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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第八章〈夏休みの終わり〉編
105/132

8―(7)『ここは楽園ですか? イエス、エデンです⑤』

 

 レン・クウェンサーは異世界人である。

 肉体はノア――楠木希空というこの世界に行き着いた際に再構築された少女のものとなっている。ポテンシャルは正直にいえば並、スペックも計るまでもない程度だ。

 成長すればその限りではないだろう。体が仕上がれば肉体はレンに近くなるのだから、当然ながら人離れしたものとなる。しかし現時点でのノアは病弱と評価するほかなかった。

 レンの肉体を再構成し、ノアと共存した状態にあるからこそ外見の活発さの通りでいられる。ノアだけで成長していたとすれば、おそらくこのように動き回ってなどいられまい。

 実のところノアは無意識に波動で肉体を強化しているのだ。だからノアのときに尋常ならざる動きも再現できる。当たり前に波導を行使できるのは、潜在的にレンの知識を引き出しているためだろう。でなければ幼子であろうと平気にしていられまい。

 ノアにしてみれば波導は生まれたときからあったものだ。使えることに疑問を抱く余地はない。だからこそノアの肉体で波導を酷使することができる。

 だが先刻の戦いではあまりにもやり過ぎた。波導を酷使できても『雷天』による『雷天』たる『雷天』の雷を耐えるだけの仕上がりにはなっていないため、後遺症が出てしまっていた。

 まず波導がほとんど使えない。次点で激痛。意識が反転したときノアが苦しまないよう肩代わりしているだけあって、なにもしてないときは下手をすれば身動きがとれないほどになる。

 夜の睡眠のときなど静寂に包まれているため五感が痛覚に集束され、その痛みを何倍にも引き上げてくれる。おかげで早寝早起きの習慣がついてしまった。

 それゆえに目の前の騒がしさはちょうどよかった。

「おお! 見てよ見てよ、カニだー!」

「カニくらいで騒がないの。……カニだね」

 さすが双子だ。妹であるエミは姉であるアミを注意しつつも、かさかさと動く蟹に夢中のようだった。

「……っ!」

 そして『九十九』の当主である一葉はキラキラと目を輝かせて興味津々のようではあるが、初めて実物を見たからかレンの後ろに隠れてしまっている。

 年齢的には一番だが、見た目的には一番幼いレンの後ろに隠れるとはどういうことだろうか。隠れる意味がないと内心で呟いておく。

「レンも突っ立ってないで一緒に遊ぼうよー!」

「こら。エミたちの方が年下なんだから、さんをつけないとだめだよ」

「あ、そうだった」

 驚くべきことに支倉姉妹はレンが年上であることを知っていたのだ。もちろん自分から行ったわけではない。事情を知っている人間でなければこんな荒唐無稽な話をしても頭がおかしいと思われるだけだ。

 支倉姉妹がこのことを知っているのは、ある特性を持っているかららしい。

「『吸血鬼』だっけ? そんなのがあるからってよく信じられるわね」

 超能力と言われてもいまいちピンとこない。

 波導のように属性が八系統に振り分けられるのではなく、様々な事象を起こせることから、その数は無数にあるのかもしれないと竜一に言われた。

『吸血鬼』もそのひとつで、怪異譚などに登場する伝承の吸血鬼をモチーフをしたもの。魅了や超回復力、果てには不老不死まであるとのことだ。おまけとして直感のスキルが備わっているらしいが、おまけにしておくには豪華すぎるとレンは思った。

 なにせこの直感は未来予知に近しいのだ。先の行動を予測できてもあくまでも予測。予知とでは正否の差が出てくる。とはいえ二人の直感はそこまで大きなものではない。せいぜい日常で役立つかどうかくらいだ。

