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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第八章〈夏休みの終わり〉編
100/132

8―(2)『青春の謳歌②』

 

 祝! 今回にてついに氷天の波導騎士が一〇〇話になりました!

 まあ、内容は弱冠重苦しいのですが、それはさておくとして、これからもよろしくお願いします!

 

 身支度をちゃちゃっと済ませ、俺は玄関を開け放った。

 せっかくの夏休みなんだから家に籠ってばかりではもったいない。たしかにアウルも気になるけど真宵のいう通り、ほっとくものひとつの手だ。なんでもかんでもお互いにさらけ出す必要などないのだから、そっとしていおいてやろう。

「うお、眩しいな」

 夏特有の暑さは波動でどうにかできるけど、日の光はどうしようもない。

 突き刺すように照りつける日射しに目を細めてしまう。

 最近は真宵と部屋でまったりしてただけだから、なんだか外に出たのも久しぶりなような気がする。ただでさえ印象の強いことに巻き込まれてここらが懐かしく思えてしまうのに、外出までそうなってはいかんな。

 この分だと学校が始まったらなにがなんだかさっぱりになってそうだ。

 人生でもうほとんど残されていない学生時代をこんな無駄に過ごしてもいいのだろうか。後悔先に立たずの格言もあるくらいだし、青春を謳歌したいところだ。

 どうも俺は巻き込まれたり自分から首を突っ込んでみたりと、人とは違う青春をエンジョイしている節がある。ここらで挽回しておかねば。……って挽回するとかしないとかじゃないだろ。

 思考が完全に脳筋になってやがる。戦い漬けで健全な男子高校生の思考回路がショートしてしまったのか!?

 冗談じゃない。これを機に戦いと縁を切る――なんてことは無理だとしても、しばらくは平和に過ごそうとしてるのに、これじゃまともな学園生活なんて送れないぞ。

 よく考えたらこんな平和なのも久しぶりだ。

 ずっと戦い戦い戦いと、体を休める時間はあっても思考と心を癒す間はなかった。

 いい機会だし知り合いに限定されるが、積極的に関わっていくとしますか。

「つってもいつもはあっちから勝手に来てくれるからな……」

 会いたくないときに限ってのこのことやって来るくせに、こうして会いたいときにはなかなか会えない。いや、勝手にのこのこ言い過ぎか。あっちからしたら俺の方が勝手に来たようなものだ。

 そもそも俺は真宵のことも含めてあいつらのことをほとんど知らない。

 余裕がなかったがためだろう。異世界を救うなんてファンタジーに巻き込まれてエンディングを迎えて、すぐに超能力に遭遇した。似た系統の出来事でも全く同一ではないのだから、それの順応に意識を削がれることになる。

