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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第一章〈勇者の帰還〉編
10/132

1―(10)「狐の面」


 あれだけの前振りをしておいて申し訳ないんだけれど、結局、俺は狐の面と会うことはできずに翌日を迎えていた。

 指定された時間に地図に赤く印されていた場所を全て行ってみたのだが、どの場所にも狐の面どころか、誰ひとりとしてそこにはいなかった。

 正直、不意打ちするために隠れているのかとも考えたが、白鳥の情報で、狐の面が戦いの素人というのは知っている。

 俺の肉体が劣化しているとはいえ、感覚までは劣化していない以上、素人の不意打ちに気がつけないわけがない。

 ようするに昨日、狐の面は動いていなかったことになる。理由はわからないけれど。

 なんつーか、すげぇ恥ずかしい。

 あれだけ思わせ振りな前振りをしておきなから、なにも起きなかったんだからな。

 カッコつけたのに、それが空振りに終わるのと同じくらい恥ずかしい。

 それにしても。

 どうして狐の面は、このタイミングで出てくるのを躊躇ったのだろうか。……いや、本当に躊躇ったのか?

 能力を使って他人を傷つけるような奴が、なにを躊躇う必要がある。

 まだ人間としての感性が残っているのか、それとも、ただ偶然に昨日は現れなかっただけなのか。どちらにしろ、関係ない。

 俺が狐の面を叩き潰すことに、変わりないのだから。

 閑話休題。

 さておいたところで現在、朝かと思うかもしれないが、しかし残念ながら今は放課後。

 朝はいろいろとあったのだが、まぁ、そのいろいろは語る必要もないどうでもいいことだったため、こうして省いたわけだけれど、強いていうなら柊が気持ち悪かった。

 今までに見たことがないくらいいい笑顔で抱きつかれて、どう反応すればいいかわからなかった。

 俺のモノローグでは伝えきることはできないだろうから、以下、回想に入らせてもらう。

 …………。

 ……。

 …。

「おっす、冬道。今日もいい天気だな!」

 柊はそう言いながら、朝一番に俺の後ろから、首に手を回して胸を押し付てきた。

「あ? そうか? 別にそこまで元気よく天気いいな、っていうくらいには天気はよくねぇけど。つーか、離せ」

「なに言ってんだよ。こんなにも晴れ晴れとしてるじゃねぇか、って晴れ晴れしてたのはあたしの心だったな! あと離してやんねぇ」

「……」

 あり得ないほどドン引きなテンションだった。

 なにこいつ、なんでこんなバカみてぇにテンションたけぇの?

