1話 繰り返された時間
お読み下さりありがとうございます。
2話で完結する作品となっております。
内容を圧縮して書いた為に言葉足らずの
文章が多々ありますが、サラリと読み流
していただけると幸いです。
※タイトル変更しました。2024/08/13
(旧)前世で婚約解消されましたが~種族の壁を越えて~
カタコトと揺れる馬車の車窓から見えるのは、スカイブルーの澄みわたる空に純白の綿のような雲が3つ。下に視線を動かすと、深い碧色の線を境目にしてコバルトブルーの海が広がり、その美しい景観を見ているだけで胸が弾む。
――この海の向こうには
目指す場所は、目の前に広がる海を隔てた向こう側にあるマーサライ国。
そこで、私は第一王子の彼に会わなければならない。何としてでも会わなければ――。
錬金術師の父と母から生まれた私には前世の記憶がある。
前世での私は、マーサライ国の第一王子の婚約者だった。しかし、高等学院への入学を前に大好きだった彼から突然婚約解消を書面にて言い渡された。私は何度も彼と直接話をしたくて手紙を送ったが一度も会えず、他の令嬢と婚約するという話も無く、婚約を解消された理由も分からないまま……3年後に彼は事故で亡くなった。
お互いが想い合っていたと思っていた。なのに、何も知らされることがないまま彼は居なくなってしまった。
更に、その後で日を置かずに祖父が病に倒れる。小さい頃に両親を亡くしてからのたった一人の家族。そして祖父も倒れてからそう時間がかからずにこの世を去ってしまう。
祖父は亡くなる前日はとても具合が良く意識もハッキリとしているようだった。その日、祖父は看病をしている私の手を握りながら部屋の窓に視線を向けると目を細めしばらく外を眺めていた。その後で眉尻を下げ重い口を開く。
「――お前に辛い思いをさせたくはなくて婚約を解消するなどとは……。婚約を解消されてもまた同じで、辛い思いをしているとは考えもしなかったのだろうか」
婚約が解消になってから彼のことを一切口に出さなかった祖父がそう呟いた。
「お、お祖父様!今、なんと?なんとおっしゃいましたか?辛い思いをさせたくなくてとは?お祖父様、教えて下さい。何も知らないまま生きて行くには辛いのです」
「治る見込みのない病にかかっていたのだ。リアトリージュ帝国で薬が発明されたと報せを受けた日に天に召されるとは……」
やっと真相を知ることができた。私は捨てられたのではなかった。愛されていたのだ。
祖父の葬儀の日、私は殺された。それはきっと、祖父が最後に私に告げた言葉がなんとなく関係していると思う。
「――よ。泣くな。未来でまた会える」
そして、私は死んだ後にまた同じ時代に生まれてきた。前回とは違う人物として生を受けて――。
今世で生まれた場所は、魔術を用いた錬金術が盛んなリアトリージュ帝国の大森林の端に位置するカチュルム村。そこはリアトリージュの脳と呼ばれる程に魔術の長けた者達が住んでいる村で、この村は錬金術発祥の地でもある。
そのためか、この村に住んでいる誰もが計り知れない量の魔力保持者だ。しかし、私は全く魔力を持たずに生まれてきた。
魔術や錬金術を行使する際には魔力が必要になる。この村で私だけがそれらを行使することができなかった。
今世でも、早くに両親を亡くした私は爺様(祖父)に育てられた。そして5歳の誕生日を迎えた日、爺様はそんな私のために錬金術を用いて『魔宿石』魔力を宿す石を作ってくれた。ルビーの宝石のような、とても小さな赤い石。
「先の未来が幸せになることを願って作った」
爺様は優しく微笑み、私にその石を飲ませた。小さな飴玉くらいの石を口の中に入れると、体の中がポカポカと温かくなる。爺様は、そんな私をニコニコと観察している。
「どうだ。魔力を感じるか?」
えっ?これが……魔力?
