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ふたり  作者: さわのかな
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6

「ここは…」


ベランカの思いつきで、朝早く雨の中連れ出された私は、アナスタシアによって馬車に乗せられた。

侍女(アナスタシア)は、私を座席に座らせると、おもむろに小さな丸薬を渡して来た。

道中の為にベランカが用意した(もの)だと。

断る理由も無いので飲んでおいた。

初めて飲む不思議な味がした。

そのベランカに行く先を聞いても「秘密」の一点張りで詳しくは教えてくれない。  


屋敷を出てからも、せめて道すがらの景色で判断しようと試みたが、最近は滅多に外出も出来ていない私には初めて見る景色と何ら変わらない。

更に、雨は非常に強く打ち付けるように降っていて馬車の中からは、今、どこをどう走っているのかなんて到底場所など分かるはずも無かった。


―身体がだるくて重い―



濡れた外套を脱がされ、用意されていた薄い毛布にくるまれ、ただひたすら身体を横たえていた。


ベランカが私の対面に浅く座り、小さな身体を乗り出して横たわる私の手を取り握りしめていた。

馬車の中には私達姉妹しかいない。


「お姉様…苦しい?」

ベランカは、ゆっくりと尋ねてくる。

「…。」

そうだと、

そう答えたらこの子はどうしてくれるのか…。

無理やりここまで連れ出されて、

弱りきった身体を…心を…まるで自分の玩具のように扱われて、

なんて答えたら、

私は救われるのか、


「…お姉様?」


幼さは、

時に残酷で、


「…大丈夫よ、ベランカ…。」



そして、嘘を平気でついて、

作り笑いをする私も十分、


残酷で愚かな生き物に過ぎない。



「…それより、どうして今日だったの?」

努めて優しくなるように、ゆっくりと喋る事を心がける。

今度もはぐらかされたら、もう諦めるしかない…そう思った時、私の手を握るベランカの手がもう一度握り返される。

「まだ、教えてくれないの…?」

馬車から伝わる振動が徐々に大きく荒くなっていた。

ベランカは、何とも言えない表情で私を見ていた。

「大丈夫よ、ベランカ。」


まだ子供だ。

きっとこの状況を不安に感じているのだろうと、この仕打ちの中でも同情してしまう。

それは…まるで、母親のようだと自分でも何とも言えない気持ちになる。

私の母は、私を産んで暫くはごく普通の母の役割をこなしていた。

しかし、ある時期を堺に徐々に異変が起きていった。


母は、変わり果てていく。


そして、心を病んで引き籠もってしまった。

何が原因だったのか、父は今も何も言わない。 

それは、言わないのではなく、言えないのだと周りの大人達の口にする噂話を耳にしてわかった。


父が、母以外の女性を愛したという噂。



そもそも、父が母に対して愛情をもって接していたのか、疑わしくもある。

子供とは、何かあるならその何かをちゃんと感じ取ってしまう生き物なのだ。

大人の常識は子供にはわからないだろう、

理解出来ないだろうは、的はずれな勘違いだ。



母の異変は、ベランカが産まれる少し前の時期から始まった。

だから、母が変わっていった原因はこの美しい義妹(いもうと)とその母親だと言うこと…というのが周知の事実となった。



私の記憶に残る母は、いつも笑顔だった。

それは、誰に対しても。

だから、ふと表情を無くしていく母を、

周りに対して無理に作り笑いをする母を、

扱いに困った周囲の人間はだんだんと距離を置くようになった。


そんな母も私だけにはそんな姿を見せなかった。

母の情緒が不安になればなるほど、それは顕著にあらわれていた。



母が何かに怯えて、苛立ちを隠さなくなっていく姿を見たのは一部の側に置く人間のみだったらしい。


そのときの母は、かなり無理をしていたのだろうと想像出来る。


その違和感は徐々に私の中で大きくなり、

