落ちこぼれの冒険者 sideフレディ
俺は今日、ブラックウルフの討伐依頼を受けひとり森へと足を運んでいた。
俺がギルドでモンスター討伐や戦闘が絡む依頼を受けていると、周りの冒険者たちにいつも笑われるが、そんなのはもう慣れっこだ。
〝万年Fランク冒険者〟。
これが俺のギルド内でのあだ名だ。ギルドマスター以外、誰も俺のことを名前で呼ぼうともしない。
俺がこのギルドに登録をしたのは約二年前。その間、一度もランクを上げられていないのだ。馬鹿にされて当然だと自分でも思っているので、なにを言われようが反論することはなかった。こうなったのは、全部自分が弱いせいなのだから。
最初のうちは、みんな快くパーティーへ入れてくれた。上級の装備品を持っていた俺に、みんな期待をしてくれていたようだった。
だが、いざモンスターを相手にすると、その装備品はお飾り状態。まったく力を発揮できない俺は、すぐにパーティーを追放された。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、ギルド中に噂が広まり、弱い俺を受け入れてくれるパーティーはなくなった。挙げ句、陰口を叩かれ笑いものにされるようになった。それはいつしかギルド内だけに留まらず、町中に広がっていった。
――俺は討伐が苦手だ。剣を振るうどころか、この手に握ることすら苦手だ。
昔は平気だったのに、いつしか誰かと戦うことを恐れてしまうようになった。……とある出来事のせいで。
だったら戦闘とは無縁の別の依頼を受けたらいいだけのことなのに、なぜか俺はそれができなかった。そういった依頼は、本当に戦闘能力のない、しかしほかの能力に特化した冒険者たちがやるべきだと思っていたからだ。
彼らの仕事を奪うわけにはいかない。俺は十代のころ冒険者になってからずっと、剣士としてやってきた。だから剣士としての仕事をきちんとやるべきだ――なんて言えばかっこがつくが、今の俺は、とてもじゃないが剣士とはいえないだろう。
でも、剣士としての誇りだけはあった。だから俺は、挑戦することをやめたくなかった。
いつかまた戦える。昔の俺に戻れる。それだけを信じて、俺は今日も依頼に挑むのだ。
「おい! お前もここにいるってことは、ブラックウルフの討伐か?」
森を歩いていると、嫌なやつに遭遇してしまった。
グレッグ――Aランク冒険者で、俺と同じ剣士。両隣にいつものふたりを連れて、薄ら笑いを浮かべている。
あいつは腕はあるが、性格に難があり過ぎる。自分のことしか考えない強情なやつだ。
俺はグレッグを無視して先を歩いた。いちいち相手にしていると、こっちが疲れるだけだ。
「メイも覚えとけよ。あいつはメイと同じ、最弱Fランクの冒険者なんだ。弱すぎてどこのパーティーにも入れてもらえないかわいそうなやつなんだよ。なのに持ってる武器や防具だけはいいもん使いやがって……装備品が泣いてるぜ。メイはあんな大人になるなよ」
聞こえるように、わざと大声で嫌味を言うグレッグ。これも日常茶飯事だ。それよりも俺は、別のところに引っ掛かった。
グレッグが、見たことのない小さな女の子を連れていたのだ。
冷たい態度をとるわけでも、こき使っているようにも見えない。
――グレッグに気に入られる子供なんて存在したのか。
あいつは子供だから優しくする、みたいなことをする人間ではない。だから俺には、その光景がとてもめずらしく見えた。
グレッグの連れている女の子に気を取られていると、ブラックウルフが突如目の前に飛び出してきた。すぐに剣を抜き戦闘態勢に入るものの、やはりうまく攻撃することができない。
その後現れたほかのブラックウルフは、グレッグたちによってあっという間に倒されて行く。
「ちっ。まだやってんのかよ」
いつまで経っても、女の子と同じくらいの大きさしかないモンスターに苦戦している俺を見て、遂にグレッグがしびれを切らしたようだ。
実力の差を見せつけるように、グレッグは俺の前でいとも簡単にブラックウルフを倒すと、俺に拳を向けてきた。
