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純愛  作者: 大河 亮
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 新入生も上級生もなくサークルの全員が黙って“あやのちえ“に注目する。僕ならこんな空気には耐えられない。もっと言うなら声を上げることもできない。しかし彼女は周りの視線には目もくれず哀川先輩を睨みつけて。「まだ未成年の人にたくさんお酒を飲ませて何が面白いんですか!一気飲みさせて倒れたりしたらどうするんですか!自分より立場が弱い人をいじめて楽しいんですか!」一気に捲し立てた。さすがのKY暴君哀川先輩も動揺を隠せない様子だ。真っ向から正論を叩きつけられたので当然ではあるが。元々哀川先輩は気の強い人ではない。立場の強い人に媚を売り自らも強い立場に立つ人間。だから自分より弱い立場の人をいじめて力を示す必要があった。しかしその分否定や批判に弱い。今回は怒らせた相手が悪かった。これで哀川先輩の弱点がもろにサークルのメンバーに晒されてしまったことになる。哀川先輩は、泣きそうだがそれに気づかれないように怒ったフリをしている小学生のような顔をしている。そして。「う、うるせぇ!」恥の上塗りだろう。語彙力がなさすぎる。多少無茶でも自論を展開すれば少しぐらいの威厳は保てただろうに。僕は笑いを堪えるのに必死だった。周りのみんなも息を止めているような顔をしているので恐らく同じ気持ちだろう。それでも“あやのちえ“は哀川先輩を睨み続けている。「まぁまぁまぁ楽しく飲みましょうよ。あやのさんもそれぐらいにしてよ」立ち上がって声を上げたのは井上だった。こうやって人を和ませようとするところは尊敬している。ただ今回の発言は火に油を注ぎかねないとも思う。しかし僕の考えは杞憂だった。“あやのちえ“は席に着き、哀川先輩ももう何も言わなかった。


 それから9時まで飲み会は続いた。あんなことがあったので、無理に酒を飲ませる上級生はいなかった。何人かはトイレで吐いたらしいけど。それでも去年の新歓に比べれば天と地ほども違う。店を出るときは一部を除いてみんな笑顔だった。笑顔じゃないのは哀川先輩を含む吐いた数人と“あやのちえ“だ。あの後彼女は同級生とも上級生とも話をしていなかった。助けてもらった男の子もあまり関わらないようにしているように見えた。確かに関わりたくない気持ちもわからなくはないが。もちろん僕にも話しかける勇気はなかった。結局僕たちは一人の勇者を見捨てたのだ。そのくせ今日の飲み会のことを振り返ったときには“あやのちえ“の悪口を言うのだろう。こんなことを考えるなんて。慣れないビールを飲んだからだろうか。少し嫌な気分になりながら帰り道に向かう。みんなは学生寮に帰るが、僕はマンションで一人暮らしなので一人で逆方向に進む。しかし一人じゃなかった。5メートル程前方に知っている人が歩いている。“あやのちえ“だ。彼女も学生寮に住んでいないのだろうか?まぁそのうち別の道に行くだろう。軽く考えていた僕だったが、いつまで経っても彼女は視界から消えない。もしかして話しかけた方がいいのだろうか?もし話しかけるのだとしたら先輩の僕から行くべきだろう。でももし彼女がそれを望んでいなかったとしたら?哀川先輩を止めなかったお前たちも同罪だと思っていたら?いや、でもこのままなにも言わずに後ろを着いて行ったらどう思われる?百歩譲って昼間なら大丈夫かもしれない。でもこの暗がりでそんなことをしていたらストーカーと思われるんじゃないか?いや、なんなら飲み会の後に着けていっているんだから、酔った勢いで部屋に押し込んで強姦するつもりかもしれないと思われるかも。やっぱり声をかけないとまずい気がする。大体飲み会の後に帰り道が一緒だった後輩と話すことのなにがいけないのだろうか。そうだ疚しいことなんて何もない。これはただ飲み会おつかれと後輩の労をねぎらうだけだ。でももし単純に話しかけるな気持ち悪いとか思われたらどうしよう。そんな目を向けられたら僕は立ち直れない。


