Episode 16 Mother and daughter and sister and sister【1】
通された部屋はおもちゃだらけで、遊ぶ気分じゃないって言っても大人の人は黙ってる。カラフルな装飾は今の気分には酷く滑稽なほど合っていなくて、どんな仕組みかわからないけどファンシーな音が鳴り続けてる。うるさい。
中に通されれば大人は皆出て行って、扉の側で黒い鉄の筒を胸の前で構えた。遊ぶことを期待しているのだろうか。
「……………………嫌だな、一人で遊ぶのは」
振れば音の鳴る目の痛くなるような色の膜を貼った鈴付きのおもちゃ、むちゃくちゃに色紙を詰め込んだ大きなクラッカー、車輪のついた乗り物の形をした水蒸気の出るおもちゃ。どれもこれも馬鹿らしい、眠っている方が有意義だ。
手に取れば、気を張りつめていた外の大人の空気が少し緩んだ。やっぱり、子供の役割は“それ”なんだ。
お母さんが亡くなってから、まだ三日。
原因はわかってる、私の胸にある鬱陶しい宝石の岩。何かを動かすことを考えながらものに触ると、思った通りにそれが動く。信じてないし嫌いだけど、神さまみたいな力。でも使いすぎると頭が痛くなる、おかしな力。
これを拾ったのは三日前。瓦礫が崩れて、その下から出てきた。綺麗で、母さんが喜ぶと思って手に取った。半透明に光ってて、いつも泥だらけの服を着てる母さんの近くにあったら、母さんも光って見えるかなって思った。
『あなたは頭がよくて、心の中がよく輝いてる。私よりあなたが持っている方が綺麗で、可愛いわ』
でも母さんはそう言った。私は母さんの方が似合ってると思ったけど、母さんがそう言うなら私がもらうことにした。
でもそれは、それだけは。やっちゃいけないことだった。
朧気で、でもしっかり覚えてる。母さんの服に触れて、汚れた服が母さんの首を絞めた。気道圧迫、頸動脈封鎖。接続された七つの首の骨……頚椎断裂、脊髄粉砕。生まれた時から持ってる頭が、確実な情報を脳に直接伝えた。生まれて初めて、こんな頭を恨んだ。壊れてしまえばいいと思った。
泡を吹いて、白目を剥いて。もがきながらゆっくりと命が絶えていくその様を。最愛の人の桃色髪がそれでも美しく揺れて、醜く跳ねる体を何もせず眺めてた。
そうしたのはお前だ。
そうさせたのはお前だ。
殺したのはお前だ。
死なせたのはお前だ。
首を絞めて殺した。
骨を折って殺した。
息を止めて殺した。
血の流れを止めて殺した。
何もしなかった。
何もできなかった。
動けなかった。
動かなかった。
輝いていた。輝かせた。
なのに悔やむのか、この人の死を。
そんな資格はないことは、お前が一番わかってるだろう。
泣いたりしない。泣いちゃいけない。悔やみはしない。悔やんじゃいけない。誰が殺した?お前だろう?誰を死なせた?お前の大好きな母親だろう?お前が殺したんだろう?お前が委ねたせいで死なせたんだ。お前が意地でもあの人に渡せば、母さんは死なずにすんだ。より綺麗になれた。
責めろ、責めろ、責めろ、責めろ、責めろ、責めろ、責めろ、責めろ、責めろ、責めろ、責めろ、責めろ。
お前がお前を責めれば、母さんもきっと喜ぶ。
「暴走だね。母親を失ったショックで停止が早かったのは不幸中の幸いだ……あ、いや、気を悪くしないでくれ。その、あれだ。僕らは被害範囲を見なくちゃいけなくて……」
「わかってる。……エスティオンの食料配給には母さんもお世話になった……ありがとう、感謝してる」
「君……君は、自分を責めすぎだ。誰を責めろとは言わないが、今回のことは誰も悪くないんだ」
「いいや、私が悪い……私が、拾わなければ……母さんに押し付けていればまだ生きてた。私が全部悪いんだ」
天道道流と名乗った、優しい……優しい男との短い会話。黙って同じ顔をしてる他の大人とは違って会話ができて、笑ってくれた。慰めるための笑みだってわかってたから、心地よかった。それでも突き放す自分がもっと嫌いになった。
天道は困ったように笑って、頭に触れて撫でてくれた。覚えていないが、あれが父親というものの感触なのだろうか。
それからまた怖い顔をした大人の人が私を連れて行った。息の詰まる子供部屋、贅沢な材料をふんだんに使った大量のおもちゃ……子供の対処といえばこんなものか。私はまだ十歳にもなってなくて、彼らからしたらまだ子供。
「……まだやってくれてるんだ、優しいな……」
適当におもちゃを触りながら外を見ていると、天道がずっと鉄の筒を構えた人に怒鳴ってる。でもずっと手を振りながらあしらわれてて、まるで相手にされていない。
唇の動きを見る。『彼女にこんな部屋は無意味、いいや、もっと苦しめるだけだ!わかっているだろう!?』
本当に優しいんだな、あの人は。私のこともよくわかってる……ああ、涙なんて流さないで……それは、無意味。私みたいな無価値な人間にそれはいらない。必要ない。必要になったらいけない。私はそんな人間じゃないんだから。
「辛いな……うん、とっても、辛い……」
おもちゃを手に取る。親子のお人形。
――――――
血が。刻まれている、大地に。
「どこに行ったんだ……出て来い……受……」
