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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第一章〈勇者の帰還〉編
11/132

1―(11)「氷天」


 韻を踏むようにリズムよく床を蹴りながら、宙に浮かぶ狐の面に接近を試みる。

 廃ビルの四階。今までの階と比べれば確かに広い。

 それでも壁のない外の空間に比べれば行動範囲は限定され、逃げ場がなくなる。

 狐の面は自分の能力に自信を持っている。

 おそらくこういった廃ビルのような狭い空間を狩り場として選ぶのは、標的を逃がさないようにするためだ。

 そうすることで標的を確実に狩る。

 よく考えているようで浅はかな考えだ。

 思考を目の前の狐の面へと切り替える。

(……来るか)

 俺が思うと同時に、動いていなかった狐の面が動きを見せた。

 民族のような衣装に包まれた両腕をまるで翼のように広げ、一気に交差させた。

 空気がちりちりと振動しているのを、肌で感じとることができた。

 一定のリズムで駆けていた脚をさらに動かし、前傾の姿勢を保ったままスピードをあげる。

 背後でコンクリートの床が砕けた音が聞こえた。

 意識は狐の面に注ぎながらも後ろを確認すると、コンクリートの床が砕かれ砂のように細かく刻まれていた。

(あいつは何を使っている……?)

 今の俺は一昨日と違ってかなり強化されている。身体能力から動体視力まで、その他もろもろがだ。

 暗闇で見えないということも考えられるが、あいにくと俺は暗闇に目をならさせた。

 ならば狐の面が何を使っているのか見えてもおかしくはないだろう。

 しかし、今も狐の面が何を使ったのかを見ることはできなかった。

 アウルが腕に負わされた傷。今の現象からして狐の面が使っている超能力は、切り刻む系統の能力と見て間違いない。

 それがどういったモノで行われているのか。そもそもモノで行われているのかすらわからない。

 ナイフのような純粋な刃か、鎌鼬のような擬似的な刃なのか。

 わからない以上は不用意に近づきたくはない。だって怪我したくないし。痛いの嫌いだし。

(なら、やらせる前に潰しとかないとな)

 狙いを一点に絞らず広範囲に変えたようで、四階が台風にでも直撃されたように荒れる。

 数撃てば当たるとでも思っているのだろう。考えが甘すぎる。白鳥の情報通り、こいつは素人だ。

 駆ける勢いを殺さないまま、床を蹴りだして宙に浮かぶ狐の面の眼前に跳ぶ。

「――っ!?」

 狐の面は交差させた両腕を元に戻す途中で体をビクリと震わせ、一瞬どころか今も硬直している。

「おいおい、なに驚いてんだ? 別に驚くことねぇだろ、傷ついちまうだろ?」

「く……っ!」

 焦りに満ちた声を漏らし、俺が次のアクションを起こす前にアクションを起こした。

 柊の声を使ってても、とっさの場合は素の声がでるみたいだな――なんていうことをのんきに考えながら、体を捻って狐の面の上を越えて床に降りる。

 膝のバネを利用して落下直後の衝撃を緩和する。

 間近で能力を見て、わずかだがそれが見えた。あえて手を出さないで、狐の面が能力を出すのを待った甲斐があった。

「お前、何者だよ」

 床に手をついて膝を畳んでいる俺に話しかけてくる。

「柊の声で話さなくてもいいんだぜ? 同じ高校なんだからさ、隠しても意味ねぇよ」

「……それはあたしの正体が分かってる、そう言いてぇのか?」

「話し方まで真似れんのか。そりゃスゲー名女優だな。尊敬しすぎて抱き締めちまいてぇな」

 俺は立ち上がり、制服の膝についた砂を払う。

「去年の学祭の演劇を観なかったのが悔やまれるな」

「……そうか。なら――」

 狐の面は埃を払うように腕を右から左に振るった。

「――ここで殺す」

 二歩後ろに後退して、それが横切るのを視る。

 細い糸のようなものが五本、俺の前を通りすぎてコンクリートの床を砕いて切り刻んだ。

 この糸のようなものが狐の面が使っている能力?

