Episode 2 Duo of researchers【1】
神は迷わぬ、神は選ばぬ、神は貫く。神は迷わぬ、神は迷わぬ!それが僕の研究成果ですよ、先生」
「君は……またそんなどうでもいいことを言って。課題は終わったのかい?もう一週間だぞ」
「いやあれ難しすぎません!?一年はかかりますよ!」
「ワタシなら三日で終わる」
「先生!僕は先生じゃありません!」
第三放棄区画中央部に位置するこの研究所は砂塵や瓦礫が上手く積み重なってくれているお陰で人にも疑似魔神獣にも見つかることなく、この地平でも数少ない安寧の地となっていた。そう、彼らがいなければ……
この研究所は大きさの割に中にいる人間は少ない。東京ドームほどの大きさがあるというのに、いるのはたった二人だけだ。だが、他の人間がいたとして彼らには付いていけまい。地平最高の頭脳とその弟子がそこにはいる。
まずは所長を名乗る赤髪の女性。『神器学』と『生者研究学』の二つを専門としたこの地平において最も優れた頭脳を持つといっても過言ではない研究者、『エルミュイユ・レヴナント』。因みに生者研究学とは人体に眠る無限の可能性と生きることにより発生するエネルギーを研究する学問だ。非常にレベルが高く、基礎を身に付けるだけでも五年はかかると言われている。だが彼女はそれをたった一週間で終わらせた。彼女の優秀さがよく分かるだろう。
次に副所長を名乗らされている地味な外見をした男性。名前を『ルルク・アルハレム』という。明るい性格の割には『死体研究学』を専門としており、エルミュイユの強制で神器学にも少し手を出している。が、彼は別に天才でもなんでもなく、研究者になってからはや二年。死体研究学の基礎をまだ身に付けることができずにいる。
彼らは各地に残った施設を魔改造し研究所にして自分たちの研究を進めていた。
元々科学者なんて全く興味のなかったルルクだが、自分の調合した薬物で人を助けて回るエルミュイユに惚れ込み、放浪癖のある彼女に勝手に付いてきている。エルミュイユも普段は彼のことをめんどくさいだのなんだの言っているが結局ちゃんと面倒を見ているし専門外である死体研究学を教えてやっている。お陰で彼女は三刀流になりつつあるが。
ルルクは大の神話好きで、その熱量といったらもうそっちの分野に手を出した方がいいのではないか、と思うほどだ。が、本人は頑なに死体研究学をやめようとしない。
「確かに僕は神話が大好きです。でも得意じゃない。突き詰めると嫌いになるかもしれない。だから少なくとも適性がある死体研究学と……先生が無理やりやらせる神器学を続けるんです」
彼はいつもこう言っている。好きなものを突き詰めた結果難しくなったりついていけなくなったりして嫌いになってしまうのが怖い、と。
好きならそんなもん恐れるなと言いたい欲求をエルミュイユはいつも我慢している。最近ちょっとブチ切れそうになる回数が多いが、何とか我慢しているのだ。
「とかいって神話学の研究は順調じゃないか。苦手なんじゃなかったのか?そんな暇があるなら課題を進めたまえ」
「あれは半年ぐらい研究して出た結論です!というか神器学と神話学の混合研究です!あれで許してください!」
「ワタシの出した課題は死後の神器適応者と神器の繋がりの段階についてだ!死体研究学などまったくの専門外であるこのワタシが考えてやった課題は一週間たってもできずお前の好きな分野の研究は半年で終わるとはどういうことだ!?」
「半年と一週間を同列にしないでもらえますかねぇ!」
およそ研究者とは思えないような幼稚な言い争い。これは彼らの日常の風景だ。天才であるエルミュイユと、あくまで凡人であるルルク。お互いがお互いを理解することができずいつも衝突しているのだ。
一見めちゃくちゃに相性が悪いように見える二人だが、その実、案外そうでもない。不思議と最後は平和に収まるし研究でもない限り言い争いが起こることもない。口ではあれこれ言うが普通に仲良しだしどれぐらい仲良しかと言うとベッド等も共用するほど仲良しだ。
「まあ……いい。課題をどうしようと君の勝手だ。成長が遅くなるだけだからな。さて、夕飯にしようか」
「今日は豚のステーキですよ」
「ステーキなら牛が良かったが……いや、贅沢は言うまい」
この世界では一生に一度食べることが出来ればいい程の贅沢品である、肉。彼らはそれを日常的に食している。生活水準で言えば彼らはかつてとなんら変わりはないのだ。
それはエルミュイユの研究、生者研究学のお陰である側面が強い。生者研究学は主に純粋な生者に関しての学問だが、少々おかしな部分もある。それは疑似魔神獣に関する部分だ。この学問は理論上疑似魔神獣を純粋な生物に戻すことができるのだ。
疑似魔神獣は元々この地平に存在していた生物が変異を遂げて至る姿。その際働いた作用の逆を与えてやれば元に戻るという理論だ。
が、生者研究学が誕生してからこの方、それは不可能だとされてきた。所詮は理論上の話。元より机上の空論だったのだ、と。しかしエルミュイユはこれを易々と成し遂げてみせた。数学における逆算と同じだ、などと他の生者研究学者が聞いたら卒倒しそうなことを言いながら。
