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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第八章〈夏休みの終わり〉編
102/132

8―(4)『ここは楽園ですか? イエス、エデンです②』

 

 男の着替えなんてあっという間だ。女の子はどうしてそんなに時間がかかるのか不思議で仕方ないが、文句を垂れ流しても早くなるわけではないので、そういうものだと割りきることにしている。

 これは決して真宵の水着姿を早く拝みたいからではない。一緒に水着を買いにつれていってもらえなかったから、遠足前夜の子供よろしく楽しみで待ちきれないからではないのだ。

 いや、楽しみなことは楽しみなんだけどさ。

 どこに恋人の水着姿を楽しみにしない男がいるものか。

 どこに女の子の水着姿に心が踊らない男がいるものか。

 九重なんて血縁者であるはずの揺火のでさえ興奮してる有り様だ。想像だけで逆上せたように赤面しているのだから、実物を見たら卒倒するのではなかろうか。

 かくいう俺も然りだ。真宵を直視したらもう二度と日の光は拝めないかもしれない。それもそれで、生涯に一辺の悔い無しというものだ。

 いや待て。それではそれ以上に可愛い真宵が見れなくなるではないか!

 うん。気をつけなければ。

「九重も気をつけろよ。こっからは――戦場だ」

「オーケーわかってるぜ相棒。戦場という名の天国だな」

 さすがだ。よくわかってらっしゃる。

「そんじゃま、天国に行くための下準備をしなっきゃな。下半身の準備だ」

「前後の会話の流れからして、いまのを女性陣に聞かれたら確実に誤解されるぞ」

 瞬間的に頭を冷却された気分だ。どうやら俺も浮かれすぎていたようだ。

 いかんいかん。九重が暴走ぎみなんだからせめて俺は一歩手前をついていかなければ。とばっちりを喰らうのなら被害は少ない方がいいに決まってる。

 決意を新たにして、更衣室に入った九重に続く。

「やあ待っていたよお二人さん。女の子が参上する前に準備を終えておくのは男として当然のマナーだぜ? 早く下半身の準備をしたまえ」

「やっべぇぜかっしー。知らないおっちゃんに恥ずかしい内容聞かれちまってたぜ」

「おいテメェ、どこでそのあだ名を知りやがった」

 どいつもこいつも不名誉なあだ名で呼びやがって。なんでそんなに拡散されてんだよ。そこらのウイルスより感染率高いぞ。

「待ちなよ少年。女の子の水着姿に興奮するのは男として当然の反応であり、あるいはぎむであり、しなければならない行為だ。恥ずかしがるようなことじゃないさ。僕なんて楽しみすぎて眠れなかったくらいさ」

