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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第八章〈夏休みの終わり〉編
109/132

8―(11)『カケナシユキネ/魔王覚醒②』

 

 魔王とは潜在的に黒を好む存在である。そのせいで魔王と言われれば邪悪な存在だとイメージしてしまうが、それは仕方のないことだろう。黒に重点を置いているのは己の力を増幅させるためなのだ。

 自然環境や星座、色や音程によって組み上げる『魔導』の骨子となっているのは黒なのである。

 古き時代から繁栄してきた『魔導』は、それのエネルギー源となる魔力さえも闇色に染まっている。ゆえにいつしか『魔導』は扱う者を蝕み、破壊衝動へと繋げるようになっていった。

 だからこそ『魔導』は波導によって滅ぼされ、歴史だけのものとなった。

 しかし『魔導』がどこから発生したのかは定かではない。八体の精霊が生まれたころから存在し、天敵として確立してきたのだ。

 俺の師匠である『炎天』シルヴィア・レヴァンティンや『風天』ソフィア・アルガドが『魔王』と戦うことができなかったのは、属性同調のせいで自身が精霊と化していたためだ。

 あの二人が戦力として加わっていれば、俺たちが召喚されることはなかった。それだけ『魔導』と精霊は相性が悪いながらも、長い間対立してきたのだ。

 そして『魔導』の頂点である魔王。力が強大すぎるそれは、自身の肉体へと影響を及ぼす。

 たとえば先代魔王。元々は人間の外見だったはずが全身を闇で覆い、思考は破壊するためだけの人形と成り果てていた。あったのは自分を滅した相手への負の感情くらいのものだ。

 たとえば『魔王』。こいつは自我を失うことなく『魔導』を我がものとし、変化らしい変化といえば俺たちと同じく眼球の色くらいだった。

 そして目の前の第三魔王は、これまでの二人の中間ほどの変化が起こってる。


「クキキ、あはははははははは! 逃げてるだけじゃどうにもなんないだろぉ!?」

「ざっけんなァ!!」


 体勢低く滑空し、彼女の真下から上段にかけて天剣を打ち上げる。闇に包まれた空にくっきりと軌跡を刻む刃は、触れた直後にそのままの威力で跳ね返ってくる。とっさに手首を返して衝撃を緩和できないまでも逃げ場を作り、後ろに弾かれた腕を引き戻して剣戟を重ねた。

 斜め上から天剣を袈裟懸けにを振り下ろし、空いた右手で異世界から流れ着き、唯一破壊されなかった黒刃を復元させるべく波動を流す。

 光が爆発的に膨張し、剣となって手中に収まった。瞬間で復元させた黒刃は黄金の軌跡と交差させるように振りかぶる。

 彼女は動かない。

 甲高い炸裂音が唸る。脳の回路が停止し、再び回転を始めたときには彼女の黒い霧に包まれた掌底が近づいていた。

 防御は――間に合わない。上方に投げ出された腕のせいで体勢は崩れ、攻撃を受け入れる姿勢が整っていた。やれるのは全力で肉体の強化をするくらいだ。


「ごっ――ふ……!?」


 途方もない衝撃が訪れる。まるで内蔵をかき混ぜられているようだ。喉の奥から血が逆流し、滝となって溢れ出てくる。視界が揺れ、焦点が定まらない。


「ほうら! がら空きだよ!!」


 無理に踏みとどまったのは失策だったか。連撃の次弾が容赦なく叩き込まれ、癒えきってない肉体にさらなるダメージを積み重ねていく。

 触れる瞬間に体を捻って最低限のダメージに留めているも、繰り出されるどれもが致死とさえ思える威力だ。拳が放つ旋風は次々と襲いかかり、反撃どころか息をつく暇だって与えてくれない。

 ようやくして両剣を自由に動かせる範囲に置くと、拳のいくつかがクリーンヒットするのも構わず、距離を稼ぐため強引に突き入れる。

 刀身を介して伝わった振動が腕を麻痺させ、うちの一本が回転しながら砂浜へと墓標のように刺さる。目尻でそれを捉え、剣を回収する算段を立てつつ、数十秒振りに空白の時間を得た。


「スゴい、スゴいよ! あのかっしーが手も足もでない! この力があれば、ボクがボクであれる! あはははははははは!」


 空を仰ぎ見て高笑うのはいったい誰だ。本当に俺が知ってる人なのか? 我が目を疑う光景に信じられずにいるも、しかし事実なのだと訴えてくるそれを肯定せずにはいられなかった。