 強くてニューゲームのつもりだったけど、結局手痛い目に遭った。ファンタジーが現代に勝るなどという固定観念に囚われていたからだ。

 限界も際限もないのなら、文明によって強さが上下するとは一概には言えない。元はこちらの人間である俺が召喚されたことを考えれば、すぐその結論に到達していたはずだ。

「……おいおい」

 立ち止まり額に手をあて呆れ返る。どうしてこう小難しい話に考えが向かうんだ。

 マジでショートしてやがる。救いようがねぇ。

「おや? かっしーじゃないか。こんなところでどうしたんだい?」

 不名誉なあだ名にぴくりと反応する。誰だ俺をそんなふうに呼ぶやつは。

 片手で顔を覆ったまま半面だけ振り返り、指の隙間から覗く。

 わずかに癖っ毛なショートカット。真夏だというのにきっちりとマフラーを巻く姿を見ると、涼しいはずなのに全身から汗が噴き出てきそうになる。

 タンクトップにショートパンツと露出度の高い服装をしているのに子供が背伸びしているようにしか見えないのは、きっと彼女のビジュアルのためだろう。

 がっくりと肩を落とし、俺は億劫混じりに彼女の名前を口にする。

「翔無先輩……」

「わーお。久しぶりに会った先輩に対してその相変わらずの態度には、毎度ながら感心させられるばかりだねぇ。なんだい? ボクに会うのはそんなに嫌なのかい?」

 翔無先輩はなにがそんなに楽しいのか、八重歯を見せながら跳ねるようにして俺の周りを回る。

「嫌ってことじゃないけどテンション高いなと思って」

「ボクのテンションが低かったらそれはそれで、事件でも起きたんじゃないかと君は心配になるんじゃないかい?」

「ごもっともな意見で」

 肩を竦めてみせながらおどけた態度で言う。

「ところでかっしーはこんなところでなにをしているんだい?」

 正面に位置取った翔無先輩が訊いてくる。

「かっしー言うな。やることもなかったから適当にただぶらついてただけだよ。そういう翔無先輩はなにしてたんだ? 実家に帰ったんだろ?」

「いやー、実家に帰ったはいいけど君と同じくやることがなかったから、こうして出戻りしてきた次第さ。ゆっくりしようにも家じゃゆっくりできないからねぇ」

 遠くを見つめる翔無先輩の姿に実家でなにがあったか概ね察せられた。

 人を小馬鹿にしたような態度の父親――八雲さんに、戸籍上は家族となっている東雲さんがいるのでは、あのだだっ広い屋敷だろうとゆっくりしようにもさぞ騒がしいことだろう。

 そこに自律人形である『ASAMI』ちゃんを加えて、毎日どんちゃん騒ぎ。そりゃ出戻りしたくもなる。

「それにあっちじゃ、君にも会えないし……」

 言ったあとで恥ずかしくなったのだろう。翔無先輩は頬を真っ赤にすると顔を背けてしまった。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。

「そ、そうだ! 用事がないんならボクの家に遊びに来ないかい!?」

 話題を逸らそうとわざと声を荒げた翔無先輩との距離が一気に縮まる。

 お互いの呼吸か身近に感じられ、ともすれば往来の場でキスを交わす男女だと思われるかもしれない。周りに誰もいないのがせめてもの救いだった。

 そのことを指摘しようとしたところで、翔無先輩も自分たちの状況に気づいたらしく、頬の赤みがあっという間に顔全体に行き渡っていった。とりあえず、もはや病気ではないのかと心配になるほど真っ赤になった翔無先輩から一歩離れる。

