第十四話 脱落【1】
もしこの世界が演劇か何かなのだとしたら、脚本家は誰だろうか。演出家は?役者は誰が務めるのだろう?裏方は誰がなって、指導はどうするのか。舞台を作るのはどうやるのか。土台は誰が作るのか、観客は?
多くの者は神と答えるだろう。この世界は神が作りたもうた舞台で、何もかも行うのは神だと。それはなぜか。簡単な話だ。他に選択肢がないからだ。一度も見たこともない、声を聞いたこともない存在にそのような妄想を抱いてしまう。他に絶対とされる存在がいないから。
愚かだ。あまりにも愚かなことだ。が、仮に神が存在するとすればそれは途端に愚劣な思考から崇高な思考へと早変わりするだろう。顕現せし絶対の存在を信じることは、決して愚劣でも蒙昧でもない。
では、この世界は結局どうなのか。神が作りたもうたのか、そもそも神はいるのか。完璧な答えを知る者はいない。が、断片的な答えを知る者はいる。いつ一つとなるのか、それは誰にも分からない。正に神のみぞ知ることだ。
さて、では一旦この話は終わりだ。これを踏まえた上で違う話をしよう。
仮に舞台だとした時、一章。今この世界は一章だ。出会い、別れ、決断。あらゆるものが混ざり合い、一つとなり、それぞれの道へ進んでいく。その第一段階に過ぎない。
舞台はこの世界。準備は整った。崩壊し、混ざり、溶け合い、整う。これ以上の状態は存在しないだろう。
役者は揃った。が、少し多い。あまり多すぎても興ざめだ。
故にこれから起こることは第一次選別と言える。又は、そう。戦争の序章。二章に進むための最後の準備。
さあ、見ていこう。どうなるのか、楽しみで楽しみで仕方がない。
――――――
「…………」
与えられた個室で、サファイアは優雅に紅茶を嗜んでいた。傍らには人形の如く動かない桃月。常に行動を共にするだけあって、周囲からは相当仲が良いのだろうと思われている。そのはずなのだが、桃月は一言も言葉を発さないどころかサファイアと目を合わせようとすらしない。サファイアも、その様子をチラチラと見てからため息を吐いている。
二人の過去に何があったか、本人は話すつもりはないし、知っている者もいない。そのはずなのだが。
かつての貴族が使うような豪奢なベッドには、一人の研究者が無遠慮に横たわっている。三人目の二つ名にして、この地平に生きる全ての脅威。『融滅』エルミュイユ・レヴナント。清潔とはかけ離れた白衣がシーツを汚している。
「さて……あなたにはたっぷりお話がありますわ」
「おや。気が合わナいねえ。アチシがしたい話は一つダけだよ。そレ以上はしたクないかなあ」
「………………」
特大のため息を吐き、紅茶を啜る。砂糖とシロップをぶちまける派の彼女の紅茶は、甘いものが苦手な者が飲めば体のどこかに異常をきたしてしまうであろう甘さだが、彼女にとっては唯一の精神安定剤だ。
神器によって無理やり死体を動かしている状態の『融滅』は内臓器官がほとんど役割を果たしておらず、匂いや光により異常をきたすことはないはずだがそれでも匂いのみで不快感があるほどの甘さ。もはやこいつの体に異常があるのではないかと真面目にそう思ってしまう『融滅』であった。
「あなたと話しているとペースを握りしめられているようで不快ですわ……さっさと話をしてくださいまし。私はあのことを言いふらされなければ別にどうでもいいんです」
「じゃア単刀直入に言わせテもらうねェ」
バネのように起き上がり、『融滅』がサファイアを背後から抱き締め、紅茶に舌を浸す。もちろん味覚機能を遮断することを忘れずに。
この世のものとは思えないほど嫌そうな顔をしたサファイアが紅茶を置き立ち上がった。そして二度と近寄るなという顔で遠ざかる。愉快すぎて笑えてくる。
「イッヒヒヒ……ごホん。とても愉快だねェ君は……でね。本題。アチシなら、桃月君を元に戻セる……と言ったら、君はドんなことガできる?」
