脳裏にデッドエンドを構築させた。竜一氏は腰を浮かべて手首にある属性石を復元させようとし、レンなど部屋の隅まで距離を置いてトンファーブレードを構えている。

 それだけ真宵の一言は『八天』級の三人が共闘しても・・・・・生き残れない・・・・・・と思わせるほどだった。

 夏の日差しなど関係なく汗が全身を濡らす。

 真宵からわずかだが離れていた二人は反応していたが、ほぼゼロ距離にいた俺はまったく動けなかった。安心しきっていたのも理由のひとつだが、純粋に圧倒されていたのである。

 そんななか、真宵は首を傾げている。自分がこの状況を作り上げたことをわかっていないらしい。無意識でとかやめてくれ。


「……ァァァ……っ!!」


 俺と竜一氏は落ち着いたもののレンだけは唸りを上げ、いまにも飛びかからんとしている。瞳孔は縦一文字に切り裂かれ、明らかに正気を失っていた。


「……竜一氏、そういえば聞いてなかったけど、レンって何族なんだ?」

「おめぇの想像してる通りだってだけ言っといてやるよ」


 うわぁ、と思わず呟く。

 俺の見立てが正しいならレンは獣人族ビーストヒューマンだ。人間の容姿に獣耳や尻尾をつけたファンタジーならではの種族である。血の半分が本能の塊で構成されているようなものであるからか、第六感がかなり発達している。機動性や俊敏性に長けており、雷系統の波導を得意としている。

 レンが獣人族だと気づけなかったのは、特徴である耳と尻尾がなかったからだ。異世界からこっちに来た際、肉体があるべき形に再構成されたがためなくなってしまったのだろう。

 そして獣人族の特性なのだが、レンはそれを最大限に発揮していた。

 死の危険が迫ったとき、生物なら絶対にかけられているリミッターが強制的に解除されるのだ。一時的に通常の数倍の強さを得られる代わりに知性と理性を失う、まさに最終手段と呼ぶに相応しい特性だった。