「翔無先輩の家に行ったら密室で二人きりってことになるけど大丈夫なのか?」

「だ、大丈夫。問題ないよ。というか君は女の子の部屋で二人きりになるのにそんな落ち着いていられるんだよ」

「最近は俺の部屋で好きな女の子と二人きりだからな。なれもするさ」

「あー……そっか。君たち付き合い始めたんだっけ」

 あからさまに落胆する翔無先輩。目の前で落ち込まれても困るんだけどなぁ。

「ほら、翔無先輩の家に招待してくれるんだろ? 女の子の部屋にお邪魔するのって実は初めてなんだ」

「いよぉしすぐ行こう! ボクが君の初めての相手になるよ!」

 大声で叫ぶ翔無先輩はまだテンパっているのだろう。精神年齢が低下して子供っぽくなっていた。

 子供っぽい容姿に加えて子供っぽくなられたら、それはもう子供だ。気分はまさに子供をあやしているようである。

「あんまり変なことを叫ぶのはやめましょうねー」

 翔無先輩の頭を軽く叩き言う。

「うがー! 子供扱いするなー!」

 癇癪を起こした子供よろしく腕を振り回す翔無先輩から離れると、後ろにいた誰かにぶつかってしまった。

「すみませ……」

 謝ろうと振り返ったところで、表情が曇るのが自分でもわかった。

 黒髪のツインテール。気怠そうに半目に開かれた瞳は脱力感をさらに煽ってくるようで、ただでさえ重い体がさらに重くなった気がする。

「……おやおやかっしーさん。雪音さんとお熱いようですね」

 火鷹鏡。風紀委員のメンバーにして『組織』の新入生。その彼女が俺の背後に立っていたのだ。

「全然お熱くねぇよ。お前の目は腐ってんのか」

「……かっしーさんに久々に罵倒されたような気がします」

 無表情で体をくねらせる火鷹は、ほんのりと頬を紅葉色に染めていた。

 なにこの子。なんで罵倒されて喜んじゃってんの? わけがわからないよ。

「キョウちゃんじゃないか! いいところに来たねこれからボクの家に遊びにおいでよかっしーも来るよ!」

 よく噛まないなと感心するほど矢継ぎ早に翔無先輩は言う。

「……ぜひ」

 そう返した火鷹はどことなく嬉しそうにしていたのは見間違いではないだろう。これまでの付き合いで、なんとなく表情の変化を見分けられるようになったのだ。

 ふと火鷹は怪訝そうな視線を差し向けてきた。

 俺の視線が不快だったわけではないらしい。どこか観察するように、まるで心のうちを見透かすようにじっと見つめてくる。知り合いでもなにか言うわけでもないのにそんなふうにされると、さすがに不快感が込み上げてきた。

 他人の感情を読み取ることに長ける火鷹がわからないはずがない。となれば読み取りたいことでもあるのだろう。

 やがて溜め息をこぼした火鷹は、

「……おめでとうございます」

 祝福の欠片もない祝辞を口にした。

 気落ちした様子の火鷹にどう言葉を返したらいいかわからず翔無先輩に助けを求めるも、こちらはこちらで俯いている。構図的に俺が二人をいじめているかのようだ。

 もちろんそんな事実はない。

 しかし俺が原因で間違いないだろう。

 原因は――俺と真宵が正式に交際を始めたからだ。

 火鷹はともかくとして、翔無先輩からの好意にはとっくに気づいていた。

 真宵のときと同じで受け入れることができず、無視して、無下にして――そして結局は拒む形となった。言葉にしたわけではない。けれど真宵と交際するということはそれすなわち、そういうことだ。

 そして火鷹の想いも拒絶したことになる。

 重苦しい空気に押し潰されそうだ。息を呑み、言葉を紡ごうとするが、

「ああいいよいいよ、気にしなくても。もうしょうがないからさ」

 翔無先輩は陽気な声音でそう言った。

「こうなるのがわかってて、ボクたちは君に恋をしたんだ。ね、キョウちゃん?」

「……まぁ、そうなりますね」

 言葉に偽りはない。しかし納得したわけではなさそうだ。

 当然だ。張本人である俺が言うのもおかしいが、想い人が奪われて、はいそうですかと飲み込めるわけがない。

 俺だって真宵がほかの男と付き合い始めようものなら怒りに我を忘れ、その相手に襲いかかるかもしれない。いいや、かもしれないなど控えめだ。確実に襲いかかって半殺しにはする。

 憤怒や嫉妬の発揮する力は理性の鎖をいとも簡単に破壊する。

 かつての俺がそうだった。異世界に召喚され、右も左もわからない俺を導いてくれた仲間――アイリスを殺されたとき、視界が真っ赤になった。あれが怒りに我を忘れるということなのだろう。

 破壊を行使し、俺はアイリスを殺した相手を消滅させた。その後も止まることなく暴れまわった。真宵たちが抑えてくれなければ、どうなっていたことか。

 感情の猛りを自制できる二人が素直に羨ましかった。俺に、それは不可能だ。

「だからかっしーは自分に素直になりなよ。ボクたちに気を遣って答えを出された方がよっぽど悔しいからねぇ」

「じゃあ、俺は真宵が好きだ。愛してる!」

「げばぁっ!」

「……雪音さーん」

 吐血した(もちろんフリだ)翔無先輩と抑揚のない響きで駆け寄る火鷹を見ることで、この話の巻く引きとなった。


 翔無先輩の家は徒歩で十分ほどの距離にあった。てっきり貸家だと思っていたが、案内されたのは紛うことなき一軒家だった。サイズこそ小さいものの、一人暮らしをするには広すぎではなかろうか。