 支倉姉妹くらいの実力なら大したことないが、それが化物クラスの人物に宿ればまさに鬼に金棒。手の施しようがない。

 柊詩織が『吸血鬼』として完成形にして究極体とのことだが、その直感は本当の意味で未来予知。未来を見透かしているのだ。

 それでも戦いでは数手までしか予知できないらしいが。

「志乃からもらったものだからね!」

「いや、もらったものだから余計に信じらんないでしょ」

 純真無垢とはこのことか。信じて疑うことをしないアミに呆れ返る。

 信じられるのは己が磨きあげてきた技のみ。たとえ仲間だとしても、こと戦闘に関してだけは信じることができない。

「シルヴィとソフィアだけはないわー」

 特に一緒に旅をしていたロリババァと雑食は信用も信頼もない。あれらを信じるくらいなら道端の石ころの方がまだマシだ。

「だれ?」

「ああ、レンの知り合いだから気にしないで」

 とりあえずあの二人のことは捨て置こう。考えるだけとにかく無駄だ。

「そうだよ! それよりカニカニー!」

「もうどこかに行っちゃったよ」

「えー……がっかりー」

 いくら蟹でも双子の危険性に気がついたのだろう。会話の最中にこそこそと逃げていくのを目尻に捉えていた。

 蟹によく似た魔獣にはいい思い出がないし、お互いにこれが最善だ。

「あれ?」

 よく見ればいなくなったのは蟹だけではなかった。日本人形に命を吹き込んだような大和撫子の姿もどこにも見当たらない。

 どこに行ったのだろうと周囲を見渡してみるが、視界に映る範囲で人影はない。

 あの世間知らずそうな少女が短時間でそう遠くまで行けるとは思わないが、その反面、近場だろうと普通は踏み入らなそうなところに行っていそうな気もする。

 支倉姉妹は妹のエミがいれば多少は心配が減る。

 しかし一葉は別だ。第一印象で世間知らずと決めてかかった少女への心配は尽きることはない。

 お世辞にも面倒見がいいとは言えないレンだが、ああも放っておけない少女がいなくなっては心配で胃が痛んでしょうがない。外側の激痛は自業自得としても内側の鋭痛など勘弁だ。

「あんたたち、黒髪子どこに行ったか知らない?」

「黒髪子って一葉のこと? えっと……アミはわかる?」

「エミがわかんないのにわかるわけないじゃん」

 直感を期待してみたが機能していないらしい。なんのためのスキルだと愚痴を言いたくなる。少なくとも人探しのためではないだろう。

 これは休息を返上して一葉を探した方がいいかもしれない。

「あんたたちは好きに遊んでて。でもあんまり変なとこには行かないようにね」

 子供とは好奇心の塊だ。釘を刺したら刺したで好奇心を煽るだけになるもしれないが、一応言っておかないと気になってしまう。

 いくら『吸血鬼』の眷属として生き返ったといっても子供には違いない。しかも精神が不安定のときに不老不死になったせいで、それが老いていくにはかなりの時間を要する。

 この先、関わることがあるかは定かでないにしろ、付き合うのだとしたら保護者の立場になるのは間違いなくレンだ。

 アミはともかく、エミなら言えばわかってくれそうなのが唯一の救いだ。

「ううん、アミたちも一緒に探すよ。ね?」

「そうだね。レンさんだけに探させてエミたちだけ遊ぶなんて申しわけないよ」

 むんと鼻を鳴らすアミと無言で視線を巡らせるエミ。姉妹でこうも性格が違うものなのだろうか。それもいまさらというものだが。

「ならさっさと探すわよ。レンだってゆっくりしたいんだから」

 と言ったもののどこを探せばいいのか。会って間もない一葉が行きそうなところなんて検討もつかないし、近場にいるかもしれないとしても、元々レンはこの世界についてなにも知らないのだ。

 実際、無人島で目を覚まして海を見たときなど我が目を疑ったくらいだ。

 異世界では先代魔王の残した爪痕のせいで、水系統の波導を除いて透き通った水を見たことがなかった。たとえ水系統でも『水天』級にでもならなければ、そこまでの水を湧き出させるのは不可能である。