 随分と元気いいねぇ。なにかいいことでもあったのかい――なんて、妖怪変化のオーソリティーじゃねぇけどさ、こう言いたくなるようなテンションの高さだぞ。

 こいつにいったい、なにがあったんだ。これはマジで一緒にいたくないレベルだぞ。つーか抱きつくな気色悪い。

「なぁ、冬道」

 耳に甘い吐息がかかる。いい加減離せ。嬉しすぎて発狂しちまうから。

「……なんだよ」

「妹って、いいよなぁ」

 妹がいる俺に向かってそんなことを言われても、とてもじゃないが同意はできないんだが。

 たしかにつみれがいることで俺は大分助かってはいるけれど、そこまでいいものではない。

 しょっちゅう――とまではいかなくても、それなりには喧嘩もするし、鬱陶しいと思うときもある。

 兄妹がそこまでバカみたいに仲がいいなんて、漫画やアニメだけの、悪く言ってしまえば偏見であり、視聴者などを惹き付けるためだけの布石なのだと思う。

 けれどそれ自体が悪いとは言わないし、利益を得るための真っ当な手段だということで、俺はそれを否定したりはしない。

 まぁ。

 つまり俺が言いたいことというのは、兄妹なんて、ただの家族以外のなにものでもないってことだ。

 だからとはいえ、俺はつみれのことが嫌いなわけじゃない。もちろん、好きなわけでもないんだけれど。

 本日二回目の閑話休題。

 今の柊には関わりたくはないのが本音だが、いざここで放置する、なんていうこともできないので、早急に他の手を打たなければならない。

「お前はなにをいきなり暴露してやがる」

「妹って可愛いもんだなぁ、って思ってさ。あたし一人っ子だからわからなかったけど、妹がいたらあんな感じなんだろうなぁ」

 あんな感じってどんな感じだよ、気になる言い方しやがって。

「俺が帰ったあとも白鳥と話してたのか?」

「うん。瑞穂がさ、あたしのこと『お姉ちゃん』とか呼んでくれてさ、もう可愛かったなぁ」

「あっそ。それはわかったから、さっさとその緩みきった幸せ顔を元に戻しやがれ」

「緩みきった幸せ顔って失礼な奴だな。なんならお前にもあたしの幸せを分けてやろうか?」

「要らねぇよそんな幸せ。こっちはな、今でこそ妹に兄ちゃんなんて呼ばれてるが、昔はお兄ちゃんお兄ちゃんって慕われてたんだよ。今さらそんなんで幸せになれるか」

「だったらあたしがお兄ちゃんって呼んでやろうか?」

「意味わかんねぇよ」

「お兄ちゃん?」

「ぐはっ」

 予想以上に破壊力のある一撃だった。

 俺が今抱いている感情と柊が抱いた感情は別物なのは明らかとして、なるほど、たしかにこれは幸せになれるかもしれない。すげぇ萌える。

 実際の妹には萌えないのに、それでも義理の妹に萌えてしまうのは、もしかしたらこれと同じ原理なのかもしれない。たぶん違うだろうけど。

「冬道もわかっただろ? あたしの気持ちが」

「お前の気持ちはよくわかった。だからってそんな緩みきった幸せ顔してんじゃねぇ」

「いいじゃんかよー。あたし、お姉ちゃんなんて言われたの初めてなんだからさ、幸せの余韻に浸らせてくれよ」

「昨日から浸りまくりだろうが」

「これでパフェ三つはいけるぜ」

「金の無駄遣いだ。太るぞ」

「女の子に太るとか言うんじゃねぇ」

 ――とまぁ、こんな感じで朝の語る必要もない話なわけだったけれど、よくよく考えてみると、あんまりスルーしてもよくないような話題だった気が……しないでもない。

 白鳥にお姉ちゃんって呼ばれて嬉しいのはわかったから、せめて授業中は俺の後ろから幸せオーラを放つのはやめてもらいたかった。

 完全に余談だが、朝のホームルームが始まるまで、柊は俺に抱きついたまま、昨日のことをずっと話していた。

「はぁ……」

 思い出すだけでため息もでるってもんだ。

 白鳥にお姉ちゃんって言われたのが嬉しいのは構わないが、俺に迷惑をかけるんじゃねぇ。

 けれど。

 柊がここまで嬉しそうにしているのにも、ちゃんとした理由がある。

 詳しいことは知らないけれど(というか柊自身もよく知らないらしい)、柊の家族は――血の繋がった家族ではないらしい。

 なんでも柊が小さいときになにかがあって、柊を――詩織を今の柊家が引き取ったとのことだ。

 今となっては顔さえわからない親より、血が繋がらないながらも自分を大切に育ててくれた柊夫妻の方が本当の親みたいだと、柊も言っていた。