 俺の感想をよそにさっさと玄関を開け、入るよう促してくる。

 定番な展開として部屋が汚いからちょっと待ってて、みたいなのを不謹慎ながら想像してしまったが、翔無先輩から誘ってきたのだ。人を招ける程度に部屋を片しているに決まってる。

「ボクはお茶の用意でもしてくるから先に行っててよ。キョウちゃん、かっしーを案内してあげて」

「……了解」

 敬礼からの九〇度回転。火鷹は決め顔でついてこいと先行する。

「――ああそうだ」

 去り際に翔無先輩が耳元で囁く。

「廊下の突き当たりにある部屋には、絶対に入っちゃダメだからね? いいかい、絶対だからね?」

 それはあれか。入ってくださいって振っているのか。

 翔無先輩ならありえるを通り越して確実になにかある。もう引っ掛かってくださいの笑みを浮かべているのが背中越しでもわかる。

 火鷹でさえあからさまに避けているのだ。あえて罠に飛び込んでやるほど俺はお人好しではない。ならばここで返すべき言葉は、

「オッケー。廊下の突き当たりの部屋には絶対近づかないようにするよ」

「ああんかっしーそれはないんじゃないかい!?」

 せっかく来客用に色々準備してたのにー、という叫びはきっと空耳だ。

 颯爽と無視を決め込み、急いで火鷹のあとを追う。

 その途中で翔無先輩の言う廊下の突き当たりの部屋に差し掛かった。なんの変哲もない外見。可愛らしいドアプレートが掛けてあり、『あやしくないよ(はぁと)』と書かれているのが非常に残念な感じを引き出していた。

 鼻で笑ってやると、火鷹が案内してくれた部屋に入る。

 液晶テレビやソファーベッド、ダイニングテーブルなどが質素に配置されている。ところどころにぬいぐるみが鎮座し、ちょこっとファンタジーな空間が形成されていた。

 あまり人の部屋をじろじろと見るのも悪いのでソファに座ろうとするも、なぜか火鷹が固まっていた。

「どうかしたのか?」

「……いえ、大したことではないのですが、不法侵入者がソファーベッドで眠っているときはどうしたらよいのでしょうか?」

「ポリスマンに通報したらいいんじゃねぇかな」

 興味津々な火鷹をなだめつつ、背中越しに覗く。そして眉間を押さえた。

 どうして俺の周りの人間は揃いも揃ってインパクトが強いのだ。もう少しおしとやかに振る舞っても損はないだろうに。

 茶のメッシュの混じったストレートが流れて鎖骨にかかり、妙な色っぽさを醸し出している。はだけた服の胸元からは黒の下着か露になっており、彼女の美貌を思えば健康な男子高校生ならば目を背けるのは至難だ。

 しかし目を背けるどころか重荷を乗せられたように感じるのは、俺が彼女の性格を知ってるがゆえだと信じたい。

 私立桃園高校前生徒会長――臥南来夏その人がソファを占拠していたのである。

 来夏先輩は俺たちの気配を鋭敏に察知したのか、瞼を持ち上げた。決して良いとは言えない目付きで俺たちを捉え、欠伸を噛み殺しつつ起き上がる。

「他人の家に不法侵入とかやるもんですねー」

「あんたがそれを言いますか」

 人のこと言えた立場じゃないし、第一に俺たちは客人として招待されたんだ。

 まあねーと来夏先輩は不法侵入したことに対し反省の色を示さないまま、胸元に引っ掻けてあった黒縁の眼鏡を装着する。

「眼鏡なんてかけてましたっけ?」

「いんや。ちょっち無理しすぎちゃった後遺症でね。見えにくくなったんですよー」

「後遺症……?」

 眼鏡をインテリ学生を真似して持ち上げる来夏先輩。

「そ。目が悪くなったのも普通の視力低下じゃなくて、能力の使いすぎによる異常性っつーか劣化性なものですからねー。雪音の親父さん特製の眼鏡じゃないと見えにくくてかなわねぇっつーの」

