【3】
王立シーレン魔法大学は全寮制である。王都の外れに存在する、広大な敷地を持つ学校であった。
全寮制ではあるが、休日には家に帰ることもできる。ベアトリーチェとフィオレンツァは、二日の休みを利用して王都のラ・フェルリータ伯爵邸に来ていた。正確には、そこから王宮に向かったわけだが。
いつも通り、フィオレンツァがベアトリーチェの車椅子を押し、王宮内にある魔法研究所に足を踏み入れた。
魔法研究所は宮廷魔術師が所属する研究所だ。複数の人間で研究室を持っている魔術師もいれば、個人で研究している者もいる。
その中の個人研究所に、二人は足を踏み入れた。
「お兄様」
ベアトリーチェが呼びかけると、奥にいた黒い塊が動いた。黒いローブをまとう亜麻色の髪の男性。兄のヴィルフレードである。また、ラ・フェルリータ伯爵家の跡取りでもあった。
「ビーチェ、フィオ、よく来たね」
眼鏡を押し上げながら、兄は淡く微笑んで言った。グレーの瞳はフィオレンツァと同じだが、与える印象は違う。理知的な兄に対し、フィオレンツァは快活な性格が表に出ているような印象を受ける。まあ、一卵性の双子であるベアトリーチェも似たようなものだけど。
「久しぶり、兄上」
「お邪魔します」
フィオレンツァとベアトリーチェがそれぞれ言った。ヴィルフレードは嬉しそうに「元気そうだね」と妹たちを歓迎した。
兄ヴィルフレードは、魔法研究所で魔法構造学を研究する魔術師だ。人体構造学もかじっており、ベアトリーチェの不自由な足をどうにかしようとしているのが丸わかりで、当の本人としては苦笑いだ。しかし、それだけ思われているということである。
「ああ、そうだ。トルテがあるんだ。もらいものだけど」
そう言いながら、ヴィルフレードはベアトリーチェを抱き上げてソファに座らせた。ひょろりとしたヴィルフレードだが、どうしてもベアトリーチェを抱き上げる役は誰にもやらせたくないらしく、こうして妹を抱えられるだけの腕力は維持している。ここまで来ると、兄妹でなければその執着にドン引きである。兄妹だとしてもやり過ぎな気もするが。
フィオレンツァがかって知ったるとばかりに勝手にトルテを出しに行く。ついでに手際よくお茶を淹れはじめた。ベアトリーチェも手伝いたいが、下手に動くとかえって邪魔になるのでじっとしていた。
「それで、どうしたの? 会いに来てくれたのはうれしいけど、何か新しい理論でも思いついた?」
と、ヴィルフレードは妹二人を見る。フィオレンツァは既にトルテを食しはじめていたので、ベアトリーチェが口を開いた。
「実は、今研修で大学に来ている近衛騎士が、ある捜査をしているらしくて」
「へえ。うん、まあ、そういうこともあるよね。学校って閉鎖的だから」
ヴィルフレードはそう言ってうなずいた。口の中のものを飲みこんだフィオレンツァが尋ねる。
「兄上、レナート・カレンドラって知ってる?」
「ああ、うん。近衛騎士の。今、そっちに行ってるんじゃなかったっけ」
どうやら、面識があるというのは本当だったらしい。フィオレンツァはさらに言葉を続けた。
「なんか、ビーチェに気があるみたいなんだけど」
「それは許しがたい」
秒で返答があった。ちょっと過保護が過ぎる兄と双子の妹に、ベアトリーチェはため息をつく。
「勧誘されただけでしょう。確かに、おとりとして私は有効だと思うもの」
「ビーチェ……」
ヴィルフレードが泣きそうな顔で妹を見た。
「困ったことがあったら、何でも言うんだよ。フィオも」
「ありがとう、お兄様」
「うん、でも、兄上じゃちょっと頼りないかなぁ」
フィオレンツァにさくっと言われ、ヴィルフレードはうなだれた。それを見て、ベアトリーチェはくすくすと笑う。
「お兄様、私もフィオも頼りにしているから大丈夫よ」