「邪魔だ。どけ!」
咄嗟に片手で自分の顔を庇う。俺が指につけていたリングに、グレッグの拳が掠めたのがわかった。
それにより軌道が変わり、真正面からモロに殴られるのは回避できたが、右頬にダメージをくらってしまった。その衝撃で、俺はその場に倒れこんだ。
「きゃっ……!」
その様子を見て、誰かが小さな悲鳴を上げた。多分、あの幼い女の子だろう。
その後、グレッグが女の子となにか会話をしていた。距離があり会話はあまり聞こえてこない。でも、見ているだけで大体の流れは把握できた。
女の子が必死になにかをしようとしている。でもうまくいかないせいで、グレッグの顔はどんどん険しくなっている。
笑顔は消え、女の子になにかを言い放つと、三人でさっさとこの場を去って行った。残された女の子は、そんな三人の背中を呆然と見つめている。……かわいそうに。きっと役立たずとみなされ、パーティーを追放されたのだろう。
俺も同じ経験をしたことがあるからわかる。しかし、こんな幼い子にこの仕打ちは、いくらなんでもひどすぎる。
……見たところ、まだ六歳くらいだろうか。自分の置かれている状況をちゃんと理解できているのかもあやしいな。
ひとりで森を抜けることができるのかと不安になる。助けてあげたいが、俺は戦えないので頼りにはならない。もしモンスターが急に襲って来たときに、危険な目に遭わせるかもしれない。
――早くグレッグたちを追いかけるんだ。こっそり後を着ければ、森から抜けるのは簡単だ。モンスターが現れても、あいつら倒してくれるだろう。
心の中で女の子にそう訴えかけていると、殴られたところが急に痛みを増してきた。
右頬がじんじんする。それになんだか頭も痛い。
人の心配をしている余裕なんてないことに今さら気づき、嘲笑する。
……雑魚と言われるブラックウルフからも攻撃をくらい、グレッグにもこけにされ、体と同じくらい精神までもぼろぼろになっていくのを感じていた。
こんなのいつものことだ。日常茶飯事だ。
いつか俺は、昔のような強さを取り戻せる。
……俺は人生であと何回、この言葉を言うのだろうか。
何度期待して、何度落胆すれば終わりが見えるのだろうか。
いっそあきらめたほうが、ラクになるのかもしれない。
この二年間、見て見ぬふりをしていた感情が、なぜか今この瞬間になって俺の頭の中を駆け巡って行く。
ふらふらと立ち上がり、俺は近くにあった木の幹にもたれかかるように座り込んだ。
なんだかすごく体がだるい。昨日からあまり体調がよくない気がしていたが……風邪でも引いたか? どちらにしろ、しばらく休んでから町に帰ろう。
俯いて、俺はゆっくり目を閉じた。
しばらく経つと、なにかの気配を感じた。はっとして目を開けると、グレッグたちと一緒にいた女の子が、俺の顔を覗き込んでいた。
――この子、まだここにいたのか? まさか、俺に助けを求めに……?
そう思っていると、女の子はこちらに手を伸ばし、俺の頬にそっと触れた。
グレッグに殴られた場所を、女の子は優しく撫でる。その行為に俺は驚き目を見開いた。
間近で見る女の子の金色の瞳はまんまるで、宝石のようにキラキラと輝いていた。
そして、手の動きが止まったかと思うと、女の子はぽつりと呟く。
「……せめて心の傷だけても、私が癒せたらいいのに」
その言葉は、俺の心に強く響いた。
――今までいただろうか。俺の心の……見えない傷を、心配してくれた人が。俺の気持ちをわかろうと思ってくれた人が。
まさかこんな幼い子が、俺がどこかでずっと求めていた言葉をくれるなんて。
まだ言葉の意味も、重さもよくわからないまま、ただなにげなく言った一言だったとしても、俺の胸を打つにはじゅうぶんだった。
「なにもしてあげられなくて、ごめんなさい」
女の子は瞳を潤ませながら俺に謝ると、その場から離れてどこかへ歩き出していった。
……俺に助けを求めるどころか、俺を助けようとしていた。
武器もなにも持たず、ひとりで森を歩くのは危険だ。広い森で迷子にでもなったら、捜索も難航になる。
