第十話 名前【2】
手を握る。『楽爆』の駆使する武術は単純な力のみではなく重心の移動を用いて衝撃を敵の内部に与えることを主とする。それ故に、与えた衝撃全てを生々しく感じることができるのだ。
それは本能を理性で抑制することの出来ない『楽爆』の己へと課した罰であったが、彼女がそれを知ることはない。
今も手には『震砲』や『天翔如』の衝撃が残っている。それによって破砕された神器の感触さえも。
今、彼女は少し前まで戦闘があった場所から数十km離れた場所にいる。戦闘の最中、そこまで吹き飛ばされたのだ。
赤鬼とエスティオンの人間。強さとしてこの地平でも上位に立つこの二つを同日に相手したことで、さすがの彼女の強靭な肉体も限界を訴えている……なんてことはなく。
戦闘開始前の万全な状態にまで完全に回復しきっている。
彼女が戦闘中に気を使うのは己の肉体ではなくその衣服だ。別に服を着なくてもいい彼女にとってそこまで大事なものではないが、いつか『楽爆』が似合っていると言ってくれたから着ている。大事にしている。それだけだ。
だが、その分肉体の疲弊は通常よりも激しいものとなるはずだ。ではなぜ彼女の肉体は回復しきっているのか?
おもむろにスーツを脱ぎ、下着一枚になる。下着といってもさらしのように布を巻き付けただけの雑なものだが。不快な質感がするし、正直付けたくない。
だが、外すわけにはいかない。かつて『楽爆』に言われたのだ。
『お前……でかくはねえがいい形なんだから下着ぐらい付けろよ……男が言ったら気持ち悪ぃな、すまん』
こんなのでも付けないよりマシだとも言われた。
スーツを畳んで傍に置く。そして、ほどよく爪が切られた細長い指で右腕の上腕二頭筋を掴み握り潰した。
鮮血が飛び散り、筋繊維が柔軟性の限界を迎えて引きちぎれる音がした。少ない脂肪が奇妙な音と共に落ちる。
が、即座に再生した。更に強靭な筋繊維の構築と共に。
筋肉トレーニングの本質は、苦しいトレーニングによって筋繊維が破砕された時、再生時により強靭になる人体の構造を利用するというものだ。
そして彼女がゼロですら驚嘆に値する肉体を手に入れるに至った経緯。それは、この本質を誰よりも深く突いたトレーニング方法にある。
続いて全身の筋肉を破砕し再生させることを繰り返す。一瞬にして大地が血液に濡れ、血溜まりができた。
このようなトレーニングを続ければ、尋常の生物では数度繰り返すことなく全身が動かなくなって終わる。この地平でこのようなトレーニングが可能なのは彼女とゼロのみだ。
彼女の肉体は、とある事件の後に人に有り得ざる変異を遂げた。それは自己治癒能力の超強化だ。例え四肢を失おうと、体内の重要器官を失おうと一瞬にも満たぬ時間で回復し、再生することができる。
元々彼女は自然治癒力が高かった。子供の頃から、朝に負った切り傷は夕日が沈む頃には痕も残さずに治っていた。それは、数億分の一の確率の奇跡だ。
世界が壊れてしまっても、生き残る者はいた。当時、老いた者はそのほとんどが死に絶え、多くの若い者が残った。
そのような状況下ではどのような生物でも過大なストレスを受ける。そしてそれと同時に、それが生物であり、種を残すという遺伝子に組み込まれた本能が奥底に存在する限り、生命の危機を感じた際に生存本能が刺激され、子を残すことだけを考える。そして、子を残すために全てを用いる。必要のない全てすら。
彼女はその被害者のようなものだ。この世界に神器が発生した経緯とも深く結び付くが、結果として彼女は極限のストレス下に晒された母体、壊れた世界の真実諸々の偶然に巻き込まれ、その力を得たのだ。
彼女は暇になるとそのトレーニングをするようにしている。暇という感覚はよくわからないが、何もすることがない状況であるということはわかる。
常人では失神するような激痛に襲われ、自分で自分の肉体を破壊しながら、彼女は記憶を辿っていた。本来感情が詰まっているはずの心の器に、彼女は何も詰まっていない。代わりに海馬に蓄積された記憶が詰まっていく。
音も、光景も、匂いも。全てが実際にその場に立っているように思い出せる。数時間前の記憶を……
――――――
脇腹に穴が空いたことを理解した。斬撃のような何かでそうされたことを理解した。
白い光のような人間が拳を振りかぶった。ので、背中に回した左手で受け止め、衝撃を流した。『震砲』。
白い光が割れ、虚ろな目をした少女が現れた。光は鎧のような何かだったようだ。
「な……!?」
「……………………………………」
神梅雨は意識を喪失している。上層部の指示によって投薬された影響でこうなっているのだ。
神梅雨は精神が脆い。疑似魔神獣はともかく、人間を殺害することに凄まじい拒否感を覚える。出身が基地内であるというのに、基地外の人間のような価値観を持っているのだ。だというのに彼女は上層部の駆使する二枚の手札の一枚である。それは何故なのか?
