8―(3)『ここは楽園ですか? イエス、エデンです①』
荷物持ちは男の役目だ。そんなことを言われても男女比が偏っているのはただの偶然なのだから、体よく押し付けるのはやめてほしい。
といっても二泊三日分の荷物だ。修学旅行などとは違って必要なのは着替えと、あとは水着くらいである。さほど多くもないので、別に文句を言うこともなく荷物持ちに甘んじていた。
俺なんて小さめのショルダーバッグだけだ。母さんなんて俺よりも少ない。真宵とつみれは年頃の女の子なので多少はかさばるものの、ほとんど同じくらいだ。
凪の招待状に同封されていた地図によると、別荘は以外と近くにあるらしい。新幹線で三時間ほどしかかからないようだ。
まあそのあと徒歩での移動もあるから、結局それなりにかかるみたいだけど。
「かしぎさん、やはり自分の荷物は自分で持ちますよ」
向かいに座る真宵が申し訳なさそうに言ってくる。
荷物持ちは男の役目だ、などという名言はつみれが残したもので、実は真宵は最後まで俺に荷物を預けるのは渋っていたのだ。どちらかと言うと中身を見られたくないから、というのが大きいように思えるけど。
それでも俺を気遣ってくれているのだから、少しは見習ってもらいたい。
通路を挟んだ隣にいるつみれに視線を送るも、当の愚妹は窓の外の景色に夢中で気づいていなかった。
くっ……この元気印のバカ娘め。これだから脳筋呼ばわりされるんだ。
「別にいいよ。三つも四つも大して変わんないし」
「そういうことではないのですけど……」
拗ねたように唇を尖らせる真宵に頬を綻ばせ、耳元に顔を寄せる。
「大丈夫だよ。中身を見たりしないさ」
囁いた途端、真宵の頬がほんのりと紅葉色に染まる。文字通り残像が残るほど高速手を振って明らかに焦った声色で言葉を紡いでいく。
「べ、べつに見られて困るものなんてないんですからねー」
おまけに棒読みだ。実に下手な演技で笑いが込み上げてくる。
以前の真宵ならこんなことはなかっただろう。機械的で感情の欠けたゆえの反応をしていたはずだ。
いまの人間味に溢れた彼女は、過去の傷跡を克服してしっかりと歩を進めている。それが自分のことのようで嬉しかった。
「いいですか? 見られて困るものなんて全然ありませんから、このバッグに対する意識を迅速に消し去ってください。わかりましたね?」
「それじゃあなんでそんなに焦ってるんだ?」
我ながら見事な悪人面をしていることだろう。しかしそれも仕方なしだ。
真宵のこんなに可愛いところを見せられて引き下がるなどという愚行は、とてもではないが俺にはできない。できはしないのだ!
「困らないなら少しくらい……見せてくれよ」
真宵の腰に腕を回して体を引き寄せる。お互いの吐息が感じられるほど接近し、俺は優しくながらも強引に囁きかける。
いつになく視線をさ迷わせる真宵は言葉にならない言葉を発し、引き離そうと腕を伸ばしてくるが、俺はそれを無理やり振りほどく。
鼻孔をくすぐる女の子の香り。どうせならこのまま押し倒してしまいたくなる魅力をなんとか堪えつつも、どぎまぎしている真宵を記録せんとする。
「だ、だめですよ、かしぎさん。こんな、ところで……」
「なにがだめなのか言ってくれないとわかんねぇよ」
そう言って真宵の耳を甘噛する。
「んっ……!」
「ほらほら。さっさと白状しないと、もっと大変なことになるぜ?」
甘噛を続けながら髪や首筋をくすぐったい程度に触る。
真宵は声を抑えきれないようで、扇情的な響きが大きくなっていく。しかし俺以外に聞かせるのは許せない。だから風系統の波動で空気の振動を弄り、周りに声が聞こえないようにしているのだ。
めったに手玉に取れない女の子を籠絡する高揚感が、俺の支配欲を加速させる。
「可愛いよ、真宵」
「ま、負けません。私はかしぎさんの魅力に屈したりしません」
目をぎゅっと閉じ、ロングスカートのそ裾を握りしめている真宵。
ああもう可愛いなチクショウ!
