Episode 21 To live me【1】
桃月は未だに契約の神器をフル活用していない。借り受けているのは戦闘用の腕を二本だけで、それ以外はレベル4神器として強化された分の身体能力だけで、悪魔と化したサファイアと互角の勝負を繰り広げている。
「契約に従え、人間。逸脱は許されぬ」
「うるさいなほんとに……訳わかんないことばっかり言ってさ……引き裂くよ?」
サファイアは悪魔の神器を使用する際、様々なものを対価として捧げてきた。しかし悪魔はそれを受け取らず、実質タダで使えていたのだ。だがそのツケは大きい。
悪魔は最高のタイミングで最悪なことをする。隷属星の言う通りだ。幾年もの時を経て再び邂逅したというのに、再会を喜ぶ間もなく引き剥がされた。そしてサファイアの体を強奪され、こうして戦闘にまで発展した。
どんなタイミングだよ、クソカスが。
「でも悪魔とか言う割りには弱いねお前。力だけ?」
「……反論、汝、強者。我は神器、人の理に当てはまらぬ逸脱せし者。しかし我が力、通用せず」
「はは、弱いんじゃんやっぱ。ゲボゴミ、ははは」
口が悪い、というツッコミは今だけはしてはいけない。桃月もサファイアを奪われて苛立っているのだ。
桃月遥の強さは誰も知らぬ。過去にサファイアと旅をしていた時も、サファイアと出会う前も彼女は全力を出して戦闘したことはない。契約の神器の能力をフル活用したのは、隷属星を前にした際の核爆弾生成時のみだ。
彼女は世界中を旅し、獣やあらゆる民族から戦闘の手練手管を学んでいる。生来のセンスで格闘も得意で勘もいい。判断能力に優れ、身長も高く筋肉も付きやすい体質。何もかもが桃月を戦いの世界で生かすために働いているのだ。どんな時も冷静沈着な冷えた脳も、それに拍車をかける。
そう、仮に桃月が最初から自我を保有してエスティオンに認識された場合、即座に二つ名を与えられていた。
この地平における頂点に立つ可能性がある者、それは例外なく二つ名を与えられ、恐怖と絶対の象徴として信仰にも近い崇拝がなされている。染黒悔怨、ゼロ、『融滅』、カンレス・ヴァルヴォドム。桃月も、その一人となる。
染黒は圧倒的な知識、手数を保有する。ゼロは神の理屈に後押しされた力を所持している。『融滅』は死を恐れず、また決して逆らうことのない動く手札と軍勢を誇る。カンレス・ヴァルヴォドムは人の最高到達点。であれば、それらに並ぶとする桃月遥は何が優れているのか。
全てだ。
世界を巡り頭に刻み込んだ知識、経験。対価によるがどんな力でも手に入る契約の神器。単体で無数に群がる軍勢をも滅ぼしうる超火力、限界の蓋を外して辿り着いた、人……否、生物が届きうる最後の地点。桃月遥という女は、それら全てを保有し惜しみなく解放できる。
言わば、長所の複合。誰も至ることはない、究極の全環境適応能力。汎用性の塊だ。そのため一点特化の敵とは相性が悪いという弱点はあるが、それでも恐るべき強者。
隷属星たちのような『なり損ない』を除いて最初期に神器を手にした女、それが桃月遥。誰も辿り着けない境地に立っている。
更に彼女は今、サファイアを奪われているという怒りでブーストがかかりにかかりまくっているため当然のように限界を越えてノリにノッている……怪物だ。
「理解不能理解不能、我、人の身を抱く悪魔なり!」
エスティオンには、五〜零の階級が存在する。
本来は部隊員に与えられるものであり、敵に対して付けられるものではないのだが何事にも例外はある。超級の戦闘能力を保有する擬似魔神獣が出現した際などがそれに当てはまり、五級は神器部隊員換算で三級となる。四級が二、三級が一。二級は特級、一級は最上第九席、零級は中央第零席。しかし零級にカテゴライズされた者は未だにいない。
この階級において、悪魔は一級相当だ。更に素体となっているのはサファイア・ヴァイオレット。一級上位にも等しい力を持っているのだ。だが。
桃月は、二本の腕のみでそれに対応しているのだ。
「おお……オオオオ!魔導、解禁!」
「契約履行、第八宝神」
魔導解禁。それは世界で恐れられた悪魔の力を十全に行使するための合言葉。これをもって悪魔は完成する。
第八宝神。それは桃月が貯蓄した八つの切り札。サファイアと出会うまでの旅で築き上げた八つの技。
「貴様も切り札があるのか人間!」
「そりゃあるでしょ……アホ?馬鹿なの?」
桃月は感情が高ぶると口が悪くなる傾向がある。
悪魔が下から上へ手を振る。すると無数の逆十字が地下から生え、桃月を取り囲んだ。両手で呪印を組み、能力を発動する。漆黒の茨が逆十字ごと桃月を飲み込んだ。
『呪怨殺・強欲』。逆十字の砦の内側に存在する神器の力を強制的に一つ奪う魔導。
「……契約、胴体か。防御を剥奪するつもり?」
ガラスを割るような音を響かせながら、逆十字と茨を引きちぎって悪魔が突進する。しかし桃月は手首から先の微細な動きのみでそれを受け流し頭から地面に突撃させる。
契約により借り受けた右腕を振り上げ、能力行使。
