第八集:羞月閉花
わたしは後方に飛びのき、斬撃を躱すと、すぐに前方へ飛び出し、大剣めがけて太刀を振り降ろした。
「うわ! なるほどね。これじゃぁ、まともな斬り合いはできないわ」
ジャリアが持っていた大剣は中心で分離し、切っ先は地面に刺さったままとなった。
「まぁ、糞蛇の牙じゃぁ、仙子族の仙術には敵わないか」
「知ってるんですね」
「もちろん。何人も殺したことがあるからね」
「そうですか」
ジャリアは「困ったなぁ。素手だと殺すの時間かかるんだよねぇ」と言いながら視線はずっとわたしを捕え続けている。
「はやく片付けて、村の奴ら全員兵士にしないといけないのに、武器がないなぁ」
「そんなことさせませんから」
「おいおい、仙術師には〈神〉は殺せないよ?」
「それはどうですかね」
ジャリアは初めて余裕を崩し、わたしを睨みつけた。
「波長は壊せないんだよ? お嬢ちゃん」
「揺れているものは止められるんですよ、お姉さん。それと、わたしは男です」
「生意気なガキが!」
ジャリアは嫌な予感がしたのか、武器が無くてもわたしを殺してしまおうと、素手で襲い掛かってきた。
「待ってました!」
わたしは煌糸で編んだ布を広げ、ジャリアを包み込んだ。
「な! なにすんだクソガキ! 正々堂々と戦え!」
「嫌です」
わたしは素早く布を煌糸でぐるぐる巻きにすると、大仙針を突きさし、仙力をこめはじめた。
「永久の罪がその身を引き裂く 息も凍る果ての地で 川の流れに身を委ねよ その心の臓が滅びるまで」
白い霧があたりを覆い、冷気が溢れ、髪に着けているリボンが凍り始めた。
大仙針から直接仙術をかけられている煌糸の包は、僅かな音を立てながら硬く凍り付いた。
「……はぁ、出来た」
わたしはその氷の塊を可能な限り圧縮すると、飴玉くらいの大きさにした。
「力づくでやれば出来るもんだな。出られないように瓶にでも入れて封しておくか」
ポシェットから戦場済みのインク瓶と短冊、筆と朱墨を取り出した。
「瓶にお姉さん入りの玉を入れて蓋をしたら、そこに封印の呪文を書いた短冊を貼って完成」
これで、故意に開けない限りジャリアが出てくることはなくなった。
「時間は……、もう深夜二時。疲れすぎて吐きそう」
わたしは魔窟の入口まで飛んで戻り、聖堂から出てその扉を固く封印すると、その近くにあった大木に梅の木の扉を取り付け、中に入った。
もう銀耀にいく気力も、実家に帰る気力もなかった。
さっと湯をを浴び、洗濯機のスイッチを入れ、軽くお粥を食べ、歯を磨いたあと、すぐに自室の布団に入った。
虫とお茶をする最悪の夢を見たが、それ以外は何事もなくぐっすり眠ることが出来た。
翌朝、早めに起きたわたしは身支度を整え、村へと向かった。
「長老さん」
家の外でそわそわしながら待っていた長老は、わたしを見つけて駆け寄ってきた。
「翠琅さん! 大丈夫だった⁉ お怪我は⁉」
「大丈夫です。ほら、この通り」
わたしはくるりと回って見せた。
「でも、魔窟は危険なんでしょう? あなたは本当に強いのねぇ……」
「魔窟は出入口を壊すと鬼霊獣が行き場を求めてあふれ出してしまい危険なので、入口となってしまっている聖堂に誰も入れないようにすれば大丈夫だと思います。ただ、探索者にとっては宝の山なので、観光資源の一つとして管理していく方がいいかもしれません」
「なるほど……。今の村の財政状況だったら正規の用心棒を雇えるから、そのほうがよさそうね」
「それで……」
わたしは大蛇と女神ララナの話をして、聖杯を渡した。
「わたし、スペンサーさんに掛け合ってみます。この聖杯はここにあるべきだと思うんです」
「いいんですよ。お約束ですし、それに、ほら」
長老が腕をまくると、そこには小さな桜の入れ墨が入っていた。
「ララナ様の紋章なの。実はね、この村の女性は成人になるときに希望者はこれを入れることになってるのよ。ララナ様のご加護がありますように、と」