 能力を使っている以上、ただの糸ではないことは明白だ。そんなものでコンクリートの床を砕けるはずがない。

 もし能力が物体を硬化させるものなら話は別だ。

 だがそれだと疑問が浮かび上がる。

 狐の面は物体を硬化させながら、その物体を自由自在に操ることができる。

 つまり能力をふたつ使えることになるのだ。

 ひとりの人間にひとつの能力――という先入観があるから疑問に思ってるが、実際はどうかはわからない。

 もしかしたら使える能力については際限がないのかもしれない。

 能力についてアウルから聞いておけばよかった。

「物騒だな、お前。だけどまぁ、そう簡単に殺されてやる気はねぇんだな、これが。逆に俺がボコらねぇといけねぇし」

 その場で軽くステップを踏み、次の動きに備える。

 そして狐の面が能力を使う前に、俺は狐の面を中心にして周りを走り始めた。

「あたしの力の前じゃ、そんなん意味ねぇよ!」

 本当に柊みたいだな、そのしゃべり方。でもそんなうわべだけの人格で、自分を偽るだけで柊を落ち込ませるのは、許せるものじゃない。

 俺は周りから嫌われる存在(ある意味特殊な奴らを除く)なのに、柊はそんなこともお構いなしに普通に接してくれた。正直に言うと嬉しかった。

 俺になんの隔たりもなく接してくれたのは柊が最初だったから。

 ……もちろん両希は除いてたぜ? あいつは幼馴染みだしさ。

「だから、俺はお前を許せねぇんだよなぁ……」

「なにごちゃごちゃ言ってんだよ!」

 苛々しているからか、狐の面のその話し方が柊の捉え方なのかはわからないが、叫びながら十字を描くように両腕を動かす。

 さっきは腕を右から左に動かして、同じように亀裂が走った。

 つまりは腕の動きと能力は連動している。

 縦と横。なら避けるべき場所は――

「……っ! あっぶねぇ。ちょっとかすったぞ」

 タイミングが遅れたのか、斜めに転がった俺の頬から血が一筋流れる。親指の腹でそれをぬぐい、舐めとる。

 やっぱりまずいな、血の味って。何回味わってもこればっかりは馴れそうにないぜ。

(全然わかんねぇ……。なに使ってんだ?)

 切り刻む系統の能力、糸らしきものを使ってる。それだけはわかってる。俺の頬も切られてるしな。

 よく考えたら波導に関しての観察眼は鍛えられてるけど、超能力はさっぱりだ。見極めようなんて方が間違ってたのかもしれない。

(でも超能力なんてかなり稀少レアだし、見極めといても損はないよな。……得もないけど)

 でもアウルの話だと『組織』なんてものを立ち上げるくらい能力者がいるし、狐の面のように属してない能力者もいる。

 そう考えると超能力もあまり稀少レアじゃないように感じてきた。

 顔をあげて、狐の面の姿を視界に収める。

 狐の面が開いた手のひらをこちらに向けていた。

 何をするのかと思えば、その開いた手のひらを閉じただけだった。

 それだけだったというのに部屋全体に亀裂が走り、砕け、切り刻まれていく。

(こりゃ、さすがにまずいか)