「それと翔無先輩の家に不法侵入したこととなにか関係があるんですか?」

「ありませーん」

 手をひらひらと振りながら言う。

 この人、不法侵入が犯罪だということを知らないのではなかろうか。

「で、そいつ、誰? お前の知り合い?」

 来夏先輩は行儀悪く顎で火鷹を指す。

「なんで知らないんですか。同じ『組織』のメンバーでしょうが」

「『組織』の人間関係なんて高校時代は上下二つずつ、それ以外は仕事が重なった能力者じゃねーと築けねぇんですよ。てーことは三つ下の後輩ですかねー」

「火鷹鏡。来夏先輩が卒業したあと配属された……んだと思います」

 目線で火鷹に確認し、肯定をもらえたところで言い切った。

「お前が雪音の言ってたキョウちゃんか。聞いてるよ、超有能な補佐らしいですねー。まったく、羨ましいったらありゃしませんよ」

「……恐縮です」

 堅苦しさを全面に押し出した火鷹におもわず苦笑する。そんな畏まるような人じゃないのにな。本人に言ったらどんな返しが来るかわかったものでないので、心のなかだけに納めておく。

「なら有能なお前に頼みがあるんですけど」

「……頼みとは?」

「おつかい、頼まれてくれませんかねー」

 それくらい自分で行けよ、と叫びかけた俺は間違いではない。ちなみに叫びかけたのに留まったのは、以外にも火鷹がそれを了承したからだ。

 来夏先輩からおつかいのメモを渡された火鷹はツインテールを翻し、心なしか早足で部屋から出ていった。その際にわずかながら俺に瞳を向けてきた。底のない――底無し沼のような。

「勘のいい子で助かった。さすが雪音が一押しするだけはありますねー」

 来夏先輩はそう言って乱れた服装を直す。そして眼光鋭く俺を貫き、敵対心を剥き出しに咳払いを前置きとした。

「なにお前、藍霧真宵と付き合いだしたんだって? まずおめでとう」

「……そりゃどうも」

 火鷹と同様に祝福の欠片もない祝辞だが、決定的に違うのは敵意の有無だ。

 来夏先輩は欠片ほども――いや、細胞単位ですら祝福する気はない。調和を破壊されたバランサーのつもりか、彼女からは壊してはならないモノを壊した相手に向ける明確な敵意を感じた。

 壊してはならないモノ――関係。

 来夏先輩はそこに怒りを抱いたのか。

「てめぇが誰を選ぼうと勝手だけどさー、振った相手の家に転がり込むとかなに考えちゃってくれてんですかねー。ちょこっと考えりゃわかんだろ? 私が一目見てわかってんだから、てめぇがわかんねぇはずねーだろ?」

 ああわかってたさ――あの二人が無理をしていることくらい。

 俺を気遣って平気なフリをして、あんな悲しそうな笑みを浮かべて、自分が泣きたいのを堪えている。

「かしぎくん、君の周りは君を想う女の子が多すぎる。私が知るだけでも雪音に鏡ちゃん、詩織ちゃん。そして本丸の藍霧真宵ちゃん。この人間関係はギリギリのところで均衡を保っていたわけですけど、君が答えを出したことでそれは決壊したわけ。つっても君は悪くないよ? 人の色恋は自由ですからねー」

 俺に言葉を挟ませることなく来夏先輩は続ける。

「でも君は優しくて甘すぎた。少しくらい距離をいいはずなのに、君は以前と変わらぬ距離感で二人に接している。それが二人にはきちーんじゃねぇの?」

 来夏先輩は言葉を切って大きく息を吸う。

 そこからはあっという間だった。ソファーベッドから跳ね起きた来夏先輩は俺の胸ぐらとベルトを掴み、足払いで体勢を崩してくる。一瞬の浮遊感に見舞われたかと思えば、背中から叩きつけられていた。