 姉妹のいない柊にとって、白鳥にお姉ちゃんと呼ばれたことは、まるで、本当の家族ができたみたいな感じだったのだろう。

 だからこそ。

 俺はそんなふたりを傷つけた狐の面を――能力者を許すわけには、いかなくなっちまった。

 ただの暇潰しのつもりで軽く足を突っ込んだはずが、まさか片足どころか両足を突っ込んでしまうことになるだなんて、思わなかった。

「ん?」

 ふと演劇部の部室の前を通りかかると、部室のなかから、当たり前のことだけれど、演劇の練習をする声が聞こえてきた。

 興味はなかったのだが、なんのいたずらか、演劇部の部室のドアが少しだけ開いていた。

 なんとなく覗いてみる気になった俺は、こっそりと、なかを覗いてみることにした。

 この高校のジャージを着ている生徒が何人もいて、この演劇の主人公だろうか、三年生の女の子が台本を片手に、高校生とは思えない演技をしていた。

 その演技はその道の達人がやっているようで、失礼極まりないとは思うが、回りがお遊び程度にしか見えなかった。

 なんというか、ひとりだけ輝いている。

 演技に全てをかける――とまではいかなくとも、こういった演劇をすることが好きなんだということは、見ているだけでよく伝わってきた。

 それにしても、なんの演劇なんだろうか。よくわからないが、おそらく、九月の文化祭に向けての演劇の練習なんだろうな。

 去年の演劇は見てないからなんとも言えないけれど、周りの話からするとやっぱり、演劇部の演劇は凄かったらしい。

 去年の演劇は、当時二年生だった女の子が主役をやって、来客からの評判がよかったはず。

 誰だったっけ。あきせみ……しゅうせみ、えっと……なんて名前だっけな。たしか『あき』に『せみ』って名字だったような気がするんだがな……。

 そんなことを考えていると、ドアが開かれた。

「え?」

「あ?」

 まさかドアの前に人がいると思わなかったのだろう。その女の子は俺にぶつかって、よろけてしまっていた。

 さすがに劣化した肉体でも、勢いもついていない女の子にぶつかられた程度で、よろけたり転んだりはしない。一歩下がってしまっただけだ。

「すみません。大丈夫ですか?」

「う、うん、大丈夫だよ。ちょっと驚いただけだから」

「ならよかったです」

 俺も一応、歳上を敬う礼儀として、敬語は使える。

 その女の子は大丈夫と答えたので、その場を去ろうとしたのだが、その女の子が俺を見て目を見開いていたのを見て、思わず足を止めてしまった。

「……なにか?」

 ぶつかっておいて何様だと言いたくなるのはわかるが、赤の他人にそんな反応をされて気持ちのいいはずがない。

「あの……ううん、なんでもないの。その、ごめんね? なんか、変な反応しちゃって」

「……まぁ。別にいいですけど」

 そんなに申し訳なさそうに言われたら、いくら俺でもなにか言う気にはなれなかった。

 曖昧な受け答えをすると、俺は今度こそ演劇部から立ち去ることにした。

 それにしても、どうしてあの女の子は俺を見て、まるで化物を見るような反応をしたのだろうか。

 俺は目つきはよくない方ではあるが、そこまで露骨に嫌な顔をされたのは初めてだ。……もしかして、どこかで会ったことがあったか?

「かしぎじゃないか。帰ったんじゃなかったのか?」

「両希? お前こそ帰ったんじゃなかったのか?」

 俺が教室を出たとき、すでに両希と柊はいなかった。てっきり帰ったと思っていたんだが、まだ帰ってなかったのか。

「僕はちょっと他のクラスに用事があっただけだ。それでかしぎはなにをしてたんだ?」

「なにしてたって言われてもな。今帰るとこだ。さっきまでは演劇部の部室を覗いてたけどな」

「演劇部? まさか演劇部に入るんじゃないだろうな」

「入んねぇよ、めくどくせぇ。たまたまだ、たまたま」

 そうだ、と俺は呟く。

「お前さ、去年の文化祭の演劇で主役をやったのって誰か知ってるか?」

「知ってるもなにも、かなり有名じゃないか。うちの高校が誇る演劇のスーパースターだぞ」

 演劇のスーパースターってなんだよ。

「三年生の秋蝉しゅうぜんかなでさんだ。去年の演劇は持ち前の声帯模写で主役だけじゃなくて、何役かこなしていたんだ」

「声帯模写?」

「そう。あの人は女性でありながら、ある程度までなら男性の声も出せるらしいな」

「ふーん。声帯模写、ねぇ」

 ようは声真似ってことか。……声真似?

