【6】
夏休みに入り、ベアトリーチェとフィオレンツァは王都のラ・フェルリータ伯爵邸に戻ってきていた。夏休みは社交シーズンでもあるので、母は双子を連れて出席したいようだが、ベアトリーチェは歩行にハンデがある。かさばるドレスを着て参加する夜会は厳しかった。
それをいいことに、ベアトリーチェは屋敷で悠々自適である。自分も出席したくない兄ヴィルフレードがちょっと恨みがましくにらんできた。
父などはいやな思いをするのが分かっているのに、わざわざ行く必要はない、と昼などに行われる社交にも行かなくなった。母は「婚期が遅れたらどうするの!」とベアトリーチェをなんとか連れ出そうとする。立ちっぱなしの夜会は無理だが、着席するお茶会なら大丈夫だろう、と一週間後のガーデンパーティーに参加することになった。気が重い。
ヴィルフレードに連れてきてもらい、ベアトリーチェは王立図書館にいた。宮殿内にあるこの図書館は、広い。本棚の背も高いし、しかも、地下、中二階、二階がある。この世界のすべての本が所蔵されているのではないかと思うほどだ。
相変わらず車椅子で、本棚の間を抜ける。
「ええっと、心霊数理学の八番だから……」
「これですか?」
すっと手を伸ばした先の本が抜き取られた。なんだか既視感。ベアトリーチェが振り返ると、優し気にほほ笑んだ男性がいた。釣られるようにベアトリーチェも笑む。
「こんにちは、レナート様」
「お久しぶりです、ベアトリーチェ嬢」
はい、と彼はベアトリーチェに本を差し出した。まさしく、彼女がとろうとしていた本だった。ベアトリーチェは苦笑気味にそれを受け取る。
「ありがとうございます。また助けられてしまいました……」
はにかみながら言うベアトリーチェに、レナートは視線を合わせるように膝をついた。
「私がしたいからそうしたんですよ。それに、図書館に来たのはあなたに会えるかもしれない、という下心があってのことですから、お礼をいただくわけにはいきませんね」
「まあ。お上手ですね」
冗談だと思って笑ったベアトリーチェに、レナートは苦笑を浮かべた。
「本気なんですけどね。ベアトリーチェ嬢はお勉強ですか? ほかに欲しい本があればとりますが」
「あ、ありがとうございます」
なんとなく慣れてきたベアトリーチェはあれこれとレナートに欲しい本を告げて取ってもらう。かなり高いところにある本は正直、あきらめていたので、レナートがとってくれてありがたい。
「ありがとうございます。というか、お仕事中だったのでは?」
机に並んで座りながら、「休憩中ですよ」と答えるレナートは、近衛連隊の隊服を着ていた。ひとまずその言い分を信じることにして、ベアトリーチェは「そうですか」とうなずいた。
「お疲れ様です」
「いえ、ベアトリーチェ嬢にお会いできたので、むしろ元気ですね」
レナートの言い分にベアトリーチェは首をかしげる。それから言った。
「ならいいのですが。それと、よろしければビーチェと呼んでください」
彼女の名はこの国の者でも発音しにくいため、親しいものは大体彼女をビーチェと呼ぶのだ。
レナートは目を見開き、それから微笑んだ。
「では、お言葉に甘えてビーチェと。実は、先日、王宮の夜会に参加しまして」
「はい」
脈絡のない言葉に首をかしげながらもベアトリーチェはうなずく。レナートはベアトリーチェを見つめて目を細める。
「あなたに会えるのではないかと期待したのですが、いらっしゃらなかった」
ベアトリーチェは目をしばたたかせた。
「私は、ほとんど社交には参加しておりませんから」
この足では、迷惑をかけてしまいますし、と足に触れながら微笑む。主催者側にも気を使わせてしまうし、そばにいることになる両親や兄妹にも迷惑をかけてしまう。
だから、家でじっとしているのがいいのだと思う。ベアトリーチェは立ち上がれないわけではないし、年頃の娘らしく着飾ることもそれなりに好きだ。だから、母は彼女を連れ出そうとするが、彼女は頑として首を左右に振った。そこまでかたくなになってしまえば、母も連れ出すのは難しいだろう。しかも、父やフィオレンツァたちはベアトリーチェに味方する。
夜会などは、交友関係を広げる場でもある。若者たちにとっては、結婚相手を見つける場も兼ねている。今でも政略結婚は多いが、恋愛結婚も増えてきた。ベアトリーチェもそういうことに憧れがないではないが、難しいだろうなぁとは思っている。基本的に、彼女はお荷物なのだ。
「そうですか……それは残念です」
本当に残念そうにレナートが言うので、何だか申し訳ない気持ちになるベアトリーチェである。
「でしたら、今度一緒に出掛けませんか。遠乗りでも」
「え!? ええっと……」
突然の提案に動揺する。ベアトリーチェは何と答えていいかわからず、戸惑ったようにレナートを見上げた。
「その、私は一人で馬に乗れないのですが……」
思わずついて出た言葉は、一緒に行く気があるような言葉だった。言ってから考えてみれば、一緒に出掛けるのはいやではない、と思う。
歩かせることくらいはできるかもしれないが、馬に乗るには脚力がいる。ベアトリーチェには、圧倒的に足りないものだ。馬に乗る必要があるときは、たいていフィオレンツァが同乗した。
「……フィオも一緒なら」
フィオレンツァなら、確実にベアトリーチェの味方をしてくれる。ありがたいと同時に、何やら申し訳ない気もする。
「ええ、もちろんです。あなたが誘いを受けてくれたという事実がうれしい」
レナートは優しげに笑ってベアトリーチェの手を握るので、何やら恥ずかしい。居心地悪く身じろぎすると、レナートは「失礼をしました」と苦笑した。
「さすがに、そろそろ戻らねば」
そう言えば仕事中だったか。どれくらいの休憩時間なのかわからないが、確かに結構な時間話している気がした。体感時間だが。
「失礼します。またお会いできると思うと、うれしい」
そう言って彼はベアトリーチェの指にキスを落とし、名残惜しそうに図書館を後にした。残されたベアトリーチェはぽかんとしていたが、遅れて頬を赤くする。
「びっくりした……」
頬に触れると、ほのかに熱い。思ったより緊張していたようだ。あんなことをされたのは初めてだ。
なぜ彼はベアトリーチェを気にかけてくれるのだろう。何か思惑があるのだろうか。フィオレンツァが警戒するほど危険な人物ではないと思うのだが、意図が読めなくて不安にはなる。
ベアトリーチェは息を吐くと、とりあえず貸し出し処理に向かった。後でフィオレンツァに話してみよう。たぶん、否定的なことを言われるだろうけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
双子は仲良しです。