結果的に私が母を避けるようになった。


それが、

更に母を傷付ける事になり得る事を、想像出来るほど賢くも無かった。


そして、

それをそんな母を見ていた私も、

周りから避けられるようになっていった、



その頃、私が出会ったのは…



「殿下は…」


ビアンカの言葉が、私を現実に引き戻した。

まるで、私の頭の中を見透かしているように。



「エイダン様は、お姉様を幸せに出来ない。」


ガタンッ、と馬車が一際大きく揺れる。

滑り落ちてしまうかと思ったがいつの間にかベランカは椅子を降りひざまずいていた。

まるで、私を守るように。


「私はあの人を信用してない。」


次から次に、幼い妹の口からでる言葉に思考が追いつかない。

何も言えない私を見つめて義妹(かのじょ)は、どんどん言葉を重ねていく…


「あの人も同じなのよ。愛なんて嘘を平気で口にする、大嘘つき。」


「ベランカ…?」

ベランカの目は、真っ直ぐに私に向かう。


「お姉様も、信じられるのは自分だけだったでしょ。エイダンは、お姉様に何て言った?」



「ベラ…」


馬車は、どこを走っているのだろう。

かなりの悪路であることは身体が感じていた。

色々な恐怖と共に…。


「男は簡単に言うのよ。愛してる、共に生きよう、隣にいて支えて欲しい、次から次へと口から勝手に出てくる言葉をさも本心のようにね。別の若くて、美しい女に心を奪われながらでもね。嘘なんて平気でつけるのよ。」



何に対して私が恐れているのか、

だんだんわからなくなっていた。

目の前の少女がひどく大人に見えていく。


「皆同じ。あの男も、はじめは良かったでしょうね。でもお姉様のその弱っていく身体を毎日眺めて、それらの言葉を…耳障りの良い言葉…沢山の美辞麗句を本気で言っていたとお姉様は本気で信じてるの?神に誓える?」


だんだんと、妙に冷静になっていく自分がいた。


「あの男は、お姉様を愛しているふりをして、お姉様の代わりを探していたの。そして、お姉様の義妹である私に出会い、私と添い遂げたいと望みはじめた。」


心が凪いでいく。


「当たり前よ、衰弱していく病人より若くて美しく未来のある女を望むのは。私だって、未来の王太子妃になりたいもの。利害は一致したわ。」



何も言えない。



「あなたの見ていた世界は全て幻よ。」


ベランカの言葉を聞いた、その時、私の中で全てが腑に落ちた。




―安堵―





その時、確かに私は、何かから開放されたのを実感してしまった。


何故か、涙が流れた。


それと同時に目の前の光景に驚きを隠せなかった。

それは、どういう事か私の頬を伝うのは勿論、目の前の義妹(いもうと)の大きく綺麗な瞳からも涙が流れ落ちていたからだった。




「あなたは、邪魔なのよ。」


ベランカの強い瞳の光は、怒りを湛えていた。

私は、酷く安心していた。


同じ涙を流す私達の心はあまりに対極にあった。



と、同時に急に呼吸が楽になっていく。

ゆっくり、深く呼吸をして、妹に伝えていく。

「…そうね。…でも、もしかしたら私は、彼がそう思ってくれてる事を願ってたのかもしれないわ。」


「……?」 


ベランカは、まだ幼い。

きっと、こんな事を言っても理解出来ないだろう。

でも、目の前にいる少女の大人びた言動は、私の見ている幻かもしれないと思いはじめた。 


―私が得られなかった愛、それを受け取る資格のある人―



残された時間の中で私が見たいと望んだ幻なのかもしれない。

私の欲しい言葉…心置きなく絶望する言葉をくれる人。


それが、幼くとも、若くて健康で美しい義理の妹。  



そう思ってしまった。

だから…

私は不思議と目の前の幼い少女の姿をした人間ではなく、それを通して自分自身に伝えたくなっていた。



「ベランカ…私は幻でも良かったの。夢をみることは心地よい事だわ。でもそれは私の身勝手な考えでしかなかった。彼がどう思っていたかは関係ない。他人をどうこうしようなんて烏滸がましい事なの。だけど、彼が言う言葉を嘘のようにしたのは、私が悪いの…」