 声帯模写、演劇部、衣装――――狐の面。

 ……いや。まだこれだけで断定するには早いかもしれない。けれど、これだけ情報が揃ったというのだ。

 まさかこんなところで思わぬ収穫だ。あとは、秋蝉かなでイコール狐の面だということを確実にする情報がほしいところだ。

「両希、昨日って演劇部でなにかあったとかって話、聞いてたりしないか?」

「昨日か? あぁ、たしか以前に使っていた衣装のひとつがなくなったとかで、騒いでいたはずだ。同じクラスの演劇部の奴が慌てていたからな」

「その衣装がなにかわからないか?」

「なんだ、今日は妙に質問が多いな。もう大分使っていなかった、九尾の狐の衣装らしいぞ」

 それを聞いて、全身の血が沸き立つのを感じた。

 これほどまでにないというくらいに決定的な、秋蝉かなでイコール狐の面だということを知らしめる証拠だ。

「ありがとよ、両希。これで繋がった」

「なに、礼には及ばないさ。幼なじみのよしみって奴さ。まぁ、なにをするかはわからないが、怪我だけはするなよ?」

 あぁ、と一言だけ答えて俺は、駆け出した。

 …………。

 ……。

 …。

 まぁ、駆けたことを表してみたはいいけれど、よくよく考えてみると狐の面が現れるのは夜だから、正直なところ、急ぐ必要性は全くなかったりする。

 なんかノリで駆けてしまったから、ぶっちゃけると、家に帰ってくる途中でなんで走ってるんだろ、と疑問になりそこから歩いて帰ってきた。

 帰宅すると当然のように居合わせたアウルと、帰れ帰らないのひと悶着があって、今は夜。

 午後九時。

 狐の面が現れる時間になると同時に、家中にチャイムが鳴り響いた。監視してるんじゃないかと思わせるくらいに、タイミングのいい奴だ。

 俺は部屋を出て階段を下り、玄関を開ける。

「こんばんは、かしぎ先輩のついでのアウルさん」

「ちょっと待て。それは一見俺の名前を出して挨拶をしてるが、実質的にはアウルに挨拶してるだけで、俺をスルーしてるじゃねぇか」

「先輩にしては鋭い指摘ですね。私、藍霧真宵も今日ほど驚いたことはありません。ギュッ、とハグしてあげましょう」

「そんなことで驚くんじゃねぇ。ハグは超嬉しいけど」

「――おい」

 俺たちの会話にアウルが怒気を孕ませた言葉で割り込んでくる。どうやら除け者にされたのが気に入らなかったらしい。

「お前らの仲がいいのは構わないが、それはあとにしてくれ。今日も狐の面を探すのだろう?」

「そうだな。そんじゃ、さっさと行こうか」

 狐の面が秋蝉かなでという女の子であるとわかったけれど、それをアウルに言えば間違いなく、アウルは『狐の面』ではなく、『秋蝉かなで』を処分するだろう。

 それじゃいけないんだ。俺が『狐の面』を潰さないと、まるで意味がない。

 狐の面イコール秋蝉かなでだと思っていたが、おそらくそうじゃない。

 『秋蝉かなで』と『狐の面』は別物だろう。

 俺が見た限りじゃ、秋蝉かなでが誰かを傷つけるような人間には、見えなかったんだ。

 しかし。

 それでも狐の面が柊と白鳥を傷つけたことは、揺るぎない事実である以上、俺はそれを許さない。

 長くなってしまったが、俺が言いたいことというのは、とりあえず狐の面は許さねぇ――ってことだ。

「真宵後輩、頼みがあるんだが」

「なんですか?」

「大したことじゃねぇんだけどな」

