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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第八章〈夏休みの終わり〉編
108/132

8―(10)『カケナシユキネ/魔王覚醒①』

 

 今回から地の文と会話文の間を開けてみました。

 試しにやっているだけですので、よければ意見をいただければ助かります。

 それと話がだれてきたのではや回しでいきたいと思います。

 では、どうぞ。


 

 

 夕食は思ったよりも静かなものだった。当然と言えば当然だ。

 全員が昼間の戦闘や慣れない遊びで疲弊しきっていたのもあるが、主な原因は凪の向ける『九十九』への殺気だ。せっかく美味いのにあれのせいで味なんかほとんど忘れちまった。

 ちなみに志乃だけはけろりとしていた。竜のごとき殺気も彼女にしてみれば心地のよいそよ風のようなものなのだろう。最初に来たときもそう言ってたし。

 あとで凪に頼んでお粥を作ってもらい真宵のところに持っていったがまだ食事ができるほどではなく、心底申し訳なさそうに断られた。明日になれば回復するとは言っていたが、あそこまで弱っている真宵を見るのは初めてに近い。心配するなというのが無理な注文だ。

 そうして夕食を終えた俺たちはあるという大浴場には赴かず、各部屋に備え付けられている浴室で体を清め、沈むように就寝した。

 真宵のことが頭から離れなかった俺もあの頭痛後から妙に疲労が蓄積されていたようで、気がつけば眠っていた。


「……ん……?」


 それを実感したのは腹部に誰かが乗っていたからだ。朦朧とした意識と視界で映した人物は、部屋の暗がりも相まって発覚には至らない。

 わかるのはその人物が小柄ということくらいか。小さめのシルエットに乗られても苦しくない程度の体重。それだけで多少は絞れる。

 まず巨乳ではない。こんな真夜中に馬乗りになってくる巨乳の持ち主は柊くらいのものだが、その柊も今夜はゆっくりしたいと言っていたから奇襲して来ないだろう。

 そこから髪の長い人物も除外される。一葉や凪は俺のところに来る理由などそもそもないのでカウントしていないけれど。でもあの髪の長さは、訳ありでもさすが姉妹だと思わざるを得ない。

 そうなると思い当たる人物は一人しかいない。

 暗がりにもようやく慣れてきた。ぼんやりとシルエットが彩られていく。

 それが明瞭なると、俺はやはりかと嘆息した。


「なにやってんだよ、翔無先輩」

「びっくりしたかい?」

「そりゃびっくりだってするだろ」


 違和感があって起きたら女の子が股がってる状況を前に平然としていられる方がどうかしてる。

 しかもその女の子が狙ったようにワイシャツだけしか着ていないのだから、びっくりしすぎて逆に冷静にもなる。眠気もあっという間に吹っ飛んでいった。


「翔無先輩は人の上でなにやってんだ? とりあえず退いてくれ」

「え? せっかく忍び込んだのに嫌に決まってるじゃないか。かっしーはおかしなこと言うねぇ」

「その言葉、そのまま突き返してやるよ」


 人が寝てるときに部屋に忍び込む方がおかしいだろ。なんで俺がおかしいみたいになってるんだ。


「寝起きだっていうのに素っ気ないねぇ。ボクがこんなにも大胆な格好をしているんだから、なにかしらコメントをして然るべきじゃないのかって思うんだけど?」

「じゃあまともな格好をしてすぐ自分の部屋に帰ってくれ」

「やだよ」


 きっぱりと言い切られ、これ以上なにを言っても無駄だと悟る。

 翔無先輩はどうあっても動かないだろう。猛者が揃いながら、その誰もが寝静まった今こそ行動を起こすべきときだと狙っていたのだ。虎視眈々と、暗殺者が標的の寝首を欠くかのごとくに。

 ぺろりと蠱惑的に唇を舐め、顔を近づけてくる。ほんのりと鼻孔をくすぐる甘い香り。腹部にあたる少女の肌はどうしようもなく彼女が女の子なのだと主張し、俺の理性に揺さぶりをかけてくる。