「おっちゃんマジパネェ! かっしーかっしー、このおっちゃん誰だ!?」

 興奮冷めやらぬとばかりに九重は俺に詰め寄ってくる。

「翔無八雲さん。義娘に裸エプロンをやらせる変態だ」

 逆立つ刈り込んだ頭髪。もう現役は退いたはずなのに、その眼光のギラつきは未だ劣ることを知らないようだ。

 偉そうにふんぞり返り、俺の言葉に不満を呈してくる。

「おいおい、その紹介はないだろうかっしー君。それじゃあまるで僕が東雲くんをひん剥いて楽しんでるみたいじゃないか。その通りだよ!」

「やっぱこのおっちゃんマジパネェぜ!」

 眼帯に隠されていない方の目を輝かせ、八雲さんに尊敬の眼差しを向けている。

 その人は尊敬していい人じゃないぞ。ろくでもない変態なんだ。

「はっはー、そんなに誉められたら照れるじゃないか。おじさんをおだてたってなにもでないっていうのに。仕方ないね。君には東雲くんの胸を自由にしていい権利を与えよう」

「マジで!? ひゃっほーい! 最高だぜ八雲のおっちゃん!」

「なあに大したことじゃないよ。ほかになにがお望みだい?」

 超ラノベ級のチョロインもびっくりなチョロさだった。

「つーか勝手に東雲さんの胸の権利の譲渡とかしていいんですか? どうぜ触らせてもらえないだろうし、そのあとで八雲さんの悪行がバレてぶん殴られると思うんですけど」

 これはまず間違いない。普通に考えて自分の知らぬところで自分の胸の権利がどうのこうの言われていたら、東雲さんでなくともお怒りになる。

 俺がそう指摘すると、九重と八雲さんが冷めた視線を突き刺してきた。

 なんだ。なにもおかしなことは言ってないぞ。

「はぁ……わかってないな、かしぎ君。そいつがわかっているからこそ、僕たちは諦められないんじゃないか。簡単に掴めない夢こそ追い求める価値があるのさ」

 無駄にキメ顔で言う八雲さんには呆れを通り越して尊敬の念すら覚える。

「どうなっても知りませんからね。九重もいいんだな?」

「ふっ。言われるまでもねぇぜ」

 同じくキメ顔で言う九重。これは重症だ。『九十九』では女の子に囲まれてハーレムだというのにまだ満足いかないらしい。

 後に起こるだろう悲劇の舞台に内心で合掌しつつ、八雲さんの言葉を実行するわけではないが、海に向かうべくさっさと水着に着替える。七分丈の柄物の水着。泳がないことを前提に半袖パーカーを羽織り、サンダルに履き替える。

 そういえば属性石エレメントって塩水加工されてるのか? 海水に浸かったら錆びて使い物にならなくなった、なんて最悪なオチにならないだろうな。

 まさかな。曲がりなりにも伝説の武器だ。海水ごときでやられるはずない、よな?

 ……心配だな。

 属性石は基本的に戦うための道具だ。武器に復元さえしてしまえばいくら破壊されても元に戻せば再生している。だが石のまま破壊されてしまうと、二度と復元は不可能だ。

 そしてまた強度も復元後と前では格段に異なる。おそらく属性石に限ればトラックに轢かれただけで粉々だ。

 やっぱり、置いていった方がいいかもしれない。

 金色の首飾りと深緑の指輪を外し、室内にも関わらず鍵つきのロッカーにしまう。

「それ、置いていっちゃうのかい?」

 敏感に嗅ぎ付けた八雲さんは、笑みを絶やさないまま訊いてくる。この人の前だと下手に動けないな。

「錆びても困りますからね。武器に代用はあっても、これは代えが利きませんし」

 異世界から迷い込んできた白と黒の二振りのち一本は大破、もう一本は使用制限がかかってる。剣としての属性石は天剣しかない。

 この先なにがあるかわからない――なにかが起こる。そのときに備えてもしもの事態は避けなくてはなるまい。

「すげーよなそれ。呪文を唱えただけで武器にできんだろ? 俺みたいにわざわざ刀持ち歩かなくてのいいわけだしさ」

 ロッカーには九重のものらしき刀が立て掛けられている。

「ぶっちゃけかさばんだよなぁ。刀剣系じゃ小型だと勝手がわりぃし銃の扱いはわかんねぇし、俺にはこれしかないんですたい」

「いやいや、君には受け継がれし英傑の眼、選ばれし存在にだけ与えられた氷結の王の力があるじゃないか。リスクはとんでもないらしいけれど、いざとなれば解放するのも致し方無しだろう?」

 八雲さんは眼帯によって塞がれる九重の右目に視線を走らせる。

 志乃――死乃という彼女には無限の能力だけでなく、ありとあらゆるモノに死をもたらす左眼、ダイヤモンドなど話にならない硬度を誇る皮膚。そしてありとあらゆるモノを凍結させる右眼があった。

 左眼を継承させる段階で志乃は右眼を失い、それを九重が受け継いだとのことだ。

 ありとあらゆるモノをどうにかする眼は志乃だからこそ扱えた代物であり、肉体的に超越者に劣るスペックである九重には過ぎたもの。使えばそれだけ死に沈むことになる。

 だからこそ眼帯で視界を閉じ、擬似的に力を封じている。

 しかし、魔眼と呼ぶべきそれは眼球に映した物体にだけ事象を引き起こすため、必ずしも見たと認識したものに効果があるわけではない。

 ならば閉じられた目蓋、塞ぐ眼帯も凍結するはずだ。

 ありとあらゆるモノ――すなわち空間も時間も、見えていなくとも眼球は捉えている――かもしれない。現象が起きていない時点で間違いである可能性も否定できないものの、前考したようなパターンもある。