「――屈しちまえよ。楽になれるぜ?」
内腿をこ擦り合わせていた真宵の体が一際大きく痙攣した。
うっすらと目尻に涙を浮かべる真宵は息をわずかに荒くしながら、
「なにを言っているのですか。私はとっくにかしぎさんの魅力に屈せずとも、あなたにメロメロなんですからね」
「――っ」
頬を紅潮させたまま微笑まれ、直前まで渦巻いていた支配欲が綺麗に吹き飛んだ。
や、やられた。真宵に好感度マックスの俺がそんなことを言われたら、勝てるわけがないではないか。さすが真宵、俺の扱いを心得ている。軍配は真宵に上がった。
敗者は大人しくしようということで真宵を解放して背もたれに体重を預け、流れていく窓の外の景色を眺める。
新幹線での移動もそろそろ飽きた。もう少しの辛抱で目的地に到着するはずだが、なにもしないでじっとしてるだけなのは暇で暇で仕方ない。寝ようにも寝起きで目が冴えきってる。やることがないのも考えものかもしれん。
景色は流れ、時は過ぎ去っていく。
爪先がテンポよく床を叩く。
先ほどまでじゃれ合っていた真宵も窓の外を見やり、涼しげに歌を口ずさむ。
なんていう曲だったか。どこかで聴いたことはあるけど曲名が思い出せない。だけど真宵が楽しそうにしているだけで嬉しかった。
「アウルさん」
真宵が唐突に呟く。
「ん?」
「置いてきてよかったのですか?」
ああ、そういうこと。いきなりだからびっくりした。
「本人が行きたくないって言うんだから、無理に連れていくわけにもいかないだろ」
冬道家一行ということは当然のごとくアウルも含まれている。たとえ違っていても功労者であることは変わりないのだから、招待を受ける資格はあるだろう。
慰労会の意味を込めた別荘での二泊三日。
せっかくだからみんなで過ごしたかったのだが、アウルには拒否されてしまった。
まあ、強制参加ではないのだから、来る来ないは本人の自由だ。
「私としてはアウルさんにもいてほしかったのですけれど、仕方ありませんね」
「だな」
そう相づちを打ったところで、つみれが大声で俺たちを呼んだ。
「見てみて! 着いたみたいだよ!」
つみれはわかっているのだろうか。
そのセリフを言うには早すぎるほど早いということに。
◇◆◇
「あ~つ~い~……」
人に荷物持ちをさせておきながら暑いなどと文句を言うとはこれいかに。両手が塞がっていなければ平手打ちをお見舞いしていたところだ。
ともあれ今年の夏は格別に暑い。俺も波動で周りの気温を下げていなければ泣き言を漏らす愚妹のように、暑いと宣いながらアスファルトの道を歩いていただろう。
日傘を差しつつ隣を歩く黒一色に身を包む母さんに至っては、言葉を絞り出す余裕すらない。歩き始めたから終始無言である。
そんなに暑いなら黒に拘らなくてもいいだろ。そう思うも言おうものならどんな仕打ちを受けるかわかったものではない。そっと心のなかにしまっておこう。
「あれではないですか?」
真宵が指差した方向に目を凝らす。暑さにより数メートル先でさえ蠢くように映るなか、それは佇んでいた。
「つ、着いたぁ!」
辿り着いた理想郷。待ち望んでいたエデンがそびえ立っている。
それを見上げ、俺たちは唖然とするしかなかった。
『九十九』の屋敷もいまにして思い出すととんでもない規模だったけど、あれはまだ屋敷だからと強引に納得できるほどだった。しかしこれは別荘だ――しかしこれは別荘なのだけど、はたして別荘と言っていいのだろうか。
海に面して展開されるテラスはインドア球技でもやるのかと訊きたくなるほど広い。そのちょうど真上にあるバルコニーもテラスほどでないにしろ、明らかに不要断定するほどのスペースを有している。
それだけでも相当なものなのに、まだテラスとバルコニーだけ。本体などもっとすご。とにかく広い大きいのだ。
団体様御一考で宿泊しても痛くも痒くもない。ましてや今回のような少数精鋭などとるに足らないだろう。いったい一人で何部屋使えるんだ。