 元『水天』である竜一と共に旅をしていたからこそ、綺麗な水を見れたのだ。

 それはさておくとして、つまりレンはこの世界の人間が海に来たらどこに行こうとするのか、その習性がわかっていない。

 迷子になったのが一葉でなかったとしても、全く予測が立てられない。

「……まっ、手当たり次第に探すしかないか」

 幸いなことに気になるだけなので急ぐ必要はない。曲がり形にも一葉はあの激戦を生き残ったのだ。大抵のことで危険にはならないだろう。

 探すついでに、レンは訊いておきたいことがあったと話を切り出す。

「あんたたちにとってシノってどんな存在なの?」

 冬道と志乃の全力の一撃。あれはたとえ全盛期レンでさえ、割り込むのには死を覚悟しなくてはならなかっただろう。

 しかし支倉姉妹はなん躊躇いもなく飛び込んでいった。ただひとりを助けるために、不老不死だとはいえ、幼き少女がその恐怖を打ち砕いたのだ。

 レンにはそこまでする理由がわからない。

 竜一も『炎天』も『風天』もそうだった。自分の利益がないのに、困っているから、助けを求めているからというだけで救いの手を差し伸べていた。

 助けを求めるのはそいつが弱者だからだ。弱者を助けてどうなる。

 危険を省みず他者を助けるという無意味な行動の果てになにがあるというのだ。

「アミたちの大切な家族だよ!」

「うん、家族だよ」

「ふーん……家族、ねぇ」

 レンは家族というものを知らない。そもそも竜一と出会うまで他者と行動を共にすることを知らなかった。生まれたときから孤独だったレンは誰とも繋がりがなかったのである。

 それでも力があった。『雷天』としての資質はすでに確立しており、幼少のころから弱者の立ち位置につくことはなかった。ゆえに助ける助けられるの感覚がない。

 支倉姉妹にとって志乃が家族――大切な存在だというのなら、レンにとっては竜一たちが家族に当て嵌まるのだろう。

 けれどやはり竜一たちと協力することはできても、助けることはできないかもしれない。

「エミもレンさんに訊きたいことがあるけど、いいかな?」

「別にいいけど。レンになにか訊きたいことなんかあるの?」

「うん。レンさんはどうしてこっちの世界に来たのかなって」

「あー……それか」

 額に手を添えて絞り出すように相槌を打つ。

 竜一は召喚陣の加護によって喚び出された『勇者』と違い、偶発的に連れ込まれてしまった被害者なのだ。

 帰還の際は完成した召喚陣を使ったのだが、レンはそのとき無理やり割り込んでこちらにやって来たのである。

「こっちの人間の強さってのを見てみたかったから、かな」

 召喚された人間は揃いも揃ってどうかしている。こっちに来て、戦いが日常的なものではなく非日常的なものだということを思い知らされた。

 歴史を振り返れば幾度と戦争を繰り返しているも、現代社会ではあり得ないと言わしめるほどその火種は小さい。

 冬道も竜一はそれは同じのはずだ。だというのに見知らぬ世界に飛ばされ、さらに唐突に戦禍に巻き込まれたというのに、人の心や世界を動かすほどとなった。

 その強さはなんなのか。それを知るために死まで覚悟したのに、結局は答えを得ることは叶わなかった。

 ならばここにいる理由はもうない。できることなら闘争が根についた世界に戻り、存分に力を振るいたかった。こんな不自由な肉体では満足できない。

「にしても黒髪子のやつはどこまで行ったのよ」

 把握した地形はあらかた探し終えた。あとは学生組や大人組がいる砂浜と、反対側にある洞窟だけになるが、断りもなく行くだろうか。

 声を持たない一葉は身ぶり手振りで感情や伝えたいことを表現するしかない。そんな彼女が勝手に離れるとは考えにくい。いま現在、断りなく移動したのはすぐに合流するつもりだったからだろう。

