第十二話 継者【1】
「旧支配者よ。答えよ」
「悪いけど俺にもわかるように言ってくれるかな」
どこまでも広がるような白い空間。その中で真っ黒い巨大な球体と春馬は向き合っていた。とりあえず状況確認のために記憶を辿るが直前のことが思い出せない。確か黒髪の女を吹き飛ばした後に何かが飛んできたことだけは覚えているのだが。この黒い球体にもさっぱり心当たりはない。というかこの凹凸のない肉体のどこから声を出しているのか。
それにしても偉そうな声だ。もっとこう……謙虚さとかはないのか。凄まじい上から目線だ。
「旧支配者よ。今、貴様の肉体は死に瀕している。死んでくれた方が余は嬉しいのだが余の欠片が埋め込まれた貴様に今死なれるのは非常に困る。よって生かすとする」
「訳がわからないな。何を言っているんだお前」
「旧支配者よ。貴様は旧支配者の一人の攻撃により死に瀕している。このまま見過ごしても一向に構わんのだが諸々の事情により生かすとする」
「ほっとんど変わらないんだよな〜」
眉間をつねりながら思案を巡らせる。あくまで予想だが、こいつの言う支配者とは自分のことだ。支配者の一人とはあの黒髪の女か。つまり……どういうことだ?
さっぱりわからず、思考を放棄する。とりあえずこの球体に話を聞けば何かわかるか。
「なあ、色々わかんねえから色々教えてくんね?」
「色々と問われても難しいな」
「じゃあ……あれだ。まずお前は何者だ」
「余は現支配者である。あの忌まわしき旧支配者によって分割され今は見る影もない」
「次は……ここはどこだ」
「余の作り出した精神世界である。貴様は現在死の淵にあるため肉体世界での対話は困難であると判断した」
「俺は今どうなってるんだ」
「死に瀕している」
「うーん」
さっっっぱり何が何だかわからないことがわかった。この球体が何だって?旧支配者?何それ何て意味?簡単に言ってくれないと非常に困る。
精神世界……肉体世界?は?いい加減にしろよ?
「お前はその、なんだ。偉いやつなのか?」
「貴様の思考回路の内部に介入したことで理解した。貴様にとって余はそう。神とでも言うべき存在だ」
「つまり偉いやつなんだな。何でそんなやつが俺の質問に答えてるんだ。偉いやつは下のやつのことを人間とも思ってない。ってのを誰か言ってた気がする」
因みにその情報源を春馬自身は覚えていないが盲全である。彼女は基本的に偉いやつが嫌いなのだ。
「余は現支配者である。支配の仕組みを構築したのは余だ。故に本来は貴様の言の通りではあるのだが現在は特殊な状況であるため貴様を一時的な余の支配者におくとする」
「もういい黙れお前意味わかんねえ」
「……………………………………」
「ホントに黙られたら困っちゃうなあ」
頭を搔いてため息を吐く。もう無意味だ。一から百まで意味がわからないことを心の底から理解した。簡単に言う程度の気遣いもできないとはとんだ愚か者だな。
「では精神世界の稼働を停止する。今より貴様の蘇生作業を開始することとする。身構えよ」
「え何されんの俺。怖い」
口ではそう言いながらも構える。とりあえず何が来てもいいように心の準備もしておくが、見当もつかないというのは意外と怖いものだ。
突如、球体から光が放たれ始めた。空間に漂う粒子の一つ一つが体中に染み渡り、力が満ちるのを感じる。
「夢忘れることなかれ。貴様ら旧支配者が転覆を狙うように、余は現支配体制の持続を望む。一度裏返ったこの大地の支配は今余の手中にある。二度裏返すことなかれ」
「黙れって」
それを最後に意識も白く染まった。目を閉じる。自分の中の扉のような何かに鍵が差し込まれたような感覚がした。回すのは誰か。それは誰にもわからない。
――――――
「…………ボス。本当に、皆死んでしまったのでござろうか。もう会えないのでござろうか」
「『融滅』は己の快楽の結果に嘘はつかないのだよ。奴が滅びたというのなら……滅びたのだよ」
