Episode 12 Absolute justice【3】
「マサカコンナ切リ札ガアルナド、ワカルワケナイダロウガ!ド畜生メ、陰湿ナ女ダナ!」
初撃を食らった時は衝撃のあまりわからなかった、思い出せなかったが、この気持ちの悪い肉と神器の塊は『融滅』の制作物だったはず。戦場のどこかでコレに指示を出している『融滅』を、戦争開始時に観測していたはずだ。
その攻防がどれだけ続いたか、わからない。数分な気もするし数時間な気もする。ただ一つ知覚できているのは極度の肉体と脳の疲労だ。この体になって初めての感覚だった。
足元が覚束ない、糸を吐き出している感覚がない。妖姫星の声も聞こえず、絶えず鳴り響く大地の悲鳴も聞こえない。まるで世界が止まったような感覚の中で迎撃を続ける。
(ナンデ、戦ッテイルンダ、ボクハ……)
本人たちは知覚していないが、彼らは神の欠片をその身の内側に取り込んだ時点で肉体的にも精神的にも成長が停止している。だがそれは感情が不変だということとイコールにはならない。彼の中で燃え盛っていた憎悪と憤怒は長い時の中でゆっくりと風化し、いつ冷めてもおかしくはなかった。
だが彼は勝ち続けた。踏みにじり続けた。それが彼の中にある憎悪に油を注ぎ続けたのだ。ただ与えられた力を操るだけで、糸を吐き続けるだけでそうできた。
そして今。この体になって……否、戦いを知らなかった人間時代を含めて初めて死に瀕している。極度の疲労に襲われ死を幻想し、地獄の門の錠を外そうとしている。
(人ハ愚カデ、残酷デ……ボクタチコソガ正シイ人デ、取ッテ代ワルベキデ……アア、ドウデモヨクナッテキタナ……)
真の悲しみを、深い絶望の終わりの見えない奈落の底を覗いた自分たちこそが世界を制するに相応しい。そんな思いで参加した戦争を、初めて放棄しようとしている。
綿密に計画を練った。妖姫星の気持ちを無下にして、無理やり付き合わせてこき使って。人類への憎悪を抱きながらひたすらに走り続けた。そうすることしかできないと思って、それだけが正しいのだと思って、そう信じて。
それだけだった。それだけがあった。それしかなかった。盲目で、愚かで、こんな感情をなんと言うのか。
「ソウダ……ソレダケガ……」
その時、隷属星の直上、地表に突如として“爆発が発生した”。原因不明、というより原因がない。現象としての爆発、その結果だけがこの世に出現した。ほぼ最大出力の釘の神器による爆発だと、その場にいる全員が気付かない。
その爆発により崩れた地表が土塊となって妖姫星に降り注ぎ、彼女の体を埋めた。辛うじて頭部だけは露出させているが体が動かせない。いや、今の問題はそこではなかった。
動きの止まった隷属星の上にも土塊は降り注いでいる。妖姫星は動けなくなるだけで済むが、隷属星は死ぬ。
「隷属せ……!」
振り絞った声は隷属星には届かない。意識がなくなってしまったかのように動かない隷属星の直上から破滅の音が聞こえる。そして彼は、“それでもいい”と思っている。
彼の中で渦巻いていた憎悪は、消えかけている。あの日から自分が犯した罪、犯させた罪、それらを意識してまでまだ戦い続けられるほど彼の心は強くなかった。
寧ろ清々しい気分にもなってくる。この感情を、彼は知らない。これがなんなのかわからない。わからなかった。これしかないと盲信し、そう思い込めるこの感情を。
だが、今なら朧気にわかる。脳裏にあの男の姿が浮かび上がり、相も変わらずやかましく説いてくる。
「コノ、鬱陶シイ感情ガ……」
それは唐突だった。唐突すぎた。時計の針を逆向きに回したような時の遡行、しかもそれは全体ではなく局所的な現象だった。妖姫星を拘束していた土塊、隷属星を押し潰そうとしていた土塊だけが元に戻る。崩壊した地表にパズルのようにはまっていった。何故かはわからないが震えていたEvil angelがたじろぎながら後退するような動きをみせた。