 しかしそうしないのは、もしかしたらできないからなのかもしれない。

 身動きのとれない状態なのか、それとも迷ってしまったのか。

 前者はおそらくない。とすると残るは後者だ。

「洞窟……あの子まさか、蟹を追いかけてったんじゃないわよね」

 あり得る。それなら一言もなくいなくなったのにも説明がついた。

「なーんかこういうときって、だいたい面倒なことになるのよねぇ。経験からして」

「経験からして?」

「そ。経験からして」

 洞窟に迷子。二つのワードはお決まりのイベントを発生させるための条件にしか思えない。むしろひょっこり返ってきたら戦々恐々とせざるを得ない。

 思えば巻き込まれ体質の人間が二人もいる時点で、なにか起こると身構えてなければならなかったのだ。近くにいないからと気を緩めすぎた。

「……このまま置いていこうかしら」

「だめだよ! 一葉のこと迎えに行かなきゃ!」

「わあーってるわよ。冗談だからあんま叫ばないでよ」

 アミの額をぱちっと叩き、洞窟に足を進める。

 どうか大したことのないイベントでありますように――レンはすでなにかが起こることを前提に、崇拝してもいない神に祈りを捧げる。

 しばらく歩いていると目的地である洞窟が見えてきた。別段怪しい気配はない。さしあたって外敵を駆除する、などはしなくてもよさそうだ。もっとも属性石がないいまはまともに迎え撃てないのだが。

「さてとー、黒髪子はどこかしらね」

 なかに入るつもりはない。入りたくない。面倒臭がプンプンするのだ。

 一葉は確実に洞窟のなかにいるだろう。

「このなかじゃないの?」

「このなかだよね?」

 アミとエミの視線がわずか上方より突き刺さる。

 ――わかってるわよ? わかってるんだけど……ほら、虫の知らせというか、純粋に入りたくないときってあるじゃない?

 内心でできる限りの言い訳を並べる。入ったら確実にイベント発生だ。面倒なことになる。これはもう絶対の確実なのだ。

 このまま回れ右をして別荘に帰りたい。帰ってゆっくりしたい。痛み? 面倒なことに比べればどうということはない。

「それじゃあレッツゴー!」

「ごー」

「ちょっ!? 行かないでぇぇぇ!」

 悲痛は叫びは受け入れられない。梃子でも動かんとしていたレンを『吸血鬼』のたぐいまれな腕力を以て引き摺り、どんどんと洞窟に吸い込んでいく。

 ごつごつとした岩壁は自然に出来上がったものだ。ときおり響く水滴の歌声は不気味な雰囲気を助長させている。水溜まりが点々とする地面には、しっかりと足跡が残されていた。

 一葉のもので間違いないだろう。

 日が差し込まない洞窟内は夏にも関わらずひんやりとし、水着しかまとっていないばかりか、ついさっきまで海に浸かっていたため体温が瞬く間に下がっていく。意識に反して体が震える。

 支倉姉妹はどうなのかと横目で確認してみる。

「うーん、いないね」

「まだ探し始めたばっかりだよ」

 どうやら寒さを感じていないらしい。『吸血鬼』は不老不死であり、超回復力も秘めている。傷の再生だけでなく体温の正常化もそれに含まれているようだ。

「うう……さむっ。早く見つけないと風邪引くわね、これ」

「むむ! レンがピンチだよエミ!」

「だからさんをつけないとだめだよ。でも、たしかにピンチだねアミ」

 お互いに頷いた支倉姉妹はなにを思ったのかレンの腕を両側から抱き抱えると、小麦色に焼けた皮膚に頬擦りをしてきた。

「……あんたたち、なにやってんの?」

「温かいかなぁって。どうどう? アミたち温かい?」

「……うん、まあ、温かい」

 なんでこんな可愛いことをやるんだろう。なんでこんな可愛いことができるのだろう。本当はあまり温かくなどないのだが、心がほっこりしてしまった。

 とりあえず和んだところで一葉の捜索を再開する。

 吸い込めば喉を霞める痛み。薄着で長時間こんなところにいては風邪を引くどころでは済まなくなる。早く見つけなければならない――が、どうやらその必要はなさそうだ。

 暗闇の向こうから誰かが走ってくる足音が聞こえた。

「お、一葉だー! ってあれ?」

「一葉ちゃんだね。……あれ?」

 揃って首をかしげるのを見て不思議に思ったレンは視線を前に向け直し、二人が疑問符を浮かべた意味を理解した。

 こちらに走ってくる一葉が必死な形相のうえ、そろそろ止まらなくては勢いのままぶつかってしまうのにも関わらず、一向に減速する兆しがない。真っ直ぐレンに・・・・・・・向かってきている。