 第三の魔王――翔無雪音。

 名前を体現したように白かった肌は浅黒く焼け、ショートカットの黒髪はメッシュでも入れたように白と黒が中途半端なバランスで調和を保っている。足下、そして眼球に添えられた二重の螺旋を重ねた陣は、翔無先輩が『魔導』を完全なる支配下に置いたことを意味していた。

 あり得ない。その一言が何度も繰り返される。

 なぜ異世界と一切の関わりを持たない翔無先輩がよりにもよって『魔導』を得、しかも魔王になってしまったのか。唐突すぎるにもほどがある。

 異世界とこの世界が密接な関係にあることは、いまさら否定しようのないことだ。

 俺や真宵、竜一氏とレン。例外として志乃を含め、異世界に関係した人間はこれだけいる。さらに『勇者』のコピーであるカザリに『魔王』もいるのだから、これから増えたところで大差はない。

 けれど、やって来るのではなく、こちらから出てくるだと? わけがわからない。


「くそっ!!」


 吐き捨て、再度距離を縮める。魔導陣の眼球をぎょろりと動かすと、口元を三日月に歪めたまま応戦してくる。

 黒刃を引ったくるように抜き打ち、藍色の光芒を伴った突き繰り出す。左右交互の単純な一手。けれど単純であるがゆえにすべての剣技のベースとなり、速度重視の攻防においてもっとも効果が高い。

 闘争本能の赴くままに剣を振り続ける。加速がトップギアに移行する。感覚が一段上に――いや、段飛ばしで感覚がシフトアップしていく。残像によって数十本にも見えた剣はいまや一本だ。

 思考速度や動体視力が、かつてない性能を発揮する。動きがキャパシティを越えようとしているのか、骨格や筋肉が軋んでいるが、それを無視して剣を振り続けた。

 翔無先輩はそれらの悉くを舌を巻く正確さで打ち落としていく。

 魔王化の付属効果の一つに身体能力の向上がある。加えて彼女の魔王としての性質・・・・・・・・がそれを完全な形に仕上げていた。

 ――拒絶。

 おそらくそれが翔無先輩の特性なのだ。

『魔導』にも波導と同じく、特性というものが存在する。特性によって『魔導』の方向性が定まり、それを成長させる鍛練を行う。もっとも波導と違い定められているわけではなく、いくつでも特性を所持することができる。

 ただし――だ。魔の王は特殊な特性を潜在的に抱えているのだ。

 その一つが『拒絶』。自分に害を与えるモノすべてを反射する『魔導』だ。


「なんだい? もしかして手加減してくれてるのかなぁ? きっとそうだね。かっしーやい、手加減なんてしなくていいよ。全力でやんなきゃボクには勝てないからねぇ!」

「ふざっけんな!!」


 地面を叩いて翔無先輩の頭上を飛び越え背中を奪い、炎剣技のモーションに入る。

『拒絶』による反射は鏡対波導の反射とは格が違う。一旦吸収してから威力を跳ね返す鏡対は受けきれないほどの威力の攻撃を注ぎ込めばよかったが、『拒絶』は触れた途端に反射が発動してしまうのだ。

 あれを打破するには、天剣で『魔導』を構築する術式と魔力を分断するしかない――のだが、しかし問題がある。

 肌に触れた瞬間に『拒絶』は有害か無害を判断し、反射を発動させている。つまり天剣で反射を打ち消したとなれば当然、刃は翔無先輩へと突き立てられることになるのだ。

 頭に血が上ってつい炎剣技なんて使おうとしているが、いかに魔王化している翔無先輩でもただでは済まない。下手すれば――死ぬことだってありうるのだ。

 そう考えてしまうと、柄を握る手が躊躇いを覚える。


「ちっ――いつまで甘えてんだよ、かっしー。いい加減に認めたらどうだい? ボクは君が全力でやんなきゃ勝てない相手なんだって。ボクを傷つけたくないだとか、下らないことに気をとられてないでさぁ――黙ってボクだけを見てればいいんだよ!!」