『雷天』クラスに暴れられるとなると、一部屋どころか別荘が消し炭になるのは確実だ。下手すれば辺り一帯が吹き飛ぶ。


「竜一氏、合わせでいくぞ。いまの俺の氷だけじゃ心配だ」

「おれとでも止められっかわかんねぇからな。あんま気ィ抜くなよ」


 天剣と海銃のコンビで止められないのなら、レンは武人として最高の名誉を得ることになるだろう。

 俺たちとしてはそれで困るわけだが。

 よくよく考えると、この場には伝説の武器が勢揃いしている。異世界の伝説なのにこっちで揃ってどうするよ。

 横目で呼吸を合わせ、髪を逆立たせるレンが動く直前をタイミングに――、


「これレンよ。そのようにして暴れるでない」

「いったぁ!?」


 どこからともなく現れた志乃が、あろうことかレンの頭に拳骨を落とした。

 正気に戻ったレンはあまりの痛みに悶絶している。


「まったく……何度も巨大な力の揺らぎを感じるものだからなにかと思えば、そちらはなにをやってるのかのう?」


 切れ長い眼差しを順に差し向け、志乃は蠱惑的に笑む。


「おめぇには関係ねぇよ」

「なかなか興味深い話題だったものでな。立ち聞きさせてもらったぞ」

「ちっ……だったら訊くんじゃねぇよ」


 途端に不機嫌になった竜一氏は口内の飴玉をがりがりと噛み砕く。飲み込んでから口元が寂しくなったのか、もう一つ取りだして口にする。


「あ、あんた、いきなりなにすんのよぉ!!」


 バーストモードから復帰したレンが涙目になりながら、拳骨を喰らわせた志乃に噛みついた。武器もしまって雷こそ放っていなければ、どれだけ怒っていても可愛いものである。

 ごく平凡な注文でも『八天』となると難しい試練に早変わりするらしい。

 無意識のうちに撒き散らしている雷を氷の盾で防ぎ思う。


「そちが真宵の存在・・に呑まれて暴走していたから止めたまでよ」

「うぐっ……う、うるさいわね。……ありがと」

「ほほう。これが噂に聞く『つんでれ』なるものか?」

「誰がツンデレよ! デレてないじゃない!」

「ツッコミどころがズレてるのではないですか?」


 真宵の指摘に数秒間だけ停止する。自分のなかでその通りだと結論付いたようだが、認めるのが癪だったらしくわざとらしい咳払いでなかったことにしていた。


「そ、それで? 結局『夢のような現実』でなにがあったわけ?」

「…………」


 話の軌道が修正されると、今度は真宵が黙りこんでしまった。

 ただしレンの気まずさを誤魔化そうとしているものではなく、その事実をあったものとしてはならないという否定的な印象がある。言ってしまえばそれが肯定されてしまうかのような恐怖が渦巻いている。

 ぽたりと血が滴り落ちる。

 見れば唇を強く噛み締め、血が流れ落ちるのも気にも留めていないようだった。

 ただならない雰囲気を感じ取り、自然と気が引き締まっていた。

 静寂が漂う。

 真宵は、震える声で語り出す。


「そこでは、世界が終わっていました」


 しん、と。

 真宵の言葉は響いた。


「志乃さんはもちろんのこと、すべての能力者が死に絶え、ゆかりさんも柊さんも死んでいました」


 冗談を言っている――わけではなかった。表情を見ればわかる。

 それは『勇者』が『魔王』を倒せなかった未来のようなものだろう。救いを奪われ、唯一の希望を奪われた末になにもかもを奪われる。

 残るのは終末を迎えた世界。

 すべてが終わってしまった世界。


「待て。妾が死んでいただと?」

「……ええ。それがどうかしましたか?」


 志乃は問題大有りだと真宵に歩み寄っていく。


「あり得ぬ。妾を死さすことができるのはかしぎとゆかりのみ。そのゆかりもいまやガラクタ同然、恐れるべき不死殺しの刀も失われておる。まさか、かしぎが妾を殺したとでも?」

「どうでしょうね。私が知っていたのではなく、あちらでの知識として流れ込んできただけですから。そもそも――あなたは世界が終わる前に死んでいたと思われます」

「……なに?」


 淡々と告げられる言葉の羅列に志乃が訝しげに表情を歪めた。

 世界が終わったのは、そうさせるだけの戦いがあったということだ。その末に能力者が全滅した。

 ならば不死殺しの『ナニカ』がいても不思議ではない。志乃がすんなりやられるとは思えないが、真宵が言うならそうなのだろう。

 けれど世界が終わる以前に殺されたということなら話は変わってくる。

 現存する勢力で志乃を殺せるのは俺と母さんだけ。だが志乃が言ったように不死殺しの刀は消滅しているし、なによりも対峙してまともに戦えるコンディションではないのだ。必然的に俺がやったのだと結び付く。

 ――なぜ?

 答えは案外あっさりと導き出せた。


「その世界って、竜一氏の言ったように別の世界なんじゃないのか? そこでも俺と志乃は戦って――それで殺したってことなんだろ」


 これなら多少なりと納得できる。平行世界論を使えば、どんなことにもある程度は理由付けはできてしまうけれど、『夢のような現実』を踏まえればこれが可能性としては濃厚ではないだろうか。


「ふむ……たしかにそちの炎剣技であれば、妾を死さすことも可能だのう。して誰がゆかりらを殺め、世界を滅亡させたのだ?」

「そうね。いまこうしてシノもみんなも生きてるわけだし、死んだのどうのはどうだっていいわけだし」


 レンの薄情な言い方にも慣れたものだ。というより『八天』に選定されるのは模範とされるべき人格を持ち合わせているが、総じて兼ね備えている思想は『屍に用はない』である。