そのときの、力が溢れてくるような感覚は今でも覚えている。そして、皆と同じに魔力を使い魔術や錬金術を勉強できることに胸を弾ませた。それからは毎日村の子供たちと錬金術を使い学ぶ楽しさを知る。
7歳を迎えた年の夏。皆と遊んでいるときに近くの洞窟へと錬金術に使用する苔を採取に行くと、初めて洞窟内で光苔を見た私は前世を思い出した。
家に帰ってくると採取した光苔を手のひらに載せて前世の記憶を辿る。
前世で私が婚約解消されたのは15歳のとき。そして、彼が亡くなったのは私が高等学院を卒業してから直ぐの帝国暦789年のときだった。ということは、解消されたのは帝国暦786年。このときに彼が病だと診断されたと推測すると。早ければ、あと7年後くらいに病にかかるのだろうと予想される。
前世の記憶では、祖父が言っていた。
『リアトリージュ帝国で薬が発明された』
「爺様。約10年後に発明される病の薬とは……なんの病に効くものなのでしょう?」
考え事をしながらポソリと口から漏れ出た言葉に、爺様は眉間にしわを作った。
「発明される病の薬……。なぜ、発明されると決まっておるかのように言う。それに、お前は誰だ?儂の孫に化けるなら、もっと年相応に化けねばな」
爺様がテーブルを隔てた対面の席に腰を下ろすと私の顔を覗き込む。
「あぁ、化けてはいないのか」
顔のしわをクシャリとさせ揶揄うように微笑む。その姿をじっと見ていると首を傾げて私の言葉を待っている。
私は小さく息を吐き出すと、爺様に自身の身に起こった出来事を語った。
「私には前世の記憶があります。爺様、助けて下さい――」
爺様は話される内容に不思議そうな表情をしていたが、なぜか納得しているようだ。
「なるほど。謎が解けたわい――」
話し終わると頷きながらそう呟いた。
こんな辺鄙な場所にあるカチュルム村がリアトリージュの脳と呼ばれ、魔術の長けた者達が住んでいるのには村の土地に理由があるのだと爺様が話し出す。
人間の体には魔力を作り出す能力があり、体全体でそれを蓄えるのだという。蓄えられる量も違えば、作り出す量も個々違う。しかし、この村では土地神が選んだ人間だけが生まれ、訪れる事ができる。そして、知る人は誰もがこの土地に来たがる。何故なら、土地が選んだ人間の魔力を常に満たしているからだと。「邪な心の持ち主は、この村を見つけることすらできぬからの」なのに、私だけが違う条件でここに生まれた。魔力を蓄えられず、生成できない体なのだ。
そんな私の為に、5歳の誕生日に爺様が作った魔宿石は、魔力を蓄えさせる体にするものだった。体の中に他人の一部を入れ体内を変えることで魔力を蓄えさせる体にしたのだとか。
「……わ、私が飲んだ石は……何から作られたのですか?」
話を聞いて驚愕した。他人の体のものを体内に取り入れていたことに血の気が引いていくようだ。
「儂の血液とこの土地の鉄塊じゃ」
爺様の血液で体内を変え、魔力を作りだすことができる土地の鉄を錬金したらしい。
「お前の魂が終わりを告げていた為に魔力を作り出す力もなく生まれてきたのじゃろう。そう思っていたでな。前世とやらの続きとして今世に生まれてきたとしても、儂の見解ではお前の魂は今世で力尽きることだろう。儂の孫で正解だったな」
そうして爺様は、これから訪れる病の為に、ありとあらゆるものの効能を調べ上げる。私も錬金術を学び鍛錬に励みながらたくさんの物を採取に出かけた。
日々ときはあっという間に過ぎ去り、気がつけば6年の月日を費やした頃、その病は突然現れた。
リアトリージュの脳と呼ばれるカチュルム村には、何事も最速でリアトリージュ帝国の情報が知らされてくる。その為、病についてもいち早く知ることが出来ると思っていたのだが――。
