かつて人だった最後の星に【2】
「……何から何まで、完敗だな。まったく、この僕が孫に負けるなんて考えてもいなかったよ……ああ、そうだ」
既にムーナと共に歩き出している彼は、思い出したように、しかしずっと知っていたように笑った。
彼が指さしたのは、この紅蓮の大地の果て。
「会っておいで。これが最後の会話になるだろうから」
言葉は返さない。指さされた方に向かって歩い出す。
……どれだけ歩いただろうか。数分のような気がするし、数十年歩いた気もする。きっとここはセイナーじゃなくて、彼女の精神世界なのだろう。辿り着けない。
歩いて、歩いて、歩いて、たまに走って。終わりがないとわかっている旅路を一歩一歩進んでいく。
「……わかってたよ。お前寂しがり屋だもんな」
けれど、終わりは訪れた。春馬の服の裾を引っ張る小さな幼女の手が、彼の動きを止めたのだ。荒野は一瞬にして花畑へと変貌し、桃色のピクニックシートが寂しげに風に吹かれて揺れている。弁当には誰も手を付けていない。
「終わらせたくないの、ずっとここにいたいの」
神と邂逅し経過した数十年。彼女の心は幾度となく壊れ、そして再生の輪廻を繰り返した。元々そう精神的強度が高い訳ではない彼女では、無の時間に耐えられなかったのだ。
この光景は、彼女にとって最も思い出深いかつての記憶。皆でピクニックに行った思い出だ。
「ここから出たら、全部終わっちゃう。私の夢は終わっちゃうの。そんなの嫌、私はずっとここにいたい」
セイナーにそう説くことはできた。楽園は既にあったと説くことはできた。そう言えば、彼は理解してくれたから。けれど、ただ過去を手放したくないだけの少女に同じことを言って納得させることは、春馬にはできない。
「……夢は、覚めなくちゃいけないんだよ。お前の大好きな皆は、もうとっくに覚めてるよ」
「嘘、嘘、嘘。だってみんな、まだここにいる」
彼女が指さした先で揺れるピクニックシートの上では、イヴたちが楽しげに笑って戯れている。……この光景が見えている限り、彼女は永遠にこの世界から逃げられない。
「ここにいれば、楽しいの。ここにいれば、暖かいの。終わらせたくないの、ここにいたいの」
そう訴えるデゥストラに、春馬が何か言うことはできなかった。少なくとも、少しだけ強くなった裾を引っ張る彼女の手の力に逆らわず受け入れることしか出来ない。
「ねえ、それとも」
春馬がしゃがみこんで、デゥストラと視線を合わせる。怯えて惑って、本当にどこにでもいるただの少女のようだ。
魔神獣という外面がなければ、こんなにもか弱い。
「もっと暖かい場所を、用意してくれる?」
そうして世界は割れた。セイナーの研究棟内にある食堂の机、その両端に二人は座って向き合っていた。彼女が会話の道を選んだ、これが最後のチャンスだ。
「私にはここしかないの。私の家族は他にいないの」
デゥストラは孤児だったのだという。他の子供たちと同じように理由があったのか、それとも理由がなくそうなったのかはわからないが、とにかく彼女は孤児だった。
子供とは、人間とは、本能的に温もりを求める。無条件に自分を愛してくれる何かを求める。デゥストラにとっては、それがセイナーたちだったというだけの話なのだろう。他の誰かが受け止めてくれれば、こんな世界は訪れなかった。
否。
セイナーだ。やはりセイナーさえいなければこんなことにはならなかった。やはり、彼の人間臭さが原因なのだ。悪いと言うつもりはないが、彼女に関わらないで欲しかった。
「あなたは、あなたたちは、私の家族になってくれる?」
「家族……家族ねえ。難しいこと言うなあ、お前」
ポリポリ頭をかいて考えてみるけれど、答えは出ない。そもそも家族って、どんな基準から家族なんだ?
