【2】
実習中のレナートに図書館で助けられてから、彼はベアトリーチェを見るたびに移動を助けてくれるようになった。もっとも、彼女が一人で移動していることは珍しいのだが、ベアトリーチェにだって一人になりたいときはあるし、授業の関係でいつでも友人たちと一緒、と言うわけにはいかないのだ。
気性の穏やかな二人は気が合うのか、徐々に仲良くなっていったのだが、フィオレンツァはそれが気にいらないようだ。ついに騒ぎが起きた。
「おい、ビーチェ!」
「あら、ジェズ。珍しいわね」
ベアトリーチェはそう言ったが、この場合の珍しい、とは彼が声を荒らげていることを指す。ジェズアルド・オルドニーニはベアトリーチェの幼馴染になる。領地が隣り合っており、小さなころから行き来があった。専攻は違えど、ベアトリーチェと同じ魔法理論科に属するため、よくベアトリーチェの移動を手伝ってくれている。
アッシュブロンドの髪に澄んだ緑の瞳と、美男子の部類に入るジェズアルドに女生徒たちは色めき立つが、彼はまっすぐにベアトリーチェの車椅子のグリップを握った。
「へ?」
「時間がない、行くぞ!」
「ちょ、待って!」
教科書などはまとめて持っていたが、いきなり車椅子を動かされてベアトリーチェは驚いて肘掛けをつかんで体勢を崩すのを避けた。
「押させておいてなんだけど、もう少し丁寧に扱ってよ!」
車椅子が出せる最高速度と思われる速さで、ジェズアルドはベアトリーチェの車椅子を押していた。ちょっと怖い。
「本当は抱えていきたいくらいだ。抱えていいか?」
確かに、車椅子を押すより、抱えて走った方が早い、という人は結構多いが。
「フィオに勘違いされてもいいならどうぞ」
ベアトリーチェにとっては、車椅子のトップスピードで走られるのも抱えられて走られるのも似たようなものだ。しかし、そういう問題ではない事情もある。ジェズアルドは顔をひきつらせて少し歩く速さを落とした。
彼が連れてきたのは屋外訓練場だった。そこでは、何故かフィオレンツァとレナートが決闘をしていた。
「……どういう状況?」
「あら、ベアトリーチェ。あなたの片割れがレナート様に決闘を申し込んだのよ」
「そのようだけど……何故?」
実戦魔法科に所属する女学生に説明されたが、何故そんな状況になったのかはさっぱりわからなかった。これはフィオレンツァ本人に聞くしかない。
レナートもフィオレンツァも、武器は剣だった。フィオレンツァは槍の方が得意としているので、少し不利なのではと思うが、意外にもその素早さでレナートを翻弄しているようにも見えた。
「フィオ……」
ベアトリーチェははらはらと両手を組んでいるが、つぶやいたのは車椅子を押すジェズアルドだった。彼もフィオレンツァを心配そうに見ている。
勝敗はレナートがフィオレンツァの剣を巻き上げて落とさせたところで決した。二人とも、大したけがはない。ジェズアルドに車椅子を押されて、ベアトリーチェはフィオレンツァに近づいた。
「フィオ」
「あ、ビーチェ。負けちゃった」
「ええ、そうね。いえ、そうじゃないわ。そうじゃないでしょう」
自分で自分にツッコミを入れながら、ベアトリーチェはフィオレンツァに尋ねた。
「どうしてこんなことに?」
一方的に怒らないように落ち着いて尋ねたのだが、フィオレンツァはむくれて言った。
「だって、レナート殿がビーチェを巻き込もうとするんだもの!」
「はあ?」
思いっきり怪訝な声が出たことは許してほしい。
場所を移して、空き教室に身を移した。二階だったので、階段を上る必要があったのだが。
「ベアトリーチェ嬢は全く歩けないわけではないんですね」
「ええ……足が不自由なのは事実ですし、ゆっくりとしか歩けないのですが」
ベアトリーチェは階段を自分の足で昇ってきた。フィオレンツァに手をひかれながら、ゆっくりと、であるが。彼女は全く歩けないわけではないのだ。
段差があれば、自分で歩かなければならない。普段は車椅子の方が早いし、歩いてもすぐに疲れてしまうので車椅子を利用しているが、一応リハビリも兼ねて毎日歩くようにはしている。たいてい、フィオレンツァが付き合ってくれていた。