それは予想していないことだった。病発症の知らせは帝国からではなく、この村内からだったのだ。
「爺様」
「泣き言は聞かん。薬を作れ」
「この病と闘うために今まで頑張ってきたのだぞ」
そう言って、毎日を薬の開発に力を注いでいた爺様も病に侵された。
「もう、床に伏してから3ヶ月目になるな。魔力回路が壊されていくような感覚がある。今日は、儂の記録帳に書かれている整魔剤を用意しろ。それと……そうだ。なぜ気が付かなかったのか……薬を変えるぞ」
天井を見上げていた爺様の視線が突然私に向けられた。
「お前の血液と土地の鉄塊……いや、鉄の砂を錬金して魔宿石を作ってみろ」
そうして、爺様が幼い私に作ってくれたものと同じでルビーのような透き通る赤い小石が完成した。爺様の作ってくれたものよりはかなり小さい赤い小石。
「上手く錬金されておる。名を付けねばな。ふむ、『魔無石』でよかろう」
テーブルの席に座ると爺様はしばらく小石を眺め、そう言った後で魔無石を口の中へ入れた。
石畳の道に差し掛かると馬車の車輪がコツコツと音を変え、外に見える景色が変わる。
白い壁の建物が道に沿ってズラリと並ぶ民家を越えると港町が見えてくる。
建ち並んだ商店には多種多様な商品が置かれていて、店の前では店主らしき人物らが接客に追われ、街は人で賑わい活気であふれている。
活気に当てられ気が逸り、気持ちを落ち着かせようとバックの中から自身の手帳を取り出す。
手帳を開き出航前に購入しなくてはならない物のリストを確認する。この国でしか手に入らないと爺様から聞いているもの。それと、村の皆が作ってくれた魔宿石もある。
村を出発してから最後の街に着くまでに全ての物を用意した。
――うん。全部あるわ
そうして船に乗るため切符を買うと、馬車に戻り大きな3つのバックに魔術を施す。
それを親指の爪くらいまで小さくさせ紐を通して首から下げる。
「では、行ってくるわね。ここまで送ってくれてありがとう」
御者として港街まで連れて来てくれたのは幼馴染みのファンクだ。彼は爺様の弟子の一人でもある。
「師匠のことは任せろ!それより、魔力が足りなくなったらすぐに魔宿石を飲むんだぞ!村から離れなきゃ必要ないのに……」
「ファンク、心配しすぎよ。何かあればすぐに戻るわ。爺様が描いてくれた転移の魔術紋があるから大丈夫よ」
「どうしても、行かなきゃならないんだろう。……これ、皆で作ったお守りだ」
ファンクから渡されたのはブレスレットだ。腕に付けると村を感じることに驚いた。
「村にある、あらゆる物を錬金して作ったんだ!俺は小川の中を担当させられた。川砂と水草、貝や沢蟹にそれから翡翠もだ――」
「さ、サワガニ?」
「チェルニーは、ありったけの草を毟っていたし、マージは岩場の硝石、リュージンは洞窟の光苔とか、水晶まで採ってきたぞ!皆の髪の毛を素材にしたんだぜ!」
「……如何に凄いブレスレットか、ということが分かったわ」
ファンクを見送った後で、私は切符を船員に渡すと船に繋がる船橋に足を踏み出した。
船を降りマーサライ国に入国する。
――やっと、ここまで来た
村人達と爺様のかかった病は、私の作った魔無石ですぐに完治した。魔力を生成出来ない私の血でいっとき皆の魔力が満たされなくなると病は消え失せた。しかし、多くの血を採取した為に私の体が悲鳴を上げてしまい元気な体を取り戻すまでに時間がかかり、予定よりこの国の地に降り立つのが遅くなる。
でも、それは悪いことではなかった。村の皆が、今までに極めた自らの魔術紋を公開してくれたのだ。
この国に来ることしか考えていなかった私は、第一王子とどうやって会うのかまでを考えていなかった。