「そう、で……ござるか」
セレムのために用意された医務室で、二人は向かい合って座っていた。会話の中身は当然ながら滅びたというレギンレイヴについてのみ。
セレムの記憶が正しければ、襲撃時――セレムが事務作業をしていた時――に基地の外に出ていた人間は天爛だけだ。他の者は全員基地内にいた。
「ザッカル姉と残兄はどうしたでござる?あの二人がそう易々と殺されるとは思えないでござる!」
「そうか、楽歩は基地にいなかったのだよ……二人は任務の途中で命を落としたのだよ。襲撃時には、もうこの世にはいなかったのだよ……」
「っ……」
もはや涙を堪えることができなかった。組織に入った時に説明されたし、わかっていたことだ。命の危険はないということは。それでも悲しいものは悲しい。それに、最後に交わした言葉も、もう覚えていない。
特にザッカル・ケスクと残武螺金は天爛にとって家族とも言える存在だった。彼女にとっては本当の兄妹だと、親のようだと思っていたのだ。頼れる二人だった。まさか既に命を落としているとは。優秀な者から命を落とすというのは世の常だ。それが何より残酷に思える。
「……楽歩。もはやレギンレイヴを名乗ることができるのは俺たち二人だけなのだよ。しかし、俺にはわかるのだよ。俺はもう長くはない。体内に『融滅』の毒素を感じるのだよ。本当に嫌らしい毒なのだよ」
「そんな、そんなこと言わないで!まだ、ずっと、死なないでよ、死んだらだめ!」
「口調が乱れてるのだよ〜」
昔から楽歩は良く泣く子だった。
驚いても嬉しくても悲しくてもとにかく泣いていた。その度にレギンレイヴの誰かが泣き止ませるのが恒例になっていて、誰がその役目を買って出るのか本気の喧嘩になることもよくあった。幸せな光景だった。
それから少し成長するとそこまで泣くことはなくなったがそれでもよく泣いた。ひたすら涙腺が脆かった。この先そんな涙腺で生きていけるのか組織全員が本気で悩んで緊急会議を開いて楽歩に怒られたこともあった。でも楽歩は楽歩で満更でもなさそうだった。心配してもらえて嬉しかったのだろう。
笑顔もよく見せてくれた。無理して笑っているのではないかと思うこともあったが、本当に幸せだったり楽しかったりして笑っているのだと、やがて理解できた。
感情の凹凸がはっきりしているのだ。誰からも好かれて、それはもはや才能とすら言えるだろう。本当に、関わる者全てにとっての天使のような……
「うっ、げほ、ぐ」
「ボス!?もう黙って!あんまり喋らなくていいから!」
持病だ。元々あまり先は長くなかった。最近は前線に立って戦うこともできず、かっこいい姿を見せることができなくて中々に辛かった。楽歩には黙っているエスティオン襲撃も、自分がやる予定だったというのに。が、どうせ毒を盛られたのだ。いい命の終わらせ方を教えてくれて、逆に『融滅』には感謝せねばならないだろうか。
背中をさすってくれる天爛の手を握り、反対の手でその頭を撫でた。ほんのり赤面した天爛が顔を伏せる。
「楽歩。お前に、レギンレイヴを、その役目を託そうと思う。受け入れてくれるのだよ?」
「レギンレイヴの、役目……?」
「そう……神話というものを、楽歩は知っているかな?大昔の人間が考えた、神の世界のお話なのだよ。その中に、ワルキューレと言われる者たちがいるのだよ。戦争の中で勇猛に戦い散った戦士の魂を神の世界に持ち帰り神の兵士にするという役目を持つ者たちが。そしてそのワルキューレの一人に、レギンレイヴという名前の者がいるのだよ……」
一度咳き込み、両手で天爛の頬を包み込みながら続きの言葉を紡いだ。
「その名の意味は、『神々の残された者』。我々はこの地上の全ての命を、争いをすることなく。神の代わりに守るためにある……楽歩、お前に、任せてもいいのだよ?」
「……ボス、私は」