彼女の使用する神器、札の神器。それは全神器の中でもトップクラスに稀有な存在だ。
始まりの四人、と呼ばれる存在がいる。エスティオンを結成した者たちの総称だ。
まずは天道。当初彼はやせ細った子供で、今にも死にそうな風体だったという。
それを拾ったのが『融滅』。当時はまだ生きていて、拾った理由は薬学実験のモルモットにするためだったが、結果的には投薬に次ぐ投薬のお陰で天道は健康に成長した。そのこともあり、天道だけは『融滅』のことを心から慕っている。
ゼロ……のような少女。弱々しく臆病だったというが、ボロボロの白色の布で作られた小さな竜のぬいぐるみを抱き抱えている時だけは凛とした態度をしていたという。
そして四人目。それが初代札の神器の使い手だ。
彼は現在の使い手である神梅雨とは違い、十二種の武装を使いこなしていたという。そして何より疑似魔神獣ではなく人を殺すことに特化していたそうだ。
彼は悲しい男だった。この世界では珍しく両親と共に暮らし、余裕がないながらも愛情を受けながら育った。
が、ある日どこにでもいる狂った人間に襲われ、父親は抵抗したものの正気を失った人間には勝てず喉笛をかっきられて殺され、母親は本能に突き動かされたのであろうその人間に彼の目の前で犯されながら殺された。
そんな経験もあり、彼は人殺しを優先して行い、そのあまりに強い憎悪により神器の性質さえ変えていきやがて札の神器は使い手が誰かに関わらず対人戦において無類の強さを誇るようになったのだ。
それ以降、彼が死んだ後も札の神器の使い手は組織の中でも人殺しを受け持つようになった。そこに本人の意思は存在しない。なぜならば神器に染み込んだ彼の憎悪が使い手諸共突き動かすからだ。
札の神器が歩んだ道は血で濡れている。一度踏み込めば逃れることはできず、誰もが引きずり込まれる。
そんなことが有り得るのか、というのは当然の疑問だ。だが、それに対する回答はもう出ている。有り得る。
神器は、器なのだ。
だが、そんな中で神梅雨だけは例外だった。
思考が構ってちゃんでも、根は優しい。否、優しすぎる。初代の憎悪をかき消してしまうほどに。
だが、札の神器以上に対人戦に特化した神器はない。そのため上層部は投薬によって無理やり戦わせているのだ。
「神梅雨……いけるか」
投薬状態にある神梅雨は完全に鬼路の指揮下にある。彼の言葉一つでどのようなこともなす人形となるのだ。
神梅雨は静かに頷き、構える。敵はあまりに強大だ。
消えた。左後方、風圧。
ほぼ勘のみでその方向に蹴りを放つ。膝から下の装甲が砕け散った。
カンレスは待たない。地を這うような低姿勢から踏み込み一撃必殺の奥義を
「完抜!」
寸前のところで邪魔が入る。全方位から不可視の刃がカンレスの体を切り裂いた。敵は一人ではない。
斬撃により倒れたように見せかけ、両手を大地につく。衝撃を下方に流し、有り得ざる重心の移動を用いて蹴り上げる。『天衝』。
神梅雨に放たれたそれは、果たして命中することはなかった。閃雷千億武装には遠く及ばぬとはいえ剛龍地爆武装は全武装の中でも上位のスピードを持つ。
受けることはせず、避ける。無防備なカンレスの胴体に肘を叩き込んだ。神器による強化が為されていないカンレスの生身の肉体は臓腑を撒き散らしながら弾けた。
間違いなく、死んだ。が、戦士としての経験からくる勘が警告している。まだ終わりではない。
叩き込んだ肘を即座に引き戻し、身を屈める。腕の装甲があれば一回だけならどんな攻撃も耐えられる。
予想通りカンレスはそれで終わりはしなかった。どのような原理か、瞬時に損傷した肉体を再生させ、天を衝いた脚をまっすぐに振り下ろす。『嵐斧』という名の技だ。
上方からの攻撃、身を屈めた神梅雨では対処できないかに思われたが、鬼路がそうはさせない。『啄木鳥』。
カンレスの脚が斬り飛ばされ、一瞬の隙が生まれる。一秒にも満たぬ時間だが、神梅雨にはそれで十分すぎる。
大地を踏み締め、関節の捻りを加えながらアッパー。心臓部を全力で殴り飛ばす。距離が離れた。
鬼路が刀を大上段に構える。大きく距離が離れ、カンレスは三点となっていた戦場から一人外れた。巻き込まない距離。一瞬で消し飛ばすには。
「鴉」
無数の斬撃が上方からカンレスを襲い、砂塵が舞う。いつ何をされてもいいように神梅雨が構える。
砂塵に穴が空いた。神梅雨の反応が間に合わず頭に衝撃。折れているのではないかというほどの速度で頭が後方に傾く。カンレスが靴を飛ばしただけでそうなった。
先程のカンレス同様神梅雨が吹き飛ぶ。唯一彼女と違うのは、神梅雨は意識を喪失しているという点。
「神梅雨……!」
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