皆が魔術紋を教えてくれたことで、容易に彼の元まで行けるようになったわけだ。
――待っていて、すぐに行くわ
◇◇◇
「彼女の気配がする」
今世も原因不明の病と診断された。そして、彼女はまた俺と出会うのだ。何度も繰り返される同じ時間。
――彼女と出会うのは、何回目だろうか
また、彼女との別れを味わうのかと俺は胸が張り裂けそうな感情に押し潰される。何度も違う人物となって俺の前に現れる彼女は、毎回俺に恋をする。毎回病に侵される俺は、何度も彼女を手放したのだ。愛しい君には幸せになって欲しいから。
最初に彼女に出会ったあの日、俺は一目で彼女に心を奪われた。
それは、俺の中では遠い昔のこと。魔族がこの国に侵略戦争を起こすと報告を受けた国王陛下は、すぐに能力の高い6名の高位魔法使いで魔王討伐の隊を編成し魔族の国へ送り出した。第一王子の俺もその中の一人で、魔力量も多く彼らの指揮を任されることとなり魔族の住む国へと向かった。
数日間の時を経て着いた魔王の住む城に足を踏み入れる。すると、同時に何処かに飛ばされた。次に俺は目を開くと、真っ暗な場所に光る地面の上だった。ここが何処かも分からない、仲間はいない。ただ静かな闇に覆われた世界。そして、光の地面が進む先へと俺は歩き出した。
どれほどの時を歩いていたのか分からない。喉はカラカラで、空腹で力も入らず足を動かすことが出来なくなる。そうして光の道から暗闇に紛れるように腰を下ろした。遠くで犬の吠える声が聞こえてくる。魔獣だろうか?しかし、鳴き声は「キャン、キャン」仔犬の声に「クゥーン、クゥーン」と鼻を鳴らす声だ。次第に近づいてくる鳴き声が「ガルルルル……」と変わった。閉じていた瞼を開くと、真紅の瞳をギラリと光らせ牙をむき出しにした大きな3頭の犬の頭が俺を睨みつけているかのように見下ろしている。
――あぁ、ここで死ぬのか
そう思い、瞼を閉じる。
「ケルベロス、戻りなさい」
その声に、3頭の頭がみるみる小さくなる。犬の後ろから銀色のオーラに包まれて姿を現したのが彼女だった。漆黒の長い髪に赤いルビーのような瞳が上空から俺の前に下りてくる。妖艶な美しい彼女に全神経が震え上がる。
「まぁ、貴方は?……闇の森で何をしているの?」
「仲間とはぐれてしまって――」
「声がかすれてしまっているわ。ケルベロスが悪さしたのかしら?……とにかく、今は時間が無いからこのまま連れて行くわね」
突然、彼女に抱えられると俺は宙に浮いた。魔法を使っているのかと思ったが彼女は羽を羽ばたかせたのだ。その後で連れて行かれたのはドーム型の温室で、温室の中には小さな小屋があり『私の部屋よ』彼女は目を細めて美しく微笑んだ。
彼女は俺をソファーへ下ろすと水瓶からグラスへと水を注ぎ入れる。それを手渡されると俺は一気に飲み干した。
「だめよ。一気に飲んでは体に良くないわ。今度は少しずつ、ゆっくりと飲んでね」
そう言って二杯目の水を注ぎ入れる。
二杯目のグラスをテーブルの上に置くと、彼女は食べ物を持ってくるから待つようにと俺に言う。
「ケルベロス。何かあれば彼を守るように。私はすぐに戻って来るから留守番していてね」
彼女が部屋から出ていくと、俺はもう一度犬を見返した。
「お前、ケルベロスって言う名前なんだな。しかし、一つの胴体に頭が3つもあるなんて……重くないのか?」
「ウルサイ人間だな」
「やっちまうか?」
「怒られても知らないよ」
犬が……喋ってる?そう思った瞬間にそいつは飛び掛かってきた。
「ハハハ!ハハッ!やめろ!くすぐったいだろう。お前もだ!顔を舐めるなよ」
「あんたたち!良い子にしていなかったわね」
バタンとドアが開かれると室内に美しい声が響き渡る。荷物をテーブルに置くと彼女は湿らせたタオルを作り「目を閉じてくれるかしら」そう告げると俺の顔を拭きはじめる。