 翔無先輩の足下に魔導陣が展開される。

 そのとき、俺は敵意からではなく、身の内から溢れた畏怖から彼女を殺さなければならないと思った。

 レヴァンティン秘伝炎剣技――流星花火メテオ・レイン

 灼熱が迸り、冷気が辺りを凍結させていく。絶対零度の紅蓮が反動で腕を蝕む。

 連続して叩き込まれる剣戟に両剣が硬質な悲鳴を上げる。

 氷と炎が視界を遮るなか、俺が危惧したようなことは起こっていなかった。『魔導』を使えるようになったといっても、おそらく超能力がなくなったわけではないだろう。

 流星花火メテオ・レインを真っ向から受けとめなくとも、テレポートで死角へと跳躍し、避けられた直後、次の挙動に移るまでの隙を狙い打ちすればいいはず。しないということは、するまでもないということだ。

 その予測は的中した。

 翔無先輩は天剣の威力を相殺させるだけの魔力をでたらめに放出し、あとは身体能力だけで剣とぶつかっていたのだ。


「これがかっしーの全力かい!? 笑わせないでくれよ! ボクが見つめてきた君はどんなときも敵を圧倒して、どんなときだって剣に迷いを乗せることだけはしなかったはずだよねぇ!」

「それこそ、先輩が言ってたことじゃねぇかよ!!」


 最後の一撃に天剣で放った突きが翔無先輩の頬を抉った。血飛沫が舞い、俺の顔を濡らす。

 翔無先輩は目を剥き、天剣を防ぎきれなかったことに驚いた姿勢のまま俺を見つめている。俺も剣を突きだしたまま、言葉を紡ぎだす。


「たった数ヶ月、その数ヶ月だって深く関わったわけじゃないのに、どうして俺が迷いなく剣を握ってると思ってんだよ」


 翔無先輩の表情に動揺が浮かぶ。


「俺はただの甘ったれだ。いつだって迷ってるし、剣にだってそれは表れる。なんで先輩は俺が迷いなく戦えてると思ったんだよ。それは先輩が見てきた俺がそうだったからなんだろ? 俺だってそうだよ!」

「い、いきなりなんなんだよ……? 煩いんだよ!」

「俺が見てきた翔無先輩は、先輩が否定した『ボク』だった!」


 波動を細く強靭に練り上げ、身動きが出来ないよう拘束する。もちろんこんなものは気休めにだってなりやしない。テレポートを使える翔無先輩を逃げられないようにするには完全なる悪条件を作り出さなければならないのだ。

 だが、これは翔無先輩の身動きを封じるためではない。いや、限定的にとするならばその意味合いは多分に含まれている。

 いまこのとき、少しでも攻撃を中断させられればいいのだ。


「俺は翔無先輩のことなんて全然わかってねぇよ。人をからかうのが好きで、後輩思いで、えっちな話が苦手で――それで自分を救ってくれた相手のように、自分も誰かを救いたいと思ってるのが、俺の知ってる翔無先輩だ!」

「そんなの君が勝手に思ってるだけだろ!」

「先輩だって俺に勝手なイメージを持ってただろうが! たとえ俺が思う先輩が先輩にとって違うものだったとしても、俺にとってはそれこそが本物だった!」


 少なくとも、俺には翔無先輩が言うような偽物には見えなかった。

 火鷹と仲良くして、能力者を守るために黒兎先輩と命をかけて戦っていた彼女は紛れもない本物だった。

 俺はそれを誰にも否定させないし、ましてや翔無先輩本人に拒絶してほしくない。

 わがままだ。けれど、たった一つのわがままを通せなくて、誰かを救うなんてできるわけがない。


「うる――さいんだよッ!!」


 波動糸をあっさりと引きちぎった翔無先輩は、魔導陣の眼球を鋭利に尖らせ、なにかしらのアクションを起こそうとする。

 魔力や『拒絶』は使えているようだが、『魔導』を唱えることは無理だろう。魔王と呼ばれた彼らだって仕組みを理解し、骨子のしっかりとした術式を組み上げて形としている。

 翔無先輩にはそれらの知識がない。まず『魔導』への対策は不必要だ。それに『拒絶』は基本的に外敵から自身を守るためだけにあるようなものだから、攻撃に転じるなら超能力か打撃に絞られてくる。

 地面に小さなクレーターができる。翔無先輩が踏み込んだのだ。フェイントを仕掛けることもない、真正面からの一撃。大気を震わせ、空間を歪ませるほどの威力に底冷えする思いだ。

 沸き上がる恐怖を振り払うように、俺は天剣を振るう。

 潜在能力だけでいえば翔無先輩は俺の知るなかで二番目に高い。真宵みたいに見ただけで、聞いただけでなんでもこなせるのと比べるのでは釣り合いがとれないが、そんなやつ比べられるほどに秘めた力が大きいのだ。

