Ⅰ
トランテスタ王国。
自然豊かで鉱山資源に恵まれたこの国の王家に双子の姉妹が生まれたのは今から18年前のことである。二卵性双生児として生まれた彼女らは、容姿も才覚も全くと言っていいほどに似ていなかった。
姉のメリアは王家の血筋には珍しい、栗色の髪と、ペリドットの目を持ち、ずば抜けた頭脳を備えていた。その才能は多岐にわたり、学問はもちろんのこと、音楽、狩猟、戦術、何でも平然とこなす才女に育った。
一方妹のエミリアは金髪にエメラルドの瞳を持ち、その美貌は王国だけでなく、大陸でも噂になるほどのものだった。
国王と王妃が愛したのは妹のエミリアのほうだった。
それが顕著に見えるようになったのは、彼女らが5歳を過ぎたころだった。
この頃、メリアはその才覚を開花させ始めていた。
彼女は5歳にしてすでに隣国である、エール帝国の言語を話せるようになっていたのだ。他にも数学や歴史に興味を示し、本を開くようになった。学問に没頭している上、口数や表情の少ない彼女を気味悪がったのだ。
「あの子は何を考えているのかわからないわ。あれだけ知識を得てどうしたいのかしら。今日は錬金術の本を読んでいたのよ?」
「まるで『ファルエル』にでも取りつかれたようだ…。」
『ファルエル』とは、トランテスタやエールがあるミッドフェルド大陸に伝わる悪魔のことだ。天才と呼ばれる人間に取り憑き、知識をこれでもかと身につけさせ、その人間を喰らった後、その知識を自分のものにしてしまうという言い伝えがある。トランテスタでは恐れられている悪魔の一体だ。
国王夫妻は、メリアを自分たちから遠ざけるようになった。
彼女の部屋を後宮に移し、数人の召使をつけただけ、という一国の王女とは思えないような待遇を与えたのだ。以後、彼女は後宮の部屋で生活し、用事がない限りは宮殿の本殿に姿を現さなくなった。
このメリアの住居の移転はエミリアにとってはかなりの好都合だった。自分よりも頭の良い姉が、実の親に弾き飛ばされ、彼らの全ての愛情を一身に受けることができるのだから。
彼女は歳を重ねるたびに、ますます美しくなり、献上品、ドレス、そして権力を手に入れるようになったのだ。
そして2人は、18になる年を迎えた。
***
「メリー!!」
後宮のすぐそばには、宮殿屈指の美しさを持つ庭園がある。その庭園で若い男が誰かを呼んでいた。
「……ディーノ?」
男に駆け寄ったのは、深い緑のドレスをまとった栗色の髪の女性―――――メリアの姿だった。
「一緒に植えたポピーが咲いたんだ!見てくれよ!」
男―――――ディーノが嬉しそうに言うと、メリアは花壇に視線を向けた。花壇には色とりどりのポピーが花開いていた。
「あ…ほんとだ。」
「去年も植えたんだけど、こんなに綺麗な花じゃなかった。やっぱメリーにいろいろ聞いて正解だったなあ。」
ディーノはこの宮殿の庭師であり、メリアに花のことを尋ねてはこの庭園に生かしているのだ。
「役に立ったなら、よかった。」
メリアは、小さく、ほんとに小さく笑った。
「またいろいろ教えてくれよ。メリーは何でも知ってるから話聞いてると頭良くなった気分になるんだ。」
ディーノが嬉しそうに言うと。
「本当に頭が良くなっているわけじゃないんだから、勘違いしないことだね!」
背後から威勢のいい女性の声が聞こえた。
「げ、アンおばさん……。」
2人が振り向くとそこには少々体格の良いメイドが腕を組んで立っていた。
「ディーノ!全く、王女のことを呼び捨てなんて!!一体いつになったら直るんですか!メリア様はお忙しいのです!何も考えずに呼び止めるなんて!」
後宮の侍女長―――――アンはむす、としたままディーノを睨んでいる。彼女はメリアが後宮に移ってからずっと身の回りの世話をしてくれているのだ。
「アンさん、私は大丈夫だから。」
「メリア様はディーノに甘すぎるのでございます!」
まくし立てるアンに、メリアは眉を下げた。
「これから、また公務に戻られるのでしょう?」
アンのその一言にディーノは眉を寄せた。
「メリー、またこき使われてるのかよ。」
思わずディーノの声のトーンが下がった。
「書類整理も、大事だから。」
メリアは仕事してくる、と自室に戻った。
彼女の背中をディーノとアンは寂しそうに見つめていた。
***
メリアの公務は単純明快なものだ。あらゆる書類の整理をすること。
国の予算案、法案の作成、土木事業の発注書、教科書の策定、政策の策定……何でもござれだ。この国のあらゆる取り決めの一切を任されている。
トランテスタの政治や行政は彼女があってこそ機能していると言っても過言ではない。しかし、そうしたメリアの功績を知る者はほとんどいないのだ。メリアが民衆や貴族の面前に出ることがまずもってない。
それに加えて。
「今日もエミリア様見たさに多くの謁見が来ているんだって。」
「ほんとに?」
廊下を歩く侍女たちがそんな話をしているのを耳にした。
そう。誰もメリアに興味を持たないのは、妹であるエミリアの絶大な人気にある。ブロンドの長い髪とエメラルドの瞳を持つ、彼女の美貌を一目見たいと謁見が絶えないらしい。
メリアは、鏡に映る自分の姿を見て溜息をもらす。栗色のボブヘアにペリドットの瞳。見栄えとしてはエミリアよりかなり劣る。
「……なんで、」
そう言いかけて考えるのをやめた。現実を嘆いても何も変わらないんだから。
メリアは、目の前にある膨大な書類に目を通すことに集中した。