第十四話 脱落【2】
それから、桃月と一緒にユーラシアの大陸を二人で旅した。擬似魔神獣に奇襲されてテンパったり、中々上手く神器を使えなかったり、慣れない旅は驚きの連続で、それでも楽しかった。屋敷の中で人の相手ばかりしていては決して気付けない世界がそこにはあって、何よりも輝いて見えた。
でも一番驚いたのは、これだ。
「悪魔……ずっと私の歳ばっかり取っていきますわね」
「うん……良かったね。寿命、伸びるよ」
悪魔の神器が、何もない自分から何を取っていくか。初めて使う時は怖くて怖くてたまらなかったが、いざ使ってみると数ヶ月分の歳を取られただけで済んだ。それからも一切の変更なく、悪魔は歳以外の何も取っていかない。案外良い奴なのかもしれないとその時思った。
荒野に大輪を咲かせるコスモス、星も月も敵わない輝きの日の出、弱肉強食の自然の摂理。恐ろしくも美しく、それでいて確かにそこにあり、何よりも儚い。貴族としての生き方も決して悪くはなかったが、後悔せずにはいられなかった。なぜもっと早く旅に出ていなかったのかと。
(……いいえ)
だが、それでは意味などないのだろう。仮に一人で旅に出たとしても、愛する夫と、娘と共に出たとしても。今ほどの美しさは感じられなかっただろう。桃月と共にいるからこそ、こんなにも。
貴族社会に気の休まる時はない。夫は権力争いに忙しく、子供は権力を継がせるための道具に過ぎない。どれだけ変革を望もうと、とうとう変わることはなかった。
だが、今まで見てきた誰よりも奔放で、自由で、何より純粋な桃月は、もうかけがえのない友人……否、親友になっていた。魂で通じる、心からの大事な人。運命の人。
桃月が旅の目的を果たすのはいつになるのか、それは本人さえもわからないという。早くその目的を果たして、その先の何かを掴み取って欲しいという反面、何年も何年も、凄まじい時間をかけて、それでも目的を果たせずにいて欲しいと思う自分もいた。何せ、これほどまでに通じ合えた者は他にいないから。まだまだ一緒に旅がしたい。
だが、現実はいつも全方位から自分たちを取り囲み、それでいて何よりも残酷だ。
旅を初めてから一年、その時は唐突に訪れた。キャンプ跡を片付け、神器を装備して。荷物を整えて袋に詰めて背負い、次の目標地点に向けて歩き出す。その頃には、サファイアの年齢は12歳にまで戻っていた。
いつものように、軽い雑談を交わしながら歩いていると、前方に妙な存在感を放つ一匹の蜘蛛……のような何かがいた。蒼色に輝く八つの目、歪にねじ曲がった甲殻。擬似魔神獣かと思い鈴を鳴らす準備をしたが、桃月が石像の如く停止して動かなくなった。今までこんなことは一回もなく、歴戦の戦士である桃月がどんな理由であれ危険生物の前でそんな隙を晒すとは思えなかった。
流し目で桃月を見た。蜘蛛は未だに頭部の触腕をカチカチカチカチ音を鳴らして叩き付けている。
桃月は目を見開いて固まっていた。足は震え、何か言おうとしているのがわかったが舌が動いていない。蜘蛛の鳴らす音が段々と小さくなっていく。目が少しづつ紅く染まる。
目視不可能な速度で桃月の手が動き、二枚の羊皮紙を取り出した。蜘蛛が信じられない速度で後方に跳び、刹那。陽光に反射して無数の糸が地に張られる。
羊皮紙の内一枚はサファイアの手の中に落ちた。そしてもう一枚は空中で燃え尽き、契約を成立させた。地面に張られている糸が一斉に空に向かって落ちていく。
桃月が前傾姿勢をとった。右腕が言葉にするのもおぞましいほどに禍々しく変形する。地中から数百本の手が伸びる。この大地の下には、数えるのも馬鹿らしくなる数の死体が眠っている。
それはコンマ一秒のズレもなく同時に起こった。夏の草に取り付くアブラムシの如く群がる死体が走り出し、桃月が右腕を横なぎに一閃、過程を認識するよりも前に結果が先に到達した。全ての死体の首が落ちる。
蜘蛛は後退し続けている。死体は無限に増殖し続け、そして無限に首が落とされる。
恐れているのだと、理解した。あの桃月が何かを恐れているのだと。わからなかった。あの蜘蛛がなんなのか。
逃避するように手の中の羊皮紙を見る。きっとそこには、桃月が結んだ契約が記されているから。