 このままじゃ逃げ切れない。

 部屋全体とは言ったものの、亀裂が入っているのは狐の面から前の空間だけ。

 これを回避するためには狐の面の背後に回るしか方法はないみたいだ。

 波動で肉体を強化する。これでこの体でも多少なら耐えきれるはずだ。

 足の裏に波動を集め、それを爆発させながら走る。

 周りの景色が一瞬にして変わると同時に、俺の体全体に切られた痛みを覚えた。

 あーあ、ブレザーがぼろぼろだ。新調しないといけないじゃないか。つみれになんて言われることか。

「あー、久しぶりにいてぇわ。やっぱり血の味と同じで痛いのも馴れねぇもんだな」

 そこまで大した怪我にはならなかったものの、痛いことには変わりはない。切り傷ってのは治りが遅い上に無駄に痛い。

 風呂に入るときなんか、お湯が傷にしみて悶絶してしまいそうなほどに痛い。これから何日間、俺はこの痛みに耐えないといけないのやら。

「またかわしやがった……。まさかお前、あたしと同じ……っ!?」

「今さら気づいたのか? 一発目で気づけよバカ」

 俺は立ち上がり、首を鳴らしながら振り返る。

「そろそろこっちから行くぞ」

 その場から狐の面に向けて跳躍する。

 自分でもわかるほどの残虐な笑みを浮かべながら、俺は固めた右手を思いきり振り抜く。

 一昨日の俺の右ストレートを受けて警戒していたのだろう。両手を交差させて直撃を防ぐ。

 それでも勢いまでは防ぎきれない。

 足を地につけてたらまだわからなかったが、俺たちがいるのは空中だ。

 俺の右ストレートのベクトルに逆らうことなく、狐の面は吹っ飛んでいく。

 追撃をかけたいが、空中から追撃はできない。

 体を捻っていち早くコンクリートの床に立ち、狐の面の落下点に向けて一気に駆ける。

 右の拳に力を込め、落下点に入る。

 あとは落下してくる狐の面にアッパーの要領で拳を振り上げるだけで終わりだ。終わりだったんだけどなぁ……。

「そう簡単にうまくいかねぇのは学習済みだっての」

 狐の面の体は床から五メートルほど上で、まるでなにかに支えられているように停止している。間違いなくこれも能力の範疇だ。

 本当に超能力ってのは見てて飽きがこないな。

 俺からすれば波導という異常が普通だったから、超能力という別の異常が新鮮に見えてくる。

「お前は危険だ……。手加減なんか必要ねぇ、本気でやってやる!」

「そいつは嬉しいねぇ。だけどそのセリフ、物語じゃあ最初に主人公と戦ってやられる雑魚キャラのセリフだぜ?」

 そういう三下のセリフを口にする時点で、物語としてはそいつが勝つことはあり得ない。

「それじゃ俺もお前の本気に免じて、本気でやろうか」

 狐の面は体勢を立て直し、両腕の手のひらを閉じながら交差するように振るう。

 その一撃はすでに亀裂が入ってもろくなっていたこのフロアでは、耐えきれるものではなかった。

 壁や天井が一気に崩れ落ちてくる。この廃ビルが四階建てで助かったぜ。

 それでも空中に浮かんでいる狐の面よりも、地上にいる俺の方が危険だ。崩れ落ちてきた瓦礫に押し潰されかねないからな。

「――――氷よ、雪女せつじょの甘い吐息を」

 俺は天剣の首飾りを握りながら、波導の詠唱を行う。

 空中の水分を波導で発生させた冷気で凍らせ、俺の周りに壁の形状にする。

 ほとんど波動をこめていない波導だったため、落下してきた瓦礫を受け止めただけで簡単に砕け散る。

 瓦礫を防いだのはよかったが、氷壁ひょうへきで狐の面の姿を遮ったのは迂闊だったかもしれない。

 砕け散った氷壁の先には狐の面の姿はない。

(後ろか……)