 やはり超能力とは底の知れない摩訶不思議な存在であり、都合のいい解釈なのかもしれない。

「おやおや? ずいぶんと難しい顔をしているねぇ。こんなときまで脳内をリラックスさせられないなんて、生粋の戦いバカだとしか思えないなぁ。少しは僕たちみたいにしたらどうだい?」

 またもやキメ顔で宣う八雲さんに九重が同意の声を上げる。

 ……まあたしかに。せっかく慰安旅行に来たわけだから、小難しいことを考えてたら休んでいられない。

 俺は満面の笑みを浮かべ、それを見た二人が真っ青になるのを見ながら、

「死ねよ」

 ただそう言い放つのだった。誰がお前らみたいな万年発情期な思考になるか。それだったら戦いバカのままがいい。

「笑顔が似合わねーやつが笑顔になったときの絶望感はマジパネェ。なにを言ってるかわかんねーと思うけど……」

「大丈夫全然わかってる。かしぎ君の笑顔はある意味、最強の武器かもね」

「いくらなんでも失礼すぎるだろ」

 たかが笑顔だけでなにをそんな真っ青になってるんだか。俺だって人間なんだから笑うときは笑うっての。

 人相はよくないと自負してはいるが。

「真宵くんはいったい君のどこに惚れたんだろうねぇ。直接訊いてみたいところではあるけれど、あのときの様子を見たらそうするのは野暮かもしれないねぇ。どこなんて抽象的なものではなく、君の存在、君の在り方、君の運命に惹かれた――とでもいうなら、それはさぞかしロマンチックだよ」

「そんなのどうだっていいですよ。俺が真宵を好きで、真宵が俺を好きでいてくれる。それだけでいいんですよ」

 人が人を好きになる理由なんてなんでもいい。ただ好きだという気持ちがあれば繋がっていられる。

 けれど改めて訊かれると俺もどうなのだろう。真宵のどこに惹かれたのだろう。

「二人して重そうな話してんなよ。そんで着替え終わったんだから、さっそく海に駆り出そうぜぇ!」

 海中ゴーグルを装着した九重は腰をくねらせながら海に続いているだろうと思われるドアに手をかけ、ゴーサインを連発していた。

「そんなに慌てなくても女の子たちはまだ着替え中だぜ? 僕の娘とその友達ならもういるけれど、九重くんの期待する反応はもらえないだろうねぇ」

「八雲のおっちゃんの娘とその友達?」

「雪音と鏡ちゃんと……来夏ちゃん、だったかな」

 爆音が轟く。目の前にいたはずの九重はいつの間にかいなくなっており、代わりにぶち壊されたドアが取り残されていた。言うまでもなく、九重が飛び出していっただけである。

 その光景がよほど面白かったのか、それとも予想通りだったのか、八雲さんは肩を震わせ笑いを噛み殺していた。

 ついと窓の外に視線を向けると、宙を舞う九重が目に入った。

「彼は君とは別の意味で面白いねぇ。欲望に忠実すぎる」

「……八雲さん、こうなるのわかったましたね?」

 俺が確信を持って訊ねるも、八雲さんは笑って誤魔化すばかりだ。

 この人は本当に他人を弄ぶのが上手いというかなんというか。侮れん。

「で、訊きたいことがあるんですが」

「なんだい?」

「どうやって女の子がまだ着替え中だってわかったんですか?」

 もはや所見の場所の情報を頭にインプットするのは、癖というよりも当然のことのように思えてしまう。

 左右の道に別れた更衣室。ドアの厚さ。廊下の残響具合。それらを総合するとさっきの轟音のような例を除けば、会話が耳に届くことはない。

 だが八雲さんの発言は予測というより確信に近いものだった。

 どうやって女子更衣室の様子がわかったのか。手の内を見せようとしない八雲さんの隙を探るにはちょうどいい機会だ。

「そうだねぇ。ひとつ言わせてもらえるのなら現代の機械ってすばらしいねぇ。これはただの例えだけど、盗のつく機材とか」

「なにやってんだよ!?」

 それって紛うことなき犯罪行為だろうが。

 どこになにを仕掛けたのか定かではないが知ってしまった以上、八雲さんのことだから、バレたとき俺を共犯にしかねない。むしろ俺を生け贄にしかねん。

 床を蹴って八雲さんを取り押さえようと飛びかかるが、ひらりと避けられる。

「さすがに冗談だよかしぎ君。いまはいないけれど、ゆかり君も来るとわかっていて、いくらなんでもそんな命を溝に叩きつけるような愚行はしないさ。僕だって命は惜しいからねぇ」