「大丈夫だった?この子達の遊び相手になるのはまだ早いわ。魔力を吸収してしまうのよ。私の魔力を貴方に分けてあげたいのだけれど、魔族の魔力だから……人間には分け与えたらどうなるか分からないでしょう?」
恥ずかしいが俺は黙り込むと彼女が顔を拭き終わるまで待つ。
「は、はい……拭き…終わったわ」
先ほどの晴れやかな声とは違い、オドオドとした声に目を開く。どうしたことか……真っ赤に頬を染め恥じらうような彼女の様子が不自然に感じる。
「ありがとう。サッパリしたよ。……あの、何かあったのかな?貴女の様子が先ほどと違うのだが――」
「……だ、だって!こんなにカッコイイとは知らなかったの!だから、貴方のせいよ!」
そう言って、テーブルの上に置いたままになっていた荷物を解く彼女は口を尖らせてから頬を膨らませる。
「まずは、食事よ。胃が空っぽでしょう?さっきみたいに一気に口に入れてはだめよ。少しずつ食べてね」
パンと果物を皿に用意すると、彼女はカップにスープを注ぐ。テーブルの上に食事を並べると、俺は彼女の言う通りにパンを小さくちぎりながら口へ運ぶ。その様子を横目に彼女は奥の部屋へ移動する。食事が終わる頃に戻ってくるとタオルを2枚渡された。入浴の用意をしてきてくれたらしい。
「とりあえず、話は明日に聞くから貴方は入浴を終えたら体力を回復させるためにもすぐにベッドで寝ること。明日の朝に朝食を持ってくるわ。このドームの中は私のテリトリーだけど、万が一を考えて今夜はこの小屋から出ないように。命を大事にしたければ……言うことを聞くのよ。では、私は城へ帰るけど……どうする?一人じゃ淋しいかな?ふふっ、冗談よ。ケルベロスを置いていってあげるわ」
「ケルベロス。今夜、良い子で番犬を終えたら明日の朝食後に焼き菓子をご馳走するわ」
「良い子で番犬?」
「焼き菓子だって!」
「やるっきゃないね」
彼女が部屋を出ていくと、早速入浴させてもらう。久々の風呂にとても癒される。その後でベッドに潜り込むとケルベロスもベッド脇にある自分の寝床で瞳を閉じた。
翌朝、美味しそうな匂いに目が覚める。昨夜と違い露出が多い彼女の装いに、開いた目を閉じる。
――ヤバい。可愛すぎるだろう
トスッと言う音に一瞬薄目で目を開く。彼女が俺の寝ているベッドに腰を下ろした。その後で俺の頭を撫ではじめる。
「髪の毛の色は金色だったのね。昨夜見た人間の国の空の色をした瞳も美しかったわ。……あら?顔が赤いわ。発熱でもしたのかしら?人間は体が弱いと父上が言っていたし……」
彼女はそう呟いた後で、俺の額に唇を落とす。
「そろそろ、起きてくださいますか?おーい、朝ですよー。起きてくださーい」
何度か小さな声を俺に掛ける。なんだか胸の奥がくすぐったい。そして俺が目を開くと彼女はまた額に唇を落とした。
「おはよう」
彼女の優しい笑みに、俺は彼女の首へと腕を回すと彼女の唇に俺の唇を重ねる。リップ音の後にすぐに離れた唇はとても柔らかく甘い味がした。
「な、な、な、私のファーストキスがぁー。人間は朝の挨拶に唇を重ねるのですか?魔族は額にしかしませんわ!」
なんと、挨拶だっただけなのか。かなり残念だが、俺も初めてなのにな――。
食事を終えると彼女はお茶を淹れた後で悲しい表情を浮かべ口を開く。