身体を少しずつ起こしていく。

何故か、全てがとても軽くなっていく。


まだ涙を流し続けるベランカは、急に顔を歪めていく。

だから、義妹を安心させたかった。

「真っ直ぐで誠実な彼を嘘つきにしたのは、私のこの身体と…心…だから…」

そう口にした時、馬車の速度が落ちた。

目的に着くのだろうかと思ったその時、

「…なんて…」

ベランカの纏う空気が変わる。



「なんて、愚かなの…。」

ベランカがそう呟いたと同時に馬車が静かに止まった。

「着いたの…?」

ベランカは、何も答えない。


そう言ったかと思えば、ベランカはどこから出したのか小さな包みを出して、その中から見覚えのある丸薬らしき物を一粒取り出して口にした。

そして、喉を鳴らして飲み下す。

「こんなに愚かだったなんて…」


「ビアンカ?」



「呆れるわ…呆れる。」

「どうしたの?ビアンカ?何を…」


ビアンカは、ゆっくりと立ち上がり扉を開ける。

私も…と身体を動かそうとしたが、その時初めて違和感を感じた。

「ビアンカ…待って…身体が…」


まるで私の言葉が聞こえていないかのように、ビアンカはゆっくりと馬車から降りていく。

「呆れた…けど…でも、これで覚悟は出来たわ。」



「…エア…ン…ア…」

おかしい…

舌にも力が入らなくなっていく

その間にもどんどん扉が閉められていく。

でもその間にもビアンカの強い視線は私に留まったまま、逸らされる事は無かった。


最早、喋る事も出来なくなっていた。

そして、いよいよ扉が完全に閉まる直前ピタリとビアンカの動きが止まった。



「レイラ。」


私には、もう指先すら動かす力がなくなっていた。

ただ、無様な体勢で起きている事を受け入れるしか無い。

そんな中で、唯一聴こえるビアンカの声が私の恐怖心を消していく。



「私がお姉様のすべてを奪ってあげる。安心して。死は、無駄ではないから。」



とても、心地良く私に響いていく


「そう思えたのは、あなたがこの世に誕生してくれたからよ。」


優しく、包むように、



「ありがとう。愛していたし、愛しているわ。」



そして、締めつけるように私の心を絞りはじめる。

それは、自分でも知らなかった醜い欲望。



「せいぜい、エイダンと私の幸せを指を咥えて見てるのね。出来損ないのお姉様。」



そう言い残して、扉は完全に閉じられビアンカの姿は消えた。

ひとり、馬車に残された私の心は静寂に包まれていた。

もう、雨が降っているのか、何処なのか、どうでもよくなっていく。


―覚悟していた―


どうやって終わるかなんて、

誰にもわからない、

どこで、

誰に恨みを買ってしまうか、

嫉妬され、

嫌悪され、

忌み嫌われてしまうか、


でも、

この身体だからこそ、

優しくなれたり、

愛したり出来たと思う


自惚れかもしれないけど



だから、

もう十分だと思う、

誰かと比べて、

苦しかったとか、

短かったとか、

そんな比較に意味は無い、


私の世界は

私だけの世界

私だけが見ている世界は



これで良いんだ




良い






良い?


何が?

どこが?

自己憐憫が?

身を引くのが?


幸せだった?


どこが?


苦しい時に何を考えてた?

楽しい事?

幸せだった頃の思い出?


考えられる訳無いじゃない



苦しい時は、ただひたすらに苦しい、

痛みだって、我慢出来ない、

ただ耐えるしか出来ない時間は地獄でしかない、



誰も

この苦しみを

代わりに引き受けてはくれない


なんで、

どうして、

私だけが、

他の人と違うの、

綺麗になりたい、

美味しい物を沢山食べたい、

お友達と遊びたい、

愛する人と結ばれたい、


幸せに、


なりたい、



こんな自分は嫌だ、


違う人生だったなら、


私が、私じゃなかったら、


もっと、生きていられたら、




誰かになれたら、




いや、


違う、



誰かに、


なりたい、







そう思った瞬間、馬車が大きく揺れ、私の身体ごと落下していくのを感じた…。









――――――


馬車を降り、扉を閉め、少女は御者にそのまま真っ直ぐ走るように告げる。

雨はまだ激しく降っている。

外套のフードを外し、再び走り出した馬車を見送る。



しばらく、

馬車が完全に見えなくなるまで、少女は立ち尽くしていたが、



突然、その場で崩れ落ちた、



雨は容赦無く、少女を打ち続ける。



少女は、そのまま動かなくなっていた。





















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