「…………」

 胡散臭いにもほどがある。八雲さんだったら面白半分、あるいはどんな下らない目的だろうと達成するためなら命だってかける気がする。

 しかもあんな変態発言をしたあとに冗談だとか言われて信用しろという方が難しい注文だ。

「君も疑り深いねぇ。だったら女子更衣室を確認してきたらどうだい?」

「できるか」

 着替えの真っ最中であろう女子更衣室に立ち入れと申すか。俺に死ねと申すか。

「だったら僕を信用しなよ。安心しなよ――信頼しろとは、言わないから」

 会話を断ち切った八雲さんは重い腰を持ち上げると、九重が破壊したドアの残骸を足蹴にして海へと歩を進めていく。

 軽薄そうだがチャラいというわけではない背中には、どことなく寂しさが纏わりついているように見えた。

 彼は口ではなにも語らない。

 だって男は背中で語るものだから。


     ◇◆◇


 八雲さんと目を合わせ、俺はその光景に唖然とした。

 目の前に広がる広大な海は、凪の所有物だというのだから心底驚かされる。用意されたパラソルやビーチソファ、ついでに日焼け止めオイルなどの小道具もあった。

 凪が用意してくれたというのは言うまでもないが、それを見れば唖然となどせず感心するのが当然の反応だ。

 俺たちが唖然としたのは、数分前に飛び出した九重の有り様である。

 両手両足を縄で縛られ、口にも猿轡のように縄が結ばれている。その上に砂で城が建設されていて、一切の身動きが取れなくなっていた。

 言葉にするのは簡単だがたかが数分でこれを仕上げたのか。

 そしてこの炎天下だ。砂浜は灼熱のごとき熱を帯、それに包まれている九重は獄炎に詰め込まれた苦行となっている。が、そこは能力でどうにかしているようだ。

 つーかあの笑顔はなんだ。なんで嬉しそうなんだ。

「やっとこさ来たかと思えばなんであのバカなんですかねー。飛びかかってくるもんだからつい埋めちまったじゃねーか」

 建設および設計の担当者がひょっこりと城から顔を出した。来夏先輩だ。

「来夏先輩がいるって言ったら飛び出していきました」

「はぁ……。こんなときまでこのバカの相手とかしなきゃなんねーのかよ」

 そう言いながらまんざらそうでないのは気のせいだろうか。九重を足蹴にして楽しそうな笑みを浮かべているのは気のせいだろうか。

 背後にドス黒いオーラが見える。隠れるつもりなんてさらさらない。この人、天然のサドスティックプリンセスだ。

「来夏ちゃん、あまり能力は使わないように言ったはずだぜ?」

「うっ、す、すんませーん」

 サドスティックプリンセスが変態に滅されていた。あの来夏先輩がたじろぐなんて珍しいこともある。……あれ、なんか震えてるぞ?

「どうしたんだい来夏ちゃん。僕を見て生まれたての小鹿みたいに震えちゃって」

 来夏先輩に近寄りながら言う八雲さんの口元には、新しいおもちゃを見つけた子供のように無邪気でありながら、悪鬼羅刹のごとく凄惨さを兼ね備えた笑みが張り付けられている。

 それを見た来夏先輩はこれまた珍しく小さく悲鳴を漏らし、蒼白になっていた。

「なんでもないから近づくな! ちょ、近づくなって言ってんでしょーがぁ!!」

 来夏先輩は踵を返し、脱兎のごとく逃げ出した。

 すごい逃げ足もそうだが、あの来夏先輩が逃げ出したのも驚きだ。気に入らなければ神でさえも敵に回しても不思議ではないあの人が、変態を見ただけで逃走。天変地異の前触れか。