バグン、と聞いた事のない音を立てて心臓が高鳴るのを感じた。若干過呼吸気味になり息が詰まる。
何か言おうとするが、言葉が出ない。それほどの衝撃を与えるほどに、その言葉は彼女にとって衝撃的なものだった。サファイアと桃月の過去。そこに何があるのか知っている者のみが言える、これ以上ないほどに魅力的な言葉である。
「イッヒヒヒ。そうわカりやすい反応をしテくれるとこちらとシても助かるよ。しカし、ねえ……アチシも全てを知っていル訳じゃない。君の脳は覗いてなイからね。君ノ口から、簡単にでいイから何があったか話しテくれるのが、続きヲ話す条件だ」
脳を覗く、という何やらとんでもなく物騒な単語が聞こえたような気がするがとりあえず無視しよう。
興奮していた脳が少しだけ冷める。過去のことは、例え既に知っている者が相手だとしても語りたくはない。だが。
「その話は、本当なんですの……?」
「イッヒヒヒ。疑われるのは悪い気分ジゃないよ……君、忘れテないかい?アチシはアの天道道流を作り出し、二つ名を得ルに至った最高の研究者だよ?」
天道はその頭脳、技術、人格、どれをとっても一級と言える研究者にして科学者だ。その天道が師匠と言って尊敬する存在は誰か。教えを乞うのは誰か。
それがこの悪魔、『融滅』だ。到底信じられないような技術を持っていても、なんら不思議ではない。
「わかり……ましたわ。お話致します。簡単にでは、ございますが……」
そう言って語り出す。かつての悲劇を。
――――――
サファイアと桃月の神器はかなり似ている。悪魔の神器と契約の神器。自分の何かを犠牲に力を得るという点においては、この二つはもはや同一の神器であると言えるだろう。
サファイアは旧フランス出身の貴族の末裔だ。未だに貴族としての権威をどうたらこうたらと喚く父親をあの手この手で失脚させてヴァイオレット家の当主になり、それ以降民に尽くす善良な貴族をしていたという中々にハードな経歴を持っている。彼女自身は別に大したことではないと言っているし実際そう思っているのだが。
そんなサファイアが齢86を迎えた頃、あの大災害が起きた。魔神獣による世界の崩壊。
民からの信頼が厚くとも、他とは一線を画す防衛性能があってもそれから逃れることはできず、サファイアも等しく巻き込まれ、全てを失った。
何とか地下シェルターに逃げ込み命だけは助かったが、助かったのは本当に命だけで、他のものは何もない。老婆の非力な体ではシェルターの入口を塞ぐ瓦礫をどうにかすることもできず、備蓄されてあった水と食料を口にしながら死を待つのみとなった。
崩壊から何週間も経って、水も尽きて。そろそろ死ぬのだろうと考えていたその時、一筋の光明が差した。
それこそが。
「おー……生きてる……凄いね、おばあちゃん」
桃月遥であった。
彼女は大柄な女性で、何より美しかった。とても同じ人間とは思えないほどで、神が直々に作りたもうたのではないかというほどだ。均整の取れた肉体、線対称の顔。きめ細やかな肌。女性が望むもの全てを持っていた。羨ましい。
彼女は水と食料を分け与えてくれて、一週間ぶりの食べ物は乾燥していて普段ならば不味すぎて食べられないような硬いパンだったが、とてつもなく美味しく感じた。今でもあれ以上に美味いと思った食べ物はない。
桃月は旅人のようなことをしていて、旧アジア地域からやってきたらしい。元々の仕事柄必要だったようで、六ヶ国語を話せるそうだ。フランス語を話せるのもそのお陰だ。
旅の理由を聞いてもはぐらかされて、ある人物を探している、ということしか教えてもらえなかった。「人物」のところで言い淀んでいたのが少しだけ気になった。
