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純愛  作者: 大河 亮
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 シュッシュッシュッと細かく線を引いていく。鉛筆が紙の上を滑る感触が好きだ。絵を描くときはいつも心が躍る。絵を描くというのは心を表現することであり、新たなものを創造するということだから。そんなことを思いながら僕は目の前の桜の木をスケッチしていく。今回の課題のテーマは『春』。何か人と違う観点の絵を描こうと色々探してみたが見つからず、結局桜の木というベタな『春』を描くことになった。満開の桜なんてことはなく、ちらほらとピンクが残っている程度のものだ。もちろんこの木に思い出も思い入れもない。ただ僕の通う大学から最も近い公園にある桜の木というだけだ。でも天気はいいし、寒くもなく暑くもない気持ちのいい日だし、なにより公園で一人スケッチを行うというのはなんとなくカッコいい気がする。


「うい智哉(ともや)!おつかれ!」急に後ろから肩を掴まれる。そのせいで変なところに線が入ってしまった。振り向くまでもないが一応ゆっくりと振り向く。笑顔で立っていたのはやはり井上(いのうえ)貴大(たかひろ)だ。僕にとって唯一の大学の友人だが、こういうイタズラにはたまにイラッとさせられる。それに人のスケッチを邪魔しておいてその顔はないだろう。ただでさえ一人でスケッチをするのがカッコいいとか考えてたところに、一人じゃなかったと気付かされて少し恥ずかしいのに。そんな僕の思いはつゆ知らず、井上は僕のスケッチを覗き込むと。「相変わらず下手だなぁ。ちゃんと観察したのか?」大きなお世話だ。自分は去年一年生ながらコンクールで銀賞を取ったからって。僕はこの公園に来てから30分程ひたすらこの桜の木を見つめ続けたんだぞ。長いと思うか短いと思うかは人それぞれだろうけど。「うるさいよ」微笑みを浮かべながら僕は変な線を消しゴムで消す。


 それから2時間程桜の木をスケッチしていたが、その間井上はひたすら喋り続けた。そのせいでスケッチはあまり進まず、なんとも消化不良な時間になった。ふぅーっと一息つくようにため息をつきながら鉛筆とスケッチブックをリュックサックにしまっていると。「今日行くの?」「へ?」思わず変な声が出る。ちょっと何を言っているのかわからない。「今日サークルの飲み会じゃん。連絡あっただろ?」無かったと思う。僕が参加しているサークルは名義上登山サークルとなっている。だが去年の3月を最後に登山は行われていない。つまり僕たちはまだ一度も登山をしていない。しかし月に1、2回このような飲み会が催される。飲み会の最初こそ『あの山に登りたい』『新しいトレッキングシューズが欲しい』等のそれらしい話題が出るが30分もすれば『レポートがだるい』『バイトがだるい』『ボルダリングを始めた』『彼女が欲しい』そんな話題ばかりだ。いわゆる飲みサー。入学当初僕はサークルに入るつもりはなかった。だが井上と知り合い、見学だけと着いて行ったらそのまま入部することになった。はっきり言って不毛なサークルだと思っているし、愛着も特にはない。それでも連絡をもらえなくてもいいと思えるほど割り切ってもいない。「そうなんだ。今日もバイトだと思って連絡しなかったのかな」興味なさそうに答えてみたが内心ゾワゾワしていた。「あぁそうかもな。お前夜は週6でバイトだもん。でも今日は行けるんだな?」「行けるけど誘われてないのに行っていいのかな?」「俺が誘ったじゃん。別に一人ぐらい増えたって問題ないよ」井上ならこう言うと思っていた。誘われていないのに行きたいと言う勇気は僕にはない。僕は気まずそうな顔をしながら何度か頷いた。


 飲み会の会場はいつも通り大学の近くにある焼き鳥居酒屋のチェーン店だ。焼き鳥の具材が大きく値段も安いのが売りである。店の中は広さの割に席が多く、トイレに行くのにも狭い通路を通らないといけない。そんな店の並んだテーブル四つを占領しているのが我がサークル。三年生の哀川(あいかわ)先輩は既に上座にどっかりと座っている。伝統?なのか部長という名称を使うことはないが、良くも悪くも哀川先輩がこのサークルを仕切っている。哀川先輩が飲み会をしたいと言えば後輩の誰かがサークルのSNSに連絡を入れる。去年までは哀川先輩もそんな素振りを見せていなかったが、現在の四年生たちが就職活動で忙しくなりサークル活動に参加しなくなると、一転して横暴な君主となった。元々金持ちの家の生まれということにプライドを持っているという部分が見えるときもあったが、今では完全にそれを鼻にかけた話が大半を占める。僕と井上はとりあえずの挨拶を済ませると下座に座った。