「来夏先輩になにしたんですか」

 ため息まじりの問いに八雲さんは律儀に答えてくれる。

「今回に限ってはマジでなにもしてないさ。僕を見るたびに逃げ出すものだから、硝子のハートに皹どころか粉砕してしまったような気持ちだよ」

「そんなスラスラ嘘が出てくるなんてさすがお父さんだねぇ」

 後ろから投げ掛けられた声に、体を九十度だけ回転させて振り向く。そこには先に海を堪能していたらしい翔無先輩と火鷹の姿があった。

 濡れた毛先から水玉が滴り落ち、むき出しになった肌に弾き返される。

 恥ずかしそうに視線をさ迷わせる翔無先輩は、水玉模様のショートパンツとビキニの水着を纏っていた。いつもの言動からしてもっと派手な衣装を選びそうなものだが、実際はこれがギリギリのラインだったに違いない。

 顔どころか首から下に向かって赤がどんどん広がっていくのだから確実だ。

 火鷹は相変わらず平然としているが、頬にわずかな朱が混じっている。

 純白のビキニタイプの上下。前情報として紐水着と聞かされていて、火鷹のことだから実行しかねないと危惧していたが、どうやら杞憂に終わったようだ。

「……紐でなくて残念でしたか?」

 小悪魔な微笑みで火鷹は訊いてくる。

「ちょっとな」

 色々言ったものの、主要箇所しか隠されていない水着姿も見てみたかったのは本心だ。デコボコの少ない火鷹だから――だからこそ、見てみたいと思えた。

 お餅をぶら下げたナイスバディな方が着てたらただの痴女ではなかろうか。

「あれ? どうした?」

 火鷹の無口でありながらマシンガンを錯覚させるという矛盾を孕んだ言弾ことだまが飛んでこない。

 どうしたものかと心配していると、俺から素早く横に視線をそらした火鷹は、両手で顔を隠してしまった。まるで生きているかのようにツインテールがピコピコと忙しなく動いている。

 ちょっと引っ張ってみたいな。

「……かかかかかっしさん不意打ちは卑怯ですすすすす」

「お前は壊れたレコーダーかっての。……あれ、なんか前にも同じような会話があった気が」

 エロい話ならお手の物のはずの火鷹に振られたから乗ってみたのに、そんなふうに恥ずかしがられたら俺が悪いことをしたみたいだ。

「かっしーやい。マイマイちゃんと付き合いはじめてから妙に素直になってないかい? 前までなら突っぱねてるところじゃないか」

「そう言われてもなぁ」

 俺としては素直になった感じはしない。思ったことを口にしただけ――と。

 思考を途中でぶった切り、来夏先輩の言葉を思い出す。

 甘い。好きになった相手がほかの女の子と付き合いはじめたのに、変わらず思わせ振りな態度をされることが辛い。

 ならばいまの俺の発言も彼女たちを高揚させるだけでなく、心を締め付けたことにも繋がるのだ。

 翔無先輩が言ったように突っぱねるか――決着をつけるか。

「おいおーいかっしー、俺もいるんだぜー? てかそろそろ出してくんね?」

 絶妙なタイミングの悪さにほとほと呆れ果てる。吐きかけたい毒は溢れかえっているがそれは内側に留め、来夏先輩が建設した砂の城を、九重ごと蹴り飛ばした。

「いってーな! なにすんだよ!?」

「お前が出せって言ったんだろうが。ぶん殴るぞ」

「蹴り出したうえに殴り飛ばすだと!? 俺はマゾじゃねぇぞ!」

『え?』

 俺と翔無先輩、火鷹の呟きが同時に響く。

「え?」

 そして一拍遅れて九重が戸惑いの含んだ疑問符を浮かべる。

 だってそんなこと言われたって誰が信じるんだ。来夏先輩になじられて嬉しそうにしていたのを見た側としては発言に正気を疑うほどだ。

 しかも二人は九重が突撃したときから見てるわけだから、俺よりも戸惑いは大きいだろう。

 これはいかん。そんなわけで閑話休題。

「結局、来夏先輩はなんで八雲さんに苦手意識を持ってるんだ?」

 ちらりと八雲を見るも飄々としたまま鼻唄を歌っている。

「来夏先輩の眼鏡をお父さんが作ったのは聞いてるよね?」

「ああ、そういえばそんなことも言ってたな」

「そのときにお父さんってば長ったらしい話をしてねぇ。度数の調整は簡単だったみたいなんだけど、能力で低下した視力はちょっとやそっとじゃ調整が効かないんだよ。だから付きっきりでやることになったんだけど、長ったらしい話がなによりも嫌いな来夏先輩に、あろうことか司先生より説明が大好きなお父さんだからねぇ」