 苦悶を漏らし立ち上がろうとするも腹部に体重がかけられ、自由に動くことすらままならぬ状態にされていた。

 両足で俺の腕を踏み抜き、お互いの息がかかるほど顔を近づける。

「甘いってのはこういうことだよ。てめぇは無理やりそういう関係・・・・・・を迫られたら……拒めねーだろ?」

 蠱惑的に微笑み唇を舐めると、俺の服をまくり上げた。

 来夏先輩も上着を脱ぎ捨て、ボタンを上から外していく。

「なにやってんだよお前は……!」

「嫌なら全力で拒めよ。それとも私を傷つけたくないとか思ってるわけですかー?」

 ついに上半身が下着だけになった来夏先輩は、あろうことか最後の砦をも取り払おうとしていた。いくらなんでもこれ以上は冗談では済まなくなる。

 全身に力を込めるも、細身のどこからそんな腕力が沸いてくるのか訊きたくなるほどにぴくりとも動かない。

 腕力だけじゃない。能力も使っているのか――!

 はらりと下着がはだけ落ちた。

「なーんて、ね」

 そんな声で反射的に瞑った目を開けると、胸にはしっかりと下着がつけられていた。どうやら二枚重ねにしていたらしい。……違う。これ、水着だ。

「私がその気になったら、いま君はDTを卒業してましたねー」

「……いい加減にしろ」

「いい加減にすんのはてめぇだクソが」

 振り下ろされた拳はか弱く、痛みにすらならない。

「優しいのは構わねーけど、いつまでも甘ったれんな。恋愛ってーのは戦いよりもずっと難しいってことを砂糖漬けの脳髄に刻んどけ」

 来夏先輩はそう締め括って俺から退くと、脱いだ服をてきぱきを着直した。

 自由になった体を起こしてまくられた服を整える。

 恋愛は戦いよりもずっと難しい――か。俺の周りの環境を考えれば、たしかにその通りなのかもしれない。敵を倒すのではなく、嫌な言い方をすれば丸め込むというのはかなりの難易度だ。

 いや、難易度だ、じゃねぇよ。

 ここも戦いとの相違点だ。青春を謳歌するって漠然と考えていたけど、もしかして俺って危うい立場にいるのだろうか。選択肢を間違えればバッドエンドと対面しかねないような。

「おーいかしぎくん、ゴマシスしようよー」

「切り替え、はやー」

 勝手に取り出したコントローラーを片手にした来夏先輩が手招きをする。

 というかまたそのゲームですか。もうやりあきたんだけど。

「いやーごめんごめん。ちょっと遅くな……って来夏先輩!? どうしてここにいるんだいですか!?」

 いくつかのコップと麦茶の入った容器を持って突然現れた翔無先輩に驚くべきはずが、帰ってくればいないはずの人がいたせいで逆に驚いていた。

 スクリーンショット機能が人類に与えられているならば、後世に残すために記録していたところだ。遺憾ながらそんな機能はない。なぜ神は人間にフォトモードを備えてくれなかったのだろう。

「しっかり鍵をかけておくーに。あれじゃ簡単に不法侵入されるぞー」

「いやいやいや! ちゃんとかけてましたから!」

「かかってなったよ。二階の物置部屋の窓」

「なんてところから侵入してるんだいですか!?」

 非難の視線もどこぞに吹く風とばかりに来夏先輩はコントローラーを動かす。

 なんでネーム設定までしてるんだ。変なところで懲り性な。って、かっしーはやめろよマジで!