 俺は人の想いに鈍くなることは二度とない。一度でも想いを受け入れた俺には、すでにその資格は失われていた。

 月明かりに照らされ、艶かしく輝く唇に視線が吸い込まれる。

 翔無先輩はくつくつと笑うと、わずか数センチほど距離を保って静止する。


「いいんだよ? ボクはかっしーにだったらなにをされてもいい。君が願うことだったら、なんだってしてあげるよ」


 甘ったるい声でそんなことを言ったと思えば、翔無先輩の手が俺の脇腹を撫でていった。

 思わず洩れそうになった声を押し殺すと、翔無先輩は艶かしく口角を吊り上げる。


「ふふふっ、可愛いねぇ、かっしーは」


 温かく柔らかい手に優しく腹を撫でられるたびに、背筋に電流でも流されたような衝撃が走っていく。

 脇腹を上下に数回撫で、今度はへそのあたりまで手を滑らせる。そこも数回撫でると、どんどん手を上に滑らせていく。

 味わったことのない未知の快感に背はしなり、体が熱くなった。

 逆上せたように意識が遠くなり、本能だけが全面に曝される。

 いくら戦いの技術を磨こうとも男という部分に限っては並の男子高校生となんら変わらない。

 このまま彼女を押し倒したい――そんな感情の昂りを殺すべく、皮膚が破れるほど思いきり拳を握り締める。


「ふぅん、耐えるんだ。あっさり堕ちると思ったんだけどねぇ」

「誰が……!」


 強がってもギリギリだったことは隠しようのない事実だ。大きく跳ねる鼓動を落ち着けようと翔無先輩に悟られないよう呼吸のリズムを変える。


「ならこんなのはどうだい?」


 生暖かいものが首筋を這った。ぬるりとした液体が付着した感触には、わずかな違和感を抱かされる。妙に息遣いが近く、そこでようやく翔無先輩が舌で舐めているのだと気づいた。

 沈静した炎が再び燃え上がり、全身を焦がしていく。

 首に執拗に舌を這わせる。漏れる扇情的な息遣いは衝動を加速させた。

 ぴちゃぴちゃとわざと音を立てて舐め、誘うように脇腹を撫でる。服の上からでは物足りないとでも言うように、小さな手はなかに侵入してくる。しなやかに動く指は胸までゆっくりと、焦らしながら上がってくる。突起物に指先がぶつかり、いやらしく愛撫してくる。

 掌の痛みはもう役割を果たしていない。これ以上は危険だと脳内をアラートがけたたましく怒鳴り散らしていた。

 無理矢理にでも翔無先輩を退かそうと腕に力を込めるが――微動だにしない。

 ちょっとした疑問が冷静にしてくれる。左右に首を振り、見えたのは俺を拘束する小さなぬいぐるみたちだった。


「さすがのかっしーも病み上がりで後遺症が残ってて、疲労困憊で感じてて気づけなかったみたいだねぇ。すべてにおいて君に劣るボクがなんの対策もなしに訪れると思うかい?」


 背後に目を向ければ、さらにぬいぐるみが何体も浮かんでいる。

 これってたしか翔無先輩の実家で見た、彼女のもう一つの能力。


「『おんがえし』……!」

「覚えててくれたんだねぇ。そう、これこそボクの隠された能力にして原初、あるべき姿を体現した奇跡」


 身ぶり手振りで大仰に言ってのける姿に、アルバムの写真にあった幼き頃の翔無先輩が重なった。


「ねぇ、かっしー」


 耳元で甘く囁きかけてくるのは悪魔の囀りか。脳天から指の先まで余すことなく貫いていくゾワリとした感覚に理性が持っていかれそうになる。

 歯を食い縛り皮一枚のところで繋ぎ止める。正面から見れば鬼のような形相で睨み付けられているはずなのに、翔無先輩には欠片ほども動揺した様子がなかった。

 うっとりと目をまどろませ、愛おしそうに俺の頬を舐める。


「――ボクをメチャクチャに犯してよ」


 鎖が弾け飛んだ。



 小柄な体が壁に叩きつけられた。思わぬ衝撃で呼吸ができなかったのか、悲鳴一つ上げることのなかった彼女が床に倒れ込む。

 全身から放出した波動を鎮静させつつ、不規則に乱れる空気の入れ換えを正常化させる。壊れかけた波脈に無理やり波動を流したからだろう。特に右手の激痛がひどく、さっきまでの興奮など忘れ去っていた。