「なるほど。そういうことか」

 そりゃ苦手にもなる。司先生だってかなりの説明好きで、それを上回る八雲さんの話を半ば強制的に聞かさたのなら近づかれただけで拒絶反応が起きて当然だ。

 しかもやけに説明が上手く内容がすんなり理解できるのだからたちが悪い。

 さらに嫌でも聞き入ってしまうだけの話術もあるものだから、聞かないなんて選択肢は存在しないのである。

 やっぱり八雲さんが悪いんじゃねぇか。

「僕としてはためになる話をしたつもりなんだけどねぇ」

「セクハラの境界線を跨ぐか跨がないかの発言が多々あったのはボクの気のせいじゃないよねぇ?」

「……エッチな話ですか?」

「お前も変なとこに食いつくなよ」

 てへりと無表情のまま照れた仕草をする火鷹。誉めたわけじゃねぇから。相変わらず火鷹ワールド全開である。

 唐突に八雲さんが手を打つ。

「さて、お待ちかねの時間が来たようだよ。皆様、僕の右手の指先をご覧ください」

 言われて振り向いた先には、着替えを済ませた女性陣の姿があった。

 和気あいあいと会話をするその光景に、俺や九重は眼球を光に直接突き刺されたかのように目を細めてしまう。あまりの神々しさに目を開けていられなかったのだ。

 衣服によって肌を守る彼女たちがそのベールを脱ぎ捨て、水着という最終兵器に身を包んでいる。惜しみなくさらされた肌は、俺の目には輝いているように見える。おそらく九重もそうだ。

 揃いも揃って美を欲しいままにする女の子たちに囲まれるこの状況。天国と言わずしてどう呼ぶべきか。

 ただしそこには唯一、間違いがあった。

「お待たせしました、かしぎさん」

「……うん。俺もさっき来たばっかだからいいんだ。けどさ――」

 俺はそこで言葉を一旦区切り、思いの丈をぶつける。

「なんでパーカー着てんだよ!?」

 そう。あろうことか真宵は水着のうえにパーカーを羽織っていたのだ。背丈にあっておらず短めのワンピースを着ているようで、それはそれでそそられるけれど、せっかくの海なのだから水着がよかった。

 あれだけ焦らしておいてお預けとか鬼にもほどがある。

 しかし裾から覗く水着の端。それだけで想像の余地がある。真宵はいったいどんな水着を着ているのか。

 くっ、まさか焦らすことまで真宵は計算に入れていたというのか。

「ふっふっふ。いまかしぎさんが思った通りです」

「おのれ策士かっ!」

 焦らしに焦らし、爆発させたときの感動は計り知れない。ここは疑似裸パーカーを見れただけで良しとしよう。

「なーに言ってんだよ。ほんとは恥ずかしいだけなんだろ?」

「――っ!? 柊さん、なにを……!」

 にょきっと生えた腕が真宵のパーカーを剥がしにかかった。

 柊の腕力に抗えないものの、なんとか抵抗する真宵のパーカーが半脱ぎになり、さらに炎天下で激しく動いたことで浮かんだ二人の汗がいい感じに飛び散る。端からすれば女の子同士でくんずほぐれつ百合百合しているように見える。

