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日本陸軍の小火器 軽機関銃編  作者: 究極無敵銀河最強女狐
13/15

13・九九式軽機関銃からの脱却、三三式機関銃

・一七式軽機関銃後継機関銃開発と苦難

インドネシア戦争での一七式軽機関銃の評価を受け、1967年に陸軍技術本部は中央工業社単独指名で新型軽機関銃の開発を要請した。

中央工業社はこれを快く受け入れたが、翌年これを後悔することとなる事件が起こる


1968年に日本特殊鋼が二二式機関銃のデータを改ざんしたとして陸軍から訴訟される「機関銃裁判」が発生。翌1969年に陸軍が勝訴し、日本特殊鋼に契約永久除籍処分を行うと、命令に近い形で二二式機関銃の改良を中央工業社に命じたのだ。


当時、中央工業社は業績不振の続く拳銃部門をニネベアに売却し、機関銃、短機関銃部門へ選択と集中を図ったものの、ニネベアが他の部門の技術者をヘッドハンティングした結果、深刻な人材不足に陥っていた。(当時ニネベアは中央工業社自体の併合を狙っていたとされる)


そのため残った数少ない経験豊富な技術者は二二式機関銃改良計画に全て流れてしまい、新型軽機関銃開発チームは新卒採用から10年も経っていない若手を中心とするしかなくなった。

中央工業社も手をこまねいているだけでなく、陸軍技術本部より多数の技官を応援として派遣してもらった他、アドバイザーとして招いた元MG42開発チーム所属のドイツ人技術者までも急遽チーフとして軽機関銃開発チームに編入した。


勿論、そのような雑多なチームでは意見の統一が取れず開発が難航し、一時は開発計画が暗礁に乗り上げてしまう。


そこでドイツ人チーフの提言で、既存の信頼性の高い機関銃の内部機構を参考にするという開発方針を採用することを決定。

この決定に派遣された技官達は反対するものの、「軽機関銃の開発まで失敗すれば日本特殊鋼の幹部のようにお前たちの首が飛ぶぞ」とチーフが脅しをかけて無理矢理説得したという。


1970年には鹵獲されたPK汎用機関銃を基に新型軽機関銃を試作し、1971年から試験を開始。その後2年に渡るテストの結果、1973年に「三三式軽機関銃」として仮制式採用された。




・三三式軽機関銃の特徴

本銃は外見こそベルトリンク給弾用の機構を設けて機関部が延長した一七式だが、内部構造は完全に別物となった。作動方式自体は従来通りのガス圧作動方式(ロングストロークピストン式)だが、インドネシア戦争にて鹵獲したPKの内部構造を参考とした結果、オチキス機関銃由来の内部機構が完全に廃された。


またヘッドスペース調整機能も廃止され、九六式軽機関銃に近い銃身交換機能が装備された。

二脚も従来の九九式軽機関銃の流れを汲むものではなくなり、独自設計の3段階に高さ調整できるものが装備された。(九九式由来ではないが、首振り機能も装備)


これにより一七式軽機関銃に受け継がれた九九式軽機関銃の特徴は絶えることとなる。

ただしスコープ装着機能や銃身交換機能など、九六式の血脈は受け継がれたと言われる。


他にも非腐食性部品の採用と木製部品の完全廃止、全部品のプレス加工化、特殊合金の採用によって軽量化と耐久性を実現。

空虚重量8.2kgという汎用機関銃としてはかなりの軽量化を達成した。


給弾方式は当初ベルトリンクのみの予定だったが、陸軍上層部と現場からの要求に折れる形で、小銃用弾倉や一七式軽機関銃用弾倉を流用できる機能も搭載した。

最大150発のベルトを収容する箱型弾倉を使用する他、一七式自動小銃、二四式小銃、前述の一七式軽機用の30発弾倉と45発弾倉を上から挿入する形で給弾することができる。


それとようやく着剣機能が廃止された。

これはインドネシア戦争の戦訓から、銃剣による白兵戦は極端に減ったこと、軽量化が求められたこと、何より機関銃手が重い銃剣の携行を嫌うように世代交代したことが理由である。




・事実上の汎用機関銃、三三式軽機関銃

三三式軽機関銃は、同時期に開発した汎用機関銃「三四式機関銃」とは同じ中央工業社開発ということもあって、三脚などの一部装備を共有可能であった。そのため銃本体の軽量化も合わさり、事実上の汎用機関銃として完成した。


実は汎用機関銃として完成したのは偶然ではなく、三四式軽機関銃を汎用機関銃として製作するのを諦めた段階で設計を変更したのではないかと言われている。


というのも、三四式機関銃は改良元の二二式機関銃の欠陥を解決しつつより高い命中率と信頼性を求められた結果、重量が20kgに増加して事実上の重機関銃と化していたこともあり、三三式軽機関銃が汎用機関銃として多用されることとなる。(一方の三四式機関銃は戦車の同軸機銃やヘリのドアガン、機関銃中隊配備の重機関銃、海軍の対小型艦艇用機銃としてM2重機関銃共々現在も使用されている)





・冷戦期の三三式軽機関銃

三三式軽機関銃はインドネシア戦争に間に合わなかったものの、事実上の汎用機関銃として歩兵部隊の分隊支援火器として使用された。

他にも汎用機関銃としてのポテンシャルを活かし、多数の兵科にて使用された。


三三式と三四式の成功のおかげで中央工業社は業績を回復し、ニネベアによる買収の危機を乗り切ったばかりか、逆にニネベアに奪われた技術者を取り返して技術力を回復した。


90年代初頭には前任の一七式軽機関銃を完全に代替し、海軍、空軍、戦略空軍含む全軍に普及した。

さらに湾岸戦争にも従軍し、九六式軽機関銃譲りの信頼性を発揮した。



・冷戦終結後の三三式軽機関銃

冷戦期に築いた三三式軽機関銃の天下は長くは続かなかった。


80年代後半、豊和工業が5.56mmNATO弾を使用する新型小銃を開発。1989年、日本陸軍がこれを「89式小銃」の名で採用すると、再び弾薬不統一問題が発生した。

そのため中央工業は90年代初頭に三三式の5.56mm対応型を陸軍に提案した。本銃は試作銃こそ作られたものの、発射速度や整備性に劣るという理由からMINIMIに敗れる形で5.56mm弾仕様は不採用となる。


だがMINIMIのライセンス生産や独自改良は中央工業が担当することになったので、中央工業社は大口契約を逃さずに済んだ。

また三三式の5.56mmNATO弾仕様は、日本の軍需企業の影響力が強いイランおよびインドにてライセンス生産が行われたこともあり、中央工業社に大きな利益をもたらしたとされる。



MINIMIの配備が本格化した1990年代後半以降、三三式は歩兵部隊からその姿を消していった。

しかし2011年のアラブの春により状況が変わる。


独裁政権の崩壊によってリビアおよびイラクが内戦に突入し、内戦の早期終結と治安回復のため派遣された米軍、ヨーロッパ連合(FEU)軍、極東連合(FEU)軍の戦訓から7.62mmNATO弾の火力の高さが再評価されたのだ。

それを受け、一部部隊にて本銃が現役復帰するなど、まさかの復活を遂げることとなる。


現在、一部のネット掲示板やSNSでは給弾方式をベルトリンクのみにした改良型が製作されるという噂も上がっているが、中央工業社からの正式発表および特許申請は未だに無い。

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