【9】
サロンというものは、ただの淑女の遊び場ではない。れっきとした社交の場であり、研究会のような体をなしているものもある。今回、ベアトリーチェが参加した王妃のサロンは、後者のものに近かった。名づけるなら、読書について語る会、だろうか。
読書好きの淑女が集まる会のようだ。おかげで、ベアトリーチェもなんとなくついていける。多くの人が読んでいる恋愛小説的なものはあまり読まないベアトリーチェだが、全く読まないわけでもない。なので、なんとなく会話は成立する。逆にフィオレンツァだったら成り立たなかっただろう。
「ベアトリーチェは魔法大学に通っているのよね」
王妃に話しかけられ、ベアトリーチェは緊張しながらうなずく。
「はい。末席ではございますが、学ばせていただいております」
「あら。優秀だと聞いているわよ」
そう言ってほほ笑む王妃は、貴族女性が高等教育を受けることに関心があるようだった。王妃自身がかなりの学識があるからこのサロンなのであって、興味があるのは何もおかしいことではないのだが。
「そうあれるように心がけてはいますが……」
「何を勉強なさっているの?」
「魔法理論です」
「……難しそうね」
「そうかもしれません。気が利かず、申し訳ありません」
ベアトリーチェは苦笑気味に言ったが、王妃はからからと笑った。
「いいえ。答えにくいことを聞いてしまったわ。ごめんなさい」
「いえ。王妃様に謝罪いただくほどではありませんわ」
もう少しわかりやすいことを勉強していれば、うまく説明できたのだが。こればっかりは専門知識がないと理解が難しい。かみ砕いて説明しようにも、そもそも、ここに集まる女性たちは興味がないだろう。
「王妃様にお気を使わせるなんて」
「足が不自由なのでしょう? 家でおとなしくしていればいいのに」
「淑女は大学に行くなんてはしたないことはしませんのよ」
くすくすと笑い声が聞こえる。聞こえるように言っているのだろう。隣で母が顔をしかめている。言い返さないだけ、母には良識があると思っておこう。
ベアトリーチェたちに聞こえているということは、当然王妃の耳にも入っている。王妃は微笑んだまま言った。
「見識がある女性は素敵よね。会話をしていても、知性が感じられて品がいいわ。ベアトリーチェも、落ち着いていてとてもすてきよ」
「あ、ありがとうございます」
さすがに少し動揺してかみそうになった。母が「よかったわね」とささやいてくる。お世辞でも、ほめられるのはうれしい。
少し庭に出ないかと言うことで、外に出た。王妃の庭園はきれいなシンメトリーで花が咲き誇っていた。
「ビーチェも見に行きましょう」
「あ、ええ」
母に手を引かれてゆっくりと歩く。それを見てご令嬢たちはまたくすくすと笑う。母がムッとした表情になる。
「自分のことを棚に上げて笑いものにするなんて、どんな教育をしているのかしら」
「……お母様」
まさかの親視点だった。まあ当然か。母も母親だから。
ベアトリーチェが足が不自由なのは事実だ。しかし、そのどうしようもないところを笑うのは卑怯だと、彼女も思う。本人が言うことはできないので、黙ってはいるけど。
令嬢たちはベアトリーチェをちらっと見て通り過ぎていく。母がため息をついた。
「良かれと思って連れてきたけど、あまり気持ちがいいものではなかったわね……」
「まあ、過ぎたことはいいわよ」
慣れているし、とは言わなかった。母が悲しむ。母を悲しませたいわけではない。
「……ちょっとお花摘みに行ってくる」
ブーゲンビリアを眺めていたベアトリーチェは唐突に言った。母が「一緒に行く?」と尋ねてきたが、ちょっと間抜けなので断った。
ゆっくりと歩く。生垣を眺めながら、とりあえず宮殿の入り口付近までたどり着いたが、少し疲れたので段差に腰かけた。母に見つかったら確実に怒られる。
「ベアトリーチェ嬢?」
斜め上から声がかかり、ベアトリーチェは視線を上げた。ばっちりと目が合う。
「……ごきげんよう、レナート様」
「こんにちは……妃殿下のサロンに招かれていたんですか?」
「ええ……招かれたのは母ですけど」
ベアトリーチェはお供である。段差に座っているなど、淑女にあるまじき態度だが、ちょっと立ち上がれそうにないのでそのままでいた。
「大丈夫ですか? お母上とはぐれました?」
「あ、いえ。自分で離れてきたんですが、ちょっと、疲れてしまって」
こういう時、普段車椅子で楽をしている弊害が出る。すると、レナートが傍らにしゃがみこんだ。
「先日のお約束ですが」
「あ……遠乗り? お流れかと思っていました」
ベアトリーチェが正直に言うと、レナートは苦笑した。
「……お見合いをされたと聞いたので」
「あ、ああ。そういえばそうですね」
すっかり忘れていたが、シリアート公爵家のご子息とお見合いをしたのだった。一瞬で流れたので忘れていた。一瞬ではあるが、縁談が持ち上がったのでレナートが遠慮したのだろう。
