第十八集:兄友弟恭
「兄上! いますか!」
わたしは帰宅後すぐに蜜柑堂へ行き、兄を探した。
清廉な薬の香りが漂う蜜柑堂は、様々な人々でにぎわっている。
赤ちゃんを抱いているご婦人や、杖を突いて足を引きずっている青年。
薬を取りにきたお使いの子供や、従者を連れた見るからに富貴な人。
薬舗を併設しているために、質の良い薬草などを売りに来る行商人も後を絶たない。
両親の弟子たちが感じよく対応しているのを見ると、ここは働く場所として素晴らしい場所なのだな、と、なんだか嬉しくなる。
「翠琅坊ちゃん、おかえりなさい」
「ああ、葉さん。ただいま。兄上いる?」
「世子様は調剤室にいらっしゃいますよ」
「わかった。ありがとう。あと、世子様なんて呼んだら兄上また苦笑いするよ」
「ほほほほほ」
白い髭をなでながら、葉は満足そうに微笑んだ。
「わたくしは長公主様と同じ呼び方をしただけですから」
「おばあさまを出すの、本当にずるいよなぁ」
「ほほほほほ」
葉は綺珠長公主が輿入れする際に一緒に姜家にきた侍従。
祖母の遺言にのっとり、兄弟の中で一番身体の弱かった次子を支えるために、今も現役で侍従長として仕えてくれているとても穏やかな老人だ。
「じゃぁ、また夕飯の時に」
「おや、翠琅様はまた、従者たちの食事に紛れ込むおつもりなのですか?」
「だって、姉上があの話をしようとするから……」
「……わかりました。翠琅様のお席を設けておきます。お父上とお母上にはわたくしから伝えておきましょう」
「いつもありがとう、葉さん」
葉は少し悲しそうな顔で微笑んだ。
わたしの姉はとても穏やかで優しくてまさに淑女といった人物なのだが、根がまっすぐで、ゆるぎない芯を持ち合わせている。
だから聞いてくるのだ。わたしと両親が共有している、あの秘密を。
両親も兄と姉を巻き込む気はなく、梅寧軍のことはまったく口にしない。
わたしのことも本当は巻き込む気はなく、父と母はぬぐい切れぬ悲しみを抱いたまま、その秘密を墓まで持っていこうと思っていたくらいだった。
でも、わたしはそういうわけにはいかなかった。聞き出し、妖精女王に答え合わせを求め、すべてを知ってしまった。
それ以降、わたしと両親には大きくて重い約束事が出来た。
『兄、梨鶯と姉、清陽には、梅寧軍のことも弥王様のことも絶対に話してはならない』と。
姉はもうすぐ嫁ぐ。だからこそ、知っておきたいのかもしれない。
わたしと両親が見る悪夢のことを。
「調剤室行ってくる」
「はい。いってらっしゃい、坊ちゃん」
わたしは蜜柑堂の中をすいすいと歩き、「坊ちゃん、おかえりなさい」と声をかけてくる両親の弟子たちに「ただいま」と返しながら調剤室に向かっていった。
「兄上ぇ!」
「お、翠琅か。おかえり」
「ただいま帰りました」
百味箪笥の前に陣取って長机にたくさんの乾燥した薬草やら実やら種を籠に入れて広げ、薬効が載っている書籍を片手に調剤をしているこの美男子がわたしの兄だ。
青光りするほどの黒い長い髪を上半分でお団子に結い、下半分は背中に広がるように垂らしている姿は、有名な画家が描く美人画のよう。
それでいて肩幅も腕の太さも手の大きさも概念としての男性らしさがあり、よく見れば美男子と言うより美丈夫と言った風情がある。
純白の深衣に紫色の上着がよく似合っている。
羨ましい。わたしにはない、いわゆる『男らしさ』を持って生まれた人物だ。
「調剤してほしいものがあるのですが」
「お、また珍しい薬草か? それとも何かの肝?」
「これです」
わたしはポシェットから氷血桂影草を出して渡した。
「おお……。すごいじゃないか! さすが翠琅。私の自慢の弟!」
「へへへ。粉薬か丸薬にできますか?」
「どっちがいい? この量なら、子供用に飴にしてもいいな」
「兄上におまかせします。一人分の薬さえあればいいので、残りは全部差し上げます」
「……また危険なところに行ったのか?」
兄は心配そうな顔をしてわたしを見てきた。正直、兄と姉のこういう顔に、わたしは弱い。
「大丈夫ですよ。わたしは強いですから。ご存知でしょう?」
「強いのは知っているが、それでも私の弟。いくつになっても心配なんだよ」
「……ありがとうございます。気を付けて仕事をしているので、ご安心ください」
わたしは笑って言ったつもりだったのだが、兄には通じなかったらしい。
兄が診察用の目をしている。
「脱げ」
「……け、怪我してませんってば!」
「ダメだ。診察する」
「ひぃっ」
有無を言わさず診察室へと連行された。
一通り傷の有無を調べられ、脈を測られ、熱を測られ、出来る検査をすべてされた。
「……ぶ、無事でしょう?」
「……お前は仙子族だからな。人間とは違うから一概には言えないが……。まぁ、健康と言うのには偽りはないようだ」
「嘘なんかつきませんって!」
「怪しい。もしかして、何か大怪我でもしたんじゃ……」
心臓が跳ね、鼓動が激しくなる。たしかに、出血多量で倒れたが、そんなことを知られたら、実家に軟禁されてしまう。
わたしは必死で鼓動を鎮め、笑顔を作った。
「怪我をしたらちゃんと申告しますから」
「今、首の血管、脈が速かったぞ」
「ぐぬぬぬぬ」
兄は盛大な溜息をつきながら、わたしを見た。
「頼むから、心身ともに大事にするんだぞ」
「はい。必ずそうします」
わたしは着替えながら元気よく答えた。
兄はまた溜息をつき、観念したように微笑んでくれた。
「氷血桂影草の薬は明日には出来るから、今日はもうゆっくりしとけ」
「はぁい!」
わたしは「失礼します」と言い、診察室を後にした。
廊下から見える中庭に降り注ぐ陽の光はとても優しく、見ているだけでほっとする。
植わっている植物はすべて父が趣味で集めたものだ。花が大好きな母のために。
「……姉上にも一応挨拶しておくか」
どんなことを聞かれても狼狽えないよう気を付けなければならない。
姉は兄と違って気になることは聞かずにはいられない性格だから。