 しかし、どうして魔王化したのだろうか。

 考えられる可能性としては、未だ俺たち『勇者』の影にまとわりつく異世界や、レンや竜一氏たちのような帰還者と関わっていること。けれど先日のことを踏まえるとすれば、魔王化する候補は近場にいた人間の方が上位のはずだ。なのに翔無先輩が選ばれた。

 ほかに原因があるとすれば――俺に執着しすぎたことかもしれない。

 異世界との境界線が曖昧になっているいま、俺がどう思おうと、世界が冬道かしぎを『勇者』として認識しているのであれば、深くまで潜り込んでくる存在に影響を及ぼしてしまうだろう。

 それに翔無先輩は深層に入り込むのが異常すぎるほど異常に巧い。

 この二つの要因を強引に繋げてしまえば、無理矢理にではあるが納得できなくもない。


「そんなのが本物だって!? ふざけんなよ! 誰かに与えられたものの集合体であるボクが本物なわけないだろ!!」

「じゃあ先輩の本物はなんだってんだ!」

「わかんないから、こんなにも苦しいんだろ!!」


 より一層強烈な拳打に均衡が崩れた。いまの翔無先輩は紛れもない魔王だ。そんな彼女にただの属性石エレメントで太刀打ちしようなど愚の骨頂。刀身が砕け、宙に消えていく。

 ――やばい……っ!!

 これは避けきれない。直感した。あまりにも綺麗な軌道を描くそれは、直撃を逃れようと芯をずらそうとするも、どこまでも追いかけてくる。おそらく翔無先輩の感覚は俺の二段、あるいはそれ以上にシフトしている。考え事の片手間に躱せるわけがなかった。

 あと何発受けきれる。志乃ほどではない――なんて、もう言い切れない。

 志乃と殺り合ったときは必死すぎて、アドレナリンが極限まで高まっていたから痛みがあとから追いかけて来たものの、いまは思考がその分泌を遅らせている。せいぜい二発三発が限界だ。


「…………」


 覚悟を決め歯を食い縛り、訪れるであろう衝撃に備えるも、いつになっても痛みはやってこない。

 最初は許容範囲を越えた激痛に痛覚だけでなく五感までイカれたのかと思ったが、前に視線を傾ければなんてことはない。拳は俺の胴体を通過することなく、寸でのところで止まったいたのだ。


「……君は、どうして全力で戦ってくれないんだい?」


 拳を下ろした翔無先輩の瞳が寂しげに潤んでいる。


「ボクが君の相手に相応しくないからかい? なんの目的もなく、ただそこにあるだけの寄せ集めの偽者だから、馬鹿馬鹿しいと思っているのかい?」

「思ってねぇっての」

「ならどうして!」


 翔無先輩の魔力が爆発的に増大していく。波動や魔力の大きさは、そのまま強さの証明となる。威圧として放てば重圧プレッシャーとなって身を竦ませ、纏えば自身を強化することができる。

 異世界では波動が大気中に多く含まれ、世界樹ユグドラシルと呼ばれる『八天』に『夜天』を加えても届かない量を撒き散らす大木まで存在する。いくら波動をぶっ放とうが世界に影響を与えることは絶対にない。

 けれど地球は別だ。少なからず波動を帯びているとはいえ、ほんの些細なものだ。

『穴』が開き、擬似的に異世界とリンクしていたときとは違い、波動を受けきれるだけの循環が成されていない。

 龍脈やプレートの持つ自然エネルギーとは根本から異なっている波動や魔力を放ち続ければ、生態系の崩壊や自然災害が多発しかねない。

 魔王となった翔無先輩の魔力は無尽蔵だ。このまま暴れられれば、 取り返しのつかないことになる。


「羨ましいよ。君たちには自分だけの本物がある。でも、ボクにはなにもない。空っぽなんだよ」

「……じゃあ先輩にとって、俺たちと過ごした日々も偽物だってのか!!」


 なにもない。空っぽ。偽物――――んなもん、聞き飽きた。

 沸々と奥からやって来る感情を剥き出しに前方を睨む。もう我慢できない。


「偽物だのなんでのって下らねぇ。ふざけんのも大概にしやがれ」

「下らないだって? だったら君も味わってみろよ! いままで生きてきた全てが否定されて、不安定なまま生きていく恐怖をさぁ!! わかんないだろ、こんなにも本物にすがりたくなる気持ちが!! 自分を信じられなくなる気持ちが!!」