これを別荘というのは本当の別荘に失礼だ。もはや豪邸である。
それ以前に庶民に失礼である。これが別荘って。俺に寄越せ。
「ようこそであります。この猛暑のなかわざわざ申しわけないであります」
暑さを助長させる明々しい赤髪。瞳孔の裂け眼。表現するなら小さな竜――そんな少女が丁寧にお辞儀をして出迎えてくれた。
「いや。こちらこそわざわざ悪いな」
俺たちを代表して母さんが社交辞令を交わす。
目的地に着いたからか、母さんの口からようやく言葉が出てきた。
「それこそいや、であります。ゆかりは我輩のせいで四肢を……」
「気にするなって前にも言っただろ。オレがこんなになったのはオレの責任だ。リュウも同じこと言ってるはずだ」
「そう、でありますか……」
前髪で目元を隠して凪は項垂れる。
六年前のあらましは掻い摘んでだが聞いている。能力者を殺すことだけを目的とした志乃を食い止めるため人間離れした母さんと、波動使いの竜一氏が戦ったらしい。
その際、志乃を瀕死状態に追い込む代償として母さんは四肢を、竜一氏は一度取り戻した波導を失ったのだ。
そして当時の二人は『組織』と協力関係にあった。だから母さんにとって凪は俺とつみれに次ぐ、三人目の子供のようなものなのだ。
凪にすれば母さんは恩人であり親のような存在。
だというのに超能力に関わったばかりのころの、息子である俺を狙うってどういう了見だ。いまさら蒸し返す気はないから、揚げ足とりみたいなことは言わないけど。
「……っと。炎天下で話し込んで申しわけないであります。なかはクーラーが利いているでありますから、皆が集まるまで涼むといいであります」
凪はそう言って踵を返し、低い背丈では支えるのが辛いだろうドアを押さえ、俺たちを招き入れる。
玄関をくぐれば、言われた通り涼しい風が頬を撫でていった。
「涼しい~。生き返る~」
つみれは健康的な肌に浮かぶ汗を撒き散らし、盛大に息を溢した。
「こら。他人の家のなかでだらしないぞ」
「家っていうか別荘――っていうか豪邸。これで別荘って庶民に失礼だ! あたしに寄越せ!」
さすが兄妹、考えることも一緒のようだ。
しかしここで爆弾発言が投下される。
「そうですね。別荘だというのに私の家と同じくらいですから」
「……え?」
思考がフリーズ。え、なんだって――なんて言ってる場合じゃないぜおい。
真宵の家ってこんな大きいのかよ。でもおかしいな。高校の周辺に豪邸があったら、爪先から頭の天辺まであの町で暮らしてる俺たちが気づかないわけがない。
「実家がですよ? さすがに実家から通える距離ではないので、部屋を借りて一人暮らしをしてます……って言ってませんでしたか?」
「全然聞いた覚えがない」
「ふむん。すみません、自分で思ってるよりも『家族』という形態にトラウマが残ってるみたいです」
「別に謝られることじゃねぇよ。気にすんな」
真宵ががらんどうになった原因は、関係が先輩後輩から恋人になってまず初めに聞かされたことだ。あんなことがあれば無意識に避けていても致し方ない。
「今度皆さんを招待しますね。おじいちゃんとおばあちゃんに、かしぎさんとの婚約を発表したいので」
「びっくりして腰抜かすんじゃねぇかな」
いままで本当の娘のように可愛がってきたけど露骨に避けていた孫が、急に話してくれるようになったかと思えば、見ず知らずの男と婚約しますなんて報告をしようものなら、吃驚仰天してぎっくり腰になるかもしれない。
俺は心配で仕方ないよ。おじいちゃんとおばあちゃんのお腰様。
「大丈夫ですよ。おじいちゃんはああ見えても剣の達人ですから。ただ、剣といってもやや特殊な剣ですのでかしぎさんとは性質が違いますけれど」
「そうなのか?」
ちょっと気になるかも。今度挨拶に行ったときにでも試合でも頼んでみようかな。
「おにいちゃーん! とうっ!」
