第九話 出立【2】
人型は『融滅』。ボロボロのメガネをかけ、燃えるような赤髪を後ろで一纏めに縛り、人工的に作られたあからさますぎるギザっ歯だらけの口を限界まで引き伸ばして笑っている。白衣は端々が溶けたり燃えたりしており、目には狂気の光が宿っている。既に死んだ肉体を無理やり稼働させている、異形の研究者。
そして人間は。
「これねえエ!?こいツはああ……っと。ごめエええん!」
『融滅』が人間の首根っこを掴んで染黒の足元に投げ捨てた。染黒の吐瀉物が付着し凄まじく申し訳ない気分になる。
とうの『融滅』は喉の奥に手を突っ込んで、蠢くピンク色の肉塊を取り出した。いくつもある彼女の声帯の一つで、言い終わりが伸びるのが特徴。
代わりに白衣から取り出したのは所々黒い斑点のある緑色の蠢く肉塊。腐っているように見えるが全くそんなことはなく、これがデフォルトだ。
『融滅』はそれを喉に無理やり押し込むと口を開いた。
「君はこっちの方ガ好きダッたねえ」
男性なのか女性なのか判別のつかない、中性的な声が彼女の喉から響いていた。彼女のお気に入りの声帯で、最もまともな声帯。染黒は別に好きでもなんでもないが先程までの声帯と比べると圧倒的にマシだ。
「でネ。こいつはレギンレイヴのボスなノ」
目を見開き吐瀉物まみれの足元に転がっている男を見る。
屈強な肉体だ。恐らく近接戦闘用に肉体を鍛え上げたのだろう。鮮やかな青色の髪で、首や頭部といった急所にばかり傷跡が目立つ。上腕の筋肉の発達が凄まじく、筋肉が発達し太く構成された太ももと同じぐらい太い。
催眠の神器で天爛から聞き出した情報と同じだ。
曰く『諜報組織を築き上げた癖に自身は戦闘特化で隠密は苦手。豪快な性格でその場のノリと勢いで動く。謎にカリスマがあり、追い詰められれば追い詰められるほど力を発揮する謎の性質があり、そのため戦闘中は自分から急所を狙わせる。白兵戦を得意とし、青髪で筋骨隆々。子供が好き。スリーサイズは上から』
(どんだけスリーサイズ好きなんじゃアイツは!)
男女どっちでもイけるぜ!とキメ顔になっている催眠の神器の使い手の顔が脳裏に浮かび上がる。さっさと消えて欲しい。
「で……それが、どうかしたか?」
「知ってるンだよお?君のとこに……いるヨねエ。天爛楽歩。レギンレイヴの姫なんダよお彼女。愛し愛サれ相思相愛……素晴らしイ関係だったよオ」
舌なめずりしながら『融滅』が心底楽しそうに言った。目も、口も、元人間とは思えぬほど邪悪に歪み、見るだけで不安が湧き出続ける。
噴水のように湧き上がる不安を無理やり抑えながら、震える口を開き声を発した。
「だから……なんだ……」
「イッヒ!」
堪えきれないのだろう。『融滅』は腹を抱えて笑いながら吐き出すように言葉を並べた。
「君さあア!ほんっと賢イよおお!」
「いっつモいッつも昔からソうだ!」
「わカってる癖二目ヲ背け続けル!」
「見テてホントに愉快だよオ!」
「それガ一番楽だもんネえ!」
「最後の判断が君ジャなかったラ君ノ責任じゃないからネえ!イッヒヒヒヒヒ!」
「ホントに賢いよオ!」
「いいよ教えテあげるよおお!」
「こいつノ体にはアチシが作っタ遅効性の毒を仕込ンである!一ヶ月間は症状ハ現れない!」
「そして一ヶ月後には全身ノ内臓が溶けだシて死ぬう!」
「想像を絶する痛ミに悶絶スる顔はとっても美しイだろウねえ!」
「そしてその最期ヲ天爛楽歩に看取らセる!これハ芸術だよお!イッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!」
『融滅』の指摘に脳幹が震える。二人が顔を合わせていた期間は一ヶ月にも満たない。だというのに染黒の性格を完全に見抜き、それを嘲笑うに至っている。どこまでも自己の残虐性を完全に発揮するための身体構造をしている。
そしてどこまでおぞましいのだこの存在は。これも、気分による行動だというのか。
「なぜ、そのようなことを……」
「えっトねえ?人気者じゃン?アチシ。この前モさあ。こいつノとこの人間がいきなり攻撃シてきたの。困っちゃうヨねえ。で、ムカついたからレギンレイヴ滅ぼしタの。で、なんカこいつだけ生き残っタからこうしテ持ってきたノ。手土産にしたラエスティオンに研究場所もらえルし苦シむこいつと天爛楽歩を見レる……最高じゃなイ!?」
そうか。この地平において最大の諜報組織だったレギンレイヴはもう滅びたのか。その事実にさほどの驚きはなかった。むしろ、『融滅』に狙われて一人だけでも生き残っていたことに賛辞を送りたい。
これは十分納得するに値する理由だ。『融滅』に限っては、このような理由でも納得できる。自身が悪行を重ねあらゆる人間に不幸と絶望を与え続けた自覚があり、それさえ利用して更に悪行を重ねる。『融滅』とはそういう存在だ。