 俺は百合なんぞに興味はないが、真宵が絡むなら話が別だ。どこの馬の骨とも知れない女の子なら許さないが柊なら話が別だ。

 いいぞ、もっとやれ。

「観念しろよな。ここで見せないともっと見せにくくなるぜ? つみれ、真宵のパーカー剥がしちまうぞ」

「ほい来た!」

 柊が真宵を羽交い締めにし、つみれがパーカーのファスナーを下ろそうとする。

「――待て、つみれ」

 だがやらせない。つみれの手首を掴みながら制止を促す。

 不思議そうに見上げてくるつみれの頭を軽く撫で、

「これは俺の役目だ」

 真宵の水着を最初に拝むのはこの俺だ。たとえ知り合いしかいなくとも、たとえ妹だとしても、これだけは絶対に譲れないのだ。

 俺の意を汲んでくれたつみれは仕方なさそうに退いてくれる。

 さあ、どうしてくれようか。

 心臓の鼓動が鼓膜を破りかねない勢いで体内を打ち付ける。なんだ、まさか緊張してるのか。息を呑み、ファスナーに手を添える。

「あの、かしぎさん……」

「な、なんだ?」

 一段と大きく跳ねた鼓動のせいで自分がどう返したのか、直前のことだというのに思い出せなくなる。

「優しく、してくださいね?」

 潤んだ瞳。囁きかけるような甘い吐息が撫でていった。

「――――――――」

 思考が停止した。

 これまでの考えが否応なしに吹き飛び、なにをしていたのかわからなくなる。

 ホワイトアウトしていく意識を強引に引き寄せて掴まえ、抜けた腰を叱責する。

 時間にすれば一秒にも満たない己との闘争に決着をつけ、ファスナーから手を離した。これ以上、俺は進めそうにない。

「冬道?」

 柊が首を傾げながら瑠璃色の瞳で俺を覗き込んでくる。銀に近い純白の髪が肩から鎖骨にかけて流れ落ちていく。

「おふざけはここまでだな。真宵が嫌だって言ってんだから仕方ねぇよ」

「えー。ま、冬道がそう言うなら無理強いさせることもねぇか」

 思いのほかあっさりと引いた柊。絞め殺されない腕力で羽交い締めにされていた真宵は辛そうに肩を回し、やや不満げに俺を睨み――つけるには可愛すぎたので、上目遣いで見上げた、ということにしておく。

 紆余曲折を経てようやく全員揃った、と言いたいところだが、残念なことにまだ集合しきっていない。

 八雲さんから逃げた来夏先輩はちゃっかり岩陰にいるので問題ないが、母さんや竜一氏、さっき話題にも上がった司先生たち一向が不在だ。

 ただでさえ凪が機嫌を損ねて別荘に籠城しているのだから、せめてほかのメンバーが揃ってから慰労会を始めたい。

 といってもただの遊びの集まりだ。それに始まりの挨拶だとか堅苦しい形式的な催しはいらないと思うけど、先に遊ぶのも悪い気がする。

「あんたらァ! なんも聞かんでその場に伏せェや!」

 遠くから届いた怒声に一同は動きを停止して、一斉に声の出所を向く。

 必死な形相な東雲さんと、なぜか抱えられている母さん、火の点いていない煙草を咥えた竜一氏が全速力で疾走していた。

 あっという間に俺たちのところにたどり着いた東雲さんは膝に手をついて、ぜえぜえと息を切らせている。

「東雲、なにかあったのか?」

「な、なんも聞かんでって、言うたやん」

 恨ましげに前髪の隙間から見上げる東雲さんとは対照的に、母さんや竜一氏には疲労が微塵も感じられない。

 母さんは抱えられたいたから当然だけど、東雲さんの疲れ具合からして相当な距離を駆けてきたのだと思う。それでも息ひとつ乱さないとは、ヘビースモーカーにしてはさすがだと言わざるを得ない。

 東雲さんはえらく慌てているが、同じく全速力で駆けてきた二人にはそんな様子は見受けられない。というよりわけがわからないと言いたげだ。おそらく東雲さんだけなのだろうけど、しかしなにがあったのか――そう考えていたとき、俺たちの上空にそれは現れたのだった。

