【12】
レナートからのお誘いは本当に来た。夜会の翌日に届いた。
「早っ! レナート様、本気なんだ……」
フィオレンツァがベアトリーチェの手の中にある手紙を見て驚いたように言う。まあ、ベアトリーチェは夏休みが終われば学校に戻ってしまう。レナートが急ぎ手紙を出すのはある意味当然なのだ。
「一緒にお庭を歩きましょうって、素敵ね!」
にこにこと母も言う。公開されている城の庭に誘われた。やや鈍感なところのあるフィオレンツァと、どこか冷めているベアトリーチェに比べると、母の方が純粋な反応に見える……。
当日は歩きやすい靴で行かなければならないな、と考えながらベアトリーチェは返事をしたためることにした。楽しい約束をするための手紙を書くのは楽しかった。
当日はレナートが迎えに来てくれるそうだ。というか、現地で合流するのはベアトリーチェにとっては難易度が高いので、当然かもしれない。
当日、約束の時間にレナートはベアトリーチェを迎えに、ラ・フェルリータ伯爵家へやってきた。
「おはようございます、ビーチェ」
「おはようございます、レナート様。良い天気でほっとしました」
侍女に車椅子を押してもらってエントランスを出てきたベアトリーチェを見て、レナートは微笑んだ。
「私もですよ。抱き上げて構いませんか?」
「はい」
自分から手を伸ばすと、レナートが彼女の体を抱え上げた。侍女が車椅子をたたむと、馬車に積み込んだ。レナートはベアトリーチェを一度立たせると、手を引いて馬車に乗せる。
「お嬢様をお願いします」
「承った」
「ちょっと……」
ここまでついてきた侍女がレナートに念押しした。いかにもついてきそうな母は、フィオレンツァが押さえてくれている。まあ、フィオレンツァもちょっと不安そうだったけど。レナートが合図を出すと、馬車が動き出す。
「すみません。お手数をおかけいたします」
苦笑を浮かべて隣のレナートに話しかけると、彼は彼女の肩を支えたまま言った。
「いえ。私が好きでしているのですよ」
と、答えた。冗談だとしても、言われると嬉しいものがある。
「……ありがとうございます」
ベアトリーチェが微笑むと、レナートは「構いませんよ」とやはり笑う。
「私はあなたに笑顔になってもらいたくてしているんですから」
一瞬、目を見開いたと思う。そのあと、頬が赤らむのを自覚した。両手で頬を押さえる。
「……どうしてそう言うことを恥ずかしげもなくおっしゃるんですか」
「遠慮なく口説くと決めましたから」
いつの間に、と思わないでもないが、悪い気はしない。ベアトリーチェは手を下ろしておずおずと微笑んだ。レナートはやはり微笑み、「笑顔の方が素敵ですよ」と言った。
「まあ、いつでも素敵ですが」
「口がうまいですねぇ」
苦笑を浮かべる。半ば本気で、半ば冗談で言った。レナートは真剣で、「好きな人に振り向いてもらうためですから」と答えた。馬車が停まった。目的地に到着したのだ。ベアトリーチェはレナートに抱えてもらって馬車から降りた。
「……いくら、足が不自由で抱き上げられることに慣れている私でも」
「? はい」
ベアトリーチェはまっすぐにレナートを見上げた。
「好意もない家族でない男性に、簡単に触らせたりしません」
今度はレナートが目を見開いた。ベアトリーチェは微笑み、レナートの手を引いた。
「行きましょう。支えてくださるとうれしいです」
そう言われ、レナートの意識も戻ってきた。すぐさま笑みを浮かべベアトリーチェの手を取る。
「もちろんです」
ゆっくりと歩き始める。ベアトリーチェの歩みに合わせるとかなり遅いが、レナートは歩調を合わせてくれた。開放されている庭園なので、友人同士で訪ねる令嬢や、恋人らしき二人連れが多い。
自分たちもそう見えているのだろうか。そう思うと面はゆい。
ゆっくりと歩く。庭園に抜けると、さすがの景観だった。花の優しい香りがする。花のトンネルをくぐる。ゆったりとした速度で歩いていたのだが、後ろから不機嫌そうな声がかけられた。
「ちょっと。遅いんだけど」
背後から若い……いや、ベアトリーチェたちも若いが、彼女らより年下に見えるカップルが不機嫌そうにせかした。ベアトリーチェは「ごめんなさい」とよけようとしたが、レナートは彼女の肩を支えたまま言った。
「すみません。彼女と少しでも長く二人きりでいたいので」
言い方に、問題があると思うのだ。ベアトリーチェはレナートの服の袖をつかんで顔を伏せた。絶対今、顔が赤い。
結局、そのカップルは引き返していった。レナートに顔を覗き込まれる。
「行きましょうか」
「はい……」
手を引かれて、ゆっくりと歩く。この穏やかな時間が、ずっと続けばいいのに。
車椅子は持ってきてはいたが、結局、使うことはなかった。レナートはベアトリーチェを気遣ってゆっくり歩いてくれたし、疲れたころに休もうと言ってくれた。
「すみません。気を使わせてしまって……」
「ビーチェの足が不自由でなくても、私は声をかけましたよ。あなたに無理はさせられませんから」
足が不自由でなくても、レナートはベアトリーチェを気遣う。そんなことは些細な問題だと言うのだ。足が不自由であることを悲観したことはない。それでも、みんなができることができなかったり、邪険にされることもあれば逆に気を使われすぎることもある。邪険にされることより、その方がベアトリーチェは心苦しくなるのだ。
正直言うと、今も裏切られるのが怖い。期待して、それが裏切られたことが何度もある。この人は違うと思っても、人の心など見えないのだからわからない。
信じてもいいのだろうか。信じなければ何も変わらない。少なくとも、ベアトリーチェのこの気持ちだけは真実だ。
「私、レナート様のことが好きです」
レナートが驚いたようにベアトリーチェを見た。ベアトリーチェはもう一度繰り返す。
「レナート様のことが好きです」
ゆっくりとレナートがベアトリーチェに向き直る。その顔が驚きからゆるゆると笑みへと変わっていった。
「私も好きです。愛しています」
ベアトリーチェは両手でレナートの手を握ると、はにかんで微笑んだ。レナートもいとおし気に微笑む。
「ありがとう、ビーチェ。とてもうれしい」
この優しさが、他の人に向けられるのだと思うと悲しい。自分だけを見てほしい。きっとこれが恋をしているということなのだろう。
どこからか鐘の音が聞こえた。日が沈みかけている。レナートがため息をついた。
「そろそろあなたを帰さなければ」
「帰りたくありません、と言ったらどうしますか?」
突然の積極的な言葉に、レナートは微笑んだ。
「同じ気持ちですが、今日は帰します。あなたと会えなくなったら困りますからね」
それもそうだ。ここでベアトリーチェを遅くまでとどめてしまうと、彼はベアトリーチェの両親からの信用を無くすだろう。そうなると、一緒にいられるものもいられなくなる。それは困る。
「そうですね。わがままを言ってすみません」
あっさりと引き下がり、帰りの馬車に乗り込む。結局、車椅子は使わなかった。
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