すぐに女の子を追いかけて、一緒に町に帰ってあげないと。
『でも――お前と一緒にいたら、あの子まで笑いものにされるんじゃないか?』
『モンスターが出ても守ってあげられないお前が、あの子を助けるなんてできるのか? 万年Fランク冒険者のくせに』
もうひとりのネガティブな俺が、耳元でそう囁く声が聞こえる。
「……できる。だって……二年前に失ったものを、俺はまた、見つけた気がするんだ」
――俺には今、守りたいと思う人がいる。
会ったばかりの見ず知らずの俺を、小さな体ひとつで助けようとしてくれた。見えない傷を、癒そうとしてくれた。
俺は、あの子を守りたい。
そうだ。俺は家族を、仲間を、国を――いろんなものを守りたくて、剣士になったんじゃないか。
俺は立ち上がり、女の子を追いかけた。
危険な目に遭っていないことを願いながら、森の中を全速力で駆け抜ける。
「きゃあっ!」
近くで叫び声が聞こえた。
声のするほうへ走ると、女の子がモンスターを前に腰を抜かしているのが見えた。
あれは……キングウルフ!? ブラクウルフは成長する前は雑魚といえるが、大人になると大きさも狂暴さも増し、途端に上級レベルのモンスターと化す。
牙は鋭く、あの牙で噛まれると命の危険もある。そのため、大人になる前に討伐するのが基本だ。最近見かけていなかったが、キングウルフがまだこの森に潜んでいたとは。
あの子を守るためには――俺が倒すしかない!
キングウルフは大きく口を開け、女の子に飛びかかる。
俺は間一髪のところで女の子を腕に抱き、キングウルフの攻撃から避けることに成功した。
「ぎんぱつ、さん……?」
俺を見た女の子の第一声はそれだった。
銀髪さんって……見たままの呼び名に笑いそうになる。
「大丈夫か?」
「だいじょぶ、です……」。
「そうか。よかった。……っ!」
無事だったことに安堵していると、急に右肩の痛みに気づく。
どうやら、さっき女の子を庇ったときに避けきれず肩を噛まれてしまったようだ。助けることに夢中で、今の今まで気づかなかった。
左手で肩を押さえると、べったりと血がついた。……これはまずい。さっさと倒さないと、俺の肩がもたないだろう。
「その傷! 私のせいで……!」
「違う。君のせいじゃない。それより、少し離れたところにいてくれないか。今から俺は……こいつを倒さなくちゃならないから」
俺の心配をする女の子に、精一杯かっこをつけてそう言ってみせる。
口を開け、立派な牙を見せつけてくるキングウルフを前に、俺は剣を構えた。
その時、久しぶりな感覚が俺を襲う。
――全然怖くない。むしろ、体に力がみなぎってくるように感じる。
「君にはお礼を言わないといけないな」
「え?」
守りたいものがある俺は、こんなにも強かったのか。
彼女は、それに気づかせてくれた。
「傷は癒えた。ありがとう」
女の子にそう言うと、俺は目の前の敵に全神経を注いだ。
そして、襲い掛かってきたキングウルフに、思い切り剣を振りかざした。するとキングウルフはその場に倒れた。
――仕留めた!
二年ぶりの討伐成功。剣を振るったときに感じた重みが懐かしい。
「すごいです! ぎんぱつさん!」
キングウルフを倒した余韻に浸っていると、女の子が俺に駆け寄ってきた。
さっきよりも輝きを増した瞳で、満面の笑みを向けられると、急に緊張の糸がふつりと切れた。それより、いつまで俺のことを銀髪さんと呼ぶつもりなんだろう。
「……フレディだ」
「……ふれ?」
「フレディ。俺のなま……え……」
言っている最中に立ち眩みがして、俺の体は地面へと倒れて行く。
――さすがに、無茶しすぎたかもな。
大けがを負った肩を使い、激しく動いたせいで風邪も悪化している。
意識が朦朧としてきて、息が苦しい。
待ってくれ。あとは、無事にこの子を町へ帰すだけなんだ。もう少しだけ動いてくれ。
俺は、この子を助けたいんだ……!
そう強く思った瞬間、瞼の向こうがやけに眩しく感じた。そして、俺の意識は完全に途切れた。