「ぐえ」
予想だにしない衝撃が背後から這い寄って来た。情けない声を溢した俺はたたらを踏みつつもなんとか踏みとどまる。
背中に張り付いた違和感は腰の辺りからモゾモゾと駆け上がり、ついに肩を足場に何者かが顔を覗き込んできた。
「おにいちゃん、ひさしぶりだなー!」
花飾りで顔が見えん。しかし声で誰であるかは判明した。
手を後ろに回して俺を灯台代わりにする不届き者を床に降ろす。健康的に焼けた小麦色の肌。小さめに結われたツインテールはハイビスカスの花飾りで形を維持している。明らかに小学生低学年の容姿に似合わぬリング型のイヤリングが、どうしても目についた。
少女――ノア。争乱のなか知り合った一人である。
天真爛漫、無邪気を体現したノアはひまわりのような温かさがある。だがそれも表の顔に過ぎない。いや、ノアを表と呼ぶのか裏と呼ぶのか定かではない――が、事情が複雑なのだ。
しかしあえてノアを表とするならば、彼女には裏の人格がある。
不意にノアの表情から温かみが消えた。
「なに近づいてんのよアンタは!」
自分から乗ったくせにその言い分はどうしたものか。飛んできた小さな拳をひょいと避け、獣のように威嚇する彼女から距離を置く。
これが裏の人格。レン――レン=クウェンサー。
彼女の人格に裏表をつけにくい理由がこれだ。もともとレンはこの世界の人間ではない。異世界の住人。しかも『雷天』の称号を与えられた超大物なのである。
とある事情でこちらの世界にやって来たレンなのだが、その際、修正力でも働いたのだろう。本来はあるはずのない存在をあるものとするため、肉体に変化が生じたのだ。
おかげで普段は『ノア』という修正力によって生まれた、この世界では表と呼ぶべき彼女が全面に押し出され、不定期にレンという異世界では表だった人格が出てくるのである。肉体情報はレンなのに肉体構成はノアであるのだからややこしい。
「俺がじゃなくてノアちゃんが近づいたんだ。あと、出会い頭に暴力とかいまどき流行んねぇぞ」
「うっさいわね。ノアにおにいちゃん、とか呼ばせてるくせに」
「別に呼ばせてるわけじゃねぇよ」
だいたいそれ関係ないし。ノアがおにいちゃんと呼ぶのは会ったときからなんだから仕方ないだろ。
「はぁ? だからなんだってのよ。抱きつかれて鼻の下伸ばしてるくせに」
「伸ばしとらんわ。誤解を生む発言すんな」
ほら見ろ。周りの視線が痛いじゃないか。俺は小学生低学年のぺったんこな女の子に抱きつかれて喜ぶ性癖はないんだよ。ぺったんこなくせに調子に乗るんじゃありません。このぺったんこめ。
「ぺったんこぺったんこ言うな! 気にしてるんだから!」
「あ、すまん」
しかし小学生でばいんばいんだったら恐ろしいぞ。ロリ巨乳なんて実際に目にしたら正直引くと思うんだけど。
「おい、お前」
俺たちの間に割り込んできたつみれがレンを見下す。
「……なによ」
さっきまでの怒鳴りながらも刺々しさを感じさせなかったレンから猛る怒りが溢れ、つみれの背中にいる俺ごと串刺しにしてくれた。
「兄ちゃんはあたしだけの兄ちゃんなんだ」
「で?」
レンの怒気がつみれだけに向けられる。見た目は小学生でも中身は『雷天』だ。さしものつみれも息を呑み、目の前の幼女に悟られないよう俺の手を握ってくる。
「に、兄ちゃんを兄ちゃんって呼んでいいのはあたしだけだ!」
「はん。別にこいつのことなんか――ははーん、そういうこと?」
レンが天真爛漫な顔立ちでいやらしく笑う。やめろ、ノアの顔でレンが笑うとどうにも歪で心臓に悪いだろうが。
「あんたの大好きなおにいちゃんを盗ったりなんかしないから安心なさい」
「だから兄ちゃんを兄ちゃんって呼ぶな!」
「あれ?」
噛み合ってるんだか噛み合ってないんだか微妙な会話にレンが首をかしげる。
ようするに俺を『兄』に関するワードで呼ばなければいいらしい。たしかにそう言ってたけど、そんな態度じゃ勘違いされても文句は言えんぞ。