 つまり仲間や友人であっても、死したのならただの肉塊スクラップ。残酷なまでの生への固執が切り替えの早さに直結しているのだ。

 俺も賛同だった。ずるずる引き摺って自分がやられてちゃ笑い話にもならない。

 真宵が話を再開する。


「世界を終わらせたのは誰かと言いましたが、聞かずとも誰がやったか検討はついているのではないですか?」

「……まあ、の」


 志乃でなくとも詰まらずを得ないだろう。

 本当はわかっているのだ。『夢のような現実』で誰が世界を滅亡させたのかなど、聞いていれば自ずとそこに辿り着いてしまう。

 認めたくなかっただけで、わかっていたのだ。


「――私が、すべてを終わらせたのです」

「……まあ、そうだろうな」


『夢のような現実』の全貌を把握しているのは真宵だけだ。ほかは聞いた内容に交わした推論と独自の推察を重ねて、こうなのだろう・・・・・・・と大まかな絵図を広げているだけである。

 世界が終わっていた。能力者が全滅していた。志乃や母さんが死んでいた。

 この情報はすべて真宵からもたらされた、確定するには根拠の足りないものばかりである。

 実際に体験した真宵と違い、どうしても情報に予測が加えられてしまう。そうしなければならない環境で生きなければならなかったゆえの癖だ。

 真宵のことは信頼している。一も二もなく信じている。それでも考えてしまう。考えずにはいられないのだ。

 俺たちは己の力をよく理解している。だからそういった状況に陥ったとき、自分なら・・・・どう覆してやろうか・・・・・・・・・と好転させようとしてしまうのだ。

 しかし真宵はそれを一切しなかった。

 結果を知り、どうやっても覆せないとわかっていたのだから。


「言っちゃ悪ィが、おめぇにそんな馬鹿げたことができるとは思えねぇな。八系統を扱えるってだけで規格外だけどよ、こんだけの戦力を敵に回して無事でいつつ、『夢のような現実』と同じことができんのか?」

「私こそ言ってしまって申し訳ないのですが――不可能ではありませんよ?」

『――――――――』


 今度こそ全員が絶句した。

 きょとんと首を傾げる真宵は自分がどれだけのことを言ったか理解していない。

 俺でさえ、恐怖を押し込めなかった。

 志乃も竜一氏もレンも、正真正銘の正体不明・・・・・・・・・に身を引いている。


「けれど一人ではありませんでした。シルヴィアさんが、私側についていました」

「シルヴィが……?」

「それに波導以外の力も使っていました。世界樹……らしき樹木を操っていました」

「あり得ないでしょ。あんたたちの時代のがどうなってるかは知らないけど、世界樹っていったら星の中心から生える樹で、レンたち――っていうか、あの波動を受け止められるだけの『器』がないし」


 あの樹は波動が少ない者では近づくことすらままならない。世界樹そのものが常時膨大な波動を放出しており、耐性がなければ即座に意識を刈り取られてしまう。

 世界樹に触れられるかどうかで一流かそうでないかの判断を下せる。

 天を穿つ世界樹の頂点を拝めればその時点で敵う者なしと言われる。

 歴代の魔王たちも、最初に世界樹を狙ったと言い伝えられているくらいだ。今回の『魔王』は特に決め打つことなく広範囲に仕掛けていた印象が強いが。


「……そちらの話はさっぱり理解できぬが、此奴ならやってしまうのではないか?」


 志乃の眼球にうっすらと波紋が走っている。


「ならばいっそのこと――ここで消してしまうか?」


 志乃の本気一言に俺はとっさに遮るように立ち、さらに正面にレンと竜一氏が焦りを滲ませながら割って入ってくる。


「あんた……!」

「おいおい、馬鹿げたこと言ってんじゃねぇよ」

「なぜだ? 後に脅威となるのであれば、なる前に消してしまうのが道理。いまの妾はこの世界が愛おしくてたまらない。それを壊すというのなら、妾は破壊者を壊すしかあるまい」