思わず笑ってしまった。本当に、感情が表に出やすい子だ。困惑しているのだろう、目が忙しなく動き、手足の先が小さく動いている。焦ってもいるのだろうか。
焦らないでいい、と声をかけてやりたい。が、そんな時間は残されていない。この話が終われば、すぐに常備してある薬物でドーピングして無理やり肉体を活性化させて『融滅』に奇襲を仕掛ける。『融滅』がどの程度油断してくれているかはわからないが、少なからず油断はしているだろう。それでも『融滅』は二つ名を持つ実力者。体調が万全になったら、という発言に上手く騙されていることに賭ける。
ここで『融滅』に攻撃を仕掛ける意味は一つ。己が死んだ後も、『融滅』は変わらず災厄をばら撒き続けるのだろう。忌々しいことだ。楽歩の未来のために、それは何としても避けねばならない。ここでアレを、滅ぼす。
「楽歩」
「私は!」
強く手を握りしめ、目を閉じている。大事な決断をする時の仕草だ。
「レギンレイヴを、継ぎます。私が、その役目を、名を、全てを!継いでみせます!」
そう言い切る彼女を、思わず抱きしめていた。
嗚呼、娘がいたならばこんな感情を抱いていたのだろうか。あの日一人でいた君を、娘と呼ぶことができたならどれだけ幸せだろうか。温かな食卓を囲み、何気ない会話で笑い合い、優しい光の下で家族という証の美しさを噛み締めることができたなら、どれだけ救われただろう。
そんな時は来ないのに。
「楽歩。その言葉を聞けて、俺は安心したのだよ。もう眠る。お前はお前の仲間の所に行くのだよ」
「どうし、て?まだボスと一緒にいたいよ」
「お前の仲間はもう俺たちではないのだよ、楽歩。お前一人に全てを背負わせてしまい申し訳ないと思う。けれど、それしか道はないのだよ。お前はレギンレイヴの全てを継ぎ、新しい仲間と共に我々の使命を遂行してくれ」
「………………うん、わかった。任せて」
その言葉を最後に自分の頬を強く叩き、医務室から出て行こうとする。大丈夫。楽歩は強い子だ。きっとだいじょう
「セレム。元気でね」
そう聞こえて、扉が閉まった。
彼女が名前を呼んでくれることはなかった。ボスと呼んでくれるのは確かに嬉しかったが、ずっと名前で呼んで欲しいと思っていた。それとなく聞いたこともある。けれど、濁されたのだ。なぜ名前で呼んでくれないのか、ずっとずっとわからなかった。でも、今更。ようやくわかった。
『楽歩〜。俺の名前嫌いなのだ〜?』
『そ、そんなことないでござる!ただ、恥ずかしい……』
『えー!?恥ずかしい!?恥ずかしいってなんなのだ〜?ボスの名前呼ぶだけなのに何がそんなに恥ずかしいのだ〜!?』
『だ、だってボスは、わた、わたしに、えと、その……ううう〜!何でもない!』
『え〜!?教えてよ〜!?』
『あんまりしつこいと嫌われるゾ……』
『そうですえ。鈍感も大概にしなさいえ。』
『……???』
「そう……か」
『思春期の女の子はあんなもんですえ』
『寧ろ楽歩はまだいい方ダ。本来ならあんな言動をされれば八つ裂きにされてもおかしくなイ……』
『さっきから何言ってるのだよお前たち?』
「楽歩も、最初から……」
『いい加減自覚を持ちなさい。あなたがどんな存在か。』
『己についてぐらい知っておケ……』
「家族だと、思ってくれていたのだよ……」
大して長くもない人生。悲しみ、憎しみ、怒り、全部抱え込んで。仲間は次々に死んで、その度に涙を流して。涙なんて枯れて、このまま滅びていくだけだと思っていたのに。ただ一つの幸せだけが、最後の最後に訪れた。決して訪れないと思っていたのに。いや、訪れたのではない。今更になって気付けたのだ。
温かな雫が頬を伝った。
ご拝読いただきありがとうございました。
ブックマーク、星五評価、いいね等よろしくお願い致します。まだまだ新米の身、ご意見等ございましたら遠慮なくお申し付けください。ではでは。