「なによこいつ。もしかしなくてもブラコンってやつ?」
「どこでそんな単語習ったんだよ」
まあ十中八九あの人だろうけど、余計なこと吹き込むな。レンはともかくノアにはやめてくれ。頼むから。
「で、その余計な知識をくれた男はどこに行ったんだ。一緒に来たんだろ?」
「あんたたちが来るまでは一緒だったわよ。さっきあんたんとこの真っ黒女とどっかに行ったじゃない。気づかなかったの?」
言われて振り返ると真宵の隣にいた母さんがいつの間にかいなくなっていた。
全然気づかなかった。ったく、いるならいるで話しかけてくれてもいいだろ。いなくなるならなるで一声かけてくれればいいだろ。
先代の志乃討伐コンビは揃って協調性の欠片もないな。
せっかく家のなかにいるのに立ち話はもったいない。俺たちは無駄に大きく、いったい何人掛けかも検討つかないソファーを一つずつ占領する。座った瞬間に腰まで吸い込まれたかと思えば、反発によって浮き上がってきた。
なんだこれ。どんな高級ソファーだよ。レンなんか埋まってんぞ。
あ、真宵もあまりのクッション性に目を丸くしてる。
にしても到着したのは俺たちだけらしい。大きなノッポの古時計で時間を確認してみるが、とっくに集合していてもおかしくはない。いくらプライベートでも集合時間くらいは守ってくれ――なんて願っても無駄なんだろうなぁ。
揃いも揃ってプライベートのときは適当っぽいし。まともなのはせいぜい凪や揺火くらいだ。
そう考えると俺たちより早く到着していた竜一氏の認識を改めなくてはなるまい。
「それでそっちの子が『夜天』?」
ソファーの反発で遊ぶ真宵を指さして言う。相変わらず真宵は可愛いなぁもう!
「ああ。可愛いだろ?」
「……自然に惚気んの、やめてくれる? うざいから」
「事実だから仕方ないだろ。真宵可愛いよ真宵」
「あんたってそんな性格だったの? もう少し大雑把だと思ってたんだけど……まあ、戦闘時と平常時で全然性格が違うのもいたし、それに比べたら大したことないけどさ。あんたのはうざいタイプね。お近づきになりたくない」
そこまで言うか。真宵の魔性に取り憑かれた俺になんてことを。死ねと申すか。
「『夜天』って八系統ぜんぶ使えるんでしょ? 素直にスゴいわね」
「レンが誉めるなんて珍しいな。真宵なんだから当たり前だろ」
「だから惚気けんなってんでしょ。だって普通に考えて八系統全部が使えるってあり得ないのはアンタも知ってるわよね?」
「もちろん」
扱える属性は生まれた瞬間に決まっている。基本的に一人につき一系統だが、俺たちのように二つ三つと、わりと珍しくない割合で扱える者がいるわけだ。
それでも三つが限度。四つ以上扱える者もごく稀にいるらしいのだが、その悉くが無惨な死を遂げている。理由は判明していないが、おそらく波脈のキャパシティの問題だと言われている。
波脈は総じて一本線。そこに四つもの波動を流せば耐えきれなくなるのは道理だ。
「あの子、どんな波脈してんのかしら?」
そう言われてみるとたしかに気になる。八系統――夜天。言葉遊びか。
「『勇者』補正じゃねぇの?」
「じゃなきゃ説明できないしね。天剣も地杖も海銃もレンたちじゃ反応すらしなかったし、それを扱えてる時点で八系統使えるくらい些細なことね」
とりあえず適当に誤魔化したものの、真宵が八系統を扱えるのは『勇者』補正などではない。
がらんどうであった――からでもないだろう。
勝手にそう解釈していたけど、あの戦い以来、それに疑問を抱いている。レンに言われてようやく本腰を入れて思考してみたけど、しばらくわかりそうにない。
真宵を見ると優しく微笑まれ思考が吹っ飛ぶ。
どうでもいいよなそんなこと。真宵が可愛い事実があればいいのだ。
『貴様らなにをしに来たでありますか!!』
刹那――玄関の方から浸透してきた凪の咆哮と殺気が部屋を蹂躙した。
