Episode 3 Crazy about love, laughing【3】
そうだ。ルルクの半身が吹き飛んだのは、あの怪物の引き起こした爆発によるもの。その威力は一瞬にして研究所を瓦礫の山へと変貌させてしまうほどで、そんな爆発に巻き込まれて肉体の断面を晒した者の体内に異物がないなど有り得ない。内臓の位置もずれ、石や瓦礫の破片が体内に異物として侵入しているのだ。何故すぐにそこまで考えられなかったのか。安心して、気が抜けていたのか?
いや、後悔は今すべきことではない。とにかく、治療を継続しながら輸血もしなくてはならない。輸血パックを……
「もう、助からない、よ。エルミュイユ。」
ルルクの顔を見る。生気がなくなり、死人同然のような顔で言葉を紡いでいる。焦点があっていない。
いつもの優しい目は、表情は、そこにはなかった。あるのはこの世の全てに絶望したような、悲しい顔。何もかも失敗した者の後悔と怨恨の目。残酷な目。
生者研究学の本領は治癒だ。かつての最先端の医療技術すら超越する、治療すら越えた再生。生きてさえいれば治せる。
だが。
下半身を丸ごと失い、大量の失血。意識は無理やり薬で覚醒させているのであって、肉体は既に死んでいるも同義。こんな状態から治すなど、いくら生者研究学でも。
「あー……あ。ねえ、エルミュイユ……失敗……した、よ。普段の、君の頭脳は……残し、ておくべきだった」
「な、なにを言っている?喋らなくていい、絶対、絶対治すから!今は治ることだけを考えて」
「薬……盛りすぎ、たかな……ははは……」
ルルクが血塗れの両手で顔面を覆う。粘ついた血液が気持ちの悪い音を立て、自身の顔を醜く彩る。
「君、さあ……違和感とか、な、かった?たかが告白、げほ、された程度、で惚れるとか、さあ……」
「ほ、本当になにを言っているんだ!何が見えて」
「薬……僕に、対する……意識の、操作。エルミュ、イユが薬学に特化してなくて……良かった、よ」
ルルクの両手が力を失い倒れた。顔面には指の形に沿った血痕だけが残り、それは咎人への罰を表しているようだ。枯れ木のように弱々しい腕は乾いた音さえ立てない。
「僕……さあ、弱い、んだよ……君、みたいに強く……ない、しさあ……見た事、あるかな……ヒーロー、アニメ……」
「…………………………?」
「かつて、の娯楽……僕も、知識としてしか、知らないけどさ……弱い、市民はさ……ヒーローに、守ってもらう、んだよ……僕はずっと……市民だった。女神に、見えたよ……君は、強かったしさあ……怪我を治せるっての、も……守って、もらえそう、だった。僕、は楽に生きるために……君の思考、を操ったん、だよ……子供だっ……て、いつか見限られない、ように君を縛る……ための鎖にする、ために産ませた……はは……死にたく、ないなあ……」
今際の際の、独白。弱者の咆哮だ。
ルルクは弱い。生まれてから今まで何度も死にかけ、その度に生き延びた。その場にいる他の人間を利用して。襲われれば代わりとして子供を差し出し、食料を要求されれば老人を殺しその肉を差し出した。子供でも老人でもない者には手を出さなかった。抵抗されるのはごめんだからだ。
出来ることと言えば、思い込むぐらいだった。罪悪感に苛まれる度に自分は被害者だと思い込み、まるで別人のように思考を切り替えた。心が壊れないようにするための、逃走だったのだ。そうすることでしか生きれなかった。
「ああ、僕は悪くない。生きるためならしょうがないじゃないか……騙しても犠牲にしても、生きるためなら仕方ない。僕はただ生きたいだけなんだから」
それが思考の根幹だった。
そのためだけに誰を、なにを犠牲にしても構わない。その行為がどれだけ自分以外の全てを踏みにじっていたとしても気付かなかったし気付こうともしない。
それがルルクという男なのだ。
エルミュイユは付いてこれていない。己が最も愛した男の最後の言葉。愛でも憎しみでもなく、ただどこまでも積み上げられた自己愛と他者への嘲笑。思考など、できるはずもなかった。地平最高峰の頭脳が、思考を停止した。
「なあ、ルルク……お前がなにを言っているのか分からないんだ、私は……どうすれば、どうすればいい?」
肉体はもう死んでいると言っていいだろう。心臓の鼓動よりも羽虫の羽音の方がまだ大きく聞こえる。
聞こえぬほど小さくルルクが笑い、言葉を発した。
「そう、だなあ……人一人分の死んだ、肉体、があれば延命は、出来るかな……その後は、君が治してくれるかい……?」
「ああ、わかった!わかった!死んだ人の肉体……」
己の肉体は使えない。延命した後にルルクを治癒せねばならない。ならば、使えるのは……
「クリス……」
今日、初めて立ったのだ。布の端を掴みながら、弱々しく。父の胸に倒れ込んで無邪気に笑い、今夜は豪勢な夕飯を作ろうと思ったのだ。愛しい愛しい、我が子なのだ。
だが。どうしようもなくルルクに生きて欲しい。こうしてしまえば引き返せぬと分かりながら、泥の中に引き込まれるように。以前ならばこうは考えなかっただろう。だが、今は何故かルルクに生きて欲しい。ただそう願う。
「ごめん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
幼いその体は気を失って地面に倒れていた。心臓は確かに動き、呼吸もしている傷一つない体。きっと、これからしっかり育てればエルミュイユさえ越えた研究者となるだろう。それか運動のできる健康優良児か。