 特になにも感情を抱かないまま、背後から迫る気配を感じ取った。

「冬道! 危ない!」

 アウルの叫びにも似た声が耳に届く。

 振り返ったときには、腕が振り抜かれていた。


     ◇


「こりゃ、スゲーわな」

 王宮から飛び出した冬道はヴォルツタイン王国の景色を楽しむことなく、まっすぐに黒装竜デュオス・ドラゴンと対峙していた。

 そんな冬道は本物のドラゴンを前に、当たり前のように恐怖していた。

 並大抵の刃なら砕けてしまいそうな強靭な鱗。砕けないものなどなさそうな牙。そして目を合わせただけですべての生き物を恐怖させるような瞳。

 天剣を持つ腕だけでなく、全身が震える。

 戦い方なんかわからないし、戦ったこともない。なのにゲームでいえば終盤で出てきそうな敵が、まさかの物語の序盤の敵なのだ。

 格好をつけたはいいが、やはり現物を前にすると恐怖は押し込めるものではない。

 しかもこれはゲームと違い現実だ。

 ゲームオーバーは、そのまま死に直結する。

「くそっ、カッコつけねぇで逃げればよかったな」

 なんで主人公はこんな状況を前にして戦えるんだよ――と、冬道は文句を吐いた。

 普通なら戦かうことなんてできるはずがない。

 冬道には別段暗い過去があるわけでもないし、精神を達観させるような体験はしていない。ごくごく普通な高校生なのだ。

 とてもではないが主人公と呼べるような男ではない。

「まっ……ここまできたら仕方ねぇよな」

 自分で勝手に来たんだっけな、と笑いながら天剣を両手で握りしめた。震えはもう止まっていた。

 覚悟を決めた? 腹を括った? 否、彼の震えを止めたのはそんな大層なものではない。

「やりますかぁ……」

 ――――面倒なチュートリアルは終わらせよう。

 ようは最初のイベントを終わらせてゲームを進めようという、そんな感覚になったのだ。

 狂っている。狂っているがゆえの思考。異世界から召喚された時点で彼は混乱して、狂ってしまっていたのだ。

 さっきまでの言い合いなど真っ当なことを言っているようで、全部が口から出任せ。

 なにも考えてはいなかったのだ。

「……なんだよ。逃げんじゃなかったのか?」

 不意に冬道は声を発した。その言葉は目の前にいる黒装竜デュオス・ドラゴンに大してではない。

 では誰に対して送った言葉なのか。答えは簡単だ。

「貴方に言い負かされたまま逃げたくはありません」

 同じように異世界から召喚された少女、藍霧真宵に送ったものだ。

「貴方なんかに言い負かされたままでは、死ぬ気はなくても死にきれません。勝手に犬死になんかさせません」

「俺ってお前の中だと死ぬ予定なのか」

「普通に考えてそうなるでしょう。バカなんですか? 死ぬんですか? 殺しますよ」

 冬道と同じように黒装竜デュオス・ドラゴンを前にしながらも、藍霧は冷静だった。まるで眼中にないと言わんばかりに。

 藍霧は一歩だけ前に出て、冬道の背中に寄り添うように位置取る。

「……とにかく、私が言い負かすまで貴方を死なせるわけにはいきません」

「じゃあどうするってんだよ。お前も戦うってか?」

「他に何があるんですか? ――エレメントルーツ」

 銀の首飾りから光が発せられ、藍霧の手に形となり収まった。

 それは杖の形だ。杖の先には水晶のような銀の宝石が取り付けられ、杖の部分は透き通るような蒼だった。

「早く行ってください。一応、手助けはします」

「……使えんのかよ」

「当たり前です。使えるかどうかは別として、使い方は覚えてきました」

 冬道は藍霧の碧に染まった瞳を見てため息をつく。

「使えねぇなら意味ねぇだろバカ。……まぁ、期待はしねぇからな」

「うるさいです。さっさと行ってください」

 藍霧に急かされて冬道は前を向く。

 どんな物事にも、ひとりよりもふたりの方が心強いのだろう。

 先ほどまでの表情とは違い、今の冬道の顔には勝機に満ちた笑みが浮かんでいた。


     ◇


「危ねぇな。ギャラリーの前で血の雨を降らせちまうとこだったぞ」

 俺は右の拳を握りしめ、入り口にいるふたりを見ながら軽口を叩く。

「あ、兄貴……?」

「よく来たな、白鳥。んじゃ、ちゃんと見ておけよ? 真宵後輩は下がっとけ」

 入り口のふたり――真宵後輩と白鳥にそう言い、俺は右手に掴んだそれ・・を力任せに引っ張る。

 すると狐の面は、なにかに引っ張られるように体勢を崩していた。

 右手に掴むそれ・・には重みがある。

 狐の面と繋がっている証拠だ。

 だがそれはすぐに重さをなくし、狐の面は再び宙に浮いて俺を見下ろす位置につく。

 だいたいわかってきた。狐の面がどんな能力を使っているのか。

「わざわざ避けるまでもねぇな。避けて損したぜ」

