Episode 18 Man left behind, man taken【3】
グレイディが持つ神具の内の一つに蟲の魔球と呼ばれるものがある。無数の蟲で構成された球状の神具であり、一つ一つがグレイディの意思に従い蠢くおぞましい神具。数で攻める戦法を取る際はなくてはならない神具で、グレイディはかつてこれを用いて千匹単位で出現した鼠の擬似魔神獣の大群を一人で殺し喰い尽くしたことがある。
この蟲の魔球で注目するべきところ。ほとんどの人間はその群体性にあると見るだろう。蟲の魔球は言わば群体として動く単体。それぞれが別の思考、運動をすると対面した敵は考えるのだろう。戦闘の際、敵とのその認識の差異は大きな隙を生むことができる。
だがグレイディが注目したのはそこではなかった。彼が注目したのは、そのサイズだ。
彼は可能性を模索することに余念がない。それは妄想力と言い換えることもでき、彼が愛蘭に自身の恋心や未来のビジョンを説く際にやけに詳細なのはそこが起因する。
常日頃から考えていたことだ。脳の中枢、各関節、神経系といった肉体を駆使する上で重要な位置に蟲を潜ませれば、運動の稼働範囲は大きく上昇するのではないか、と。
今回はそれを緊急治療に応用したに過ぎない。破壊され脳漿が溢れ出す頭部の中身を、思考が可能なレベルまで治療するにはこれしかなかった。
そう、彼は自身の脳内に蟲の魔球を放ったのだ。
「まあ?霞とのいちゃらぶがもうできねえのは残念だけどよお、あの世で出来ねえとは限らねえよなあ!」
「貴様、遂に狂ったか……!そんなことを思いついたとして、一体誰が実践しようなどと思うのだ……!?」
「勝てばいい!取り返せればいい!霞もきっと、復讐一つ果たせねえ、夢一つ叶えられねえ男は論外だって言うだろうよお!霞は根っこから葉っぱまで、完璧な女だからなあ!」
グレイディがパルアプから手を離し、一瞬で爆の魔球を取り出し叩きつける。咄嗟の判断でパルアプもメルヘレルの真空の砦を発動し爆発を無効化する。自爆のような攻撃だ。グレイディ・ウェスカーはここまでする男だったか?
先程までの原始的な殴り合いはどこへやら、戦闘は神具を用いたダメージを与えるための闘争へシフトした。
壊れるほど鮮烈に、浴びるほど豪快に。光、熱、炎。捉えきれぬ死と敵意の奔流。拳とは比較にすらならない圧倒的なまでの“力”。笑う、嗤う。この闘争を、嗤う。
「言ったな、パルアプ・ティーク!弱者に差しのべらる手をおれが取ったと!それが耐え難い絶望なのだと!」
七色の光を放つ、属性を操る神具。三千魔界剣。パルアプの立つ地面に向けて薙ぎ払われたそれは凄まじい熱量をもって大地をガラス化させ、一瞬の隙を作り出す。
片膝が折れて地に手をつくパルアプの顔面を全力で蹴り上げ、仰け反った上半身を下に押さえつけるようにもう一度三千魔界剣の能力を発動、台風のように渦巻く風がガラス化し熱を孕んだ大地にパルアプの全身を押し付けた。
「ならば貴様は、我が父が残した唯一の遺産を奪った貴様は考えたことがあるのか!あの無力感と虚ろな毎日を!」
グレイディがそうされたようにその頭部を踏みつけ、幾度となく足を振り上げ下ろすのを繰り返す。決して致命的なダメージは与えない、こいつはまだ苦しまなければならない。
脇腹を強く蹴り上げ、複数の神具で強化された超人的な力がパルアプの大柄な肉体を宙に浮かせた。氷塊侵食を軽く空中に放り投げ、その肉体を吹き飛ばすような蹴りと同時に能力発動。一瞬だけパルアプの脇腹を凍りつかせ、砕く。凍傷と砕氷のダメージがパルアプを襲い、内臓まで傷付ける。
「確かに貴様は弱者だったかもしれん、おれは強者だったかもしれん!だが、何もない貴様とは違いおれは残されていたのだ!たった一つの幸福の残滓を、お前は奪い去った!」
息を切らしたグレイディが、地に伏してまったく動かないパルアプを見下ろしながら声を荒らげる。
グレイディはこの地平で得られる全ての幸福を甘受していたといっても過言ではないだろう。家族がいて、愛されていて、満たされていると確信できる毎日があった。あんな終わり方さえしなければ、ただ愛に満ちていたと。
そう、確信できる。
パルアプの過去は誰も知らぬ。あまりにも幸福とかけ離れていたかつての日々を知らぬ、知ることを許さぬ。血で血を洗い流す闘争の毎日を、探ることすら禁忌とする。
「貴様とおれは、どこまでも対極だ。満たされていたおれと満たされなかったお前。さらけ出した本音すら相容れない」
グレイディはどこまでいっても家族を愛している。失った今も愛している。かつての日々を取り戻す為ならば、この命を失ってもいい。愛蘭への愛は本物であっても、その優先順位は家族よりも下。何よりもかつてを追い求める男。
対してパルアプは家族などいない。かつてなど愛してはいない。むしろあの穢れきった日々を洗い流すような生を得るために、己の過去に復讐する。あの時得られるはずだった幸福を奪った眼前の男を、凄惨に殺す。そうして初めて、己の生は始まるのだと信じている。そうするべきだと。