 俺はそう前置きして、真宵後輩に頼み事をする。

 真宵後輩は特に嫌な顔ひとつすることもなく、ふたつ返事だけでそれを了承してくれた。

「とりあえず、一番近くから回るぞ、冬道」

「あいよ。行こうか」

 そんな短いやり取りのあと、狐の面が現れる場所のひとつひとつを回ることにした。


     ◇


 ひとりの兵士の言葉に、戦慄の足跡が忍び寄った。

 魔王の僕である魔獣の襲来。

 それは現在のヴォルツタイン王国にとっては、死を宣告されたに等しいことだった。

 精鋭部隊は魔王の討伐に向かって逆に打ち倒され、残った兵士たちも完全に士気の下がった状態にある。

 満足に戦うことができない状態では、魔王の僕がいかに一体であろうと太刀打ちは不可能だ。

「偵察兵の報告によれば、まっすぐに黒装竜デュオス・ドラゴンが向かってきているとのこと。いかがいたしましょう?」

「……なるべく時間を稼ぎなさい。命をかけて『天剣』と『地杖』に選ばれたふたりを逃がすために」

「はっ!」

 胸に拳を当てながら、兵士は高らかに返事をする。

 だが、兵士は動こうとしない。

 いくらか間を置いて、その兵士は口を開いた。

「……フェリス様も、お二方と一緒にお逃げください」

「な――っ!? 何を言っているのです! 私は皇女です。民と兵を残して自分だけ逃げることなどできません!」

「ですが! 貴女まで一緒になる必要はありません! 本来なら貴女は波動を使い果たして動くのも辛いはずでしょう!」

 冬道かしぎと藍霧真宵。このふたりを呼び出すために使われた波動というのは、このフェリスと呼ばれた皇女のものなのだ。

 代々ヴォルツタイン王国だけならず、王族として生まれた者は波動を多く蓄えることができる。

 異世界と世界を繋げることができるほどに。

 だがそれを行ったあとは体内の波動は枯渇していると同じで、しばらくは安静にしていなければならない。

 人間で例えるならば血液が不足し、なおかつ垂れ流しにしていると同じなのだ。

「お二方が勇者だというのはわかります。見る限りでは戦える力はないのと思います」

 幾つもの死地を潜り抜けてきた兵士は冷静だ。

 見ただけで冬道と藍霧が戦えないことを見抜いた。

 だからこそ自分たちが時間を稼いでいる間に、魔王を倒すことができる可能性を持つふたりにフェリスを託すのだ。

「私たち、ただの兵士はいくらでも代えがききます。ですが貴女は違うでしょう? 貴女の代えは誰もいません。……早く、お逃げください!」

「代えなどいません! 貴方という個人は代えが利くものではないでしょう!」

「お願いですから、早くお逃げください。時間はもうありません!」

 フェリスの言葉はもう聞きたくないとばかりに兵士は背を向け、今にも走り出そうとする。

 そんな背中に、冬道が言った。

「ごちゃごちゃうるせぇんだよバカ。なに勝手に俺が逃げることになってんだ。ふざけんじゃねぇ」

「……なに?」

 冬道の言葉に兵士は立ち止まり、兜から覗く瞳が冬道を貫く。

 いくら代えの利く兵士とはいえ、戦いにその身を投じているのだ。

 たかが学生を怯ませるには十分だ。

 それでも冬道は意に介した様子はない。

「誰が逃げるって言ったよ」

「……ふざけるな。いくら『天剣』に選ばれていようと、貴様が戦えないことはわかっている」