「ってちょっと待って二人とも離しなさい!」

 このままでは羽交い締めにされた挙げ句に突進されるようなものだ。あの勢いだとたぶんやられる。意識を刈り取られる。

「はーなーしーなーさーい!」

 この小さな肉体ではいくら暴れても『吸血鬼』の眷属である二人の拘束からは逃げられない。びくともしないとはまさにこのことだ。

「あの二人とも!? なんで離してくれないの!?」

「いや勢いにやられてなんか動けないんだよ!?」

「え、エミも……」

「ちょっとー!?」

 情けなく叫んでいる間にも一葉は迫ってくる。もはやレンのことなど気遣う様子はない。遠くからでも涙を溜め、必死に逃げていることを見てとれた。

「いやちょっとホントに――げふぅ!?」

 少女らしからぬ悲鳴を発しながら、ようやく拘束から逃れたレンが錐揉み回転で飛んでいく。低空で滑走する小柄な体は、あと少しでも地面に近づけば大惨事になるだろう。

 しかしそこは『雷天』である。いくら間抜けなことをしていようと染み付いた動きは鈍らない。回転を強引に止め、両足を地面に突き刺すことで勢いを殺しきった。

「危ないじゃない!? あんなの普通に喰らってたらただじゃ済まないってなんであんたの方が痛そうにしてんの!? レンの方が危なかったわよね!?」

 頭を抱える一葉を介抱する支倉姉妹に文句を申し立てる。明らかにレンの方が危険だったというのに心配の欠片すらないのだ。扱いの酷さが目立つ。

「え? 一葉の方が可哀想だよ」

「なんでよ!?」

 素で言うものだからなおのことたちが悪い。直感で心配はないとわかっているからこその反応なのだろうけれど、せめて欠片ほどは気にかけてほしい。気持ち的に。

 撫でられて嬉しそうにする一葉。やっと話を聞けそうだ――と思ったが、そういえば一葉は声を出せなかったのだった。

 どうしたものか悩んだ末、なにもいい案が出ないまま問いかける。

「慌ててたみたいだけどなんかあったの?」

 本当は勝手にここまで来たことに説教したやりたいところだが、そういうわけにもいかないらしい。

 問いかけた直後、一葉がなぜ逃げてきたかが判明した。

 暗闇の奥で蠢く気配がある。通路を塞ぐほど丸々とした体躯は、一葉が逃げても仕方ないほど強烈な威圧感があった。無意識のうちに後退させるほどのそれに、レンの口角が苦く吊り上がる。

 一歩だけ前に歩を進め、少女たちを背後に配置する。

「こんなん見たら慌てるわよね。レンだって柄にもなく逃げたいくらいだし」

 頬の筋肉が痙攣する。浮かべた笑みが引き攣っていることなど確認するまでもない。こうやって虚勢を張るので精一杯だった。

 赤く弧を描くフォルム。ありとあらゆる関節が存在しないと思わせる軟体な動きをする八つの影は、レンたちを捉えんとするかのようにうねっている。ぎょろぎょろと忙しなく活動する眼球は一種のホラーに見えなくもない。

 不意に眼球が動きを停止する。そしてそれはレンたちを正面に補足した。

 瞬間、レンは次の行動を決定すると同時に叫ぶ。

「踵を返して全力疾走! 振り返らないで必死に逃げなさい!」

 一葉を強引に抱き寄せ盥担ぎにし、爪先に力を込める。

『雷鎧』

 全身から雷を迸らせたレンを激痛が襲う。波導を使いすぎて痛みがあるということは、波動を流すパイプである波脈が極限まで消耗しているからだ。

 風船を膨らませ続ければいつかは破裂する。それと同じで、波動を流し続けた波脈がキャパシティを越えてしまえば、最後には死に至る。その危険を知らせるアラートとして痛みが生じてくるのだ。

