決戦前夜【1】
『そういえば私の神器どうなったのよ』
魔神獣との決戦が一日後に迫ったその日の朝、起き抜けにイヴがそう言った。イヴは絶対星の能力を停止させる際、肉体が崩壊した。その時にイヴが装備していた神器がどうなったのか、と言っているのだ。
五柱である瞬脚神器を筆頭に、彼女が装備していた神器はどれも強力なものだ。子宮の神器で生み出されたあれらの神器は、そこらの神器と一線を画す性能がある。
「どうなったってなあ……天道なら知ってるだろ」
『天道ねえ……聞いてみてくれないかしら』
「まあいいけど。忙しいんじゃないかなあいつも」
一度手ぐしで整えればすぐにいつも通りになるというなんとも便利がすぎる髪質をしている春馬。髪を軽く整え、顔を洗って部屋を出る。基地内はかつてないほど静かだった。
エスティオンがミズガルズと改名してから六日目。明日には滅びの神との決戦だ。神が勝つか、人が勝つか。互いの全戦力をかけた戦争。短い間ではあったが、準備は整っている。出来ることはしてきた、あとは結果が付いてくる。
天道の部屋の扉を開く……いない。まあでも、どこにいるのかはわかる。最終確認、彼の好きな言葉だ。
作戦司令室の扉を開いた。
「天道〜いる〜?いるよね〜」
「ああなんだい春馬君僕今忙しいんだけど」
「イヴの神器ってどこにある?」
「……彼女の神の欠片を持ってる君に所有権があるのは道理なのかな……地下だ。地下空間に保存してある」
『嫌がらせかしら……私、あまりあそこ好きじゃないのよねえ。苦しい思い出しかないし……でも、ゼロとずっと一緒なのは楽しかったかな……ほら、行きましょ』
感謝を告げ、地下に向かう。春馬は地下への入口がどこにあるのかは知らないがそこはイヴが教えてくれた。そもそも春馬は、基地に地下空間があること自体初耳だ。
広大な闇に足音が響く。春馬の荒々しい歩き方が鳴らす音は、少なくともこの空間には似合わなかった。
恐らく中央と思われる地点に開いた大穴に到達する。かつてイヴがいた場所、力加減を間違えたゼロが開けてしまった穴の中に、イヴの神器は乱雑に配置されていた。百を越える数のそれらは、強大な力の群れだ。
『瞬脚以外はまあギリギリいいとして……瞬脚までこの扱いはどうかと思うのよねえ私……ほらほら、装備』
「いや、装備ったって……あそうか複数装備できるのか今の俺は……でもいくつも使えるほど頭良くないしな俺は……」
『じゃあ瞬脚と……あとはこれとそれと……』
イヴが見繕った神器を装備していく。瞬脚、筋肉、骨格等々……主に身体強化系の能力を持つものばかりだ。春馬は頭が悪いので、複雑な能力を持つ神器を使いこなすことは出来ない。腕輪や紙などは論外の極みだろう。
ぐっぐっと体を動かし、具合を確かめる。正直な話、強化の度合いが大きすぎてよく分からないレベルだ。
『できれば昨日までにしたかったわあ……作戦用の配置は通達があるんでしょう?それまでにできるだけ慣らしときましょう。慣れを侮っちゃいけないわ』
イヴのその言葉に従って、春馬がその場で演舞を始める。エスティオン時代から伝わる、身体強化のみによって戦う神器部隊員のストレッチ兼身体機能確認運動。
その動きは、確かに人類戦争終盤のイヴよりも洗練されていた。彼には経験があるのだ、当たり前だろう。
「なんか……もはや怖いんだけどこれ……」
『複数装備ってそういうことよ。慣れて慣れて』
演舞は続く。粗雑な彼でもその動きは流麗で美しい。
型が変わった。本来は大型の擬似魔神獣を想定したものであるが、今の彼は魔神獣を想定した動きをしている。
「ふっ……」
急所を見抜き、打撃を与え、命を削る。それを続けることで己を遥かに越える体躯の生物を殺してみせる。
更に身体強化の倍率が通常の数十、数百倍にすらなっている彼の動きは、もはや生物と形容していいものなのかすら疑問に思ってしまう。宙に浮いていたと思えば遠く離れた地上へと降り立ち、致死の一撃を連撃として放っている。何より恐ろしいのは、それを空想の敵に向けているということ。
春馬に想像力はない。予測力もない。だが、イヴにより設定された脳機能が、天性の戦闘センスが、一度邂逅したのみの魔神獣を彼の眼前に構築している。彼の身体機能を完全に適応させている。だが、それでも……
『足りない、わねえ……』
「足りねえよなあ……あと十倍は欲しいよな」
今の彼なら、受に勝つことすら容易だろう。事実、イヴに戦闘経験があればあの時にイヴは勝利できていた。
だがそれでも、尚足りない。あの神には、この程度では足りない。届かない……それは、自明の理。だが。
「まあでも、これでいいか」
『あらどうして?正直私は不安なのだけれど』
「神サマに人一人で届いてたまるかよ」
春馬の中に芽生えた人の定義、人という存在の証明。それらが告げている。これでいいのだと。何故なら敵は神だ、一度世界を滅ぼした神なのだ。たった一人では届かない。
神は孤独だ。人はそうではない。その差異こそが、有り得ないはずの勝利を生む……春馬はそう考える。
「よしっもうちょい慣らすぞ!」
――――――
「結局レベル3止まりか……戦力にはならないな」
「ええ……サポートに回るしかないわね。口惜しいけど……」