 波紋がくっきりと濃くなっていく。

 死へと誘う魔眼まで引き出されるとなると、もう冗談では済まされない。できることなら二度と相手にしたくなかった。生き残れるイメージが浮かばないのだ。

 敵意が乱れ、一触即発の空気が火花を散らす。

 志乃が一歩踏み出す――瞬間、不自然に上半身を後ろに反らした。


「話、まだ途中なのですが。私もあまり話したくないのですから、余計な茶々を入れるのでしたら退場してください」

「やってくれたなァ……」


 右肩から先がちぎられた志乃は、地杖をぶら下げる真宵を睨む。


「言ったでしょう? 不可能ではありませんと。ましてやあなた一人、少々手間がかかりますが問題はありません。――なんなら退場させてあげましょうか?」

「かっかっか、妾も嘗められたものだのう。あまりこのような言い方は好みではないのだが言わせてもらおうか。――やれるものならやってみよ、若き新芽よ」

「どっちも落ち着けぇっ!!」


 絶叫して睨み合う二人を止める。本調子じゃないのに規格外に喧嘩売る真宵もそうだけど、戦闘狂の血を騒がせる志乃も志乃だ。平気で島を沈められる人外が短気でどうする。

 骨が構成されて神経や血管が伸び、肉が付いて皮膚に覆われて再生が完了する。袖のなくなった着物の乱れを直し、志乃は不満げにフローリングに座った。

 真宵も地杖を属性石に戻してそっぽを向く。

 それを見届けてようやく安堵した俺たちの溜め息が重なり、らしくもなく顔を合わせて苦笑した。


「じゃあ話の続きだ。仮に世界樹の波動を取り込めたとしても、黙って壊されるのを見てる俺たちじゃない。母さんもやられたって言ってたけど、俺たちはどうしてたんだ?」

「……竜一さんはわかりませんが、かしぎさんとレンさんは私を止めるために世界樹の最深部に乗り込んできました」

「ん? 乗り込んだ? それってどういうこと?」


 レンは小さなツインテールを揺らして問いかける。


「そのままですよ。あの樹の内部は一種のダンジョンになっているんです」


 世界樹などと銘打っても所詮は樹である。尋常ではない波動を孕み、天を突き抜けるサイズを誇ることを除けばどこにでもある樹なのだ。地下ダンジョンのように入り組んだ構造をしているとは初耳だった。

 異世界組は揃って同意見らしい。竜一氏も驚いた様子だ。


「最深部には祭壇があって、『私』はそこでなにかを成し遂げようとしていました」

「ずいぶんと曖昧だな。嬢ちゃんがやろうとしてたんだろ?」

「……そうですね。説明が足りませんでした。具体的にどうやっての部分がわからないだけで、『私』がやろうとしていたのは明確でした」


 ――異世界の救済です、と。

 真宵は噛み締めるように吐き出した。

 そしてこう続ける。

 ――地球を犠牲にして、自分の生きやすい異世界を救うことにしました。歯向かうすべてを捩じ伏せ、邪魔になる存在を殺して。

 母さんや柊まで殺されていたのは、守ろうとして敗北していったからなのだ。


「……なぁ真宵、言いたくないなら答えなくていい。――俺は、どうなったんだ?」


 世界を守るために諸悪の根元である真宵を絶とうとした。

 世界樹の最深部の祭壇にて異世界の救済を試みる真宵のところに、俺とレンは辿り着いたのだろう。間違いなく彼女のやろうとしたことを止めるために。

 そして戦いになった。――その後は?

 崩壊した世界。

 屍となった仲間たち。

 できれば外れていてほしい。だが、これ以外の結末が思いつかなかった。


「……殺されました。――『私』が、殺したんです」


 ああ、やっぱりそうだったか。


     ◇◆◇

 

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