名前はわからないが、レギンレイヴのボスに一ヶ月後に死ぬ毒を仕込み、天爛朱乃に面会させる。一ヶ月間安寧を与えた後最期の一日に苦しみを与えその様を見て楽しむという外道の所業。
それに愉悦を感じるのだからもうどうしようもない。まさに悪魔という他ない、理不尽と絶望の具現。
「デ、エスティオンに入れてクれる?!」
「絶対に嫌じゃ」
「そんナ酷いこと言わずにサあ。ほら、レギンレイヴ滅ぼシたんだよ?そうなれば天爛楽歩も手に入ルかもよ!?最高じゃない!?最高だヨね!」
「そういう理由ではない」
「アチシ、こんなのも知ッてるよ」
ゆっくりと死肉の塊で構成されたムカデのような何かから降りる『融滅』。踏まれた肉がぐちゃぐちゃ音を立てる。その様はまさに邪神の降臨。一つ一つの足音が絶望を奏でる。
「染黒悔怨……いイや。ムーナ・ルーナムーン。随分大層なことを考えてイルね。このまマいくとアチシも『尽殺』も……ああ、『楽爆』は死んダんだね……誰も彼モ、君二殺されテしまうよ」
背筋が震える感覚があった。『融滅』は狂人だがその頭脳は本物だ。そして他者を陥れる際は基本的に嘘は吐かない。バレたら興が削がれるからだそうだ。
いや、それよりも。『融滅』が自分の過去を知っていることが問題なのだ。その名を知る者はゼロしかいないはずだが、どうやって知ったのか。
『融滅』の言葉の続きを聞きたくなくなるが、何も言うことが出来ない。衝撃に言葉を紡ぐことができないのだ。染黒がそうなっている間にも『融滅』は喋り続ける。
「しかし、そウ。『尽殺』はマだ君に手出しできないが、アチシも、君のとこの最上第九席モ、君を止めよウと思えばいつでもできるネえ。一斉にかカれば、いくら君デもどうしようもないダろう?『尽殺』だっテそうだ。君カらアレを強奪することサえできればいつでモ君を殺せル」
染黒の体に蛇のように触れながら、悪魔がペラペラとただ淡々と真実を述べる。『融滅』の言葉は何一つとして間違っていない。
嫌な汗が全身に溢れる。耳元で囁く『融滅』の言葉の一つ一つが染み渡っていく。
「でも、アチシがいれば別……別にアチシは死んでモいいんだよ。ていウかもう死んでるシ。アチシをエスティオンに入れてヨ、そしたラ守ってあげる」
『融滅』はあらゆる方法を用いて他人を絶望の淵に陥れる。あらゆる方法を用いて籠絡し、己の愉悦と目的のためだけにあらゆることを為す。そのための全ては作り出せばいい。
洗脳の声音は作った。頂点の戦力も作った。次はおもちゃを作ろうと、ずっとずっと考えていた。
一人の年老いた少女がいた。美しかった。苦悩と欲望の狭間でもがき、無理に強がって這いながら戻る方法を模索していた。何でも使うという顔をしながらそのことに深い悲しみを覚えていた。ああ、なんと美しいのだろう。
使う者は使われるのだ。
「アチシは味方だヨ」
もう、飽きたが。
「……………………わかった。今ここで、壊される訳には、いかん……これを、やろう」
染黒が『融滅』に手渡したのは通行許可証。これがあればあの『融滅』でも基地内を自由に動くことができるだろう。正直不安しかないが、『融滅』は護衛としては最適だ。守ってもらおう。
なぜかはわからないが、『融滅』しかいないような気がするのだ。『融滅』以外の誰も、頼ってはいけない気がする。
「イッヒ。ありがト。あ、そうそう。アッチ、行かなくていいノ?」
片腕を絡ませて基地の向こう側を指さす。そこでは今も鬼のような化け物とゼロが戦っているはずだ。
動悸が速くなる。行かなくてはならないのはわかっている。だが、だがどうしても。
「なあ……『融滅』……」
悪魔の口が大きく歪む。
「行かなくては、いけないだろうか……?」
涙が。頬を伝う。
「アチシの前でそんな顔しなイでよ……」
『融滅』が絡めていた手を離し、上気した頬を抑えながらそう言った。
「もっと歪めたクなる……!」
絶望が道を示した。
何か言おうとするが何も言えない。全身の筋肉がわななくように動き、痙攣する。
涙を拭いさり歩き始めた。
「大事にしなヨ。大切な大切ナ……」
白衣のポケットに手を突っ込み、悪意の塊が静かに笑った。全てが彼女の計略通りだ。このタイミングで現れたのは決して偶然ではない。
揺らぎが生まれると確信していた。もう、世界は壊れたままではいられない。再生を始める。
役者は揃い始めた。準備は整った。道が舗装され始める。分岐を始める。交わり断たれて繋がり、全て溶け崩れて再生される。
「研究素体ダ」
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