「ほらほら、時間は有限なんですよー? そんなとこに突っ立ってないでゴマシスやろうぜー」

 どんだけゴマシスやりたいんだ。あれって何年か前に発売されたゲームだろ。しかもあと何ヵ月かすれば次回作も発表するらしいし。

「やりますか……」

 しぶしぶ重い腰を持ち上げてテレビの近くに座る。受け取ったコントローラーを操作してやったのは当然、不名誉な渾名の修正だ。

 来夏先輩は不満を訴えてきたが誰がこのままやるか。対戦してる間ずっと頭上に表示されてるんだぞ。羞恥プレイかっての。

 いまは翔無先輩とも来夏先輩とも顔を合わせづらいし、ほとぼりが冷めるまでゴマシスに興じることにする。敗戦が続いてストレスも溜まってるし、鬱憤を晴らすにはちょうどいい。

「もうかっしーまで……。しょうがないねぇ」

 テーブルに手に持ったそれらを置き、翔無先輩は俺の隣に腰を下ろしてくる。

「ところで、ドタバタしてたみたいだけどなにかあったのかい?」

「なんにもー。黒光りするあれが目の前を通りすぎってったもんだから、退治するのに手間取っただけですよー」

「え、うそ!?」

 顔を蒼白にしながら翔無先輩は目を剥く。よくそんな嘘を平気でつけるもんだ。

「まぁ、あれを一匹見たら一〇〇匹はいるっていうけど、私には関係ないかなー」

「今日は泊まっていきませんか?」

「やだ断る」

 翔無先輩が涙目になっていた。

「まぁ、嘘だから気にすることねーって。ホントーにいたらいまごろ、廃屋になってたはずでしょーに。ねぇかしぎくん」

「そうですね」

「かっしーに同意を求められると本気で廃屋になってそうだから、冗談でもやめてもらいたいんですけど」

 いつのまにか乱れに乱れた口調が敬語になっていた。だいぶ落ち着いたようだ。

 キャラクター選択を終えステージを決定する。翔無先輩は針鼠で来夏先輩は超能力を使うチビを選んでいた。やはりキャラクター選びにも性格が出るのか。

「あれ? キョウちゃんはどこ行ったんですか?」

「私がおつかい頼んだのだぜ。もうそろそろ帰ってくるんじゃないですかねー?」

 来夏先輩が言ったのと同時に部屋のドアが開けられた。

「……ただいま帰りました」

「おかえりキョウちゃ……あれ? お客さんじゃないか。ほらかっしー、お嫁さんのご登場だよ」

「え?」

 言われて振り向くと、そこにはビニール袋を両手に持つ火鷹と、その後ろに買い物帰りの真宵とつみれが立っていた。

「かしぎさん、ここでなにをしているのですか?」

 真宵が一歩踏み出し訊ねてくる。

「暇になってぶらついてたら翔無先輩の家に招待されたんだよ。で、これからゴマシスで対戦するとこ」

「そうでしたか。私は帰りにキョウと会って遊びに誘われました」

 無表情でピースする火鷹に二つの意味でなんとも言えない気持ちになる。

 せっかく起動したけれどここまで大勢が揃ってしまってはゲームをやるのは勿体ないだろうということで電源を落とし、テーブルを囲んだ。

 火鷹の買ってきた炭酸飲料とスナック菓子を広げる。こうなることを見越していたのか、はたまた自分が飲み食いしたかっただけなのかは本人に訊いてみないことにはわからないが、後輩に代金を全部支払わせるとは、なんとも来夏先輩らしい。

 真っ先に手を伸ばしたのもやはり来夏先輩だった。

「買い物行ってきたみたいですけど、やっぱり凪から招待状が来たのかな?」

「はい。ボクのところは父さんと東雲義姉さんと一緒でしたけど」

「俺んとこは母さんと妹と真宵とがセットだったな」

 そういえば母さんはわかるけど、つみれはどうして招待されたんだ?