疑似魔神獣化した牛や豚といった生物を捕まえて元に戻し肉を食う。彼らはそうして生活しているのだ。
「む……?今日の当番はワタシではなかったかな?」
「いや、いや。ちょっと大事な話がありまして。先生の機嫌を良くするために今日は僕が」
「それをワタシの目の前で言うのだから凄いよな君」
研究室を出て一応の食卓へ向かう。正直二人ともご飯なんてどこで食べても変わらんだろうという考えを持っているが、折角広いんだから使わないのはもったいないという貧乏人のような思想の下、食事の際は食卓を使っている。
下味を付けておいた豚肉を油を敷いたフライパンの上に置き最初は弱火で焼く。肉の焼けるいい香りが漂い始めたら中火にして蓋をして蒸すように焼く。
焼きあがったら特製ソースをかけて完成だ。
エルミュイユお手製の皿に乗せてちょっと高級な雰囲気を出すためにソースを皿中に振りかければ完璧。
「それで……大事な話とは何だ?くだらんかったら治験してもらうが。今丁度実験したい薬があるんだ」
「いや、いや。先生の中ではともかく僕の中ではとても大事な話ですよ。この上なく、ええ」
手袋をはめ、直接肉を掴んで食いちぎる。エルミュイユにフォークだのナイフだのを使う選択肢はない。手で食うのが最高率なのだからそうするのだ。
ルルクは肉に手を付けず、真剣な目でエルミュイユを見つめている。彼がこんな目をする時は大体くだらない話なのだが……
「単刀直入に聞きます、先生。ご結婚の予定は」
「治験決定だ」
「結構大事な話だと思ったんだけどなー……」
「馬鹿か?こんな世界で結婚も何もないだろうが。獣のように男は女を襲い孕ませる。本能に突き動かされることこそが正しいんだ。わざわざあんなめんどくさいことするか?」
心底呆れた表情でエルミュイユが言う。特大のため息とゴミを見る目のおまけ付きで。
結婚に憧れたことがないといえば嘘になる。今でこそ研究にしか興味のない女だが、子供時代もあれば夢に溺れる時期もあった。かつての文明に思いを馳せ、明かりと温もりに包まれながら眠ることを夢想した。最も愛した男性との間に子供を作り、一家団欒を過ごすことを夢見た。
だが、今では何の魅力も感じない。寧ろ愚かだ。現実を突きつけれられた今となっては、男は女を無遠慮に襲い孕ませ子を産ませる。その簡潔なシステムに疑問すら抱かない。結婚なんて非効率なこと、する意味がわからない。
そうあるべきだと思っている。そうでなくては。
そもそもかつてがおかしかったのだ。わざわざ他人同然の男女が結ばれて子を作って世話をして云々かんぬん……めんどくさいことこの上ないという話だ。
彼女とて例外ではない。別にいつ男に襲われてもいいし、なんならルルクに襲われる覚悟も出来ている。確かに見知らぬ人間の子を孕むことには多少の抵抗がある。だが、ルルクは悪いやつじゃないし気も確かだ。それに長年一緒にいるから信用もある。彼の子を孕むことが最善だとも思う。
「そう言わずもう少し考えてくださいよ……僕は最近、結婚に憧れていまして。先生はどうなのかなーと」
「君な……はぁ。そうだな。するなら君とがいいな」
「マジですか」
「と言うかそれしか選択肢がない。同性婚にしろ異性婚にしろ、君以外の人間との接触はないんだ」
「じゃしますか。結婚」
「なんでそうなるんだい?」
手袋を外し、こめかみを押さえながら苦言を呈する。時折ルルクの思考回路は理解できない。“するなら君がいい”と言っただけで、誰もするとは言ってないではないか。
彼の目は至って真剣。まさか、本当に真剣に言っているのか。というかルルクが真剣になることがあるのか。
「先生……あの。信じてもらえないでしょうけど……僕は先生のことが、好きです。好きに種類があるってのはわかってるんですけど、でも、僕が先生を好きなのは、確かです」
ルルクとの思い出はそれなりに多い。エルミュイユが最も長く交流を持った人間だし、付いてこれているいないに関わらず、何らかの研究を極めんとする者として面倒を見てきた。案外真面目だし、そういう人間は嫌いではない。
だが、正直結婚とかそういう……要するに恋愛感情に直結する好感は抱いていない。それはルルクも同じだと思っていた。ただ、師と弟子の関係。エルミュイユは生者研究学を極めんとし、ルルクはそんな彼女を見て同じ道を志した。ただそれだけの話で、それ以下でもそれ以上でもない。
だが、まさか。ふざけることなく真剣に、ルルクが異性として好意を抱いているとは。
正直、困る。そんな感情を向けられたことはないし向けたこともない。というか対象がいなかった。今までは単純に研究して、面倒みてやっていただけなのにいきなりそんなことを言われてもどうしようもない。
「あー……正気を保ちたまえ。正常な判断力を」
「僕は本気で、正気です!先生!」
我慢できなくなったようにルルクが立ち上がり、エルミュイユの両手を掴んだ。僅かに赤く染まった頬、大袈裟に上下に動く肩。“演技とは思えない”。
いまだかつてないルルクの本気に気圧される。本音を言えば研究の中で本気を出して欲しかったが……
悪い気はしないのが不思議だ。
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