『この私、桃月遥が死亡した際。隷属星の命をその引き換えに奪い、私の全てをサファイアに捧げる。』
「………………は?」
瞬間、湧き上がるのは疑問。そしてそれを上書きする憤り。これではまるで……
『寧ろ死ぬことを前提としているというか』
言葉が出ずに、今も死体の群れに腕を振り続けている桃月を見る。冷酷で怯えきった目をしながら、数え切れないほどの死体に、二度目の死を与え続ける。
一歩進む度に一歩遠ざかる。桃月の踏み込みに合わせて蜘蛛が同じ幅の分だけ遠ざかる。斬撃音、爆裂音、破壊音が轟くその荒野の中で桃月の息を飲む音が聞こえた。
「サファイア!」
桃月の左腕が変形していくのが見えた。
「今まで、ありがとう!楽しかった!」
それは、一度だけ見たことがある。貴族として。王の下で国を守らなければならない者として、自国の軍事力を把握しておくのは大事な責務の一つだったから。
「後は、全部任せる!」
やめて。そう声が届く前に。
「後は、あなたを生きて!」
桃月の瞳から、一雫。地に落ちて、冷え切った血の塗装を上書きして、その一点だけが。
大量破壊・放射能兵器。多くの者はこう呼ぶ。核兵器。
全て白く染まった。
――――――
「簡単にっテ言わなかったっけ君。メちゃくちゃ長いんだけド。簡単って言葉ノ意味知ってる?」
珍しく『融滅』がツッコミに回ってしまっている。サファイアは気付かれていないだけでかなり天然でボケが激しい。
しかし当の本人は全く自覚がなく、何を言っているんだこいつはという目で『融滅』を見ている。
「いやだから……簡単じゃないですの。旅の思い出全部語りましょうか?私は構いませんわよ?」
「あーナるほど。いい。理解した。黙ろウか」
眉間をつねり、今度は『融滅』が大きなため息を吐く。意外とキャラの濃いやつがいたものだ。
ちらりと、微動だにしない桃月を見ながら、『融滅』が問う。
「じゃアちょっとシた後日談を頼むよ。その話だト、桃月ちゃんは今死んでルのかな?」
「あの後は……私、俗に言うあれですわ。やんでれ……?みたいになりまして。何とかして核爆発で死んだ桃月を生き返らせるためあれこれしましたわ。と言っても自分の時と表情と引き換えに桃月の命をもらっただけですが」
「時と引き換エ?興味深いね、ドういう意味だい?」
「私、外傷等の外からの影響じゃないと死なない体ですの。寿命は永遠に来ません。私の肉体年齢は、12歳で止まっておりますの。そこから先の時間はぜーんぶこの……悪魔の神器に取られてますわ」
「なるホどねえ……」
イッヒ、という何とも気持ち悪い笑い声が室内に響く。発生源は当然『融滅』。ダムが決壊したように笑い声が溢れ続け、止まることを知らないように零れ続ける。
が、なぜか『融滅』が普通に話す声も聞こえる。二重声帯、『融滅』の特殊な構造だからこそ可能な技術だ。
「いイね、わかった。アチシなら完璧に元に戻セるよ。死んでたラちょっとめんどくサかったけど、生きテるなら問題はない!イッヒヒヒ!面白くなってキたよ!」
手を大きく広げ、『融滅』が高らかに笑う、笑う、笑い続ける。無数の笑い声が、しかし調律を保って鼓膜を震わせ続ける。脳が揺れる。侵食される。
顔を顰めて耳を塞ぐ。『融滅』が笑いながら言葉を紡ぐ。
「今桃月君は契約の神器によリ自我保有権限を剥奪されてる状態にアる!普通の神器使いが常に神器に対シて発している第四脳波が共有でハなく占有になってしマっているとイえばわかりやすいカな?その状態を元に戻せバ桃月君の自我は取り戻されル!皐月春馬に発生した同化現象の応用で契約の神器とアチシを接合し自我ノ対価を支払えば」
「いやわっかりにくいですわもっと簡単に」
「一旦契約の神器の保有権限をアチシに移し、今剥奪サれている桃月君の自我ト同等の何かをアチシに支払ってもらウ」
「最初からそう言ってくださいまし」
長ったらしい説明の中にあった言葉にいくつか気になる点がある。皐月春馬に発生した同化現象の応用。それで『融滅』と契約の神器を同化させるということはつまり……契約の神器は『融滅』のものになってしまうということか。