 俺は優しく甘い。だから旅行に来る前も、来夏先輩を傷つけるのが怖いからなどという真っ当で綺麗な理由をこじつけ、 拒むことをしなかった。

 だけどそれは違う。俺はただ――拒めなかっただけなのだ。

 口ではどう言い繕っても誘惑に負けていた。受け入れてしまっていた。

 でもいまの翔無先輩は、そうさせないほどおかしかったのだ。

 強引にベッドに縫いつけられていた手首にはくっきりと痣が残っている。流れる汗を拭って体勢を整えると、暗がり向こうにいる少女を見据える。


「痛いなぁ。君にしてはずいぶんと強引じゃないかい? それとも、そうしなければならないほど追い詰められたってことかな?」


 三日月に歪んだ唇が紡いだ言葉が悪意となって襲いかかる。


「マイマイちゃんが原因不明の病に倒れ、同じくかっしーも弱っているせっかくのチャンスだからねぇ。どうやら狙いはバッチリみたいで、嬉しい限りだよ」


 ゆらゆらと立ち上がる翔無先輩。彼女は戦闘に関しては正直に言えば相手にならないと評価を下すしかない。だというのに、風に吹かれれば消えてしまいそうなほど不安定に揺れる少女に、言い知れないとんでもない威圧が纏わりついている。

 超能力ではない。これは『カケナシユキネ』という複数個人・・・・の持つ固有の世界だ。

 それは空間ごと俺を呑み込み、支配下に置いていた。

 俺はこれに似た現象を――術式を知っている。

『魔導』の頂点にして真理。己が持つ心層風景で現実を侵食する禁術のなかの禁術。

 それゆえに名前は存在しない。これを行える者は『魔導』が反映していた時代においてもいなかった。術式が見聞するだけで、真理に到達できる者はいなかった――あの女を除いて。


「いつのならマイマイちゃんが来そうなもの――いいや、もうとっくに部屋にいてもおかしくはないからねぇ。ボクとしてはこれを逃すわけにはいかないところだよ」

「……そうかよ」


 翔無先輩を敵として認識し、神経を研ぎ澄ませる。途端に肌を焦がす緊張感が脳髄を蹂躙した。


「嗚呼、心地いいねぇ。これが君のいた世界の風景なのかい?」

「なんのことだよ」


 翔無先輩の一挙手一投足を見逃すまいと全神経を集中させる。視界に捉える光景を一枚一枚の細切れにした絵としなければ、彼女を圧倒するのは難しい。

 筋肉の微細な動きで初動を見切り、反応するのが常套手段だが、翔無先輩は点と点の移動であるテレポートの能力者だ。消えては現れる気配を追っていては、万全でないいまの状態では必ず追い付かなくなる。

 それに、いまのこの人は危険だ。八雲さんと幼き頃の彼女、そしてもっと別の影がちらついている。


「この敵意のことさ。こんなにも濃厚で重厚な緊張感、生きてるって感じだよ」

「キツいだけだろ。こんなんがなくても、生きてることなんていくらでも実感できるっての」

「……それは君たちだけだろう?」


 全身にのし掛かる重圧が一気に増した。一歩近づかれるのに対し、俺は無意識に後退っていた。


「そんなに引かないでよ。傷ついちゃうじゃないか」


 そう言って作る笑みさえも――気持ちが悪い。


「いったいどうしたってんだよ。先輩はピンク色の会話とか苦手なんじゃなかったのか? それにこんな強引なことする人じゃないだろ」


 きっとこの不用意な発言が引き金となったのだろう。わずかに気を緩めていた俺の目の前から、翔無先輩が消滅する。

 刹那。

 眼球のなかで火花が弾けた。続けて鳩尾に強烈な打撃が叩き込まれ、壁際まで追い詰められる。低い位置から胸元を掬い上げられ、喉を絞められる。


「おいおい、かっしー、君はボクのなんなんだい? たかが数ヶ月――その数ヶ月だってそこまで深く関わったわけでもないのに、どうして『ボク』を知った気になってるんだよ」

「ぐっ……!」


 絞め上げる腕に力が込められ、足が床から切り離される。そのか細い腕に小柄な体のどこから馬鹿げた腕力が沸いてくるのか不思議でならない。明らかに常軌を逸してる。異常すぎるほどに異常だ。