 細長い胴体の先端と後端にプロペラが装備され、両側には翼が展開されている。鉛色に輝く巨体は強烈な暴風と共に頭上を通過していった。

 暴風によって巻き上げられた砂塵と津波が混ざり、濁流となって襲いかかってきた。俺たちは急いで避難し、旋回して再び向かってくるジェット機の被害に備える。

「あれや」

「その一言で片付けるな。なんだあれは」

「見たまんまジェット機じゃね?」

「私はなぜジェット機が暴れているのか訊きたいんだが」

 揺火が顎で指した先にあるジェット機は、目的地についたのに着陸できないとばかりに旋回に旋回を重ね、ビーチを滅茶苦茶にしていた。

「あれなぁ、私の知り合いが操縦してんねん。会いたくもない奴が操縦してんねん」

「ゆりの機体だな」

 ぴくりと体が反応する。母さんの口にしたその名前は俺にとってろくな思い出のない、できることなら永久に思い出したくない名前だった。

「なんかなぁ、機体が故障してなぁ、着陸できないらしいわぁ~」

「えらい気ィ抜けた話し方してっけどあんままだと人様ンちのビーチがとんでもねぇことになんぞ」

 火を点し、肺に流し込んだ紫煙を宙に吐き出しながら竜一氏は言う。

「誰か引っ付かんで叩き落とせばいいんじゃない? あんたやりなさいよ」

「そんな無茶ぶりされても困るんだけど。それだったらレンがやってもいいだろ」

 俺の反論に嫌よ、と一言だけぶつける。俺だって嫌だよ。

「ん? 妾はできないのかとな? やれぬこともないがのう」

 言葉を言葉にできない一葉に訊ねられたのか、志乃は三編みにして引きずっている白髪を弄びながら呟く。

「どれ。ならばやってみるとするかのう」

 とん――と。擬音にすればそれほど軽かった跳躍は、しかし音の通りではなく、一瞬にして数十メートル上空に志乃は現れた。

 旋回したジェット機はちょうど志乃を軌道上に捉え、真っ直ぐ突撃してくる。

 だがこの場にいる誰もが危惧を抱いていない。それ以前に人間を容易に凌駕した脚力を見せられておいていまさらだが、それを差し引いたとしても誰ひとりとして志乃の心配などしない。

 あれは人の形を異形の存在。

 惚れ惚れするほど美しく、禍々しいほど恐ろしい異能――超能力の頂点なのだ。

 暴れまわっていたジェット機は志乃が伸ばした片腕に動きを阻まれ、しかし殺しきれない勢いが機体に多大な負担を与える。ギチギチといまにも破裂しそうな苦悶の音が、鼓膜を嫌に刺激する。

「……あれを受け止めますか?」

「ボクたちは直で見たことなかったから、改めて見せられると驚きを越えた驚きのおかげで驚かずにいられるよ」

 あんぐり口を開けながらだと説得力は皆無だが、この二人は比較的に安全な地帯にいた。知らずとも無理はあるまい。

 志乃は掴んだプロペラを握り潰し、ジェット機を砂浜に叩き落とす。衝撃で砂がうち上がり、ジェット機はそのまま埋められてしまった。

「よく壊れねぇな。なんかやってんのかな?」

「なかに人いるってわかってるし能力でどうにかしたんだろ」

 超能力は専門外だ。波導なら属性の並行使用でこの結果を起こしたんだなと過程が予測でいけるけど、超能力は系統に縛りがないだけにわからないのだ。

 というか柊だってできるだろ。

「あれ? 兄ちゃん兄ちゃん、誰か出てきたよ?」

 つみれのった通り、埋まったジェット機から複数人が這い出てきていた。

「お前がこの非常識な速度のなかで酒なんか飲むからこうなるんだ」

「んな下だんねぇこと気にすんなよ。シワ増えるぜ司っち」

「おい貴様姫路。マイハニーにシワなんぞ増えるわけがないだろう。そもそもこうなったのは貴様のせいだ。下らないで済ませ……」

「うるさいので黙ってください」

「御神の言う通りだ黒豆。お前はどこかに行っていろ」

「うぅ……ミーの『ジェト。三号』がお釈迦だにゃぁ……」

 いきなり雰囲気が混沌カオス化した。どいつもこいつもパンチが効きすぎである。いい加減お腹いっぱいになってきた。

「なんにしてもこれで全員揃ったんじゃないかい?」

 周囲を見渡せば、そこには激戦を越えた歴戦の猛者たちがいる。各々が夏の海に相応しい格好をし、かつて敵対していたとは思えないほど親しげにしている。

 昨日の敵は今日の友。後腐れなしの決着が、この空間を生み出したのだ。

「さあ――遊ぼうぜ?」

 青空をいくつもの上着が踊った。


     ◇◆◇


 

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