「うるせぇ!」

 狐の面は怒鳴りながら腕を振るう。

 もう飽きてきたよ。毎度毎度同じような能力の使い方をしてるんじゃ、観客を楽しませるには役不足だ。

 波動を右手、しかも手のひらに集中させる。

 上から下に狐の面は腕を振るった……つまり。

 俺は右手を振り上げ、上にかざすと同時に閉じる。

「……ビンゴ」

「なっ!?」

「――――氷よ、雪女せつじょの甘い吐息を」

 氷系統の波導を使い、掴んだそれを凍らせる。

 俺の手のひらからどんどんと凍結していき、部屋全体にそれが広がった。

 それはまるで氷の蜘蛛の巣だ。部屋全体に張り巡らされたそれが凍結することで、姿を現した。

「とんだ曲芸師だ。こんなもんを使ってたなんてな。まさか、能力者がこんなんを使うとは思わなかったぜ」

 凍結したそれを握りつぶし、狐の面の見上げる。

「お前が使ってたのは鋼糸ワイヤー、鋼の糸だ。それを指先で操ることで、あたかも目に見えない力を使っているように見せてた――ってわけだ」

 狐の面が暗くて狭い場所を選んだのは、この鋼糸を部屋全体に張り巡らせるため。

 あまりに広すぎる場所では、能力を存分に発揮することができないからな。

 鋼糸が見えたんじゃすぐに能力がバレてしまう可能性もでてくる。

 だけど、種が明かされてしまえば、どんなに凄い超能力マジックも驚くに値しない。あとは潰されていくだけ。

「お前に教えてやるよ。俺とお前の、埋めることができない決定的な差ってやつをな」

 首飾りを引きちぎり、波動を流し込む。

「――エレメントルーツ」

 復元言語を小さく呟く。

 月の光すらもほとんど射し込まないこのフロアが、光で満たされる。

 自分でも目をしかめてしまうほどの光量。それが晴れたときには、すでに俺の手には天剣が握られていた。

 まるで手のひらに吸い付いてくるような、しっくりと俺の手に感じる。天剣の柄を両手で軽く握り、下段に構える。二回だけ息を吸って吐き出し、目を閉じる。

 そして――――一気に加速する。

「なっ!?」

 狐の面の驚く声を耳にしながら、俺は部屋を加速しながら駆けていく。

 波動のもっとも初歩的な使い方。足の裏に波動を集中させ、それを爆発させて高速で移動する移動法。

 これは加速時などに使えるが、欠点がある。一度に大量に波動を消費するため、連続で使うことができないのだ。

 波動は人間でいえば血液と同じ。なくなって死ぬということはないが、貧血のように意識を急に失うこともある。

 だが、俺にはそうならない方法を自分で思案し、使うことができるようになった。

 踏み出す一歩一歩に少量の波動を爆発させ、それを連続的に行うだけ。そうすることで消費する波動は同じでも、加速後の速さは段違いになる。

「講義の時間だ」

 俺は狐の面に聞こえるように言い、狐の面の真上にくるように飛んだ。

 狐の面の反応は遅い。俺が飛んでから数秒してからようやく、飛んだことに気がついていた。

 そして、真上に俺がいることにようやく気づいた。

「俺とお前の埋めることができない圧倒的な差ってのは……いったいなんだと思う?」

「くっ……っ! そんなの、知らねぇよ!」

 狐の面は腕を動かし綱糸を操り、俺を切り裂こうとしてくる。

 四方八方から迫ってくるのを感じ、俺は天剣をひと振りする。所詮は綱糸だ。剣には勝てない。

「少しは考えねぇと駄目だぜ? そんじゃあ、答え合わせだ」

 俺は狐の面を上から殴り付けて床へと叩きつける。

「――――氷姫ひょうきよ、天焦がす地獄の花束を!」

 さらに上級の氷系統の波導を詠唱。刀身に波動が灯り、天剣を振り下ろすと同時にいくつも折り重なった氷の花が放たれる。

 氷の花は狐の面が転がる床だけでなく、三階と二階の床を一緒にぶち抜く。

 体を支える床がなくなり、狐の面は重力に逆らうことなく落下を始めた。

 どうやらとっさの場合は素の声がでるのと同じで、能力をうまく使えないらしい。

 落ちていく狐の面の腕が、なにかを掴もうと必死にもがいていた。

 不様なものだな。所詮はこんなものだ。

 俺は空中で波動を爆発させて加速し、狐の面の面をわしづかみにする。

「答えは経験の差だ。お前は戦う経験もないが、俺とお前の差ってのはそれだけじゃねぇ」

 さらに波動を爆発させ加速する。

「お前ら能力者は、異常と戦う経験が圧倒的に少ねぇ。だからお前は、俺に怯えてるんだよ」

 俺や真宵後輩は五年間という期間だけだが、毎日のように異常を相手にしてきた。

 傷つきながら、挫折しながら。時には死ぬことを覚悟しなければならないときもあった。

 それが経験や自信となり、異常に対しての免疫がついて対処もできるようになった。

 だがこいつはどうだ?