「わかんねぇよ。なにもかも投げやりになって、思い出でさえ否定するような人の気持ちなんてわかりたくもねぇ」


 翔無先輩が魔王化したことはこの際どうだっていい。俺はこの人に言ってやらなければならないのだ。間違ったままでは、いつまで経っても前に進めない。


「たしかに先輩は変わり身として宿った人格かもしれない。土台になったのは『ゆきね』なんだから、自分を信じられなくもなるだろうさ――でも! 今日このときまで生きてきたのは、ほかならない先輩だろ! 全てが否定された気になってるのは、先輩が否定してるからだろうが!!」

「口ではどうとでも言えるだろ! 君がボクと同じ境遇に逢ったら、今と同じことが言えるのかよ!! ボクは『ボク』を信じられない――だったら自分だけの本物を得るしかないじゃないか!!」


 翔無先輩はテレポートで俺から距離を置くと、空に向かって一直線に飛び上がる。

 魔王翔無は目下に俺を据えると、まるで親仇でも見るような目付きで睨みつけてくる。不規則に揺れて、人間と魔の王とを行き来していた彼女の存在が固定された。完全なる魔王として覚醒を果たしたのだ。

 右手を上に掲げる。途端に空気の流れが変わった。ぞわりとする生物として嫌悪を抱かずにはいられない感覚に、柄を握る力が強くなる。

 天剣を構え直す。翔無先輩の掌に魔力が収束していく。渦を巻きながら、周囲のエネルギーを吸収しながら肥大化していく塊は、小規模なブラックホールを彷彿とさせた。呑み込まれれば二度と戻ってこられない。

 魔王の一撃とは、どれもがそういうものなのだ。


「もういいよ。本物をくれないなら、かっしーなんて死んじゃえばいいんだ!」


 ブラックホールの魔力骨子はこれまでで見たことがないほどでたらめだ。掻き集めて固めただけの塊でしかない。天剣を突き立てるだけで消滅させるなんて造作もないことだ。

 魔王といっても魔力は所詮魔力。もともと『魔導』対抗するために作られた天剣に、打ち勝とうと思うことこそお門違いなのだ。ましてや魔王として覚醒しても、魔力の制御に手間取っているままでは対峙することさえおこがましい。

 天剣にありったけの波動を叩き込む。黄金が弾け、刀身の文字が鍔から切っ先を一直線に駆け抜けた。


「そもそも言ってることが矛盾してるんだよ。誰かに与えられただけの集合体だから本物を欲した。なのにそれを俺から得ようとしてる時点で、翔無先輩のなかには『本物』なんて意味のない物になってたんだ!!」


 黒い球体が射出される。衝撃波が巻き起こった。枷から解き放たれた暴力は球体に押し留めることができず、溢れ出した魔力が第一次の余波が、翼から抜け落ちた羽根のように頭上から襲いかかってくる。

 狙いを絞った本体とは違い、その悪意は予期せぬものだ。様々な角度から一点を狙うのではなく、その一点を含めた広範囲を消し飛ばさんと地上に降り注ぐそれは、まるで絨毯爆撃するようだった。

 衝撃波で舞い上がった砂塵や水柱は重力を失ったかのように空中に停滞し続けている。幸いなことに、それらが羽根のいくつかを食い止めている。

 その度に爆発が全身を焦がしていき、さらに生じた余波が視界を埋めつくし、第二第三の余波を誘発していく。

 実質的な被害は本来よりも抑え込まれているが、余波だけでも人間ひとりを肉塊スクラップにする程度の威力がある。

 本体はおそらく数十倍から数百倍の威力が内包されている。着弾すれば、世界地図から日本を消し去るくらいはやってのけるだろう。

 それだって、結果を観測しない限りは予測という想像の範疇に留められる。

 真上に体を放り出し、無数の火傷によって爛れた全身を脱力させる。余分な箇所に回していたエネルギーを右手に凝縮し、天剣へと注ぎ込む。


「自分を信じられないなら仕方ねぇよ。そこにあるはずの本物が霞んで見えるんだったら、ずっとそのままなんだろうよ」


 重量に従ってぶら下がっていた右腕を一気に解放する。同時に全身へと波動を行き渡らせ、必要以上の強化を施す。

 黒球は間近にあった。余波のせいで本体への意識が薄れていたが、この距離になると、どうしたって怖気付きたくもなる。一見すれば個体としてそのに在ると錯覚してしまうが、こいつは『在る』なんて代物ではない。