「じゃぁ、信仰は失われてないんですね!」
「これはお守りのようなものだから……。信仰とは少し違うわね。どちらかというと……伝統、かしら」
「素敵です。とっても」
「うふふ。だから、聖杯はいいの」
長老はほっとしたように息をつくと、少し遠い目をして晴れ渡る空を眺めた。
「……ご先祖様の愛した人がララナ様を護ってくださっていたのね」
「ええ。そうです。最期の最後まで、互いに護り合っていました」
「幸せに生きなきゃね。みんなの分まで」
「そうですね。わたしも、そう思います」
わたしは長老に「また来ますね」と言い、大仙針に乗って空へと飛び立った。
今から銀耀にいるスペンサーに二つ届けるものがある。
まずは聖杯。そして、聖人入りのインク瓶。
飛行すること一時間弱、銀耀の上空に差し掛かった時、見慣れない馬車が一台止まっているのが見えた。
「西洋馬車? なんだろう。……もしかして、他の蒐集家⁉」
わたしは急いで降下すると、屋敷の中へと入っていった。
「スペンサーさん」
「おやおや! 戻りましたか! 待っていましたよぉ」
「外の馬車って、他の蒐集家さんですか?」
「おお、さすが翠琅さん! そうなんですよ。突然来ましてね。今は地下の一番濃い蒐集部屋を見ていらっしゃいますので、一時間は戻らないでしょう」
「そうですか。あ、聖杯と、これ……」
スペンサーは聖杯を受け取ると喜色満面で飛び上がったが、その次に渡されたインク瓶を見て首を傾げた。
「これはなんでしょう?」
「かくかくしかじかでして……」
わたしは魔窟であったことをかいつまんで説明した。
すると、徐々にスペンサーの顔が赤みを帯び、目が爛々と輝きだした。
「せ、せ……、聖人入りの瓶ですと⁉ まことに⁉ まことにぃぃいいい⁉」
つんざくような叫びに、おもわず耳を塞いだ。
その声は地下まで響いていたらしく、何かが走ってくるような音がし出した。
「おい、スペンサー! いまの気色悪い悲鳴はなん……。おっと、これは可愛いレディ。ごきげんよう」
美人が現れた。それも、とんでもない美人だ。どんな絵画もこのひとには負けてしまうのではないかと思うほど、端正な顔立ちの美人が立っていた。
焦げ茶色のぱりっとしたスーツに、濃紺の旗袍を合わせているのがとても美しい。
ハーフアップにした亜麻色の髪もあいまって、女神のようだ。
「すみません、兄上。わたくしの素晴らしい探索者が、この世に二つとない暁星を持ち帰ってくれたものですから。つい、興奮してしまって」
「お、お兄、さん……?」
「紹介しますね。この美男子はわたくしの実の兄上にして蒐集屋敷〈水耀〉の当主、アーサー・アップルトンです」
「どうもレディ」
兄がいることなど全く知らなかった上に、兄弟で蒐集屋敷をそれぞれ持っているなど、想像もしていなかったので心底驚いた。
さらに、美人な女性だと勘違いしてしまったことに顔から火が出そうなほど熱くなった。
その美人は恭しく頭を下げ、翠琅の手を取ると、甲にチュッとキスをして姿勢を正し、微笑んだ。
「は、初めまして! わたしは姜 翠琅と申します。スペンサーさんに雇っていただいているフットマン……、兼探索者です」
「おお……。男性だったのですね。……こんなに可愛い子に危険なことをさせてるのかお前は」
「翠琅さんは可愛さと強さを兼ね備えた素晴らしい人材なのですよ兄上」
「ふむ……。ん? まさか君が……、あの、憧温将軍の……」
「あ、はい、そうです」
「ファンタスティック! なんてすばらしい! うちで働かないかい? 給料を五倍だそう」
そういってウィンクしてきたアーサーはまさに異国の王子様のようだ。
「ダメですよ兄上! 翠琅さんは銀耀の宝ですので。手出し無用です!」
「あはははは。半分冗談だよ」
「半分本気ではないですか!」
「可愛い弟を困らせたかっただけさ」