魔法に関しては。魔法魔術に関しては天才的なヴィルフレードだが、日常的なことに関しては、フィオレンツァの言うように確かに少し頼りないな、と思うベアトリーチェだった。
「うう……まあ、魔術に関することなら何でも聞いてくれ」
どうやら、本人も自覚があるようで自己申告してきた。では早速尋ねる。
「魔術師が人から魔力を集める場合、どういうことが考えられるのかしら」
ベアトリーチェの問いに、ヴィルフレードは首をかしげた。
「魔力を奪われた人たちは、生きている?」
「ええ」
うなずくと、ヴィルフレードは少し考え込むように顎に手をやった。
「……なら、おそらく、奪われたのは魔力ではなく、魔法だよ」
「魔法って奪えるの?」
フィオレンツァが尋ねた。彼女のからのカップにベアトリーチェは紅茶を注いだ。彼女の前にティーカップを押し戻す。
「物によってはね。魔法の譲渡に似てるかな」
魔法の譲渡。一定の手順を踏むことで、他人に自分の魔法を貸し与えることができる。奪われるわけではないので、元の所有者もその魔法は使うことができる。
魔法と魔術は、違う。魔法はその人特有の個性のようなもので、通常、その人にしか扱えない。しかし、人に譲渡すれば別だ。譲渡された魔法は、譲渡された人が使用できる。
それと似たようなことで、魔法を奪ったのだという。ヴィルフレード曰く、譲渡できるのだから、奪うことも不可能ではないだろう、とのことだった。
「魔法を奪えば、いろいろ使い道がある。売ることだってできるしね。そういう意味では、確かにビーチェは狙われるかもしれない」
妹馬鹿な兄に言われ、ベアトリーチェは自分の目元に触れた。ベアトリーチェの目は魔眼である。どうやら、母の胎内にいる間に、ベアトリーチェは魔法の才能を、フィオレンツァは身体能力をお互いから吸い取っていたようである。
魔眼は最古の魔法の一種だと言われる。これまでも魔眼を狙われたことはあった。己の足で歩けないベアトリーチェは、逃げるのに苦慮したものだ。
「というか、魔眼の能力を奪うには、魔眼を取り出すしかなくない?」
フィオレンツァがそう言って、双子の片割れを見た。ベアトリーチェも見つめ返し。
「そう言えば、そうね。けれど、私は歩けないのよ。捕らえるのはそんなに難しくないわ」
いざとなれば奥の手があるが、あまり使いたくないものだ。魔力の消費が激しいし、ついでに翌日は全身筋肉痛になる。
「……ビーチェ。君の強みは、巧みな魔術だけじゃない。常に冷静なことだよ。正直、ビーチェが捜査に加われば、彼らはかなり助かると思う……業腹だけど」
ヴィルフレードの言い方に、ベアトリーチェは苦笑した。
「お兄様の助言も、主観が入っていなくてためになるわ」
「……それはどうも」
そう答えながらもヴィルフレードは面白くなさそうだ。フィオレンツァ曰く、「ほかの男に大事な妹が取られそうだからでしょ」とのことだった。本人も、不機嫌そうだが。
「二人とも、私が犯人探しに協力すると思っているのね」
「違うの?」
尋ねたのはフィオレンツァだ。ベアトリーチェはくすくすと笑う。
「そうね。気にはなるけれど、今回は協力できないかしら」
何しろ、ベアトリーチェにとってのリスクが大きすぎる。しかし、そう。気にはなる。フィオレンツァに迷惑をかけないとしたら、飛びついていたかもしれない。どうあっても、ベアトリーチェが動くとなるとフィオレンツァがついてきてしまうのだ。お互いの安全のためにも、動かないのが一番良いと彼女もわかっている。ちょっと興味はあるけど。
しかし、運命はどうしてもベアトリーチェを巻き込みたかったらしい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
私の書くきょうだいはシスコンが多い…。