Episode 20 Wings of the moon fall【3】
戦争が行われているこの荒野全体は、一瞬にして夜に包まれた。その元凶は月霞千覚の月光の神器。セイナーの能力を除けば全神器中ダントツの能力効果範囲を誇る。
しかし。
「夜が……終わった?月霞に何かありましたか」
ウタマは更に荒野を駆けていた。腕輪の神器の権限を染黒に奪われ、それが帰ってきたのが数分前。ようやく戦闘に参加できる戦力を手に入れたことで行動を停止した。
アスモデウス本隊の最終確認地点に彼らはおらず、結局当初の目的であったアスモデウスとの合流はできなかったが、観測室からの連絡を拾うことはできた。
《アスモデウス戦闘用部隊、損傷大。上城様、パルアプ様及びケルレック様含む数十名はは死亡しております》
思わず無線機を握りつぶしそうになる報告だった。
上城、パルアプ、ケルレック。どれも対人能力に難ありで人望はなかったが、実力はあった。戦力的にも、全体の士気という面でも痛すぎる損耗だ。それに、人格的に終わってはいたがなんだかんだで、楽しい奴らだった。
やっていることは最低最悪で、目を背けたくなるようなことばかりしている奴ら。それでも自分が一から集めた仲間であり、同じ組織で戦う家族だった。馬鹿な奴らだった、ウザイ奴らだった。でも、心のどこかで好きだった。
「いいえ、追悼は後ですね。英雄となったその時です」
ギリリと握りこんだ拳から血が滴る。下唇を噛むと血の味がして、それは後悔と懺悔の味にも似ていた。
今考えるべきは合流……否、確認か。月霞の神器により夜が展開されている状況は、即ち彼女の無事を表していた。それ故に心配はしていなかったが、夜が明けたならば話が別となる。安否が気になる、まずは確認だ。
月霞は幹部ではあるがそこまでの強者ではない。偶然が重なれば、ケルレックに負ける可能性だってある。
それに、エスティオンには彼女の地雷がいる……かもしれない。彼女が決して話そうとしない過去で何があったかは知らないが、諜報室曰くまったく同時期にエスティオンに加入した人間がいるという。神器使いで、負傷しながらエスティオンの門を叩いたという。傷跡は淡く輝いていた。
傷跡が光るというのは月光の神器の特徴だ。月光を加工し武器として扱う特性上、光が取り残されることがある。夜闇の中で敵を追跡する際は便利だが、使い手である月霞が言うには未熟さの証明だという。ならばアスモデウス加入時にはまだまだ未熟だった彼女に攻撃されたと考えるのが妥当だ。
全て可能性、憶測の域を出ない。けれど有り得ない訳ではない。もし月霞とその地雷が出くわし本領発揮できないでいるのなら、こちらも手を出させてもらう。例え優勢でもそうするとは思うが。これ以上幹部を失えない。
月夜が生まれた場所は覚えている。そこに向かおう。
「やっぱり……はぁ……弱いわね、あなた……」
「はは、最上第九席でも最弱と言われていたよ……」
月霞の手には月光の刃が握られ、それは仰向けで倒れる添輝の首に突きつけられていた。
「これじゃ……君の歌は聞けないかな」
「元から……聞かせるつもりはありません……」
悲しい。
アスモデウスとエスティオン、相争う二つに別れてしまったことが、悲しい。この二つが争うことが、悲しい。そうあるから、私はこの人の隣に立つことができない。
私はまだ、あなたが好き。求めてる、あなたを。でもここで殺さなきゃいけない。私はアスモデウスの人間だから。あなたに大事な仲間がいて、その人たちを守るために戦っているように、私にも大事な仲間がいる。
あなたがただ一言告げてくれれば、そうしなくていいのに。
「終わりよ、夜。楽しかった……これを最後のダンスにしましょう。今からあなたの首を断ちます。大口を叩く癖は変わりませんでしたね、あの時と同じ」
「……」
「では、さようなら。私の愛したひ」
「逃げるか!月霞!」
それは苦し紛れの命乞いにも聞こえる。けれど、月霞にはわかっている。嘘でも時間稼ぎでもないと。
「……?あなたが、言ったのよ。逃げることもできないと」
「僕は優柔不断な男だからね……本当なら逆の構図になってるはずなんだけど、こうなっちゃ仕方ない!僕は死後の世界なんて信じてないんだ、この世でもう一度君と離れるなんてごめんだ。組織とか、関係ない!逃げようか!」
羽のように軽い人だということは知っておいた。私への、月霞千覚への愛だけは本物だと私が自覚できるほどに強いものだったが、それ以外はとにかく軽かった。
コロコロ意見が変わるという意味でも、そもそも中身がないという点でも。そういう面を私がいるところでは出していなかったところに彼なりの優しさを感じるが、普通にわかっていたし知っていた。クールぶって飄々としているが、普段はただ軽いだけというのは一緒にいればわかる。
だからこそ認められない。彼は私がいるところではその自分を隠していた。私が絡むことなら、私がいなくとも自重していた。けれど、今この場ではその両方が揃っている。だというのにそうしないということは、つまり。
もう本当に、私はどうでもいいんだ。
「言いたくないけど、悲しいわ、夜」
「ごめんね月霞。けれど、僕は悪くないと思ってる」