美しい人が美しい人を困らせているなんて、どこの貴族の遊びだよ、と思った。
「あの、お茶をご用意しますね」
「おかまいなく翠琅。戻って来たばかりなんだろう? 休むと良い」
「でも」
「そうですよ翠琅さん。フットマンというのは表向きの雇用理由ですので、そういった家事はお気になさらず。機巧執事のジョナサンを起動していますので、大丈夫ですよ」
「そうですか……」
機巧執事がいるというのも初耳だったが、気にしないことにした。
奇妙な蒐集屋敷だ。それくらいあっても不思議ではない。
スペンサーとアーサーはわたしが持ち帰って来た者を見ながらずっと話し込んでいる。
わたしは邪魔しないようにと、とりあえず図書室へ向かい、自分でもなにか素敵な暁星があるところはないか調べることにした。
ついでに観光もできるような、何日も滞在したくなるような、そんな素敵なところはないかと、何冊かの本を広げているうちにうとうとしてきたわたしは、いつの間にか眠ってしまっていた。
春の陽気の中、紙とインクの心地良い匂いと、人の話し声。
珈琲の香りと、ケーキの甘い香り。
身体には、柔らかくてあたたかい緑色のブランケットがかかっている。
「……ん?」
「起きましたか! こんなところで寝たら風邪をひきますよ」
「可愛い寝顔だったよ、翠琅」
「す、すみません」
起きたらそこには美の祭典のような顔面が二つ机を挟んで向こう側に座っており、ミルクがたっぷり入った珈琲とケーキがティーワゴンに用意してあった。
「何を調べていたんだい?」
「あ、えっと」
「暁星がありそうな場所?」
「はい」
「偉いねぇ。うちの探索者たちにも見せたい光景だよ」
「あ、その」
遊びにも行ける場所を探していたと言おうとしたら、アーサーにニコリと微笑みかけられ、言葉を飲み込んでしまった。
「実はね、こんどは僕たち二人から翠琅に行ってきてほしい魔窟があるんだ」
「お二人から、ですか?」
「兄上がどうしてもとうるさくて。仕方ないから、翠琅さんにご相談してからと思いまして」
「そうですか……。どんなところなんですか?」
「じゃぁ、ケーキでも食べながら話そうかな。はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
わたしは本を綺麗に積み重ねて横へ置き、受け取ったカフェラテとケーキがのったお皿を並べた。
「食べながら聞いてね。今回行ってほしいのは、長海にある港近くに出来た魔窟なんだけど、まだ格付も決まってないくらい未知の領域が多い場所なんだ」
「へぇ……」
見せてくれた地図を確認すると、そこは貿易の重要拠点でもある有名な港町だった。
「うちの探索者たちは今みんな出払っていてね。それに、団体で動くよりも単独の方が何かとスムーズにいくこともあるだろう?」
「それはたしかにそうですね」
「お願いできないかな」
うるうるとした瞳に自然な桃色の唇。まさに目の保養とはこのことか。
あと一押しという雰囲気で、スペンサーがアーサーの言葉を引き継いだ。
「翠琅さん、そこには海を挟んだところにある扶桑国の神に纏わる暁星があるらしいですよ」
『扶桑国』という言葉に、わたしは目を輝かせた。
「へぇ! それは気になります。曾祖父が扶桑人なので、向こうの物語も読んで育ったんです」
「それは僥倖! まさに適任ってことだね!」
「わたし、喜んで行きます」
「ありがとう翠琅! お給金は僕たち二人からそれぞれ出るからね」
「え! そんな、いいです。そんなにもらえません」
「労働の対価はもらうべきですよ、翠琅さん」
「その通り」
「あ、ありがとうございます」
わたしは恐縮しながらカフェオレをそっと飲んだ。
甘くて優しい苦みが口に広がり、寝起きの身体を温めてくれる。
大人二人がわたしに何を探してもらうかの相談を始めたため、ゆっくりとケーキを楽しむことが出来た。