「耳が早いですねぇ」
「これでも近衛なので。噂には敏感ですね」
「なるほど」
うなずいたベアトリーチェは、そろそろ立ち上がろうかと足に力を込めた。察したレナートが立ち上がるのを助けてくれる。
「ありがとうございます」
「いえ……あまり、こういった場所で一人になるのは」
「そうですねぇ」
ベアトリーチェは素直にうなずいた。今回は見つけたのがレナートだったが、誰に声をかけられるかわかったものではない。それが王宮であっても、だ。
「ビーチェ!」
「あ」
母の声が聞こえた。お手洗いに行くと言って離れてから、確かにずいぶん経っている。
「ビーチェ! ……あら?」
母は娘の姿をとらえて目をしばたたかせた。それはそうだ。ベアトリーチェはレナートに手を取られたままだった。とりあえずレナートの近衛騎士の制服を見て非難するのはやめたらしい。そっとレナートが手を放そうとして、ベアトリーチェは逆に強く彼の手をつかんだ。今放されたら倒れる。華奢なハイヒールが裏目に出た。もともとベアトリーチェは背が高いので、言うほどかかとが高い靴を履いているわけではないが。
レナートが母に一礼する。母も挨拶を返した。
「娘がお世話になったようで。ベアトリーチェの母のロレッタ・ラ・フェルリータと申します」
「こちらこそお世話になっております。近衛のレナート・カレンドラと申します」
「カレンドラ侯爵家のご長男?」
「はい」
じっと見つめる母を、レナートが穏やかな笑みで見つめ返す。これ、引き離した方がいい?
「ええっと、お母様。私を探しに来てくれたのよね?」
「あ、ええ。そろそろお暇の時間よ」
「……そうなのね」
ベアトリーチェはレナートの手を放して母の方へ行こうとしたが、段差を降りようとしてよろめいた。母が手を差し伸べたが、その前にレナートが肩をつかんだ。
「すみません……」
「あらあら。無理させちゃったかしら」
母が心配そうにベアトリーチェの頬に手を当てた。ベアトリーチェは「大丈夫よ」と微笑むが、支えられているので説得力はない。
「よろしければ、お連れしますよ」
レナートが言った。この場合の『お連れする』は、案内する、ではなく、文字通り連れて行くのだろう。それはちょっと、ものすごく、遠慮したい。
「……そうね。いえ、馬車の方へ連れて行ってもらってもいいですか。私は王妃様にお暇の挨拶をしてまいりますので」
「そうですか。わかりました」
母の言葉に、レナートがあっさり了承した。母も、近衛とはいえ未婚の若い娘を知らない男に預けるな。と、思ったら小声で言われた。
「何かされそうになったら、魔法をぶっ放すのよ」
「う、うん」
自分も魔術師の母は、そんな過激な言葉を残して王妃の元へ向かった。もちろんその言葉はレナートにも聞こえていて、苦笑された。
「用心深いのか、おおらかなのか、悩ましいところですね」
「なんだかすみません……」
ベアトリーチェも苦笑気味に謝ると、そのまま膝裏に手をまわされ、抱き上げられた。突然の浮遊感に慌ててレナートに縋りつく。
「お連れしますので、おとなしくしていていただけると」
「本当にすみません……」
自分でも歩けないことがわかっているベアトリーチェは、素直にお世話になることに決めた。車いすを借りてもいいのだが、王宮というのは見た目の華やかさに比例するように段差が多いのである。
「お仕事中だったのではありませんか?」
「城内警備中でしたね。しかし、主の客人を助けるのも仕事の一つですから」
「ありがとうございます」
馬車乗り場まで連れてきてもらって、ベアトリーチェはベンチに下ろされた。
「助かりました」
「いえ。大事なくてよかったです」
そのままレナートは母がやってくるのを待っていてくれた。と言っても、それほど経たずに母もやってきたが。
「すみません。ありがとうございました」
母が駆け寄ってきてレナートに頭を下げた。押しの強い母はにっこり笑って言った。
「今度、ぜひお礼を」
「いえ。仕事ですので」
しれっとそう返したレナートだが、馬車にベアトリーチェを乗せてくれた時にささやいた。
「手紙を出しますので、お返事をいただけると嬉しいです」
「あ、はい……」
その声は母にも聞こえていて、動き出した馬車の中で母が楽し気に尋ねてきた。
「うふふ。心配する必要、なかったかしら」
「別にそういうのじゃないわよ」
母の期待しているようなことは何もない。そう言ったのだが、母は取り合わない。
「ええ~、そう? でも、文通はするんでしょう?」
「……」
ベアトリーチェは苦笑して答えなかった。答える必要はないし、答えるつもりもない。
しかし、手紙が来たら、返事は書いてしまうのだろうな、と思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ご都合主義でどんどん進みます。