「何を言うでござる。サポートも大事な仕事でござるよ。サポートなしでは、前線は十全に力を発揮できん」
フリシュの部屋に集まった、春馬を除くフリシュ部隊の面々は最終確認と現状整理を行っていた。短期間で凄まじい密度のトレーニングをしたフリシュと盲全だったが、やはりレベル4には届かなかった。役割はサポートだ。
フリシュの槌の神器の能力は、足場を作るのに使える。概念系であることもあり、槌の神器により操られた大地は大地そのものではなく、“大地という概念”となる。海に浸かっても崩れることも湿ることもない、万全の足場となるのだ。
盲全の本の神器は、サポート向けの本を読みあげれば最高レベルのサポートを行うことができる。冒険譚の終盤など完璧だろう、悪を打ち倒す英雄の追体験を行える。
そして天爛。実は、彼女は今回の神人決戦において重大な役割を担う……かもしれない。何故ならば、そう。
「海は拙者の独壇場。後ろは任せた、でござる」
水の神器。範囲内の海全ては彼女の手足に等しい。春馬が魔神獣からセイナーを引きずり出した瞬間、彼女の猛攻が魔神獣を襲うだろう。代償なしの切り札、自身の操る水全てを瞬時に沸騰、蒸発させる『水爆』すら連射可能だ。もしかすると、討伐部隊最大の火力を出せるやもしれない。
「春馬ボーイはどこに行ったのかな、まったく」
「なんか用事があるって言ってたわね……色々あるんでしょう、あいつにも。最後ぐらい、一緒がいいけど……」
「ふーむ……ふふ、盲全殿、フリシュ殿」
暗い顔をして弱音を吐く盲全と、それに同調するように頷くフリシュに天爛が言葉をかける。ふふーんと得意げなドヤ顔が妙に彼女らしくて、心が和む。
「春馬殿は、最後などと思ってはおりませぬ」
皐月春馬は、常に前を向く男だ。どれだけ絶望的な状況だとしても、どれだけ救いがないのだとしても、ただひたすらに前を向き続ける。視線はいつも未来を見据えている。
かつて受により全身に穴を開けられた時も、怪我の痛みと誰もいない孤独に震えている時も、けれど彼は前を向いていた。誰もが後ろを振り返る時も、一人で突き進んでいた。誰よりも物語のない彼は、誰よりも無垢だった。
「この戦争も……そうでござるな」
「軽く人類ぐらい救ってやる……ってな」
「ええ、そうね。きっとそう思ってるんでしょうねえ」
セリフを奪われてむっとする天爛を見て、フリシュと盲全が小さく微笑む。釣られて天爛も微笑んだ。
とても、この星の行く末をかけた戦争の前とは思えない和やかな時間。心に恐怖を抱きながらも、目にすら映らない希望を胸にその道を切り開いていくしかない人類の在り方の象徴。この光景は、いつか人類が歩いた道なのだ。
「……約束でござるよ。春馬殿と、フリシュ殿と、盲全殿と拙者と……酔裏殿。全員揃って、またここで笑い合う」
「その未来を掴み取れるのは僕たちだけ……か。うん、いいね。絶対掴み取れるさ。僕たちならできる」
「後はないわよ。ここまできたら、駆け抜けるしかないわ」
かつてその少年は星を目指し堕ちた。かつてその少女はその目を閉ざした。かつてその少女は道を断った。けれど、彼らはこうして人類を救うための一歩を踏み出そうとしている。誰もが為せぬ大偉業を、まだ幼い人の身で為す。
それがどれだけの苦しみかはわからない。それがどれだけの重い選択なのかはわからない。けれど、彼らの心には炎が灯っている。けして消せぬ炎、消えぬ炎が。
「私たちはもう、家族なんだから」
家族で過ごすかけがえのない時間。家族が揃うかけがえのない時間。失えば二度と帰ってこない時間。今失われようとしているそれをその手に固く握りしめることができるのは、こうしてここにいる人間だけなのだ。
悲壮な決意なんてものじゃない。これは、未来へ歩むための過程に過ぎない。希望に満ちた選択だ。
《館内アナウンスの時間……ということは、まあつまりそういうことだ、諸君。時間がきたよ》
その時、基地全体に天道の声が響き渡る。まだ夜ではないが、刻限とはいつもいつも、いつ訪れるかわからない。
《これより作戦を開始する。部隊員は全員作戦司令室で配置図を受け取り、指示された場所に待機してくれ》
放送が終わり、基地全体が動き出す気配がする。決戦に向けて覚悟を決めた人間たちが、神に抗い始める気配だ。フリシュたちも部屋から出て、作戦司令室で配置図を受け取る。配置されたのは海から離れた場所。サポートなのだから当然と言えば当然だ。だがそれは、フリシュと盲全の話。
「……楽歩レディは、魔神獣正面か」
「任せてくだされ。必ずや大怪我を負わせてみせよう」
そう言い、天爛だけ別方向に歩き出した。つい先刻、必ず生き残って帰ると約束したはずなのに何故か不安が次から次へと押し寄せてくる。その背中が、どこか小さく見えて。
「楽歩……楽歩!」
天爛を、強く、強く、盲全が後ろから抱きしめる。フリシュもその光景を静かに見つめていた。
「絶対、絶対よ!絶対に生きて帰るの!」
「わかっておるでござるよ……では!行ってくるでござる!拙者の活躍を目に焼き付けてくだされー!」
天爛は一人走り出した。
フリシュたちも、別の場所へ向けて歩き出す。
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