last reverse【1】
「……まっタく、最後の最後で裏切ってくレたね」
彼女……『融滅』とスティスが共に居た時間はあまりに短かった。だが二人の間には確かに絆とも友情とも言える何かが芽生えていて、それだけに喪失感は大きかった。
遠くから響く鐘の音がやけに大きく聞こえる。ここはスティスのためだけに作った、特別な墓地だというのに。
悪魔の心臓を核として形成されていたスティスの肉体は、魔神獣によりそれを貫かれたことで動きを止めた。彼女の中の騎士道精神のような何かが働いて、貫かれてから数分は稼動していて、『融滅』を安全地帯まで運びきったその瞬間に活動停止したのだという。
「ワタシを守るのはイいけど、悪魔の心臓も……マあ、墓に言ったトころで遅いか。はは、ナにやってんだか……」
指の先が崩壊していくのがわかる。延命措置を取り続けてきたが、やはり屍肉の神器が機能していない状態でのこれ以上の活動は不可能だ。『融滅』はここで滅びる。
墓の前に膝をついても、トサ、という乾いた音しか鳴らない。墓石を撫でるだけで手の表面がボロボロと崩れる。
楽しかった。『楽爆』の襲撃からこれまで、いいことの方が少なかったのは確かだがそれでも楽しかった。クリスのため、ルルクのため戦い続けるのも、ミズガルズの愉快なメンバーと一緒に生活するのも。満足していた。
墓石に頭を載せる。風が吹いて、崩壊していく肉体の破片がどこかへ飛んでいく。
「ヤりたいコとはできたし……悔いはない、かア……」
ルルクと出会えなかったのは残念だが、まあ……これから会えるだろう。そう悲観することはない。彼もワタシも、行先は同じ地獄だろうから。
意識が遠のいていく。……色々、酷いことを言ったし酷いことをしたが、天道はなんだかんだと優秀な弟子だった。優しいし、どこかルルクのようで……
最後に、会いたかった……な………………
「師匠〜?師匠〜!どこ行ったんですかもう……今日はおめでたい日だってのに。あとあの赤ちゃんなんなん……で……」
『融滅』の屍肉の神器が完全停止し、その活動を止めた瞬間に彼はここに辿り着いた。『融滅』の研究の成果、人工的か暗色のみの花畑。中央に座する墓石が悲しい。
天道が彼女を発見するのはすぐだった。紅の髪が風に揺れて、墓石に身を預ける彼女は天道でさえ見たことのない優しい笑顔を浮かべて……死んでいた。もう何も思い残すことはないと言うように、この世の全てに満足した顔をして。
頬を伝う雫を拭うこともなく、彼はこう言った。
「……お疲れ様……でした……!」
誰もその道を知らぬ。誰もその生涯を知らぬ。彼女が歩んできた道は、築き上げてきた全ては、既に融けて滅びてしまっているのだから。もう存在しない、有り得ぬ過去。
だが、何もわからなくても彼は知っている。『融滅』という存在が、エルミュイユ・レヴナントとして生を受けた彼女がどれほど苦しんできたのかを。どれだけの葛藤に揺れていたのかを。だから、こうして送り出す。
そうして、すぐに背を向けて歩き出した。また風でも吹けば、彼女の体は完全に崩れ去るだろう。ここにいるべき人間など、この世界には存在しない。
「僕が、責任を持って、育てます!」
『融滅』が基地から出て花畑に行く前に託された一人の赤子のことも彼は知らぬ。どこぞの子を攫って来たのではないかとすら思っていたが、全てを察した。
『アチシは……子供に会いたカったんだよナあ』
ひたすらに辛かった修行時代、一度だけ彼女がそう言っていたのを覚えている。彼女にそんな願望があることにただただ驚いていて、その真意を聞き出すこともしなかった。
その時から子を求めていたことに、彼女も気付いていなかった。
彼女の二つ名は、『融滅』は、全て融けて滅びるという意味を込めて付けられた。全て融かし、やがて滅びる。誰の記憶からも融け落ちて、やがて忘れ去られると。
だが、彼だけは永遠に忘れぬ。『融滅』の子も、顔も覚えていないだろう母のことを決して忘れぬ。
最後の最後で、その名は偽られた。
『融滅』エルミュイユ・レヴナント。
――――――
「では私はもう行く……いいって、見送りは」