「3日前に5人の人間が城のあちこちで発見されました。彼らは魔法使いでしたわ。「魔王を討伐に来た」と言っていたところ理由をお聞きすると、魔王軍がマーサライ国に侵略戦争を起こすと聞き、そうなる前にと全員が話していましたが、こちらの国では何のことだかサッパリで――。ですので、魔王自ら5人をマーサライ国へと連れ帰りましたの。すると、そちらの国では戦争中だったらしく、国王との話し合いは手短に終わったそうですが……どうも、マーサライ国を陥れるための誤報だったと国王陛下が頭を下げたということでした。そして、5名の魔法使いを送り届けたことを大層お喜びになり、戦争が終わり次第謝礼をして下さるという内容を聞きましたが……貴方もその中の一人だったのですね?すぐにマーサライ国へお送りしたいのですが、こちらから人間の住む場所へ人間が移動するには満月の夜にしか開くことができない門を通過するしかないのです。次に開くことが出来るのは27日後になりますわ」
眉尻を下げ、戦争中の国にすぐに帰らなくてはいけないと思っているだろう俺を気遣う彼女に、首を左右に振ると俺は礼を告げた。
「不可侵条約の中に界の不関与が上げられている。5人はたまたま運良くすぐに国に帰れただけだ。どちらにせよ、我が国の間違いから魔族の国に迷惑を掛けたのに送り返していただけるなんて、とても有難いことだ。それに、君にこんなに良くして貰えて……俺の中で思い描いていた魔族と、実際の魔族とでは全然違うことが分かったし。済まない、俺は魔族を血も涙もないような種族だと勝手に思っていたから」
「ふふっ。血も涙もない……魔族もいますわ。でも、人間も同じでしょう?善人もいれば悪人もいますよね」
「あぁ、そうだね。同じだ。……それで、今更なんだけど名前を教えてくれるかな」
「まぁ!そうでしたわ!まだお互い名乗っていなかったわね。私はアスタートよ!貴方は?」
「アスタート。俺はセラフィムだ」
そうして俺は魔族の国で約一月過ごすことになる。話を終えると彼女に紹介され、魔王と会うことになったが、彼もまた俺が思っているような人物とはかけ離れていた。
魔族の国での毎日を彼女のドームで過ごすことに慣れたころ俺と彼女の想いが重なり合った。
「アスタート、この花は君に良く似ていると思うんだ。真紅の花弁が美しく甘い香りで誘ってくる。その誘いに乗って近づかなければ、美しさよりも可愛らしさに惹かれる自分に気がつかない。俺はこの花が大好きだ。俺の永遠を与える変わりに、ずっと側で咲き誇っていてほしい。そう願う心は自由だろう?」
「セラフィムったら。そんなに花を見つめないで……花にまで妬けてしまうわ。でも、想いは自由だわ」
彼女は柔らかに微笑んでその花を指先で軽く弾く。その愛しい表情に俺の理性は消えてなくなった。彼女が欲しい。二度目の唇を重ねると、もう歯止めが効かなかった。
彼女との未来が欲しくて、二人で魔王に許しを得る為に謁見する。魔王に告げられたのは絶望だった。
「次期魔王となる我が娘が欲しいと?そう申したのか?無理な話だな。人間と魔族には壁がある、何だか分かるか?……アスタートは今後何事も無ければ魔王と成り3000年の時を生きる。しかし、人間は長くても100年の時間しかないだろう?お前が死んだ後で、約2900年を生きる娘の気持ちを考えてから物申せ」
「父上。私は彼と共に生きたいのです。彼が死んだ後は?死んだ後の事など、その時が来なければ分かりません。今、一緒にいたいのです。彼と笑い合い、愛を育み、希望に満ちた生を生きていきたいのです。それが私の幸せですわ。私から幸せを奪うなんて父上でも許されません」
「ならば、人間として生きよ。お前が満たされるときはくるかな?あぁ、無理だろう。しかと其奴と生きて幸せになってから楯を突け!……アスタート、覚悟は出来ているのだろうな」
「もちろんです」
「そうか……」
その後で、魔王は玉座から下り自ら二人の前までくる。アスタートの視線と魔王の視線が衝突すると、魔王は冷酷な表情のまま右腕を上げる。そして、振り下ろされた右腕はアスタートの左の背に生えている漆黒の美しい片羽をもぎ取った。苦痛の表情をしながらその後も彼女は魔王から視線をずらすことはしない。
