子と母と神と【1】
「へえ、そんなことが……大変だったわね」
「まあ、楽しかったぜ。楽しけりゃ俺はそれでいい」
皐月春馬が創られた際、多くのものを与えられた。人間らしさを得るための感情、強靭且つ神器適性に優れた肉体。そして、その目に映る全てを、己に襲いかかる苦しみも悲しみもその全てを受け止め、楽しむことができる心。
経験した全てが。襲いくる脅威が。常人ならば恐怖で立ち止まるようなことも、痛みで足が竦んでしまうようなことも彼にとっては楽しみの一つに過ぎない。
一種の欠陥ではあるが、それに彼は何度も救われてきた。
彼の精神は、本当のところは脆い。フリシュとの星空の下での決闘も、受に全身を貫かれた時も、辛くて怖くて立ち止まっていただろう。だが、イヴが彼に与えた心が彼を救ってきた。気付かぬ間に、母に守られていたのだ。
「本当に、本当に成長してくれて……」
イヴに人間らしい感情は残っていない。真なる神を取り込んだ故か、楽園を阻止しなくてはいけないという使命感からか、世界が崩壊したあの日にそんなものは置いてきた。
それでも、自身の子の成長とは嬉しいものだ。触れれば崩れてしまいそうな程に弱かったあの子が、今はこうして思い出を語るまでに成長している。友と一緒に駆け抜けた日々を笑いながら、吐き出すように話してくれる。
(でも、楽しい時間はもうここまでね)
そんな母親のような感動も、人のような慈しみも、何もかも一瞬のうちに虚無へと変貌してしまう精神の異形。
皐月春馬は真なる神の保管庫。染黒により剛腕神器と適合させられた彼は真にその役割をこなしている。魔神獣デゥストラ、またの名を終焉星。彼女を滅ぼすことができるのは真なる神だけで、その役目は皐月春馬には重すぎる。
まずは眼前の息子から剛腕を剥奪する。その後ゴリ押しで染黒と絶対星を殺して神の欠片を奪う。そして最後には魔神獣を滅ぼしてみせよう。染黒と絶対星、特に神の欠片を複数保有している染黒は強敵だろうが、その程度は呆気なくこなしてみせる。そうでなくては、アレには勝てない。
剛腕神器は春馬の戦う術。コレを剥奪するということは、彼に戦うなというようなものだ。
イヴの中の、人間らしい部分。消すことのできなかったエラーが罪悪感を訴える。……意味不明だ。愛する息子に、もう戦わなくていいと伝える。それの何処に罪悪感を感じる必要がある?もう平穏に生きろと告げるその行為に。
「ねえ、春馬……お話が、あるのだけ」
「俺、今凄い楽しくて……嬉しいんだ」
イヴの言葉を遮って、春馬が頬を紅潮させながらそう言い切る。続きを話す気がなくなって、黙って次の言葉を待つ。
こんなにも滅びに瀕していても、楽しいというのか。自分が与えた機能といえど、それはあまりにも。
「俺さ、エスティオンで……っと今はミズガルズか……?まああの時はエスティオンだったからいいか。戦うかどうか決めろって天道に言われたんだ。正直戦う気はなかった」
昔話。そんなものをする性格ではないと思っていたが、そんなことはなかったか?感傷に浸りたい気分なのだろうか。
「断ろうと思ったよ、天道は気が弱そうだったからあの時はなんでも言えたからな。今はそんなことねえけど」
随分と手厳しい、と苦笑する。確かに彼は始まりの四人として対面していた時から気が弱い節があった。当時のイヴよりはまだ気が強かっただろうが。
素直すぎるのも困りものだと実感する。
「そん時よ、多分……あんたが、俺の背中を押してくれたんだよ。あんたに会いたくて、俺はエスティオンに入った」
胸が締め付けられるような感覚に息が詰まる。子を道具としか見ていない母と、ずっとずっと、無邪気に母を求め続けた子。こんなすれ違いがあっていいのだろうか。
純粋な人の部分が残っていたならば、きっと、涙が。
「だからよ……やっと会えたな、ありがとう。母さん」
春馬は直感でそれを知り得た。かつて壱馬に見せられた記憶の旅路と関係なく、彼は直感だけでそう信じた。
壱馬の操作により、春馬の中の記憶の旅路に関する情報は既に消えている。春馬にあったのは過去を知る義務であって、この世界で出会う“過去”に気付くのは彼の役割だ。
見えない壁があった。人を捨てたと思い込めていた。楽園を阻止するためならば何でもすると、そう自分に言い聞かせていた。しかし。人は、そう簡単には。
捨てられない。時には空想で星を揺るがすほどの人の心を、感情を。“たかが神が干渉できるものか”。
「……?おいなんで泣いてんだ……名前なんだっけ」
「どうでもいい、ええ、きっとそう。そんなことはどうでもいいのよ、春馬。やっと、帰ってきたわ、私」
人の心。失ったはずのそれが、胸の中で熱い。子を持った母の心が、どこまでも遠かったはずのそれが。
悲しかった……んだと思う、きっと。辛かったんだと思う。きっとそう、きっとそう。だって、どんな目的があるにしても人間らしさがなくなるなんて、人間なら誰でも悲しいこと。絶対に耐えられない、最大の苦痛。