 たかが喧嘩程度に怯えるような奴が、異常と戦う経験なんてしているはずがない。

 それが俺と狐の面との差だ。

「お前みたいに普通に大して異常を振るうような三下は、黙ってコンクリートの床にでもめり込んでおけよ」

「た、助け……」

「『助けて』、なんて言うなよ?」

 俺は狐の面の言葉を遮る。

「お前だって言われただろ? 助けてくれってな。でもお前はそれを無視したよな? そんなお前の言葉を……俺が聞く必要はねぇよな?」

 だから、と俺は言葉を続けた。

「死ねよ、お前」

 そういった瞬間に俺は一階の床を踏みつけ、右手に掴んだ狐の面を思いきり叩きつけた。

 埃が舞い、ここにきて戦いの足音が止んだ。

 俺は掴んだ狐の面を離して床に下ろし・・・・・、自分でもわかるほど表情をひきつらせながら言う。

「真宵後輩、ナーイス。助かったぜ」

「手のかかる先輩ですね。私がいないと何をしでかすかわかったものではありませんね」

 後ろを振り替えると真宵後輩の後ろから、遅れてやってきたらしきアウルと白鳥がやってきた。

「や、やったのか……?」

「殺っちゃいねぇさ。俺を犯罪者にする気か?」

「は?」

 さっきまで張りつめていたはずの空間に、アウルの間抜けな声が響く。なんでそこで間抜けな声をだすんだ?