 物体ではない。固体でも液体でもない。存在でも概念でも波導でも魔導でもない――もはや地球上からも異世界上からも『拒絶』されたそれ。余波が形を持っているのはあくまでも切り離され、具現化しているからだ。

 黒球はそれでも迫る。

『拒絶』した翔無先輩が終わりと認めた瞬間、世界も終わる。

 けれど危機感は、はっきり言って薄い。外側から物凄い演出と共に訪れたのならともかく、内側からもたらされた事態に、どうにかなるだろうと楽観的な思いがあるのだろう。

 俺と彼女――二人だけの間を彷徨う世界の危機は、誰に知られることもなくひっそりと幕を下ろすのだ。


「それでも変わりてぇんだろ。だったら信じろよ! 先輩が自分のことを信じられないなら、先輩のことを信じる俺たちを信じろ!」


 一閃。

 手応えは――――ない。

 雲を斬ったような感触に鼓動が強く脈打つ。大振りの勢いで方向転換し、黒球が消滅したことを確認できて、ようやく息をつけた。

 だが、まだ終わったわけではない。

 呆然としながらも反撃の意思を示す翔無先輩。様々なことが重なり脳の処理が追いつかないからか、攻撃も中途半端で動作もゆっくりとしたもの。カウンターを合わせるのは簡単だった。

 突き出そうとする腕を掴み、海を目掛けて投げ捨てる。

 真っ直ぐに落下する翔無先輩を追いかける。そして水を緩衝材代わりに、小柄な少女を叩きつけた。

 海水がうち上がり、雨となって降り注ぐ。波動の出力に耐えきれず内側から食い破ってきた血と混ざり合い、海に帰っていく。

 お互いに沈黙が流れる。それを打ち破ったのは、翔無先輩だった。


「あは、あはは……かっしー、なんだい、それ? ボクは自分を信じられないって言ってるのに、君を信じろっていうのかよ。無理な注文にもほどがあるんじゃないかな?」


 俺に押し倒される形になった翔無先輩は、そう言って笑う。さっきまでの狂気や嘲りのない、純粋に込み上げてくる笑みだ。


「それって穿った見方をしたら、愛の告白に聞こえなくもないんだけどねぇ。……君は、ボクの本物に――特別になってくれるっていうのかい?」


 ここで、決着をつけなくてはなるまい。

 これ以上長引かせても、俺にとっても翔無先輩にとってもいい結果にはならない。


「すみません。俺は先輩の特別にはなれない」

「……そっか。うん、わかってたよ。君には真宵・・ちゃんがいるもんね」

「でも――」


 そうだ。俺は翔無先輩の特別には、恋人にはなれない。

 だからといって、なにもなかったことにしてはならないのだ。


「俺が先輩が肯定する。先輩が、ほかの誰かがあなたを否定したとしても、俺だけはずっと味方であり続けるし、あなたの存在を肯定する」

「……嬉しいこと言ってくれたけれど、いまのいままで魔王となったボクと敵として戦ってたのはどこの誰だったかな? ボクの記憶がおかしくないなら、ボクのことを押し倒してる君なんだけどねぇ」

「うっ」


 このときに限っては説得力の欠片もない言葉に弁解の余地もない。

 そうだったよ。俺、さっきまで味方い続けるって言った女の子に伝説の剣を突きつけてたじゃねぇか。

 しかも状況が状況だっただけに押し倒してるみたいになってるし、どう言い繕えばいいか思い付きやしない。

 とりあえず翔無先輩から退き、起き上がらせる。


「だけどありがとね、かっしー。少しは救われた気がするよ。結局、君の土俵で言いくるめられちゃったね」


 そう言って翔無先輩は俺から顔を背ける。


「それにしても、女の子を海に落としてびちゃびちゃにするなんてひどいねぇ。それになんだか、昼間よりもしょっぱい気がするよ」


 浅黒く染まった彼女の頬から伝う粒の正体はいったいなんなのだろうか。

 それを確かめようにも、いま俺がそうすることは彼女を傷つけることにしかならないだろう。

 だから俺は彼女が立ち上がるのを待つことにする。

 この場のいるのは俺たちだけだ。

 だから彼女の嗚咽を聞くのは、きっと俺だけなのだろう。


 

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