「第一宝神、扇穿流牙」
限界まで腕を回転させながら、鋭利な爪で敵の外殻を破壊し内臓をぐちゃぐちゃに掻き混ぜる技。そして……
“治癒不可能の強制契約を結ばせる”。
頭から地面に突っ伏した体勢の悪魔が噴水のように血を噴き出し、先刻までの急速な回復が行われない。全身を微細に震えさせながら、悪魔が苦悶の絶叫をあげた。
「貴様、貴様ァァァアア!!!!!!こん、な、オオオオ!!!!!!」
桃月は神器使いには珍しい“技”を使用するタイプだ。それは単純な攻撃のみで終わらず、追加効果を与えることでこそ本領を発揮する。攻撃で終わるなんて、つまらないから。
人智を超越した身体能力、獣から学んだ技術、脳髄に刻み込まれた知識、それら全てをフル活用した第八宝神。人が持ち得るものを限界まで詰め込んだ存在である桃月遥は、神器そのものであるはずの悪魔でさえ圧倒する。
「損だけの……契約。あなたに、得なんてない」
「なんなんだ人間、貴様はなんなんだ人間ン!」
先程とは別の呪印を組みながら、悪魔が脚で桃月を振り払う。後退し距離が生まれ、同時に能力を発動した。
速度でも追いつけはしない。桃月は、戦闘においてこの悪魔の全てを圧倒する。単純な実力差がそこにはあり、そしてサファイアを奪われた怒りはそれほどまでに強い。
腕をちぎり、爪を剥ぎ、権能を奪い、破壊する。神器は神器を破壊できないというルールは、この悪魔には適用されない。意思を持った時点で、それは縛られる神器ではない。
それはゼロにも言えることだ。ゼロは肉の神器を装備することでダメージを無視した戦闘を行う。対策を徹底しているのだ。己はどうしようもなく無敵だと理解し、己以外の全てを見下しながら同じ土俵で物事を考えている。
悪魔はそれを怠った。
第六宝神、神殻纏。第三宝神、万華鏡。第二、第七、第五、第四、第八。それは悪魔の肉体を粉砕し続ける躍動。
しかし悪魔とて無抵抗ではない。
「呪怨殺・色欲!」
七つの大罪に帰着する七つの魔導は、言うなれば対人特攻効果を持つ。地球で最も聡く、感情を持つ生物はなにか。この星が生まれてから最も繁栄した生物はなにか。他の生物は持ち得ない……自滅機構を保有する生物はなにか。
人間。それはこの星の頂点に立つ者。そして彼らから生まれた負の空想である悪魔は、それを滅ぼすもの。
言うなれば、形持つ自滅機構。この神器は、それに形を与え意思を与え、自由を与えるためのもの。
「ぐ……やっぱ、めんどくさいなあ、女!」
悪魔の用いる魔導のおいて物理的な効果を持つのは呪怨殺・強欲のみだ。逆十字と茨は、囚われし者の力を奪う。しかしそれ以外の魔導は全て精神的なもの。
呪怨殺・色欲。それは……
「戦闘中……だってのに!」
疼く。己の内側の、女が。
人ならざるこんなにも醜い神器に、欲情している。いくら強くとも所詮人間の雌だということを意識させられる。
右腕で右脚を切断、痛みにより欲望を抑制した。どぱり、と大動脈断裂による失血が行われ、契約の神器により即座に再生。桃月の鍛え上げられたメンタルのみがなせる荒業であった。
「貴様……」
「私が契約……に、使うのは」
痛みにより冷えた脳が状況を……眼前の悪魔の本質を囁く。この存在は、人に寄りすぎている。
桃月は、自身が異常だということを理解している。そしてサファイアの前では抑えていた本質を、悪魔の前では全開にしているのだ。強さ、のみならず。行動も、能力も何もかもを全開、彼女だけが知覚するジョハリの窓。
対して悪魔は、思考が人間なのだ。恐るべき自滅機構とイコールである悪の具現であるにも関わらず、桃月が起こす行動の一つ一つに感情で反応し恐れている。
そう、“恐れている”のだ。ここが、鍵。
「私自身」
「何を、言っている、人間」
第八宝神により傷だらけの悪魔が、後ずさりながらその言葉を捻り出す。桃月の言葉が、魂を震わせる。
感情。かねてより人間は、それにより繁栄と衰退を繰り返してきた。一度の情熱で国を興し、人を導き、そして一度の欲で自滅する。太古の人間が空想に自滅機構を夢想するのもしょうがないと言える、人間の最大最悪の欠陥。
滑稽なことに、悪魔はそれを持ち合わせてしまっている。形ある自滅機構が、そんなものを。
「私は、寿命を捧げて力を行使してきた……サファイアに使われている時もそれは同じ。私には、もう寿命がない」
それは事実だ。アーサー王たちを撃滅するために使用された数年、積み上げてきた数十年。桃月は、もってあと一年の命。これ以上寿命を捧げての力の行使は不可能の風前の灯。だが恐怖はない、寧ろ誇らしい。
悪魔が後ずさり、後ずさり、桃月を直視できない。こんなにも恐ろしい人間がいるなど、彼は知らなかった。否、分からなかった。悪魔はサファイアの中で彼女の視点で世界を見て……桃月を見てきたというのに、これっぽっちも。
どこかおかしい人間なのは知っていた、でも、こんな。
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