11・戦後の九六式、九九式軽機関銃
・戦後の九六式軽機関銃
第二次世界大戦終結後、九九式軽機関銃の早急に置き換わるという当初の予想に反し、九六式軽機関銃は長期の使用が続けられた。
これは九六式軽機関銃の性能自体は旧式化しておらず、十分に使えたこと。既に車載軽機関銃として用途が限定されている以上、無理に退役を行う必要は無いと判断されたためである。
そのため新規製造車両は九九式軽機関銃を装備するが、既に九六式軽機関銃を装備している車両は以後数年以上に渡り同銃を装備し続けた。
だが第一次支那戦争にて酷使された結果、予備部品の在庫が一気に枯渇。支那戦争終結後から本銃の退役が始まる。さらに弾丸のNATO弾統一方針と、後述する一七式軽機関銃や、汎用機関銃の配備が進んだことにより、この流れは加速した。
最終的にインドネシア戦争中の1960年代末には全ての九六式が退役したとされる。
ただし海外ではもう少し長く使用が続けられ、タイ陸軍は1990年代まで九六式を予備装備として保管後、武装警察に払い下げた。
満州帝国軍も同様に、1970年代まで本銃を保管した。
ソ連では満州帝国陸軍を通じて、最低でも数百丁単位で本銃を入手した。
残存個体は戦後すぐに使用部隊から回収後、そのほとんどが満州帝国に返却された。
ほとんどのレンドリースを踏み倒したソ連では珍しい行為であり、スターリンが満州帝国陸軍の石原莞爾総司令官を個人的に気に入っていたことによる特別措置とされている。
残った個体は全て研究用に回され、戦後の新型軽機関銃開発の際に参考にされたと言われるが、どの部分がどう参考にされたかは具体的には分かっていない。
・戦後の九九式軽機関銃
九九式軽機関銃は戦後も主力軽機関銃としての生産が行われた。
戦後に製造された個体は書類上では後期生産型とされるが、俗に戦後生産型と呼ばれる程、改良が加えられている。
戦後生産型では戦前の設計通り、銃床の木材部分がクルミ材になった他、使われる金属も戦争を通じた技術向上により質が設計案よりも向上しているという。
特に使用金属は製造年代ごとに変更が加えられており、それによって数種類に区別できるとされるが、余りに専門的で分かりにくい話のためここでは省略する。
なお大戦末期に作られた後期生産型および戦後生産型は、第一次支那戦争で酷使された個体以外は全て、後述する「一七式軽機関銃」に改造されたため、現存数が少ないのが特徴となっている。
第二次世界大戦中に作られた、前期型と中期型は部品の互換性があまりないことを理由に、改造を受けずに順次退役。
一七式軽機関銃の配備もあり、1970年代半ばに全てが退役した。
海外では、イギリスにてブレンガン使用が本家ブレンガン共々使われ続け、NATO弾対応改修も施した上で1980年代まで現役だった。
カナダでも同様の措置が取られ、こちらはなんと極一部の個体が湾岸戦争に参加したという事実が報道写真を通じて確認されている。ただし湾岸戦争終結後、軍に残っていた極僅かな個体は全て退役した。
ドイツではドイツ民主共和国成立後、ソ連製小火器が行き渡るまでのつなぎとして鹵獲された九九式が制式装備として使われたことが、当事者の証言から確認されている。
ただし現役期間は数年ほどで、以後は老朽化や予備部品の枯渇もあって半ば放置される形で倉庫送りになっている。