「正義ト言ウノダナ」
「我ッ!絶ッ!対ッ!正ッ!義ッ!」
爆音を地下空間に響かせながら、それは天使のように現れた。いつから隠れていたのかはわからないが、妖姫星の目の錯覚でなければ地下の更に下から出てきたように見えた。
鎧のような様相、風も吹いていないのにマントをたなびかせるその姿、あまりにもやかましいその声。聞き覚えしかないその声は、今の彼らにとっては希望の象徴であった。
「正義を呼んだな、弱き者よ!ならば我はどこへなりと駆けつけよう!地の果てであろうと空の彼方であろうと地獄の底でも極楽の浄土でも!なぜならば、そう!」
拳を振るう。地下空間が全て元通りになり、Evil angelの肉が陥没した。弾け飛び肉と血の雨を降らせる。先程までと比べて、明らかに再生が遅かった。
隷属星と妖姫星は言葉を発することができない。ただ無様に口を動かすだけで言葉は出てこず、その衝撃は歓喜に近い。その男の名は、その絶対の名は。
「我は、絶対正義であるからだ!」
アヴルト。又の名を絶対星。
――――――
「アヴルト……?本当ニ、アヴルトナノカ?」
「弱き者よ、我は貴様を知らぬ!我は正義であるが故だ!だが貴様は我を知ると言う、我が正義であるからだな!」
アヴルトは隷属星を一瞥すると、Evil angelに向き直った。妖姫星と隷属星を同時に相手取っていたはずのその巨躯は、産まれたての子鹿もかくやというほど震えている。
体中に穴が空いた。神器が覗き、光を放ち始める。先程までと比べてあまりに遅い神器の展開はどこか滑稽で、このおぞましい生命体にもちゃんとした恐怖や畏怖といった感覚があるのだと認識できた。
酔裏のもたらした爆発はあくまで地表だけのものだった。愛蘭の予測していたEvil angelの全身爆発には至らなかったのだ。だがあれだけの規模の爆発に、“空間が下にある”地面が耐えられる訳もなく崩壊するはずだった。
だがそうはならない。アヴルトの能力によってそれは防ぎれたのか。何故か?それは彼が絶対正義であるからだ。
彼はセイナーによって神の欠片を埋め込まれ、結果として力を使い果たした後に数十年の眠りについた。次に目覚めるのはいつになるか、正確な時間はセイナーにすらわからなかった。その眠りは計画的でも、その後は偶然に任せた。当初の計画ではアヴルトとデゥストラは世界を崩壊させた後にセイナーたちが殺す予定だったのでそれで良かったのだ。
しかしセイナーは彼らを殺す前にデゥストラに取り込まれてしまい、それからアヴルトの行方は不明だった。
彼が目覚めたのは“十秒前”。今なお魔神獣と呼ばれる存在が眠る旧アメリカの大地で死んだように眠っていた。その目覚めと戦争の開始時期が近かったのは偽りのない偶然だ。
そして彼は、隷属星の言葉を聞いて瞬時に能力を発動。旧東京の地下の地下に転移し、彼を救うべく出現した。
彼の能力は“己が絶対正義であると信じる限り全てを為す能力”。かつて世界の破壊、その第一段階を実行したときもこの能力を行使した。自我を剥奪されていても彼の中にある正義は不変。己こそが正義だとずっと信じていた。
その能力は時間すら操り、座標をずらすことさえ可能とする。人類がどれだけ時間をかけても辿り着けなかった瞬間移動やタイムトラベルを、ただ信じるだけで為せてしまう。
「我は正義、弱者を助ける正義!そして貴様は弱者、それを痛めつけるあの肉塊は悪である!よって我こそは!」
アヴルトのその声と同時にEvil angelが神器の能力を発動し、爆発的なエネルギーがアヴルトを襲う。
もしこれが妖姫星や隷属星であったのならば、今頃地下空間には悲痛な叫びが響き渡っていただろう。だが、Evil angelは知らない。隷属星たちは知っている。ソレが矛先を向けたのは、アヴルトだ。それはうざったらしく鬱陶しい、けれどこの世の何よりも巨大で正しい……
