error―(error)「――――――」
この光景を、『彼女』はどこかで見たような気がする。
都市である東京は壊滅していた。アスファルトを食い破って飛び出ている根は大木ほどもあり、それらが大地を蹂躙している。自己を持っているかのようにそこかしこに襲いかかっていく。
対抗しようと戦力をかき集め、協力体制を組んだ『組織』と『九十九』の能力者は一人残らず駆逐され、あるのは心臓の活動を停止させた人体だけだった。
周囲に人の気配はない。すでに人類は尽きていたのだ。
濁った空気は触れる物体を瞬間的に腐敗させ、腐敗した物体は波動となって根に吸収されていく。徐々に太さを、規模を肥大化させていく根は行動範囲を広げ、すでにいくつかの国を毒牙にかけている。根に触れた海も蒸発し、海面の下降すら始まっているほどだ。
あと数刻もしないうちに地球は水の星としての機能を終え、滅びの星になってしまうことだろう。食い止めようにも根に超能力は通用しない。ありとあらゆる物体が触れた瞬間に分解、変換されて養分として吸収される。超能力も例外ではなかった。
しかしこれは二次的な災害――天災に過ぎなかった。
崩壊した地球を見下ろすように、空には都市が逆さまに浮かんでいる。いや、浮かんでいるのではなく融合しつつあるのだ。中途半端なそれのため、浮かんでいるように錯覚してしまうのだ。
その都市も同じように根に蹂躙されているが、違うのは対抗していることだ。
襲いかかってくる根に波導を叩き込み、押し返せないまでも拮抗した状況を作り出すことには成功している。だがそれもいつまで続くか。戦力の差は見るまでもなく劣勢。そもそも拮抗していることが奇跡と言えた。
世界は、果てていた。
救いなど、とうに枯れていた。
この光景を、『彼女』はどこかで見たような気がした。
「――主人よ」
鼓膜に届いた幼いながらも威厳を放つ声が鼓膜を震わせた。
驚きはなかった。ここにいるはずがない――そう頭ではわかっていても、流れ込んでくる記憶が肯定しようとする。別の次元に迷い込んだと言われた方が納得のいくそれらを辛うじて否定する。
自分を主人と仰いだ人物――シルヴィア・レヴァンティンは小柄な体躯を返り血で紅くペイントしたまま、王に謁見する兵士のごとく頭を垂れた。
その背後。さらにその向こう側には見知った顔がいくつも並んでいた。全員が全身をシルヴィア以上に深紅に染め上げ、死体を思わせるようにぐったりとひれ伏していた。おそらく『ように』ではなく『文字通り』なのだろう。
遠目からしても、確実に死に至る急所を貫かれているのだから。
だが動揺はなかった。当たり前だとさえ感じた。――感じていた。
「これで、本当によいのか?」
『いいわけないでしょうっ!!』
「……はい。こうするしか、方法はなかったのですから」
殺意など生温い。存在そのものをなかったことにせんばかりに叫び散らしたはずなのに、この口から紡がれたのは正反対の言葉だった。
『彼女』はようやく『これ』の正体に気づく。
ただの夢だ。いま自分は眠っていながらも感覚的には覚醒状態に近い。なにかしら外的な刺激を受け、脳の記憶貯蔵庫から適当に記憶を再生し、記憶映像に合致するようストーリーを作っているだけなのだ。
だから体を動かすこともできなければ、望んだ言葉を発することができない。
でも。
この夢はあまりにも現実味を帯びている。体験したことを夢として再現しているような、そんな違和感があるのだ。
「私は、私の生まれた世界を犠牲にしたのです。反抗は当然あるでしょう。邪魔をするならば殺すしかありません」
「……儂は主人には逆らえぬ。それでも言わせてもらえるならば、以前のお主ならこんなことは絶対にしなかったはずじゃ」
「そうですね。以前の私には彼がいてくれました。彼がいてくれたから、彼のやろうとしていたことは無謀で無茶でも、可能性がゼロではなかったから戦ってこられました。――ですが、これは無理でしょう?」
「…………」
シルヴィアは感情の一切を映さぬ眼に捉えられ、なにも言うことができなかった。
心臓を鷲掴みにされているようで、反論を挑もうものなら消されてしまうと直感していた。弟子だったころとは比較にならないほどに強くなったそれに通用する手段など、持ち合わせていなかった。
「どちらか片方を救うことはできても、両方を救うことはできない。わかっていることです。けれど彼はどちらも救おうとしていたのです」
「そうじゃな。だからこそ、あ奴は勇者として戦ってこられたのじゃ」
「ええ。それは悪いことではありませんけれど、今回に限ってはもっとも選択してはいけないカードでした。ですから同じ勇者として、私が正すしかないでしょう? 異世界であれば確実に救える、私が」
それは、どうしようもないほどに終わっていた。