「あんなに声を荒げてどうしたのでしょうか?」
この殺気のなかあっけらかんとしたもので、ソファーで遊びながら真宵が疑問を口にした。当然ながらレンも平気そうだ。辛そうなのはつみれだけだ。
「貴様らなにをしに来たでありますかってことは、誰か来たんだろ。それが招かねざる相手だったってことだ」
「暇ですし、行ってみましょうか」
「レンも行くー」
「子供らしくすんな。ぶっとばすぞ」
「なんでよ!?」
いや、ついイラっと。実年齢が三桁近いロリババアにあんなことされたら誰だってぶん殴りたくなるって。ロリババアは黙ってババア口調でもやってろよ。
「あんた、その子の毒舌に感染したんじゃない? てかレンたちは長命だから人間年齢に換算するまだ三十路前よ!」
額に青筋を浮かべるレンをスルーしつつ玄関に向かう。というか三十路前ってあんまり叫ぶほどのことじゃないだろ。
パタパタと三つの足音が廊下を叩く。入ってきたときはなんとなくで来たけど、改めて戻ろうとすると迷う構造だ。別荘じゃないよこれ、やっぱり豪邸だよ。入り組みすぎだもの。
けれど凪の威圧感のおかげで、いまだけは玄関に行く分には問題なさそうだ。
「我輩は貴様らを呼んだ覚えはないぞ!」
曲がり角から顔だけを覗かせる。後ろから真宵とレンがのし掛かってきて、危うく転びそうになる。
「そんなこと言うなよ凪ちゃん。俺たちだって一緒に戦った仲だぜ?」
「馴れ馴れしく呼ぶな変態男が!」
「あふん、もっと罵ってくれぇ!」
幼女に罵られて喜ぶ変態の知り合いなどいない。いないと、信じたい。
しかし見たことある顔なのはなんでだろう。できることなら記憶から抹消したい。
体をくねくねとさせ凪に罵倒を要求したのは九十九九重。『九十九』の家系で最強と謳われるのが彼なのだが、あの姿だけを見せられればただの変態だ。悲しいことに紛うことなき変態だ。
九重の後ろには同じ『九十九』の揺火と一葉が控えていた。
こんなに少ない人数だったかなと思っていると、さらに後ろから二つの人影が揺れているのを捉えた。その足元には二つ小波が流れている。
ほぼ同時に凪の視界に入ったのだろう。九重に向けていた威圧感が殺気と変貌し、熱風と錯覚させ肌を焼き焦がす。
「手厚い歓迎だのう。心地よい殺気だ」
禍々しいほど美しく惚れ惚れするほどに美しい。
九十九志乃――『九十九』の創設者にして始まりの能力者。
瑠璃色の眼光は交錯しただけで全身に雷撃が駆け抜ける。白銀の長髪は太陽光を受け、怪しく蠢いていた。
「んむ? おお! かしぎではないか!」
凪を微笑ましげに見つめていたかと思えば俺を視界に捉えた途端、亜音速を越えて突撃をかましてきた。背中にいた二人の回避行動にはさすがとしか言えないが、その際に俺を生け贄にしやがった。
たしかにあんなのを避けたら別荘に大層な被害をもたらすだろうけれど、生身で受ける俺の身にもなってほしい。
その前になんで突撃してくるんだ。また戦いたいとか言うんじゃないだろうな。いくらなんでも御免被る――、
「ごはぁ!?」
思考にして約一秒。志乃の突撃もといハグが速度と勢いを抱えたまま、しかし怪我はさせないよう気遣いの利いた一撃が俺を押し倒した。
「久方ぶりだのう。元気にしておったか?」
「元気じゃねぇよ。いきなり飛び付いてくんな。さっさと退け」
「いかんのう。規則正しい生活をせぬから不健康になってしまうのだぞ」
「退けって言ってんだよ!」
人の腹の上で説教かましてご栄悦に浸ってんじゃねぇぞ。見た目は細見なのに胸囲の脂肪と髪の重量でとんでもないことになってんだよ。
「ただのすきんしっぷではないか。そのように怒ることはあるまい」
そう言いながら志乃は退く。ついこの前に殺しあっておきながらスキンシップなんて言われても心臓に悪いだけだ。しかも悪気がない行動だからたちが悪い。