春馬にとっての家族は、ミズガルズの……厳密にはエスティオンの人間たちだ。一緒に戦ってきたし、一緒にご飯も食べた。じゃあそれが家族の基準なのかって言うと……違うよなあ。それじゃあ家族って言うのには多すぎる。
「だから……あー……めんどくせえなあ!難しく考えるってのは俺には向いてなかったなそう言えば!」
机の上の水を飲む。朝露のように透き通る。
「悪いが、それは無理な話だな。デゥストラ」
単純に、単純に。いつものように単純に考えればすぐにわかる話だったのだ。少し真面目に考えすぎた。
デゥストラには家族がいる。それだけのことだ。
「……そう、だったら、やっぱり私は」
「お前にはもう家族がいるからなあ。俺たちが盗っちまったらそりゃあ……怒られちまう。嫌だぜあいつに怒られるの」
へへ、と笑う春馬の姿は、どこか彼女に似ていた。
次々と蘇っていく記憶。誰かが怒っている記憶もそこにはあって、同じぐらい誰かが笑ってる記憶もあって……最後の家族だってことなんて、誰も気にしなかった……なんて。そんなささやかなことも、鮮明に蘇っていく。
考えられない。彼ら以外の家族など。代わりなんて、どこにもいないんだって、わかっていたのに。
「……俺にも家族がいる。あいつら以外、考えられねえんだよなあ……お前もだろ?家族ってのはそういうもんだ」
「家族。家族。家族。あなたにとって、家族は、なに?」
「俺にとっての家族……あー本当に難しいなあお前な!あっとなあ……俺にとって……家族……家族か……」
答えは出ていても、まとめるのに時間がかかる。言葉にすることも、だ。春馬はそんなにも器用じゃない。
「居場所だな。んで、たった一つだけのもの。代わりなんてありゃしねえ……あ、そうだ。これが一番だな」
思い出したように、ずっと知っていたように、彼は優しく微笑んだ。家族との時間を思い出している。
家族との……フリシュたちとの、天爛との幸せな時間。そんな時間を想って、何を願ったか。何を誓ったか。それは、永遠にそこにいたい欲望ではなく、手離したくない執着でもなく、ひたすらに、例え星に願ってでも……
「護りたい。俺が家族を大好きなように、あいつらもきっと家族が大好きだ。家族の大好きを、俺は護りたい」
彼女もきっと、そう願っている。
顔を動かすことなく、座っているだけの少女。けれど、その心はもう揺れ動いているはずだ。家族とのかけがえのない時間を胸に刻んでいる彼女ならば。
「ほら、お前の大事な家族はここにはいねえぞ?」
「……うん、うん!忘れてた……忘れちゃってた!行かなくちゃ、皆のところに……連れてって、連れてって!」
デゥストラを家族の所に連れていく……それはつまり、彼女を殺すということだ。けれど、躊躇いはない。それが彼女にとっても、今を生きる人類にとっても幸福な結末だ。
「ああ、連れてってやるから……立ってみろ」
「……春馬。皐月春馬」
いつの間にか手を取っている。果てから割れていく世界の終わりに向かって共に歩き出す彼らは、お互いの存在を確かめ合いながらそこにいる。生者の具現と、死者の具現。共に幸福な結末を目指すモノとして。
「最後の、お遊び。全力でいくよ!」
デゥストラを家族の所へ連れていく……彼女を殺すと言っているのに、それさえも遊戯だと思っている。
価値観の差か、ただわかっていないだけなのか……けれどそんなことは関係なく、春馬には彼女を送り届ける義務がある。彼女との最後の会話を託されたのだから。
「……ああ、俺達も、加減はしねえからな」
世界が溶け落ちる。
――――――
果たして春馬の肉体は灼けなかった。魔神獣胸部に位置する神の欠片を引きずり出すと同時、熱線が掻き消えたのだ。あまりの異常事態に、アンタレスさえ機能していない。
落ちていく春馬とデゥストラの視線が交差する。それは神と人の交錯ではなく、悪戯っ子の最後の遊戯のような。
「こっからが本番だぁ!勝つぞ人類いい!!!!」
春馬の怒号に合わせて、攻撃が激化していく。破裂するような音、熱、そして破壊。誰一人として勝利以外の何も考えない、正真正銘最後の戦争。その終幕。
ミズガルズ基地からの遠距離爆撃のお陰で、致命的損傷を与える魔神獣の攻撃は戦場に立つ人間には届かない。
けれど、魔神獣は、デゥストラは、春馬との邂逅を持ってして意思を得た。明確な意思を得た。そして彼女は人類と遊んでいるつもりでいるのだ。家族の所に旅立つ前に、心ゆくまで楽しもうとしている。
あまりに人と尺度が違う。神を手にした、代償。
「フリシュ君、足場!近接組は直接戦闘開始!」
『融滅』のその指示に、誰もが正気を疑う。だが、受は、桃月は天爛は迷いなくその指示に従った。この巨大過ぎる神を相手に人間程度ができることはたかが知れている……
だが、時を待つ。そうすれば好機は訪れる。
「海でやるのは初めてでござるなあ……水爆!」
一瞬、海が膨張し魔神獣の下半身を巻き込んだ後、炸裂。破滅的な音が響き渡り、外殻に亀裂が入った。だが。
「まだ足りない……次は、私が!」
桃月の全身を装甲が覆い、右腕だけが異常に肥大化する。力任せに振られたそれは水爆により生まれた亀裂を更に大きくし、最後の攻撃……受に繋いだ。
受の攻撃は“技”だ。特に、己よりも体幹や重量が優れた者と戦う際に本領を発揮する。その点において魔神獣との相性は最高だ。重量も何もかも、この神を越える存在はこの地球上に存在しない。走った勢いそのままに、掌底を。
それは己の体重、勢い、敵の重さ、支え。その全てを衝撃に変換する受け身の技。制御できぬほどに強くなった筋肉を持つ彼女だからこそ、カウンター以外の場面でもこうして使用することができる。元は『震砲』というその技は、果たして彼女の研鑽の上に名を変え、その威力までも変えた。
曰く、『烈震』。擬似的な地震にも等しい、人の身から生まれし災害。それを叩き込む。
そして、ソレは作戦の一つ。別れの時点で始まっていた作戦の一つだ。神と人を並び立たせる役割を担う。
「天光、光臨、聖域、神格、天輪、輪廻」
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