虚ろな瞳はなにも映さない。目の前にある作業を淡々とこなすだけの機械へと成り下がっていた。
この姿は夏休み以前の自分と重なっていた。彼がいなければ立つことさえできなかった不安定にしてある意味では完璧だった自分。だからこそ『彼女』はそれを別物だと疑わない。
なにせ彼にすべてを捧げていたころは絶対に敵対することはない。たとえどれだけ間違った道であろうと否とは言わない。是とし、彼の道阻むものを排除するのが『彼女』だった。
姿形が同じでも、あれを『彼女』は認めない。
突如として雷が招来する。
シルヴィアは刀型の属性石を二刀、瞬時に復元。十字に重ね、雷を防ぐ。
「あんたらァッ!!」
かつてないほどの憤怒と殺意を抱えた雷帝がトンファーブレードを叩きつける。
レン・クウェンサー。彼女が最初に王の間に辿り着くと踏んでいた。
シルヴィアの返り血は能力者のものではなく、レンと刃を交えたときのただの余波なのだ。刃と刃がぶつかり火花を散らし、相殺しきれない波動がお互いの肉体にダメージを蓄積させていく。
弾き返し距離を置く。
次瞬。
二刀から繰り出される剣戟が空間を蹂躙した。一秒間でいったい何合打ち合ったことか。振り上げ振り下ろし、凪ぎ払い突き入れる。たったそれだけの動作であるがゆえに二手三手と先の展開を読み、五重六重と策を張り巡らせる。お互いの手の内を余すことなく把握しているため、刃を交えるなかで相手の弱点を探るほか、打ち崩す方法はなかった。
「ふざけんじゃないわよっ!! あんたらは自分たちがなにしたかわかってんの!?」
「承知の上じゃ」
「――っ! それ聞いて、安心したわっ!!」
雷が勢いを増す。シルヴィアにわずかに苦悶が走り、生まれた動揺が主人へと言葉を飛ばすことになった。
「主人、お主は先に仕上げに入るといい。此奴の相手は儂が引き受けよう」
「そうさせてもらいますね。無駄なことに時間をかけられませんから」
そう言い、玉座の奥に佇む祭壇に向かう。
レンが阻止しようと飛び出すが、シルヴィアがそれを許さない。
目尻で捉え嘲笑い、祭壇に波動を注ぎ込む。すると祭壇が発光し、上から下まで一直線に繋がった大木が脈動する。
「さあ――これで仕上げです」
呟いた刹那、レンやシルヴィアよりも遠くから、彼が間合いに踏み込んできた。
「なにが仕上げだって? 藍霧」
「来てしまったのですね、冬道先輩」
かたや天剣を、かたや地杖を掲げて元勇者だった彼らは対峙した。
真紅に輝く瞳にはレン以上の憤怒と殺意、そして憎悪が込められていた。それはかつて友人や仲間、死線を共に潜り抜けてきた相棒に向ける視線ではない。敵に見せる眼差しそのものだった。
「ああ。お前を――――殺しに来た」
『……………………え?』
『彼女』はなにが言われたのか理解できなかった。理解したくなかった。
これは夢である。だとしても――そうだとしても、彼と敵対し、ようやくお互いに想いを伝えあった事実が消滅していることに耐えられなかった。
そもそもだ。これはいったいなんだ?
彼と対峙していることは元より、なぜ師であるシルヴィアが自分のことを主人と呼んで付き従っているのか。どうして世界が滅んでいるのか。再開を望んでいたはずのレンが戦っているのか。
そしてなにより、自分が異世界であれば確実に救えるとはどういうことだ?
たしかに『八天』を含めたすべて波導使いの才能と技術を持ってはいる。異世界を支配した根源を絶つことができても、異世界――引いては星そのものを救済できる力など持っていない。
それなのに、救うと言い切ったのだ。彼を裏切ってまで。
「お前のせいで柊もつみれも母さんも――――全員が死んだ。絶対に許さねぇ」
「必要な犠牲です。そして私の邪魔をするなら、先輩も例外ではありません」
地杖を構える。
天剣を構える。
――すでに、勝敗は決していた。
この場は完全なる支配下にある。勇者としての力と森羅万象へのアクセス権限。そしてすべてを統べる存在である少女の前では、たかが片割れ程でしかない彼が間合いに踏み込めたことが奇跡だったのだ。
胸を貫いた根に、彼が数拍の間を置いて気づいた。
根先には未だ脈動を刻む臓器があり、それも活動を停止しつつあった。
紛れもなく、彼の心臓だった。
「残念ですよ先輩。――さようなら」
これは夢だ。
これは夢だ。これは夢だ。
これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。
夢だ。夢だ。夢だ。夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ。
『あぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!』
崩壊する。
◇◆◇