「だからなんだよ。戦えないことはわかってんだ」

 でもよ、と冬道は言葉を紡ぐ。

「結局戦うんなら、いつ戦うかってだけの話だ。なら俺は、今ここで戦う」

 冬道と藍霧が戦うということは、すでに決められていることなのだ。

 異世界から勇者として魔王を倒すことを頼まれた以上、戦うのは時間の問題だ。

 だから冬道は今ここで戦うことを選んだだけだ。

「つーか皇女様にはここにいてもらわねぇと困るんだよ。俺たちが――魔王を倒して元の世界に還るためにな」

 あくまでも冬道はフェリスを守りたいわけでも、ましてや国を守りたいわけでもない。

 ただ自分たちが還るとき、フェリスがいないと困るというだけの話。

 この男は、他人など気かけてはいない。

「私は戦いませんよ。勝手に逃げさせてもらいますから。死ぬならひとりで野垂れ死ねばいいんです」

「還るために俺は動く。なにもしないで還れるほど、世界は甘くねぇぞ」

 冬道は藍霧に見向くことなく、淡々と告げた。

 突き刺さるようなその言葉に、藍霧は渡された復元される前の水晶の形をしている『地杖』を悔しげに握りしめる。

 そんなことは言われるまでもない。

 自分が、自分たちが動かなければ還れないことくらいわかっていることだ。

 だがなぜそれが、魔王を倒すという『戦い』なのか。

 そんなものは空想の世界だけのことだと思っていた。自分が巻き込まれるはずがないと思っていた。

 しかし今、自分はその中心に巻き込まれた。世界を救うための戦いに、空想だけだと思っていた事態に。

「怖くないんですか! 本当の戦いなんですよ!」

「あ?」

「私は怖い。いくら虚勢を張っても、怖いものは怖いんです! どうして……どうして貴方はそこまでできる!」

 藍霧は喚くように叫んだ。これが藍霧の本音。

 いくら強がっても、冷静を装ったとしても、異世界に呼び出されて魔王を倒す戦いに巻き込まれた恐怖は拭いきれるものではない。

 彼女はまだ十六歳の女の子なのだ。

 戦いなんて知らない。平和な世界を過ごしてきた少女に戦えなどと、残酷にもほどがある。

 今までは周りに当たり散らすことで、泣きたいのをこらえていた。

 しかしもう、我慢などできなかった。大粒の涙を流す藍霧を見て冬道はわずかに表情を和らげながら、今までにないくらい優しく言う。

「俺だって怖いさ。今だって震えが止まらねぇ。周りに当たり散らすのも、虚勢を張ってたのもお前と同じだ」

 よく見ると冬道の手足が恐怖で震えているのがわかった。いや、手足だけでなく、声も震えている。

「けどよ。なにかをしねぇと始まらねぇんなら、今ここで動くしかねぇ」

 冬道は言った。

 人間は他人の力を借りて助かるんじゃない。自分が動くから助かるんだ――と。

「それにさ……こんな体験、めったにできることじゃねぇ。直面して恐怖こそしてるが、心のどこかでは待ってたんだよ。こういうことが起こらねぇかをさ」

 恐怖があることは間違いない。

 それでも、こんな物語の主人公になるような舞台を求めていたこともまた事実。

 無数に枝分かれした世界の、それこそ無数に存在する『生』のなかで唯一、その権利を手に入れた。

「こんなに楽しいこと、見逃すわけねぇだろ」

 彼が今浮かべている笑みを見た人間は、いったいなんと言うだろうか。

 頼もしい? 残虐だ? 気持ち悪い?