「だから、俺を犯罪者にする気かって聞いてんだよ」

「……そいつは『組織』の処分するべき対象だ。殺したところで問題はない」

「あぁそうだな。お前が殺すなら・・・・・・・問題はねぇよな」

 俺の言葉を聞いてアウルはわけがわからないといった表情をしている。それは仕方がないとは俺も思う。

 俺だって床をぶち抜いて、狐の面の面を掴みながら落下してる最中に気づいたからな。

「俺は異常な力を持ってても、世間一般からしたら普通の人間の認識なんだ。殺人なんかしたら犯罪者だろ?」

「その殺しは『組織』がなかったことにする。だから問題はない」

「……あのさ。俺、その『組織』ってのには入ってないんだぜ?」

 アウルのように『組織』に属しているならまだしも、属していない俺が狐の面を殺せば、俺もこの狐の面のような立場になってしまう。

 さらには社会的には犯罪者だ。

 今までが今までなだけにそういうことを何も考えていなかった。

「だいたい、俺はお前を手伝ってたわけじゃねぇ」

「はぁ!?」

「言ったろ。俺はお前を手伝う気はねぇって」

「だがお前は私に言っただろ! お前には殺しは似合わないと!」

「言ったな。でも代わりに殺すなんて言ってねぇ」

 開いた口が塞がらないとはまさにこの事だろう。

 アウルが呆れた表情をして黙り込んでしまった。

 俺は確かにアウルに殺しは似合わないと言ったし、俺が狐の面を潰すとも言った。

 それでも俺はアウルを手伝うだなんて一言も言ってないし、これはあくまでも俺の私情だ。

 白鳥が傷つけられた。柊が落ち込まされた。なおかつ俺が狙われている。

 だったら返り討ちにするついでにお礼参りをしよう。その程度の考えだ。

「なんだよ。まさかそれっぽいこと言ったから殺すんじゃねぇかと思ったわけ?」

「あそこまで言われて間違わない奴は稀だ」

「んじゃ覚えとけ。俺は本当のことしか口にしねぇ」

 物語の主人公みたいに俺は回りくどいことをしたわけじゃない。ちゃんと本当のことを言っていたじゃないか。

 アウルを手伝う気はないとも言ったし、狐の面を殺すではなく潰すとも言った。

 勘違いしそうなことは言ったものの、この場合は勘違いした方が悪い。

「だが四階から一階の床に叩きつけて、死んでないわけがないだろう」

「あ? 死んでねぇよ。真宵後輩のおかげでな」

「藍霧のおかげ?」

「そ。真宵後輩が闇系統の波導を使って俺たちの重さ床にぶつかる直前になくしたから、衝撃はねぇんだ」

 闇系統の波導は名前だけを聞けば邪悪そうに聞こえるが、実際は重力を操るような波導だ。

 風系統の波導と合わせて使うと効率よく使える。……ってそんなことはどうでもよかったんだ。

「俺は私情でこいつを殴りたかっただけ。もうすっきりしたし、殺すなら自由にしろよ。もう俺には関係ないし」

 右手に構えた天剣を首飾りの形に戻し、真宵後輩たちのところに向かう。

 すると腹部に衝撃が走った。視線を下げると、白鳥が俺に突撃していた。

「あ、兄貴! 怪我とかしてないッスか!?」

「あ? ちょっとだけな」

「よ、よかったッス……」

 白鳥の安堵したような声を聞いて、俺の頬が自然に緩んでいた。

 なんで白鳥がここにいるのかといえばあのとき屋上で、俺が真宵後輩に連れてくるように頼んだからだ。

 異常に巻き込まれてもうそれを認識して、異常があるということがわかってしまった。

 これから白鳥は異常に巻き込まれる可能性は高い。

 だったらもうここですべて見せてしまおう。超能力がどれだけ危険かを見てもらおう。

 そういう理由で連れてきてもらったんだ。

 どうせ白鳥は真宵後輩の同級生で俺の後輩の、同じ学校の生徒なんだからな。

 俺の近くにいて、俺の友達や後輩に手を出したらどうなるかということを超能力達に知らしめてやれば、危険に巻き込まれる割合も減るかもしれない。

 どうせ、この戦いのことも知られるだろうし。

 ちょっと派手にやり過ぎたなと後悔している。もちろん、反省はしてないぜ?

「兄貴も、変な力を使えたんスね……」

「怖いか?」

「正直にいえば、戦ってるときの兄貴は……怖かったッス。まるで別人みたいで。で、でもウチは……!」

「大丈夫だっての。別になんとも思ってねぇから」

 異常な力を使って戦うところを見られて、怖がるという反応が普通なんだ。

 それに対して何も抱かない方が異常だ。

「だけど忘れんなよ? 怖がるという感情を絶対に忘れちゃいけない。いいか? 戦ってるときの俺は……化物だ」

「違うッス。兄貴は化物なんかじゃないッス」

「あ?」

「こんなカッコいい化物がいるわけないッスよ。どっちかっていうと兄貴はダークヒーローッスよ」

 ……だめだ。こいつ、ダークヒーローとか言い出し始めやがったぞ。

 ダークヒーローってかっこいいけど、主人公に一回は負かされるから言われてもあんまり嬉しくない。別に負ける気はないけど。ていうか、主人公って誰なんだ?

「あっ。そうだ白鳥。言っておくことがもうひとつあったんだ。すっかり忘れてたぜ」

「何を忘れてたんスか?」

「電池切れだ」

「へ? ……うわわわわ!?」

 白鳥を抱き止めるような体勢のまま、俺の体は後ろに倒れていく。

 受け身もとれないまま後頭部をコンクリートの床に思いきり、本当に思いきりぶつけた。……超いてぇ。

「と、冬道!? どうした、何があった!?」

「いや。だから電池切れ」

「ようするに筋肉痛ですね。あとさき考えずにあんな動きをするからです。今の先輩は戦い方は最強でも、肉体は普通なんですよ?」

 アウルは心配してくれたのに、なんで真宵後輩はそんなに冷たいんだ。自業自得だから仕方ないが。

「兄貴ーっ! 死んじゃだめッスーっ!」

「おい、待て白鳥――――」

 言葉を言い切る前に、俺を抱き締めた白鳥によって断末魔の叫びが廃ビルに響き渡るのだった。






 ◇次回予告◇


「気持ち悪いです。迅速に消えてください」


「やってみると、案外なんとでもなるんだな……」


「やってみねぇか? 魔王、倒すの」


「さすが兄貴! マジパネェッス!」


「でも仕方ねぇよ。それだけのことをやったんだ」


「どんな理由があっても、殺してもいいはず……あるわけがない」


「どうするんですか? おそらく明日から、屋上は賑やかになってしまうと思いますけど」


「お前の笑った顔など、初めて見たぞ……」


 ◇次回

  1―11「開幕」◇


「明日から、ずいぶん賑やかになるな」

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