 超能力を有する翔無先輩は普通にカテゴライズされないが、異常においては並外れたものではなかったはずだ――はずなのに、この力はなんなんだ。

 抵抗してもピクリともしない。首を絞める力は徐々に増し、呼吸が困難になる。


「ピンク色の会話が苦手? 当たり前だろう。『ゆきね』はまだ子供なんだぜ? 思春期にもなってない子供がそんな話に耐性があるわけないじゃないか」


 翔無先輩は続ける。


「君は本当になんでも知ったつもりで話しかけてくるねぇ。ボクだってわからない『ボク』のことを指してボクらしくないってさ、何様のつもり――なんだッ!!」


 怒号に合わせて、翔無先輩は俺を掴んだまま腕を振り回す。埃でも払うように軽い動作で行われたそれは、しかし部屋に置かれた家具を巻き込みながらも勢いが緩まない。

 無重力のなか全身を殴打され、鈍い痛みが肉体を苛んでいく。絞める指は首に食い込み、無駄な抵抗を続けるのなら骨をへし折らんとする気配が漂っている。


「ねぇ教えてよ。ボクらしさってなんだい?」


 振りかぶり、俺の体を壁に向かって放り投げた。ようやく自由を得、空中にいる間に準備を整えて着地する。


「さっきも言ってた卑猥な話が苦手なボクかい? 飄々とした態度で掴みどころのないボクかい? それとも救ってくれた人に憧れて能力者を助けるボクかい?」

「……全部、だろうが」

「あはははっ! だろうねぇ! 君なら絶対にそう言うと思ってたよ!」


 慈しむように己の体を抱き、まさしく狂ったとしか言えないほどの嘲りで空間を満たした。


「そう全部だよ。全部が全部――偽物だよ」


 自分を『ボク』という彼女は八雲さんによって作られた仮初の人格だった。

 殺人鬼としての資質を狂気を増幅させて生まれた『ゆきね』が生き返るまでの、紛い物の人格。殺された『ゆきね』が自我を取り戻せば、『ボク』は自然と消えるはずだった。

 しかし『ゆきね』が蘇ったあとも『ボク』は消えることなく、元々の能力だけを引き継いだだけだった。


「あの日からボクは自分の生に実感が沸かなくなったよ。まるでほかの人間、ほかの人生に突っ込まれたような感じでさぁ? そうするといままでの全部が、偽物だったとしか思えなくなったんだよ」

「そんなこと、あるわけないだろ」


 苦し紛れ反論に翔無先輩の表情が歪む。


「なんでそんなことが言えるのかなぁ!? なに? 君はボクの全部でも知ってるっての!? なんにも知らないくせに否定してさぁ!!」


 認識したときにはすでに踵が目前に迫っていた。電気信号が動きを伝えるまでのタイムラグ。一瞬にも満たない時間を見抜き、テレポートを併用して確実な一撃を与える翔無先輩の十八番だ。

 これには気の緩みなど関係ない。絶対に反応できない矛であるがゆえ、捉えた瞬間に対処しなければならないのだ。

 戦いの感覚が研ぎ澄まされていなければ、身動きひとつ取れなくなる。

 身を引いて紙一重で躱す。摩擦で発生した静電気が頬を撫でていった。


「ボクの全部は偽物なんだよ! 性格も思い出も想いも、なにもかも、ぜんぶぜんぶぜぇぇぇぇんぶ、偽物なんだッ!!」


 それこそ、あの日から翔無先輩の夢中で渦巻いていた感情だったのだ。

 模造品として詰め込まれた代用品。『ゆきね』を模して作られた人形。あのときこそ平然としていたが、実際はそのことに爆発した感情を隠していたのだ。

 抑え込まれていたそれが、俺の言葉によって完全に放出されたものの、いつこうなってもおかしくなかっただろう。むしろよくいままで堪えていたものだと思う。


「君はいいよねぇ! 本物の輝きがある。ボクには眩しいくらいだよ!」

「翔無先輩……」

「ああ羨ましい! 偽物で中身のないボクには君は高嶺の花さ! どれだけ手を伸ばそうとも指先さえ触れることはないんだろうねぇ!」


  吼える。飛び込んできた翔無先輩の熊手で重ねられた掌底が、真っ直ぐに鳩尾に吸い込まれてくる。片足を軸にすれ違うよう体を入れ換え、そのまま足払いをかける。

 鞭のようにしならせ、刈り取らんばかりに振るったそれは、テレポートを使うまでもなくあっさりと躱された。

 そしてテレポートで姿を眩ませる。

 狭い空間で連続してテレポートを使おうと、馴れてくれば察知はさほど難しくはない。ただし翔無先輩のは違う。擬似的で不安定であるが固有結界を施されたこの場では、彼女の思うままに結果を運べる。ゆえにヒットする直前に反応し、対応するほか対処法がないのだ。