 違う。そんな感情を抱くよりも早く、誰しもがこう思うに違いない。

 ――――あぁ、こいつ、狂ってやがる。

「皇女様、こいつの復元言語を教えてくれ。俺がその魔王の僕、何とかしてやるよ」

「ですが……」

「守りたいのか守りたくないのか、はっきりしてくれ。守りたいなら復元言語を教えてくれ」

 守りたくないはずがない。この国は、この国の民は自分を慕ってくれている。

 兵士だって、自分のことよりも皇女であるフェリスのことを心配してくれた。

 こんなにも世界は変わってしまったのに、フェリスを慕うということはなにひとつ変わってはいないのだから。

「復元言語をお教えします。――――エレメントルーツ。それが、『天剣』を復元させる言語です」

 それを聞いた冬道は一回だけ頷いて、復元される前の『天剣』を握りしめ、言う。

「――――エレメントルーツ」

 刹那。復元される前の『天剣』からまばゆい光が放出された。目を開けていられないほどの光。

 部屋を満たすほどにあふれでた光は徐々に小さくなっていき、冬道の手に形となり、剣の形として収まった。

 触れてしまえばたちまち切断されてしまいそうな刃が、光を受けて煌めく。西洋剣ともまた違う両刃の剣。それが、冬道の右手に握られている。

 あんな小さな水晶が一瞬にして剣の形となった。

 本来ならばそこに驚くべきなのかもしれない。

 けれど、そんな些細なことはどうでもよかった。

(馴染む……。こいつは、俺を待っていた……?)

 復元された『天剣』は、冬道の手に馴染んでいた。

 まるでずっと昔からそれを握ってきたかのような不思議な感覚。そんな感覚を手のひらに感じている。

 さらに体の奥から溢れてくるような、体全体を駆け巡る血のようなもの。

 今なら冬道は魔王とも殺り合えるような気がした。

 その感覚は頼もしくある。しかしそれを感じている今、冬道かしぎという人間は『人間』ではなくなったのだ。

 波導を使うための肉体。波導を使えるための肉体に作り替えられた――――『化物』となった。

「……行くぜ」

 冬道は短く呟き王室の窓の骨子に右足を乗せ、真紅に染まった瞳を正面に向けた。

 遠くには黒い巨体を持つ竜の姿が見えた。

 湧き出るような力を足の裏に集中させ、人間では成し得ないような速さで、冬道は黒装竜デュオス・ドラゴンへと向かった。


     ◇


 夜の廃ビルに俺の足音が反響する。

 俺たちが最後にやってきた寂れたその廃ビルには、人気ひとけはほとんどない。

「アウル、知ってるか? この廃ビルって幽霊がでるらしいぜ?」

「残念ながら私は幽霊は怖くはないぞ」

「つまんねぇな。少しくらい怖がってくれてもいいんじゃねぇの?」

「超能力があるのだから、幽霊がいたとしてもおかしくはないだろ。それをいちいち気にしている暇はない」

「そう考えるとたしかにそうか」

 話ながら階段を上がり、三階に入って周りを見渡すも、特に変わった様子はない。

 この暗さにももうなれたものだ。

 昼間のようにはっきり見えるわけではないものの、ある程度の視覚は確保できている。

 そして四階。そこは今までとは違い、より開けた場所だった。高校の体育館と同じか、それより少し広いかの空間だった。

 間違いない。ここに――狐の面がいる。

「来いよ。俺は、ここにいる」

 俺の声に反応するように、声が反響する部屋の天井部から奴は現れた。

 狐の面を顔につけ、民族のような衣装をまとう奴。

 万有引力の法則を無視するように、狐の面は俺を見下ろすように宙に浮いている。

「前置きはなしにしようぜ? 言葉を交わす意味がねぇ」

 抑え込んでいた波動を、毛細血管よりも細かく枝分かれした波脈に流し込む。

 感覚的には、どこがどのようにに変わったかどうかというのは、俺にはわからない。

 だがこれで『化物』になったことは理解できる。

「じゃあ、潰すか」

 世間話をするような軽さで俺は呟き、コンクリートの床を蹴りだした。





 ◇次回予告◇


「柊の声で話さなくてもいいんだぜ? 同じ高校なんだからさ、隠しても意味ねぇよ」


「――ここで殺す」


「あー、久しぶりにいてぇわ。やっぱり血の味と同じで痛いのも馴れねぇもんだな」


「あたしの力の前じゃ、そんなん意味ねぇよ!」


「貴方に言い負かされたまま逃げたくはありません」


「――――氷よ、雪女せつじょの甘い吐息を」


「あ、兄貴! 怪我とかしてないッスか!?」


「――――氷姫ひょうきよ、天焦がす地獄の花束を!」

「へ? ……うわわわわ!?」


 ◇次回

  1―(11)「氷天」◇


「死ねよ、お前」



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