「なるほど。足を動かすのも大切でしょうが、無理をなさらないように」
「気を付けます」
誰しもに言われる言葉を、ベアトリーチェは笑って受け流した。
さて。この空き教室にいるのは、ベアトリーチェにレナート、膨れているフィオレンツァに、流れでついてきてしまったジェズアルドの四人だ。仲良し三人組にレナートが入ってきた、そんな感じだ。
「さて、フィオ。何がそんなに気にくわないのかしら」
「それは私から説明してもよろしいですか? ついでにご協力を仰ぎたい」
「レナート殿!」
フィオレンツァが憤慨して声を荒らげる。ベアトリーチェはジェズアルドにフィオレンツァを押さえるように頼み、レナートに話を続けるように促した。
「では、許可をいただきましたので。ベアトリーチェ嬢とジェズアルド殿は、この頃、魔術師の魔力の一部、ないし、魔法の一部を奪われる事件をご存知ですか」
「ええ」
「聞いてはいる。学内のことだし」
ベアトリーチェとジェズアルドがうなずいた。先に聞いていたらしいフィオレンツァはむくれたままだ。
「私は、その背後関係を調査するために送り込まれました」
まあ、実習なのも事実ですが、とレナートは苦笑気味に述べた。ベアトリーチェは「なるほど」とうなずきながらも頭を回転させる。
ここの所、確かに学生もしくは教師の魔力が奪われる、という事件が多発していた。実習は一週間くらい前に始まったのだが、確か、それより以前からだ。魔法大学であるここでは珍妙な現象がよく起きるので、それほど問題視されていなかったのだが……。
「ほら、あれだよ。大公の三男が魔力を奪われて昏倒したじゃない」
「ああ~!」
フィオレンツァの言葉に、すさまじく納得したベアトリーチェとジェズアルドであった。学年も科も違うので二人は思い至らなかったが、フィオレンツァは同じ科に属しているので、知っていたのだろう。そして、大公には国王の妹が嫁いでおり、大公の三男は国王の甥にあたるわけだ。
「密命と言うわけですね」
ベアトリーチェが手を合わせて納得したように言った。大公妃の訴えともあり、国王は近衛についでに調査を命じたのだろう。もともと、実習に行くのだし、不自然ではない。学生の協力者が欲しいと思うのも不自然ではない。
「それで、私たちに協力を要請したいと」
「その通りです。フィオレンツァ殿には怒られてしまいましたが」
「さしずめ、私はおとりと言ったところでしょうか。私が犯人でも、私を狙うでしょうし」
ニコリと笑ってベアトリーチェは言った。きっぱりとした言葉に、さすがにレナートもばつが悪かったのかあいまいに苦笑を浮かべた。
「……まあ、そうかもしれませんが……」
「そうかもしれなくても、ビーチェをおとりにするなんてありえない! 逃げられなかったらどうするの!」
フィオレンツァが憤慨して言ったが、ベアトリーチェはと言うと、落ち着いて言った。
「フィオ、それは私のことを侮っている発言になるわね。まあ、逃げられないかもしれないけど……」
いくらベアトリーチェが優れた魔術師であろうと、足が不自由であることは変わりない。その時点で、圧倒的に逃げるのには不利であるから、フィオレンツァの心配もわからないではないのだ。
「ですが、おとりになるかはともかく、知れてよかったとは思います。何かあれば助けを求めてよいということですものね?」
ニコリと笑ってレナートに尋ねれば、彼は「そうですね」と笑い返した。協力するかは別問題であるが、ベアトリーチェが襲われるようなことがあれば、彼を頼ってもいいということである。この中で、圧倒的に襲われる確率の高いベアトリーチェは、内心ほっとしていた。
「この二人、実は内面的に似てるんじゃないか?」
成り行きを見ていたジェズアルドが不意にそんなことをつぶやいた。
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