志乃にとっては殺しあった関係だろうと、打ち解けてしまえばそれだけで殺しあったという事実は帳消しにできるくらいにどうでもいいことなのだろう。
「我輩を無視して勝手に進入するとはずいぶんな立場でありますなァ」
起き上がった俺を目尻に凪が志乃に詰め寄る。身長差があってどうしても見上げる構図になってしまうも、それをものともしない程度に殺気が溢れていた。
まさに一触即発とはこのことだろう。
火種を点した導火線のごとく、このままでは爆発してしまう。誰かが危険を省みず鎮火作業を行うべきなのはわかっているものの、むやみに介入したくないというのも本音だ。
『九十九』を嫌う凪を宥めるなど火に油を注ぐようなものだ。
『夜天』と『雷天』は我関せずだし、妹はいないし、変態と獅子は傍観してるし、『九十九』の当主は焚き付けてるし。まったくもってどうしたものか。
思案に耽っていると、もうひとつの影が二人の間に割って入った。
「せっかく来たんだから喧嘩なんてすんなよ。楽しいお泊まり会が台無しになっちまうじゃねーか。なっ、冬道?」
白銀のポニーテールを揺らしながら、柊詩織はそう言った。
「だな。いいじゃねぇか。大勢の方が楽しいだろ?」
「…………」
無言で渋面を作る凪が俺を睨む。竜のごとき眼は全身の筋肉を硬直させ、無意識に戦闘態勢を整えてくれる。巨竜と対峙した感覚が喉の奥から迫り上がってくるも、自制できないほどではない。
呼吸を挟み、乱れた波動を落ち着かせる。
凪は渋面のまま俺たちを一瞥し、自らに言い聞かせるよう静かに呟く。
「いいだろう。来てしまったものは仕方ないであります。それで、我輩が直に招待状を送った相手はどうしたでありますか」
「双弥は依頼のため遅れてくるそうだ」
「……そうか」
揺火の返答に凪は目に見えて落胆する。
しかしそれも一瞬のことで、すぐさま覇気を取り戻す。
「司たちも遅れてくるらしいでありますから、先に海で遊んでくるといいであります。夕餉の準備は我輩の方で進めておこう」
凪はそう言い、いましがた俺たちが辿ってきたものとは別の道を示す。
等間隔に備え付けられたライト。しばらく無人であったはずなのに姿を映すほど綺麗に磨かれたフローリングの奥には、左右に割れて廊下が続いている。後ろについていくと、ドアプレートの下げられた部屋に着いた。
「一応ここが更衣室であります。部屋のなかに海に行ける扉がある。着替えたらそこからは好きにすればいいであります」
凪はそれだけを言うと踵を返し、わずかな怒気を構えた背中はあっという間に消えていった。
「あちゃー。やっぱ俺たちが来んのはマズったなぁ」
珍しく気まずそうにする九重に全員の意識が向かう。
「あの娘っこはずいぶんと妾らを毛嫌いしているな。九重よ、そちはなにか理由を知っておるのか?」
志乃の疑問は、凪の態度を目の当たりにしたおおよそ全員が抱いたものだろう。
彼女の『九十九』に対する嫌悪感は明らかに度を越えている。
そもそも『九十九』という能力者を統率する機関がありながらも、あとから『組織』を立ち上げた。しかもやっていることは同じでありながら、張り合うように動いている。
どちらの頂点も幼い子供。だというのに能力者を統率する二大機関を維持し続けなおかつ、さらに肥大化させるなど並々ならぬ意地を感じる。
「知ってるってほどじゃねーけど、凪ちゃんとはなにかと因縁深いんだよ。そこんとこはふたみんと……」
不自然に言葉を切り、黒目を移動させて誰かと目配せする。それを追おうとするも、それより早く言の葉が綴られる。
「ふたみんなら知ってると思うけどそれよりいまは海に行こうぜぇ!」
あえて会話をちぎったのは言うまでもないことだ。
それに慰労会に来てまでややこしいことに首を突っ込むこともないだろう。
久しぶりというにはやや早すぎる気もしたけど、あの激戦を駆け抜けた戦友たちとたわいのない短い会話を交わす。
ただそれだけのことが、なんだか幸せに思えた。
◇◆◇