 無視し続ければ――死ぬ。

 しかし場合によってはそうしなければならないときもある。いまがそのときだ。

 雷とほぼ同化したレンがジェット機を彷彿とさせるような勢いで飛び出し、後ろを支倉姉妹がついてくる。その背後にはなにもない。

 やはりあれは見た目の通り動きは鈍いようだ。あの巨体でついてこられでもしたらもうどうしようもない。これなら速度で逃げ切れるだろう。

 ほっと息を吐いたレンは目を回す一葉に頬を綻ばせる。

「れ、レンさん! ついてきてる!」

「はぁ!?」

 しかし安堵は一瞬にして崩された。告げられた一報にレンの背筋を悪寒が駆けていく。半分だけ振り返った先には巨大な影がすぐそこまで迫っていた。

『吸血鬼』の眷属である二人ならまだしも、あの巨体でついてこれるなど冗談にしては笑えない。血の気が引いてさらに体温が低くなる。

 走行というより飛翔。張られた弓から矢が放たれるがごとく岩壁に八本の触手を張りつけ、初動で発生した勢いで胴体を飛ばしている。

 レンたちに追いつけるのは体格に加えてリーチに圧倒的な差があるためだろう。こちらの数歩もあちらからすればただの一歩。先のハンデがあったからこそ距離を保てている。その距離だってすでに埋められつつあった。

「あんたたちのスキルでどうにかなんないの!?」

「スキルってなに!?」

「超能力とやらのことよ! それでどうにかなるの!?」

「えっとえっと……任せたよエミ!」

 頷いて青色が反転。右手を突きだし拳を握る。すると周りの岩壁が形を変え、巨体目掛けて八方から柱が突き刺さった。

「やるじゃない!」

「むん。……むん? だめみたい」

「え?」

 ほとんど隙間がないほど敷き詰められた柱から巨体が絞り出される。

 ぐねぐねと形を変える様は気味が悪い。エミの猛攻を凌げたのも不思議だが、あの柱から抜け出られるのは奇妙極まりなかった。あのような動きをする生物は見たことがない。

「あーもう! レンが戦えたら一番いいのに!」

 無詠唱でも『雷鎧』が限界だ。もしも攻撃に転化すれば細胞から崩壊するだろう。

 唇を噛み締め、レンは肉体の脆さに苛立つ。

 そんなときだった。腕に抱えた一葉がレンの肩を叩いた。

「なに? どうしたの?」

 棘の混じった返答に一葉はわずかに怯えたようだが、自身に指を向けたあと、その先端を後ろの巨体に向けた。

 最初はなにが言いたいんだと苛立つなか訝しむも、すぐに答えは出た。

「あんたがやるってこと?」

 聞いた限りでは一葉の超能力は闇系統の波導と同質なものらしい。たしかに遮蔽物で行く先を遮れないのならば、力づく押し潰して身動きを封じてしまえばいいのかもしれない。

 壊すかそうでないか。雷系統とはそういうものであり、そういう考えしかしてこなかったため、そんな単純なことすら失念していた。

 レンは勝ち気に口角を吊り上げ、凄惨に嗤う。

「――やっちゃいなさい」

 その瞬間、一葉はレンの眼の奥に宿る狂気を垣間見た気がした。

 込み上げてくる恐怖を押し殺し、迫る脅威に向けて能力を発動させる。

 爆発的に倍々化した重力に耐える間もなく巨体が地面に叩きつけられた。今度は抜け出すなんてことはなく、潰されに潰され、形を見る間に変形させていく。

「おお! すごいね一葉!」

 アミの手放しの称賛に一葉の頬がほんのりと桜色になる。

 しかしこう楽観的にいられる状況ではない。一葉の能力の範囲がどれ程のものか定かではないが、洞窟から脱出してからも効力が及ぶことはないだろう。これはその場凌ぎでしかない。

 効果が途切れればあれは追いかけてくる。そうなれば騒ぎになってしまう。

 せっかくの慰安旅行だというのに厄介を持ち込むのは気が引けるけれど、闘争を好む連中が揃っているのだ。これくらいなら簡単に処理してくれるはずだ。

 何度目になる溜め息を空中に撒き散らし、一刻も早く出口に辿り着くため速度を上げる。

「……ほんとーは誰かに頼るなんて、不本意なんだけどね」

 レンは呻くように呟く。

 遠くに出口の光が見えた。


     ◇◆◇


 

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