だが、その未来を、今。他でもない母親が刈り取っている。首を絞め、大地に押し付け、許しを乞うように涙を流しながら血管が浮き出るほどに強くその細い首を握る。
苦しくて、意識が覚醒する。弱々しく数粒の涙を流し、声すら上げることができずまた意識が落ちる。
それは数秒にも満たぬ時間での殺人。だが、エルミュイユにとっては、クリスにとっては永劫にも感じられるほどに残酷な時間。幼い赤子の首を絞め、殺した母親。
「ほら……死んだ人の肉体……これで、何とか」
「はは……ははははは……!」
クリスの体を抱き抱え、ルルクの前に差し出す。これで助かるのならばまだ報われる。
だが、ルルクは弱々しく笑うだけだった。己の子供が死んだというのに泣くでもなく悲しむでもなく、ただただ壊れたように笑うだけだった。
「バカ、だなあ……エルミュイユ……そんなので、助かる訳ない……じゃないか……機材も、ないのにさ……気付かないのかなあ……最後の、意地悪……嫌がらせってさあ……」
取り落とした。クリスの体を。エルミュイユでも、ようやく理解出来た。ルルクの言ったことは嘘であり、クリスはただ無駄に死んだだけ。誰も、救われはしない。
ルルクが、死んだ。口の端から血を一滴だけ流し、最後に言葉も何も残すことなく下衆のままで。
膝から崩れ落ちる。ただ崩壊した幸せな家庭の上で、数分前まで笑いあっていた者たちが目の前で死に、最後の最後で裏切られ我が子を殺した。涙は血に変わる。
「あ、ああ……」
もしこのどうしようもない感情を誰かのせいにできればどれだけ嬉しいだろうか。どれだけ楽だろうか。
恨むべきだ。ルルクを。ずっと騙し続け、最後に自分の子供を殺す引き金を引いたのだ。恨むなという方が無理がある、尋常ならば殺しても殺し足りぬほどに恨むべき存在だ。
だというのに、できない。恨めない。まだ好きなのだろう、愛しているのだろう。そう仕組まれているにせよそうでないにせよ、エルミュイユは、まだ。
「ああああああああああああああああああああああ!!!」
――――――
「へっ……片腕がなくなって、あの時みてえな狂暴走も出来ねえ。牙も爪ももがれた俺にそんな警戒するかよ」
「それはソうだろう。逆にあれほドまでに全てを奪ワれ、なぜ警戒しなイ?そんなに愚かでハない、ワタシは」
カンレスに全てを託し力を失った『楽爆』。彼の住んでいる場所の周囲には万を越える数の蠢く死体が跋扈しており、更に超巨大な化け物が取り囲むように這っている。
「ワタシは……ワタシは、お前を引き金に全テを失った。大変だったンだぞ。屍肉の神器を発見し、死ヌまで死体研究学を突き詰めた。実験は自分ノ体でやったし、死者ヲ生き返らせるたメに必要な全てをシた。悟られぬヨう道化を演じ、あの人のたメに無数の死を振り撒いた。ただ繋げルために、あの人ノ二度目の生にたダただ繋げるためだケに!」
外から触手が伸び、『融滅』の頬を撫でた。愛おしむように、包み込むように。優しく優しく。
『融滅』もそれに返すように触手を撫でた。
「ルルクの残しタ悪魔の心臓。アレに二人を取り込マせ、更に無数の死体を取リ込ませ巨大化させた。改良二改良を繰り返して神器を取り込まセるに至らせ、遂には」
あぐらをかいて座る『楽爆』の胴体を、触手が貫いた。血反吐を撒き散らしながら表情に変化はない。
「生き返らせる方法もわカった。二人はEvil angelトして死体のまま保管シ、ワタシは五柱を……神の欠片を二ツ手に入れる。人一人の生死程度、アレからすれば些末ナものだ。死体さえ残っていれバ生き返る。ワタシは……」
『融滅』は死に続けている。実験により己の体を殺し、幸せなかつてを夢見て心を殺す。その全ては、愚かなまでに愛した男のために。あの男に笑ってもらえるように、心の底から、幸せに、三人でまた笑いながら生きるために。
そんな、たった一人の少女。恋に愛に囚われ続け、夢を見ることしかできない、誰よりも悲しい。
「ただ一人のために死を繰り返す」
無数の触手が『楽爆』の全身を貫いた。いくら埒外の身体能力を持ち狂気に塗れた怪物である彼でも全身に穴を空けられれば死は免れない。虚ろな目をしながら前のめりに倒れた。
「……最後に聞こうか、『楽爆』。なぜあの日ワタシたちを襲った。なぜ、あの時、ワタシたちを!」
「理由は……ねえよ。俺は狂ってただけだ。はは、お母さんに唆されたかな。あれだけが俺の存在意義だ……」
「……そうか」
腐乱死体が『楽爆』に群がった。既に何もせずとも死を迎える体である『楽爆』の死体を喰いちぎり噛みちぎる。それは正に彼女の二つ名通りの光景だ。
『融滅』。それは二つの意味を持つ。死体の軍勢を用いて融かし滅ぼすその様を畏れた者による畏怖の名。そしてもう一つは。
全てが泡沫と化した幸福に塗れた過去。無惨に無様に、全てが夢幻だったというのにそれを受け入れることはなく。安らかに緩やかに全てが融けるように滅んだその道を。
誰かが笑いながら憐れんだ名だ。
「残念だ」
天使が天高く吼えた。
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その全容は明かされた。誰よりも悲しき被害者である彼女は、何よりも人を愛し、それ故に狂った。
生と死を誰より無差別に操りながら、その全ては理想に繋げるためにある。弄ぶことなく、嗤うことなく。かつて愛し今も愛する男のために死に続ける。
なんと哀れな少女だろうか。
次回、『when disaster strikes』
戦争は魔女の手により肥大する。
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