「ええ、ええ……私が間違ってた。神を滅ぼせるのは神だけじゃない……人だってきっと、神に届くわよね」
涙を拭い、春馬の手を取って立たせる。こんなところで話している場合じゃない。魔神獣を打ち倒すために、今は少しでも強くならなければならないのだ。
並び立って、また。他愛ない話をしながら訓練場まで一緒に歩く。やっぱり楽しい、この時間は。
人と神であろうとも、及ばぬということはない。力を合わせて手を取り合って、そうすればきっと。
そう思うイヴだったが、現実は残酷だ。これは、人と神の最終戦争。人類戦争が終わったことにより訪れる、世界により求められる裁定。純然たる一柱の神と人類が戦う、それ以外の全てが場外へと追い出される最後の戦争。
神とは即ち、魔神獣。そしてそれ以外の意思持つ神は……
――――――
「どうした弱き者共。この程度か。んん?」
年若い優秀な人間が上司となった際、年上の部下に命令しなくてはいけなくなることがある。それはお互いが立場を理解していてもかなり苦痛な状況であり、特に上司側の心労は他の何に例えることもできないほどのものだ。
今天道に起こっている現象は、それを極端に誇張したものだ。絶対星、染黒、イヴ……彼の常識が通用しない者たち。彼では到底及ばない力を保有する者たち。彼の制御を無視する者たち。彼よりも深い深淵を知る者たち。
彼らに指導・教育することは何よりも辛いことだ。
「……そもそも僕らは研究員だぞ、けほっ……戦闘能力なんかあるものかよ……誰もが君って訳じゃ……がっ!」
そして、その限界が今訪れている。
事の発端は訓練場でのこと。絶対星はその圧倒的な力のせいでまともな訓練すらできていなかった。彼は身体能力だけを見ても、最上第九席をさえ凌駕する実力を持つ。
一言で評するならば、“飽きた”。そして“絶望した”。神に挑むというのにこの程度の力しか持たない人間たち。今から訓練すればどうにかなると思っている意識の低さ。そして何より、心に灯らない燃え盛る正義の炎。
正義なき者共に、滅神は成らない。
『我のためだけの特別訓練を用意しろ。何としても我が魔神獣を葬ると正義により決定した。ならばこれは必定だ』
そう言いながら研究室に怒鳴り込んできたのが数分前。しかし人の用意できる設備で、彼をこれ以上強化することなどできる訳がない。イヴの情報が正しいのなら、だが。
曰く彼は、最も完成形に近付いた“なり損ない”。あと一つピースが嵌ればあの魔神獣にすら並び立つ、存在そのものが異形としか形容できぬ真性の怪物。“なり損ない”としての能力もチートと言う他なく、魔神獣以外に彼を傷付けることができる者はいないという。そもそも比較対象に魔神獣が出てくる時点で彼の異常性がよくわかるというもの。
それを、人の力で強化するだと?冗談も休み休み言って欲しいものだ、就寝時間にはまだ早いぞ。
やんわりとそう伝えると、絶対星は研究室内で能力発動。ほぼ全員が気を失うまでボッコボコにされ、研究員代表だと理解されている天道だけは意識を保つレベルで手加減され、こうして拷問(?)されるに至る。
「人。人。人!貴様らが神殺しを成すと言ったのだ。ならばこの必定に従い、我をここ以上のステージに連れて行け!」
「君が上位存在なら、自分で行って欲しいものだがね!」
例え死の危険に瀕していても、天道は世辞は言わないし嘘も決して吐かない。遠回しに何かを言うことはあっても、事実を曲げて伝えることなど有り得ないのだ。
だから絶対星が相手だとしてもこう告げる。到底不可能なことである、と。それを求めるのは理解する、だが、それなら自分で到達することが最短ルートだと。曲りなりにも神の“なり損ない”であるのなら、人の手など借りる必要はないのだと。……まあ、彼の言い分もわかるが。
神殺しを成す。言い回しは違ったが、そう宣言したのは自分だ。なら手を貸すのが道理というものだろう。
「でも……無理なものは、無理だ!」
「ならば考えよ、貴様の頭脳をもってして、我が我の力のみを用いて更なる高みへと至る方法を、直ちに!」
まあそうくるよな。自分でもそうする。
さてどういうか。あまり言葉に詰まれば殺されるかもしれないし、適当なことを言うのはまず論外。確実且つ明確に彼が理解できる、更なる上のステージへの行き方……
こっちが知りたいわボケ、という言葉を飲み込んで、必死に思考を巡らせる。すると痺れを切らしたらしい絶対星が、天道を乱暴に床に叩き付けて研究室から出て行った。慌ててどこに行くんだ、声をかけたが帰ってきたのは一言。
「宣戦布告、我が正義を見せつけてやろう」
と。彼らしい、不穏な言葉だった。
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