「そうじゃない。あなたは変わり果ててしまった」
「……そうだね、そうかもしれない」
刃が首の皮を薄く切り裂き、血が流れた。
添輝の表情に動きはなく、一切の抵抗はない。“それでもいい”と思っている。けれど、月霞はそうではなかった。
添輝の血と一緒に、数滴の涙が頬を伝った。
「しないだろう、君は。僕だって逆の立場ならできない」
「なんで……なんでなの……あなたは、なんで!」
魅力的な言葉だと思っている自分がいる。このまま一緒に逃げて、組織も何もかも捨てることができればどれだけ楽だろう。積み上げてきた日々を捨てられれば、どれほどに救われるだろうか。私の世界には、この人しかいない。
けれどそれはできない。だって、無駄じゃないから。夜と過ごしたあの日々も、アスモデウスで過ごしたあの日々も。霞がかった満月のように美しい日々だった。
そのどちらも、裏切れない。けれど、夜を殺すことで断ち切ることができる。決別できるのだ。ならば、それしか……
「逃げよう、月霞。僕たち二人で、誰もいない場所で生きよう。もう一度あの日々を取り戻そう」
「私は、アスモデウスを裏切れない!あなただってそうでしょう!?エスティオンを裏切るなんてできないでしょう!?」
「裏切ってなんていないさ。これは決別だよ。漆はいないし維守は抜け殻、元々弱くて役たたずな僕にエスティオンの居場所はない。なら僕は、君を愛し続ける」
それは月霞の選択と同じだった。
添輝夜という男は、月霞が彼と決別しようとしたのと同じようにエスティオンと決別しようとしている。月霞一人を優先するためにそうしようとしているのだ。
「私は、でも、私……」
刃を添輝が握りしめる。当然ながら彼の手からは血が流れ手のひらに傷を刻んだ。その行動に迷いはない。
手を差し出している。共に逃げようと誘う手が。どうするべきなのかわからない、私はどうするのが正解なのか?アスモデウスか、添輝夜か。どちらかを取るなんてできる訳が無いのに、迷ってしまうのは何故なんだ。
可能性を、有り得ない未来を期待しているのか。
私は、私は……
「選び、たい、この……」
手を。
彼と過ごした二人きりの夜が忘れられない。彼がそう選択したように、そう選びたい。手を伸ばし、未来を……
「何をしている、月霞千覚。その手はなんだ」
その者は絶望と共に。
名はない。ただ黒の戦士と呼ばれるそれは、腕輪の神器の中にある世界で唯一ウタマの空想のみによって構築された戦士だ。絶対的、他の戦士とは比べるのも烏滸がましい。
【創まれ堕ちろ、万魔の箱よ】【星を食み犯す者】【幻想の城に虚ろは堕ちる】【宇宙創世記、創造誕生】
彼は腕輪の神器の内部世界において神である。例えゼロであろうとカンレス・ヴァルヴォドムであろうと足元にも及ばない。そして三次元の現実世界においても、千を越える権能のうち四つを選択し持ち出すことができる。
添輝と月霞を見下ろすように立つウタマの隣には、両手に西洋風の大剣を握り背中に三本の刀を背負う、漆黒の鎧をその身に纏う戦士がいた。武器のそれぞれに刻印が刻まれ蒼く輝くそれらは、こんな状況でなければ魅入っていただろうことが容易に想像できる。それほどまでに蠱惑的だ。
「ウタマ……様……」
「添輝夜を殺せ、月霞千覚。反逆未遂はこの命令遂行をもって許そう。今までの功績も鑑みて、な」
「ウタマ様、その……私はこの男を……」
いつもなら即答し行動に移せていた。でも、今は、今だけはできない。だって、選んだばっかりじゃないか。
ウタマが深く、深く深くため息を吐いて背を向けた。
「私は、裏切りが嫌い。感情による離反が嫌い。私を見ているようで吐き気がする。それはダメなんだよ」
「ウタマ様、その、私」
「許しはしない。もういい。黒の戦士は解禁した、最低な考えではあるが私一人でアスモデウス全軍の戦力は賄える。最後まで人に頼ったのが間違いだったんだ。死ね」
まだ、声にできていないのに。
添輝が立ち上がり月霞の前に立ち塞がる。大剣を片手で振るう黒の戦士から隠すように庇うが、無意味だ。
『【《創まれ堕ちろ、万魔の箱よ》】』
こんなことになるなら、最初から声に出していれば良かった。迷う必要なんてなかった、選ぶのはわかってた。
満月の夜、偶然雲が晴れた。あの日のあなたはとても綺麗で、私が愛したあなたそのものだった。二つに別れて終わってしまった、変わったように思えたあなたは変わってなんていなかったんだ。あなたも私を愛していた。
今日は、月が見えない。
『追跡者』月霞千覚。
『憶愛者』添輝夜。
脱落。
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月は崩れた、翼はもがれた。
愛を追い求める者は、愛の変化に戸惑う者は、すれ違い想いを交わすことなく死んで行った。いずれ消えゆき決別するであろう愛と恋慕は、果たして終わりの時まで心に。
いつかの世界で、歌をまた聞けるだろうか。
次回、『To live me』
人は己を生きる。悪魔は己を奪う。
ご拝読いただきありがとうございました。
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