「お、おやめ下さい!断罪は俺が代わります。これ以上彼女には何もしないで下さい!」
五月蝿いハエでも払うかのように手だけで吹き飛ばされる。そして、俺はすぐに立ち上がり彼女の元へ駆ける。しかし、間に合わず彼女の右の片羽ももぎ取られた。
「どうしてですか!なぜアスタートだけが罰を受けるのですか?」
「そんなことも分からんか?アスタートは魔族だからな。お前は人間だろう?魔族が人間を罰することは出来ない。人間が魔族を罰することが出来ないのと同じだ」
そう言い残し、魔王はその場を去った。
俺がアスタートを抱えてドームに向かうと、直ぐに医師が駆けつけてきた。
そして彼女の痛みが治まると満月の夜に二人で人間界への門をくぐり抜けた。
国に帰ってくると、国王陛下に願い出る。戦時中に魔王が魔法使いを連れ帰ってきたことの褒美として、魔王の娘である彼女と結婚が許された。ただ、王家に魔族の血を入れることは出来ないと言われ、俺たちは森の中でひっそりと暮らすことにした。
森の中にある邸の引越を無事に終わらせアスタートが夕食の準備をしはじめると、邸の扉のノック音が鳴る。
「どなたでしょうか」
「道に迷ってしまったので、街に行く道程を教えていただきたいのです」
扉の外から聞こえてきたのはか細い女性の声だった。俺が扉を開けると女性は地図を広げたいと言う。その声にアスタートがダイニングに招き入れた。
開かれた大きな羊皮紙に描かれていたのは何かの紋様だ。それを見て不思議に思い俺とアスタートは女性に視線を向ける。すると女性はニヤリと口角を上げ手から何かを羊皮紙の上に置いた。その後で彼女が呟くと羊皮紙の中から真っ黒なものが飛び出した。扉の方向へ飛び出したそれを目で追うと黒いモヤは人の形になりその次に人になる。いや、黒い羽は魔族の羽だ。
「ディ……ディアスギル……」
アスタートはその魔族を知っているのか、名前を呼ぶ。
「やぁ。アスタート。元気かな?」
「セラフィム、この男こそ血も涙もない魔族よ。自分の思い通りにならない同族を次々と殺したの。人間で言う『魅了の魔法』と同じで言葉に魔力を乗せることができるの」
「酷い言いようだな。合っているが」
「何しに来たの?帰りなさい」
「クックッ。帰りたくても召喚されたんだ。仕事をしないと帰れない。この女はその男の婚約者候補だったらしいが、お前のせいで婚約者になれずに悪魔を召喚し復讐をしたいらしい。そこで、俺の出番がきた。お前と結婚し俺が次期魔王になろうとしていた計画がおじゃんだ。この女と俺、ちょっと似てるだろう?」
女性が鞄から取り出した2本の短剣をディアスギルは宙に浮かせる。
「この女の呪いの言葉で満たされた剣だ。人間とは怖い生き物だな。呪うなどとは面倒で俺等には真似できない」
彼が話し終えるころに、俺も彼女も意識が朦朧としてくる。そして、我に返ることが出来たときには目の前にいた二人がいなくなった後だった。
アスタートを見れば彼女は顔面蒼白でその場に佇むように立っているが、彼女の胸には短剣が刺さっている。
「ガハッ、ガハッ……」
「あぁ、セラフィム」
そうか、俺にも刺さっているのか。
俺の名を叫んだ後で、彼女は何かを呟き出す。呪文のような言葉だ。そのまま唇を重ねられると彼女の口から生暖かいものが口の中へと入れられた。俺がそれを飲み込むのを確認すると彼女は柔らかに微笑みそのまま瞼を閉じた。
誤字脱字がありましたら申し訳ございません
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