視界の真ん中で線のように光っていたそれは、掴むとするすると体に馴染んだ。指の先、首筋。目や耳や鼻、爪と肉の隙間……体中の穴という穴から入り込んで、筋繊維や神経の一つ一つとくっついていくような感覚がした。
歪で醜悪なはずのその感触がどこか気持ち良くて、隣に座っていた妹のことを一瞬だけ忘れてその快感に身を委ねた。瓦礫の山、灰の世界、紅の螺旋……
気付けば地獄が生まれていた。
糸が彼女……愛蘭霞の全身から放出され、竜巻のように周囲を巻き込んだ。触れれば切断、更に切断、切断切断切断……螺旋を描く糸の嵐は人もそれ以外の区別もなく原型をなくすまで切り刻み、世界を塗り替えたかのようだった。
「受……もう大丈夫だ、どこに……受……」
たった一人の妹も巻き込んでしまった。彼女の温かい血液が頬にかかったその時、目が覚めた。
わかってる、誰も悪くない。快楽に身を委ねるのは人の本能とでもいうべきもの。視界の中に煌めく何かを意識し、手を伸ばすのも同様だ。わかっていればしなかった。こんなことになるなど、わかる者は誰一人としていない。
故に、誰も悪くない。強いて誰か……何かに悪を強いるとするならば、それはこの糸だろう。
体中に糸の跡がある。無意識に自分も痛め付けていたのか、溢れ出す血液は濁流となって周囲を濡らしている。
「受……受……受……!」
大事な妹だ。母も父も幼い頃に死に、二人で生きてきた。生まれつき自分の意思を持たず、誰かの言うことを聞いて生きてきた。喋らず顔を動かない、不気味と思われてもしょうがない妹だったが、それでも大事で、命にかえても守るべき愛しい存在なのだ。
ずっと笑っていてくれる子だった。無表情でい続けるのは辛いだろうと、笑っていればいいと言ったきりずっと笑ってくれた。それが本人の意思とほとんど関係ないとわかっていても、そうしてくれることが嬉しかった。
受はすごい子だってのは、ずっと前からわかってた。
肉を失ったりしていない限り、朝の怪我が夜にはもう治ってる。切り傷も擦り傷も火傷も、骨が折れたって治ってた。お母さんたちは神さまが受の心の代わりにこの力をくれたんだって言ってた。言い訳だってことは、知ってる。
『こんな力より、この子の言葉が聞きたい』
お父さんとお母さんは、そう言って毎晩泣いていた。二人の大粒の涙が濡らした地面の黒色を、いつまでも覚えてる。
当然のように両親は死んだ。あたしたちは一人でも何とか生きていけるぐらいの歳にはなっていて、周囲の子供たちと比べてそれがどんなに幸運かはよくわかってた。驕るでもなく自慢するでもなく、ただ幸運とだけ思って生きた。
色んな所に行った。
お母さんたちの意思とは関係なく、あたしが受の心を知りたかった。本心で笑う彼女を知りたかった。彼女の本当の言葉を知りたかった。話をしてみたかった。
擬似魔神獣と擬似魔神獣が戦うのを見た。遠い遠い力を持つ怪物が互いの命を奪い合う光景は、言葉にできない感動と衝撃を心に刻んだ。受は何も言わなかった。
星と月が共に輝く夜を見た。雲がなくて晴れた夜空、新鮮だということもあるが何より美しかった。幻想的で虹のようで、星の一つ一つが太陽のようで。月は中心で自分を主張しながら輝いて、王と兵のよう。受は何も言わなかった。
人の死体に群がる人を見た。飢えている彼らは、道を一つ違えた自分たちのようで怖かった。世界は美しさだけじゃなくて醜悪な光景も満ちていた。受は何も言わなかった。
迷いと挫折が連続して、心が砕け散りそうになったこともある。そんなもの、数え切れない。
どうすればいいかなんてわかるはずがないじゃないか。ただの一度も喋ったことのない、人形のような妹。笑っていろと言ったから笑っているような妹。大事で愛しているけれど、ただそれだけの妹。たったそれだけの妹。
でも、諦められない。話がしたい、声が聞きたい、心を知りたい。そのために、続けるしか道はないじゃないか。
ただ、あの日あの時あの場所でだけは。
親のせめてもの慈悲なのだろう、この世界にしては清潔な布に包まれた赤子が地面に捨てられていた。おぎゃあおぎゃあと命を叫ぶその赤子に、受は。
「………………!」
笑わなかった。笑うのをやめた。心から大事で見過ごせない何かを目にして、成長していない命を目にして。彼女は生まれて初めて……“必死だった”。
泣き叫ぶ赤子を抱いて、助けを求めるように慌てていた。あたしはそんな光景を目にして、何も出来なかった。
三日だ。三日もそこにいた。受はあらゆる手を尽くして赤子を生かそうとした。乳はない、赤子は何か食べられる歳じゃない。新鮮な肉を求めて襲い来る人間は後を絶たず、その撃退にも命懸けだった。姉妹二人での初の共同作業が人殺しだなんて思いもしなかった。
人を殺しておきながら、受が初めて表出させた感情を手助けできることに喜びを感じていた自分に嫌悪が募った。
あたしは、そうまでして。
「走馬灯……ってやつか……はは」
もう歩けない。
誰かの血、何かの残骸。血の海に溺れていく。その中に愛する妹の血もあるのだろうか。そんな、悲しいことが。
生まれ変わったら、今度こそ、一緒に……
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