「――ねぇかっしー、ボクに本物をちょうだい」

「がっ……!」


 ひときわ大きな影が俺を穿つ。その勢いはいかに広々とした部屋のなかでも削ぎきれるものではなく、窓ガラスを突き破って月明かりの下に連れ出した。

  こちらからの反撃手段はないが、俺が躱し続けている間は翔無先輩も同じことの繰り返しをするだけになる。俺は一手ごとに最小限回避行動しかとっていないため疲労の蓄積はゆっくりとしたものだ。

 逆に翔無先輩はテレポートで出現したポイントで全身の筋肉を連動させなければならず、体力の消耗は俺の比ではない。

 そのことは翔無先輩がよくわかっていることだろう。だから場所を変えることにしたのだ。

 砂浜に放り投げられた俺を追いかけ、大小様々なぬいぐるみが押し寄せてくる。外見はファンシーであるだけに、可愛い外見のまま急激に迫られる光景は不気味を通り越して表現しがたいものとなっていた。


「ここでなら思いきり暴れられるだろう? さっきからまったく反撃してくれなかったけれど、これでようやく対等になったわけだ」

「悪いけど俺に戦うつもりなんて欠片ほどもないぞ」

「ん? おかしいねぇ。君は異世界で魔王を、現実で原初の能力者を刃を賭してひれ伏させてきたじゃないか。知り合いなんて理由だけで、君らしさを捨てるのかい?」

「……皮肉のつもりか?」


 たしかに俺は与えられた役目を遂げるために、人伝で聞いた話で『魔王』に勝手なイメージを作り、剣を以て決着をつけた。

 こっちに帰ってきてからも話し合いの余地もなく、力ずくで捩じ伏せてきた。

 俺らしい、といえば俺らしい。『勇者』なんて所詮は殺戮者を都合よく表現しただけだ。世界が違えば『勇者』だって破滅の根源となりえる。


「そんなわけないじゃないか。なんで皮肉なるんだい? いいじゃないか。力を以て道理を捩じ伏せるのが君らしさだろ?」

「そうだな。いまさら否定したりしない。俺は剣でしか語れない――いいや、剣で相手を叩きのめして弱らせて、屈服させたところに自分の意見を捩じ込むくらいしかできねぇよ」


 話し合いなんかで事を終わらせることができるのなら、世界に戦うための術は生まれなかった。

『魔王』の脅威に苦しめられ、異界から『勇者』を喚び出すことだってしなかったはずなのだ。話し合いで済まそうというのは結局は理想論であり、どうあったって争いで片をつけるしかないのだ。

 それがらしさってなら仕方ねぇよ。

 でもさ、


「俺はもう『勇者』じゃないんだぜ?」


 だったら『勇者・・らしさ・・・なんて必要ない。ただ俺らしく、翔無先輩を止めるだけだ。

 剣を抜かない理由なんてそれだけで十分だ。翔無先輩が知り合いだから、持ち味の甘さをもって決着をつけてやる。いまさら甘い性格なんて直せるか。甘いもんは一生甘いままだっつーの。

 翔無先輩は渋面を作り、腕を持ち上げる。それはさながら演奏が始まる直前の指揮者であるように、柔らかくしなやかに。


「それが君の答えか。――なら、それでもいいよ」


 指揮者は合図を下す。

 さあ、劇場の始まりだ。



 交差させた腕に鉄球でも叩きつけられたような衝撃が走る。眼前にあるのはコインゲームで獲得できるほどの小さなぬいぐるみだ。それが自立して行動し、自動車なら一発でスクラップにするほどの怪力に包囲されているとなれば、戦慄いて背筋を凍らせるしかない。

 砂浜に二本の線を刻み後退すると、その先にもう一体のぬいぐるみが腕を振りかぶっていた。

 ぬいぐるみの一体一体が即死クラスの物理攻撃力を秘めているとなると、物量作戦で追い詰められれば必ずボロが出る。

 なにせ俺に一度でも当てさえすればそこでゲームセット。言ってみればラスボス手前でレベル水準を満たしたキャラクターを従え、回復アイテムを十全に揃えた状態で戦いに挑むようなものだ。

 ラスボス側からしたら準備もできずに滅ぼされるだけなんてあんまりだろ。その気持ちがようやくわかった気がする。


「どうしたんだい!? ボクを止めるんじゃなかったのかよ!!」

「ああそうだよ!」


 しかし俺はそうなるつもりはさらさらない。逃げ場がないほど敷き詰められたぬいぐるみ。翔無先輩を傷つけるつもりはないが、ぬいぐるみなんぞに遠慮するほど余裕は持ち合わせていない。