更に自我と同等の何かを『融滅』に支払う……え怖い怖い怖い。何要求されるんだ。
「顔で全部わかルよ。何を支払えって言わレるか怖いんだねェ。イッヒヒヒ!だーいじょうブ!形あるものはイらないよ!」
「余計怖いですわ」
「君さ。気付いてるダろう。戦争の予感がスるって」
いきなり顔が真面目になる『融滅』。不気味だが、切り替えが早い人間はなんとなく信用できると貴族時代の記憶にある。いつの間にか笑うのもやめてくれていた。
戦争の予感。それは以前、ちらっとグレイディに話したことを言っているのだろう。力ある動乱の予感。異常には異常が集まるように、力には力が集まる世の常。貴族としての経験から、それを察知するのは得意だ。『融滅』も気付いているとは思わなかったが。
「アチシに協力してくれタまえ。一人じゃ心細くテねえ。君の予感通リ、近いうちに地平全てヲ巻き込む戦争が勃発する。そノ時、アチシと一緒に戦ってくれ!」
一人じゃ心細いの所は努めて無視した。こいつがそんなことを思う訳がない。一人が嫌なら研究をやめろ。
安い。最初に思ったのはそれだ。『融滅』はゴミだがその実力は少なくとも最大基地外戦力よりも高く、更にこいつは集団との戦闘に特化している。戦争においては常に優位に立ち続けるだろう。その味方をすれば、勝利することも可能だ。戦争においての敗北は絶対に避けねばならない。
そんな『融滅』と一緒に戦うだけで桃月を元に戻せるなんて、安すぎる。逆に何か企んでいるのではないかと疑ってしまうほどだ。
「君がアチシの味方をしてクれれば、桃月君の自我ト釣り合う。そウでなくとも、アチシがソう思うことで釣リ合うということ二する。これで文句はなイだろう!」
そう言ってから『融滅』が乱雑にティーカップを傾ける。甘ったるすぎる紅茶が腐った喉を乱暴に湿らせた。
「どのような戦争かはわかりませんが、戦争においては何においても勝利を。私は桃月さえいればそれでいい……」
その意見を肯定と捉え、『融滅』はもはや悪魔という言葉すら生ぬるいほどに邪悪な笑みを浮かべた。立ち上がり、サファイアを全力で抱きしめようとする。全力で躱された。
こうして、第一の陣営がここに誕生した。完成された舞台の上で踊る一つ目の力の渦。
『融滅』エルミュイユ・レヴナント、サファイア・ヴァイオレット、桃月遥。
二つ名一名、最大基地外戦力二名による少数陣営である。
「そうイえば桃月君は言葉も一挙手一投足に至ルまで全部君が動かしテるってことにナるのかな?」
「そうですが、何か」
「自分の前に行かセたり君を全肯定させたリ一々同意を求めたり、めちャくちゃ痛いネ君」
「だだだだ黙りなさい!」
イッヒヒヒ、と笑いながら『融滅』は部屋を出ていった。後は基地内に埋め込んだ小型屍機を回収して、細々とした整備をしたらこっちの準備は終わり。さすがに三人という少数では万全の状態で挑まねば負ける。この戦争に負ける訳にはいかないのだ。
「それはソうと……」
サファイアの話に出てきた蜘蛛。目が多く、蒼色。攻撃されると紅く染まり、大量の糸を地面に張って無数の死体を操る。
「ナるほど、君か」
小型屍機で覗いた染黒の記憶にあった、七人。その中の一人だ。赤鬼の討伐はさぞ辛かっただろう、と思うと非常に愉快。
それにしても慎重派の彼がわざわざ姿を現すなんて、何かするつもりなのか……ん?
「ゼロ君の記憶に……いたヨね……」
指折り数える。一人目、二人目、三人目、四人目、五人目……おやおやおやおやおやおやおやおや?
何度数えても確認しているのは五人だけ。後二人はどこにいる?何をしている?否、違う。何をするつもりだ?七人の中で最も慎重派な彼がわざわざ姿を現して他が出てこないなんてことあるか?しかも桃月に何かするほど積極的に動いているというのに?
「……まさか」
最悪な予感がする。そうではないと願いたいが、叶うことはないだろう。くそったれ、こんなタイミングで来るなんて……いや、このタイミングだからこそか。畜生。
「全部台無しジゃないか!」
ご拝読いただきありがとうございました。
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