基地の出口で、桃月はしかめっ面をしながらそう言った。もうそんな顔の奥にある意味を心に抱くことさえできないのに、最後に残された優しさだけでそうしている。
ようやく感情を手に入れようとしている受の前で、感情を失ってしまった事を悟らせる訳にはいかない。魔神獣との神人戦争から早一週間、彼女はよく懐いてくれた。いつか彼女の言語ケアをした時に懐かれたのだろう。
無言で手を振ることもなく立っている受は、何をしたいのかさっぱりわからないが、恐らく見送りだろう。
彼女は感情を介さない。あまりに小さすぎるその感情の灯火は、他人が気付くことのできるものではない。その行動ですらわかりはしないが……ようやく、わかるようになってきた。寂しいという感情を、彼女はよく抱くようだ。
天道から聞いた話だが、彼女は大事な人を二度失ったのだという。この見送りも、もうあの喪失感を味わいたくないが故の行動なのだろう。きっとそうだ。
桃月はもう受のことを理解するための感情さえ残ってはいないが、このことだけは確信している。
「今日はホラ……あの子たちの式がある。あなた、そういうの経験したことないでしょう?そっち行きなさいよ」
……ああ、だめだ。あの頃のような優しい言い方ができない。元々口下手なのに感情まで喪失してしまえばこうなるのは目に見えていたか……まあ、そもそも。
そのことを悲しく思う感情も、なくしたのだが。
「……」
フルフルと首を横に振る受は何を訴えているのだろうか。行きたくない、というのはわかるが……何故だ?あの愛蘭霞の妹であるならば祭りごとは好むはずだが。
こんな祭り、この機会を逃せば恐らく一生ない。ミズガルズの人間はこれから、世界を取り戻さなくてはならないのだから。この祭典も特例だ、神人戦争において活躍した彼らがどうしてもと言うから行われているからに過ぎない。
「……似ている、あなたは、サファイアに」
彼女は老いていても無邪気だった。貴族として閉じ込められていた反動からか、冒険というものに憧れていた。
そんな彼女に、愛蘭受はよく似ている。無感情という檻に自身を閉じ込めていたからか、戦争を経て芽生えた感情という名の自由に浮き足立っているのだろう。
気持ちはわかる。自由とは心躍るものだ。人が本質的に求める数多の要素の中に、自由は確かに鎮座する。
「でも、だめ。私にはわかる、契約の反動で私はもうすぐ廃人になる。ミズガルズは優しいから、寿命で死ぬまで私の面倒を見てくれるだろうけど……私には耐えられない」
桃月にまだ残されている感情が、その優しさを否定しているのだ。彼らはこれからもう一度世界を救わなくてはならないのに、廃人の面倒を見ている時間はないのだと。
「だから、残された時間は旅をして……誰にも見つからない場所でひっそり死ぬよ。だからあなたは……」
何を言っても無駄なのだと悟る。もう、愛蘭受が何をするべきかはわかっているのだ。彼女自身が理解している、他の何者にも着いていくべきではないと。この他にするべきことはないのだと。彼女が、より深く彼女を知るために。
「……そう、一緒に、来る?」
大事な人を失いたくないという思いと、これから彼女が辿る結末は相反している。ミズガルズで唯一心を通わせた桃月とほんの少しだけの時間一緒に旅をして、その死を見届けるのだから。その選択は、何よりも残酷なことなのだ。
だが、彼女がそれを望むのなら。
それもまた、人の持つ感情が導く一つの“終わり”だ。
受が今度は縦に首を振り、桃月の傍に近寄った。桃月も歩き出して、二人はどんどん基地から離れていく。元からほとんど変化の生まれない桃月の顔面は、もはや表情筋の一つも機能していなかった。瞬きの回数すら数えるほど。
けれど今だけは、優しく微笑んでいる。
(受はサファイアじゃないし、サファイアは受じゃない)
わかりきっている事実をわざわざ心の中で言葉にする。こうでもしないと彼女は、自分が何を思っているのかさえ整理できないのだ。
思い返せば思い返すほど、サファイアとの旅は楽しかったのだと思う。あの日、世界が滅びた日に親としていた荒野の旅と同じほどに。サファイアは、家族だった。
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