「絶対正義であるッッッッッッッ!!!!!!」
全てのエネルギーがEvil angelに跳ね返り、肉が弾け飛んだ。二度と再生することはないのではないかというほど木っ端微塵になり、血と肉の雨すら降らない。
その力には、感嘆する他ないだろう。彼が現れた時点でこの戦争は決したようなものだ。消えかかっていた炎が、隷属星の胸の中で再び燃え盛り始めるのを感じた。彼さえいれば戦争の勝利など容易を通り越して当然となる。
ゆっくりと近付き、あの頃のように声をかける。暴力の化身として力を振るった彼のことはもう忘れよう。今ここにいるのは、変わらぬままの狂信者であるアヴルトだ。
「久シイナ、アヴルト。相モ変ワラズ狂気的ナ正義へノ信奉、恐レ入ルヨ……イヤ、己へノ信奉カ?」
「先程も言ったがな、弱き者よ!」
アヴルトは隷属星を見ない。それは、かつて彼が語っていた理想の正義の味方そのものの姿だ。
『正義の味方は弱者を見ぬ!正義は正義と悪のみを見る!』
悪寒が走る。嫌な予想だけが脳内を駆け回り、そしてそれを否定する材料が何一つないのが腹立たしい。
神の欠片と適応した人間は自我を喪失する、又は変質することがある。妖姫星がいい例だ。活発的でよく喋る性格だった彼女は、今は物静かで動くことを好まない正反対の性格になってしまっている。
それは記憶の変質ではない。だが、少なからず記憶への干渉は存在する。恐慌星と妖姫星は母を求めており、それは染黒によって改竄された記憶とも言える。
「我は正義である!正義は弱者を見ぬ。正義が見るのは!」
ならば記憶そのものがなくなることはあるのだろうか。残酷だが、答えを出すのならばYESだ。神の欠片などという人の身には過ぎたる力、いくらセイナーによる補助があったにせよ適合してただで済むわけがないのだ。
その影響はまず肉体に現れる。次に性格、そして人を人として構成する、記憶。
肉体の変質では到底足らず、また彼の性格はいかな神といえどそう易々と変えられるようなやわなものではなかったらしい。ならば変質するのは、記憶しかない。
「マサカ……アヴルト、オ前……」
「正義と悪のみである!」
その宣言は、果てしない残酷さを孕んでいた。
思わず妖姫星が口を挟む。微笑みながら隷属星とアヴルトの会話する様子を眺めていた彼女も、我慢できなくなったらしい。焦り、困惑した様子で取り乱している。
「あ、アヴルト!ねえ、アヴルトお兄ちゃん!」
「なんだ弱き者よ!巨大な体の弱き者よ!我は貴様の兄と呼ばれる筋合いはないはずだが!?」
嗚呼、なんて残酷な現実。こんなにも悲しいことがあるだろうか。
第一の星は道を違えた。第二の星は母に殺された。第三の星は自己を剥奪された。第四の星は母を求めて兄と共に進みたくない道を進み続ける。第五の星は憎悪と憤怒に支配され、第七の星は世界を滅ぼし眠りに堕ちた。
そして、第六の星は……
「我は貴様らを知らんのだからな!」
全ての過去を失った。
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星は集い、輝きを増す。光を放ち、歪に狂う。
番外たる第四と第五の星は、正式な参加者である彼女の切り札によって脱落しかけたが第六の星に救われた。しかしその再会は感動的なものではなく、残酷なものだった。
邪悪な天使は笑わない。彼女の目的の終着点でありながら力の根源、その象徴たるその邪悪な天使は。
次回、『Moon and wings』。
月夜の闇に、白き翼が舞い踊る。
ご拝読いただきありがとうございました。
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