 時計の針が夜の7時を刺そうとした時、ぞろぞろと見覚えのない若者たちが僕たちのテーブルに集まってきた。「今日って新歓だったの?」僕は井上に訊ねる。「そうだよ。言わなかったっけ?」聞いてない。まぁ聞いていなかったからといって特に問題はないが。新入生たちは緊張した様子で粛々と席に着いていく。まだ高校生のような顔立ちの子もいれば、既にしっかりと化粧をした子もいる。服装も落ち着いたいかにも大学生という子から、一世代前のロックミュージシャンのような子。育ちの良さを感じさせるふんわりとした雰囲気の子や、大学デビューに向けてしっかりとファッション誌を読み込んだと思われる子と様々だ。だがみんなまだまだ初々しい雰囲気が滲み出ている。僕も去年の今頃はそうだったのだろうか。微笑ましい気持ちで新入生たちの列を眺めていた僕だったが、最後尾の子を見たときは少し驚いた。「でかっ」井上が僕にだけ聞こえるように言う。失礼だぞとは思ったが確かに大きい。見たところ175センチの僕と大差ない。もちろんそれが男性なら特に気にならないが、女性となるとかなり大きく見える。顔立ちはバランスがいいが化粧っ気がなく派手さはない。すっぴん?それともナチュラルメイクというやつだろうか。僕にはそのあたりのことはわからない。髪は拘った風には見えないセミロング。服装はピンクの長袖Tシャツに薄いベージュのチノパン。靴はグレーのスニーカーと全体的な印象としては地味な子。いや、“地味な子“というのは適当じゃない。“地味な女性“というのが何故かしっくりくる。だがその地味さがかえって他の着飾った子たちとの差別化を図り、高い身長と相まって彼女を目立たせていた。彼女は小さく会釈をすると粛々と下座に座っていた僕の隣に座り、僕と井上に向かっても小さく会釈をした。


「それでは新たな仲間たちの入学祝いと入部してくれた感謝の気持ちを込めてかんぱーい!」哀川先輩が乾杯の音頭を取って飲み会は始まった。みんな気楽に近くに座る人と話をする。僕も飲み会が始まってすぐは井上と一緒に近くの新入生たちと話をしていたが、15分程で井上と新入生が話し僕は横で愛想笑いをしている構図が出来上がっていた。自ら望んで来た飲み会だったが、これほど気まずいこともない。かと言って僕がみんなに面白い話を提供できるとも思えない。仕方なく僕は愛想笑いを続けた。


 そして飲み会の開始から1時間が経った頃。「ようし!それじゃあ新入生たちには自己紹介をしてもらおうか!」赤い顔をした哀川先輩が大声で言った。あまりの大声に周りの客まで振り返るほどだ。あの人もお酒は強くない。今更かという僕の思いとは裏腹に、哀川先輩に近い者から順に自己紹介をしていく。名前、クラス、趣味、なにか一言、そして自分のドリンクを一気飲み。新入生たちはもちろんだが、僕と井上もまだ20歳になっていない。にもかかわらず僕たちの目の前には当然のように生中が用意されている。大学生になるまで全く飲んだことがないという子の方が稀かもしれないが、こんな飲み会に参加するのは初めてという子も多いだろう。少なくとも去年は嘔吐する奴が多かった。僕が去年のことを思い出していると、僕の知らない間に隣の“地味な女性“の隣の男の子の番になっていた。「あぁん!なんだって!?」突然哀川先輩が大声で男の子を威嚇する。どうやら男の子の声が小さかったようだ。知らない間に彼の番になっていたぐらいなのだから大きな声ではなかったのだろう。哀川先輩は赤い顔で彼のことを睨んでいる。僕たち二年生以上の奴らは哀川先輩がふざけているだけとわかるだろうが、今年大学生になったばかりで哀川先輩のことをよく知らない彼にとっては恐怖だろう。男の子はなんとか自己紹介を終えると、目の前の生中を一気飲みして素早く席に着いた。遂に“地味な女性“の番か。そう思った時。「おいお前!よく聞こえなかったからもっかい自己紹介しろ!」正に暴君か。男の子は苦笑いを浮かべながら哀川先輩の様子を窺っているが、そんな彼を哀川先輩は睨みつける。男の子はもう一度立ち上がると、さっきと同じ自己紹介をしてまた近くにあった生中を一気飲みした。席に着いた彼は少し涙目になっていた。ようやく彼女の番だ。彼女は立ち上がると。「こんばんは。“あやのちえ“です。一年二組。趣味は絵を描くことです。よろしくお願いします」と全く声を張らずに言い切ると深々と頭を下げた。恐らくよく聞こえても井上までだろう。そして一気飲み。顔色一つ変えることなくやり切ると素早く席に着く。明らかに“あやのちえ“さんはさっきまでの哀川先輩の行為に腹を立てている様子だ。周りの一年生たちはかなり引いている。しかし。「おい!隣のお前!もう一回自己紹介しろ!」またも哀川先輩は男の子に大声を上げる。空気を変えるためにわざとやった風には見えない。本当に空気が読めていないようだ。また矢面に立たされた彼は見るに堪えないほどに辛そうにしている。元々いい人ではないが酔うと本当にどうしようもない奴。周りの人たちもそう思っているのだろうが、彼に合わせて二、三年生たちはみんな笑顔を浮かべている。笑えないのは僕だけか。そう思ったときドンッと大きな音が鳴る。隣に座る“あやのちえ“がテーブルを叩いたのだ。僕は驚きのあまり情けないほどに横に飛び退いてしまう。彼女はずいっと立ち上がると今度は大きな声で言った。「あの!何が面白いんですか!?」

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