体調が元に戻るまで桃月は一緒にいてくれて、孤独だった日々を塗りつぶすかのように沢山の話をした。基本的に昼間は食料調達をしている桃月と会話ができるのは夜だけだが、就寝前のその一時がサファイアの楽しみになっていた。
基本的に無口な桃月は自分から話をすることはなく、ほとんどの場合はサファイアの昔の話をした。幸い他の家の貴族との交流も多かったので話題には事欠かなかった。
一度だけ、桃月から話をしてくれたことがあった。この世界が今どうなっているのか、擬似魔神獣について、神器について等々、淡々と語ってくれた。その時、ついでのようにヴァイオレット家周辺、というよりフランスで生きている人間は自分以外に発見できなかったということも言われた。悲しくはあったが、大した衝撃ではなかった。
そんなある日、桃月が言い出した。
「サファイア。あなたの命が尽きるまでの水と食料はもう貯まった。自衛用に……これを渡しておく」
そう言って差し出されたのが、首に付ける鈴の形状をした神器、名を「悪魔の神器」と言った。少し邪悪さを感じる装飾をしているだけで悪魔らしさは全然なかったので、案外名前は適当なのだとわかった。
「まだ見せてなかった。実演する」
とりあえず鈴を首に付けて、実演すると言った桃月の行動を待った。すると彼女は懐から羊皮紙を一枚取り出し、宙に放った。端から火が付いたように黒く変色し塵になっていく。
「えーと……羊皮紙の神器ですの?」
「……違う。私の神器は契約の神器。別に羊皮紙は必要ないんだけど……契約をストックできるから使ってる。便利」
そう言い終わった時、桃月の右腕が異質に変形した。どす黒い甲殻に覆われ、荒々しい棘や口のような何かまで付いている。肘の辺りでは時計のような何かが音を立てて回っており、一分ほどしたところで腕は元に戻った。
「契約の神器は……私が何かを与えることで、同等の価値がある力を貸してくれる。悪魔の神器はこれとほぼ同じ。一つだけ違うとするなら、そう。差し出すものを選べない。因みに私は今の腕を借りるのに寿命を二日支払った」
途端にいらないと思った。どれだけの力があるのかは知らないが、一分借りるだけで二日も死ぬのを早めるなんて御免こうむる。ただでさえいつ死んでもおかしくないのに。
そう思っていたのだが、桃月の次の言葉で一気に悩ましくなってしまった。
「私は……これからまた旅に出る。危険な旅。死ぬかもしれない……というより多分死ぬ。それは別にいいんだけど、あなたが心残り。でも、受け取ってくれたら、安心」
サファイアは桃月に深い恩義を感じている。死にかけていた所を救ってくれて、更には孤独を埋めてくれた。世界の現状を教えてくれて、元の状態に戻るまで世話もしてくれた。自分を枷にしたくない。
いやそこじゃない。
「さらっと言いましたが死なないでいただけます?私、あなたにはまだまだ生きてて欲しいんですが」
桃月が寂しげに笑った。微笑みというのもおこがましい、ほんの少しだけ口角が曲がる程度のものではあったが、それは確かに笑ったと言えるだろう。
「私は……何もかも捨てて、ただ、以前話した人……物を探している。私はただそいつを見つけられたらそれでいい。そこで私の命の意味は終わる。死んでも誰も悲しみはしないし、寧ろ死ぬことを前提にしているというか」
「私が悲しみますわ」
こちらを納得させるためなのか珍しく長文を話していたが、そんなもんお構いなしにぶった斬る。表情に変化はなかったが、驚いたのだろうことはわかった。
「サファイア……死にたいとか言ってる人見たらほっとけないタイプでしょ」
「当たり前でしょう」
変わらず笑ったままの桃月が、諦めたように首を振ってサファイアに手を差し出した。サファイアも同じように差し出し、固い握手を交わしたのだった。
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