「……ここで死ね、パルアプ・ティーク。貴様はこれ以上生きるべきではない存在だ。もう誰からも、何も、奪うな」
戦闘の余韻で少しの冷静さといつものクールさを取り戻したグレイディが、炎を放つ三千魔界剣をパルアプの背に突き刺して捻る。焼け焦げた肉から血が滲み、静かに零れた。
「弱者のまま、幸福を知らぬまま、死ね」
その言葉と共に三千魔界剣を引き抜く。パルアプには何の動きもなく、グレイディの言葉の通り死んでいく。
そのまま数秒間、まったく動かないパルアプを監視して死亡したことを確認してからすくい上げるように蹴り、体の上下を逆にする。かつて奪われた神具を取り戻さなくては。
パルアプとグレイディの強さから考えると、グレイディが勝利できたのは偶然の側面が大きい。純然たる実力はパルアプの方が圧倒的に上なのだ。頭蓋への直接的なダメージによりハイになったグレイディへの衝撃によりパルアプが実力を十全に発揮できなかった。殴り合いから神具を用いた戦闘へと突然シフトした。それらの偶然がこの勝利を生んだ。
分厚いマントをめくって神具を取り出す。一つ一つが懐かしい、かつて見た父の形見。
「ようやく……ようやく、全て手に」
「殺した程度で油断するなと言ったのは貴様のはずだぞグレイディ・ウェスカー」
声は直下から。
複数の神具で強化されているにしても有り得ない剛力で首を掴まれる。凄まじい重圧がグレイディの細首を襲い、ボギゴギとしてはいけない音が聞こえる。
「ば、かな……貴様には、おれのような手段は」
「死ねないんだよ、俺は……あいつらが、俺を死なせてくれないんだよ……あの日々が、俺を死なせないんだよ!」
パルアプの手に込められた力が増し、指が肉に食い込み始める。血管が破裂して血が噴き出し、体温が急激に低下していくのがわかる。その腕を握りしめて抵抗しても、あまりにもパルアプの力が強すぎて微動だにしない。
『殺せ、子供の肉だ!新鮮な肉だ!』
『貴重な栄養だ、血の一滴も無駄にするな!』
『殺す、殺ず殺ず殺ず殺ず殺ず殺ず殺ず殺ずゥ!』
ああ、記憶が邪魔くさい。ずっとずっと、脳裏にこびりついて離れないかつての闘争の日々が、昨日のことのように思える。血に濡れた手が、俺の頭を掴んでいる。
腹に食いついてくる狂人がいる。足を奪おうとする狂人がいる。内臓を引きずり出そうと手を伸ばす狂人がいる。
こんなに鮮烈に覚えている。
「俺は、取り戻したくて……忘れたくて、力が欲しくて、耐えられない……くそ、クソォ!貴様の、力さえあれば!」
血が失われ薄くなっていくグレイディの意識、視界。その中でパルアプは血涙を流しながら発狂していた。己の全存在を賭けて敵を殺す、典型的な狂人の目をしている。
何か、何か状況を変える何かが必要だ。パルアプを止めらる何かがないか、何か……
「ぐ……おお……」
パルアプの腹から血が滲んでいた。意識がほとんどない状態での能力発動は不可能であり、ただ七色の光を放つだけの三千魔界剣がパルアプの腹を刺し貫いたのだ。
命の灯火が消える前の鮮烈な輝き、火事場の馬鹿力とも言われるそれがパルアプの筋肉を躍動させ、グレイディの首を一層強く握りしめ首の骨を完全にへし折った。
力を失ったグレイディが倒れ込み、パルアプの両手も同じようにして力を失った。両者とも目は虚ろで、これから訪れるであろう死を知覚しながら恐れていない。
「……最後の、最後で……油断、した、か……」
それは人の原動力、感情。そして記憶。パルアプに深く刻み込まれたかつての日々が命すら繋いでみせたのだ。
もう動けないパルアプのマントの下に隠された神具を掴み引き寄せる。業焔豪爆、氷塊侵食と対を為す炎の神具で、一粒の火種から発展して大火となる能力を持つ。
「間際にお前を、手に、するか……はは、因果だな」
思えばあの日も、炎に包まれたんだった。
死を前にして逆にはっきりし始めた意識の中で、もういない家族を想う。今も戦っているのだろう愛蘭を想う。いつか遠い未来でもう一度、出会えるかな。
業焔豪爆の能力が発動し二人を包み込んだ。肉や皮の焼ける音、黒い煙、鼻を突く臭い。
断罪闇刀の刀身を構成する闇の粒子が持ち主の意識の途絶と同時に崩壊し、グルミレルの繁栄の証明の拘束を解く。ガラリカラリと、乾いた音が荒野に響く。
いつか家族になれる日が、訪れることを願って。
『妄執者』グレイディ・ウェスカー。
『復讐者』パルアプ・ティーク。
脱落。
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死亡に次ぐ死亡、脱落に次ぐ脱落。
かつてを取り戻さんとする妄執に囚われた者。それでいて未来を夢見て、矛盾した自己を肯定する男。
かつてを洗い流さんとする復讐に囚われた者。全てを忘れようとして未来を得ようとする臆病な男。
似たようで違う彼らは、夢の中で去って行く。
次回、『Primordial Runaway』
その者は、誰にも知られず原初を刻む。
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