 つみれは能力者じゃないし戦乱の真っ只中に入ったわけじゃない。そうなると『眠り姫』の能力でも察知できないはずだ。

 ……でもまぁいっか。問題があるわけじゃないし。

「じゃあ当然、勝負水着は買った――ってことですかねー?」

『ぶっ!?』

 約複数名、口に含んだ飲み物を吹き出していた。正確には二名だ。

「な、ななななに言っちゃってるんですかねぇ来夏先輩。水着なんて去年のもので問題ないじゃないか」

「うわー、それはそれで残念すぎですよー」

 胸を押さえて呻く翔無先輩。その言い訳はひどすぎるぜ。

「あたしと真宵さんはいま買ってきたところだぜ」

「ほほう、どんな水着を買ったのかな?」

「へっへー、内緒!」

 初対面とは思えないほど意気投合する来夏先輩とつみれを横目で見つつ、キンキンに冷えた炭酸飲料を飲み干す。喉をほどよい痺れが通過し、すぐに込み上げてくる炭酸を我慢する。

 やっぱり炭酸飲料は一気飲みするに限るぜ。

「……かっしーさんかっしーさん」

「かっしー言うなっての」

 袖を引っ張りながら言う火鷹に何度目になる訂正をし、話に耳を傾ける。

「……私はちゃんととっておきの水着を用意しています。具体的にはほぼ紐だけで重要な三点がギリギリ隠れるくらいのです」

「お前、知り合いしか来ないからって少しは自重しろよ」

「……いつもこんな感じですが?」

「節操を覚えろバカタレ」

 そんな際どい水着を着られたら目線に困るだろうが。

 火鷹はたいてい口先だけだから水着もそこまで際どくはないだろうけど心配だ。

 そこからややあって。

 女の子が五人も集まればガールズトークに火が点くというものだろう。少々聞いてはならない話まで始めるものだから、俺は慌ててベランダに退避するはめになった。

「オトコノコは辛いですねー」

「わざと引っ掻き回しといてなに言ってるんですか」

 柵に体重を預けたまま声の主である来夏先輩に返答する。ガールズトークが際どくなったのはこの人が話題を提供したからだ。

 まったく、誰のせいでこうしてると思ってるんだ。

「雪音はああ言ってたけど、ぜってー水着買ってるだろ」

「俺も買った方がいいんですかね」

「お前は買わねーでもいいんじゃねーの?」

「ですよねー」

 俺が新しい水着を買ったところで誰に得があるんだって話だ。

「さて――と。こっからはわりと真面目な話になるけど、心の準備は大丈夫かな?」

 来夏先輩は眼鏡のフレームを撫で、鬱陶しそうにしつつも外そうとはしない。

 見えにくくなんて言ったたけどたぶん、かけてないと見えていないのだろう。能力の酷使により、視力を失ったのだ。

「悪いタイミングで招待がかかっちまいましたねー。別荘で夏休みの最後を過ごすなんて、冗談抜きでなにが起こってもおかしくねーよ」

「なにが起こっても、ね」

「ふざけてっとお前、マジで後悔するはめになんぜ? 器用ってわけじゃねーんだから二股三股なんてできねーだろ?」

「できてもやりませんよ」

 そう言った俺は苦虫でも噛み殺したような表情をしていたことだろう。誰が二股三股なんてやるかっての。

 俺の言葉を聞いて安心したように雰囲気を和らげる。しかしそれもすぐしかめっ面によって掻き消された。

「さっきの様子を見る限り、あの二人の決意は固まってみたいだった」

「決意?」

「君を藍霧真宵ちゃんから略奪する決意」

 それは以前に柊にも言われたことだ。しかも俺と真宵を前に宣戦布告する形でだ。

 京都に遠征に言ったときも宣言した通り既成事実を作られそうになって、なんやかんやでうやむやになったのだ。

 あのときは本気で焦った。下手したらいま俺の隣にいたのは真宵ではなくて柊になっていたかもしれないのだ。

「気を付けなさいね。今回の招待は、一歩間違えれば楽しい思い出ではなく、修羅場に突入するバッドエンドフラグ――いいや、デッドエンドフラグなるかもしれないのだから」

 来夏先輩の言葉はあまりにも不吉で、笑い飛ばすにはリアリティーがありすぎた。

 こうして俺の不安をよそに――楽しい楽しい夏休みの最後が始まろうとしていた。


   ◇◆◇


 

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