「あの、大丈夫ですか?」少し離れて歩いていたはずの“あやのちえ“がいつの間にか目の前にいた。しかも先に話しかけられてしまった。僕は動揺を隠せない。「えっと、なにが?」驚きのあまり質問で返してしまう。「いや、なんか唸ってましたし、挙動もおかしかったので。あまり飲んでませんでしたよね?お酒弱いんですか?」これはまずい。逆にセーフなのか。どちらにせよめちゃくちゃ恥ずかしい。でもなにか答えないと。「実はそうなんだ。特にビールは苦手で」嘘は言っていない。僕は実際お酒は強くない。ビールの苦味は不味くて仕方がない。まぁまだ未成年だけど。「そうですか。大丈夫ですか?」そういえば最初の質問に答えていなかった。“あやのちえ“は僕をじっと見つめている。身長が近いのでどうしても目線が合ってしまう。近くで見るとまつ毛長いな。いやいやいや何考えてんだ。後輩が僕のこと心配してくれてるのに。大体さっきまでも近くにいただろう。「あぁ大丈夫、大丈夫。ていうかあやのさんも家こっちなんだね」このぐらいの話題を振るのはいいよね?「あ、はい」良くない質問だったかな?ウザがられた?キモがられた?どうしよう。それとも元々冷めた人なのかな?いや、冷めた人ならあんな風に哀川先輩に怒ったりしないだろう。とにかく別の話題を。「でもすごいよあやのさんは。普通みんなの前で先輩を怒ったりできないよ」咄嗟に口から出たのがこの話題だった。さすがにこの話題は地雷臭がすることぐらい僕でもわかる。言ってから酷く後悔していると。「すごいことなんてなにもありませんよ。ただ許せなかっただけです。一人がいじめられていたのに誰も止めなかったことが。それどころかあの人の機嫌をとるためにみんな笑っていました。だから私が悪者になったんです。私はサークルには入りませんから」遠回しにお前も同罪だと言われたのがショックだった。僕はいつもそうだ。長い物には巻かれる。間違っていると思っていても、自分が否定されることを恐れてなにも言えない。友達づくりでもそうだ。小学校、中学校、高校と友達ができたのも、向こうから声をかけてくれたからだ。僕から友達になろうと声を上げたことはない。そして今はもう誰とも連絡をとっていない。結局のところ威張っていないだけで僕は哀川先輩と変わらないのかもしれない。寧ろ威張れる地位を築くための努力をしなかったという意味では、僕の方が空っぽな人間なのかもしれない。わかっていたはずなのに言葉にされると辛かった。


 そこからは一言も話せなかった。彼女もなにも言わなかった。彼女が前を歩き、僕はその三歩後ろを歩く。居酒屋から家までは徒歩20分程だが、それはそれは長い道のりだった。永遠に続くのではないかとさえ思っていたが。「すみません。私ここですので。送ってもらったみたいですみません」そう言って彼女は僕に頭を下げた。“あやのちえ“の住む家はこの辺りではなかなか家賃の高いマンションだ。入口はオートロックだしエレベーターも着いている。部屋は防音の効いた2LDK。僕も不動産屋で部屋を探したときは最初このマンションにしようかと思った。しかし軽く予算オーバーだった。あの時ほど理想と現実という言葉について考えたことはない。こんな所に住んでいるなんて実家はお金持ちなのだろうか?今更そんなこと関係ないか。「いえいえ。おつかれさま」そう言って僕はまた帰路に着いた。


 “あやのちえ“と別れて5分。僕の住むマンションに着いた。塗装の剥がれた外壁が痛々しい。あのマンションを見た後ではより一層ボロマンションに見える。エレベーターも無いし。部屋の鍵を開けて中に入ると、すぐに折り畳みベッドに寝転がった。普段なら帰宅するとまずシャワーだがそんな元気はなかった。ふと飲み会のことを振り返る。全然楽しくなかった。そもそも愛着のない不毛なサークルの飲み会に何故そんなに行きたかったのか。行ったこと自体を今では後悔している。でもきっと次の飲み会にも僕は行きたがるだろう。そういえば“あやのちえ“はサークルには入らないと言ってた。ならもう彼女と関わることはないのか。もしかすると大学の中や帰り道で見かけることはあるかもしれない。だが恐らくお互い無視するか、良くても小さく会釈しあう程度だろう。そんなことを考えていると隣の部屋から。「あん、あん、あーっ!」という声とギシギシという音が聞こえてきた。酷いもんだ。今日ぐらいは勘弁してくれ。防音性のない壁を呪いながら僕は風呂場に向かうのだった。

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