 打ち出された剛力パンチを足場に、爆発的な加速力で翔無先輩に接近する。

 その際に繰り出される死の旋風を本能だけで掻い潜り――、


「そこから、どうするつもりなんだい?」


 翔無先輩は嗤いながら、接近した俺を避けることもなかった。


「ええ? ボクを止めるんだろ? なのにそんな殺しに来るような動きじゃ戦いになるだけじゃないのかい?」

「……っ!」


 バックステップで距離を稼ぐ。その瞬間にぬいぐるみによる暴風劇が再開される。

 くそ。いままでは武力で圧倒しさえすればよかったから助かってたが、戦わないと難易度も格段に跳ね上がる。しかもあっちはやる気満々だ。このままだと一方的にやられるだけだ。

 かといって天剣を復元させれば戦況は一気にひっくり返る。仮にぬいぐるみの強度が増していようと、おそらく斬れないほどではない。テレポートだって遠距離からの攻撃がなければ近くに現れるしかない。

 翔無先輩は何故か急速に強くなっている――が、覆せないほどではないのだ。

 言葉で説得しようにも応じないって態度で示されてるし、こりゃかなりマズイ。


「だからさっさと剣を使いなよ。なぶり殺しってのはつまらなすぎるだろ?」

「やりたきゃやれよ。大人しくするつもりはねぇから、ちゃんと狙いは絞るこった」


 不用意に間合いに飛び込んできたぬいぐるみを鷲掴みにする。小さい素体に力が凝縮されているだけはあり、押さえつけるのは一苦労だ。


「どうせ俺は甘ったれだ。身内同然の人が敵に回ったら戦えねぇよ。だからどうした。俺はそこまで非道になりたくねぇよ」

「……あはは。やっぱり、かっしーはスゴいね」


 ぴたりと動きを停止した翔無先輩は、月を見上げ朧気に呟く。


「自分の想いで道を決めて、自分の信念を貫いて生きている。――ああ、羨ましい」


 それは直感のなせる技だった。天剣の属性石を決して復元させまいとしていた俺はあっさりとそれを破り、黄金の輝きを右手に翔無先輩に斬りかかっていた。

 異世界で『勇者』として戦ってきた俺の直感が告げていたのだ。翔無先輩を傷つけまいとしていた理性をぶち壊し、目の前の脅威を葬り去れという本能が天剣を復元させていた。

 剣を握った俺は神速で彼女を間合いに捕捉し、首を撥ねるべく右手を振り抜く。

 神速で全身を接近させたのなら、振り抜かれた腕はそれを以上の速度を生み出している。切っ先は本人である俺にでさえいくつもに分かれて見えるほどだ。

 こちらの世界で最強の称号を手にする志乃にだって一閃を見舞う確信だってある。

 まさに全身全霊。衣装も異世界で受け取った着流しへと変化していることから、全盛期の一撃になっている。

 直感があったとはいえ、翔無先輩に向けるような剣技ではない。反応を許さないそれだった――はずなのだ。


「クキキ……なんだい? 君の全力はその程度なのかい?」


 どす黒い霧を腕に纏った翔無先輩は、一歩も後退ることなく刃を受け止めていた。

 間違いない、この人――!


「なんでだよ……」


 頭のなかがぐちゃぐちゃになって思考できなくなる。

 世界の危機に面して俺は召還された。異世界から還ってきても先代の魔王と戦うことになって、勇者とはほとほと引かれ会う関係なのだと思い知らされた。

 俺が戦った『魔王』も実はこっちの世界の住人だって聞かされて、どうあっても対立しなければならないのだと実感させられた。

 だからって、なんだんだよこれ。ふざけんじゃねぇよ。

 勇者と魔王の糞みたいな関係に巻き込んでんじゃねぇよ。


「なんで先輩が魔王にならなきゃならねぇんだ!」


 天剣を抑え込んでいるのは魔力の塊だ。一点に集束させ、衝撃を吸収したのだ。


「ああ、これが『魔王』の力なのかい? クキキ、これで戦うしかなくなったねぇ」


 微笑む翔無先輩はわかっているのだろうか。己の変化に。そして、俺だけでなく世界そのものを敵にしてしまった、『世界の危機』になってしまったことに。


     ◇◆◇

 

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